October 6th, 2012

朝6時に起きてしまいました!

ぐっすり眠れたようです!
昨晩、ふと起きたのが12時ですからその前に寝ていたのでしょう。

☆いろいろなことをいつも考えているのですが、京都での個展の時に(28歳くらいだったでしょうか?)、女子美術短大を一浪して入り、一留年し、中退した当時25歳ぐらいだった姪を、「弟子にして小遣いやってくれ。」と、強引に越させたひとがいました。
 私は「弟子などとる身分でないし第一人にお小遣いをあげれるゆとりはない。」と断ったのです。
「今日との個展を見に来るのは自由ですが。」と言ったら、そのあったことのない姪は来たのでしたが、そのおじというひとも何処かの会合で1度あったくらいのひとでした。
 その姪というひとも搬入の一番忙しいときに顔を出しましたが「?」すぐに消え、こちらも東京から素泊まりで近くの旅館に泊まって他人の善意に甘えることなく自分で全部やるタイプなので一生懸命働いていたわけです。
 四条河原町の「紙泉堂ギャラリー」という和紙の問屋さんがオープンしたギャラリーでよく材料を買っていたので話がきたのでしょう。(ホテル-オークラのなかのフランネルギャラリーで豆団扇を売ってくれて、その材料を買っていたのです。)
 その叔父というひとから1000円程度の菓子折りが初日に届きました。そして、電話がかかりました。個展案内状を渡したので、そこに情報が書いてあるのです。個展案内葉書というのはよくギャラリーに積んであるのですが、不特定多数に配られるもので誰にでも配られるものなんです。

 「姪がいって個展の搬入手伝っただろう?」とギャラリー会場の電話で言うのです。
「お見えにはなりましたが、手伝いはなさらなかたですよ。」「本人は手伝ったといったし、そのために前日行かせたんだが。」「弟子はとる身分でないと断ったでないですか?嘘をついて手伝ったと言ったんですか?」
 私はすぐ菓子折りを送り主に送り返しました。しかし暗い顔をして不機嫌そうな姪は何をするでもなく、そう叔父に命令されたのでしょうか?会期中、づっと会場の椅子に座ってました。迷惑と言えば迷惑でしたが追い払う権利もないので

自由にさせてました。叔父さんに恩着せがましく命令されていたからでしょうか?その姪は、「叔父さんのひとり娘は知的障害者で家にいるのよ。」と言いました。私はいつも書いているように大学出てから親から1円ももらってないので、こういう個展の時も客に絵を売ってその費用で新幹線代金も旅館の1週間の支払いも作るのです。
この個展も企画でしたが、「売れてるようだから会場費もいただきたい。」とギャラリーから途中で言ってきましたが私は出しました。商人ですからそんなものでしょう。よくギャラリーと画家とのお金のトラブルを聞くので私はそれが大嫌いでしたので。
 その姪は時間になりクローズになると地元の人の招待があるのですが付いてくるのです!私は嫌なことを言わないタイプなんですが、相手には「勝手について来るのです。」と伝えました。
 これだけのことなんですが、これがまだ若かった私には罪悪感が植え付けられたのでした。

☆しかし、昨日読んだ「岡田謙三の生涯」で芸大教授が言ったように、自己責任で画家になれるほど精進するしかないのです。赤の他人、しかっまだ30歳前の若い女性に脅迫のように、怠惰でウソつきで図々しい姪を押し付けるのは、やはり
間違っていると思います。確かに生涯のある子供をもつ辛さはあるでしょう。でも、私だって障害はあるんです。母親の妨害がひどくしょっちゅう色々捨てられていたり、電話を取り次いでくれなかったり仕事ができなくされていたのでした。それに絵を売るんだって神経遣うんですよ。暗い不機嫌な顔をしてたら、誰も買ってくれません。わくわくした買う喜びを与えるのも義務なんです。絵も深夜まで寝る時間を惜しんで毎日描くんです。そんなことは常識なので誰も言わないのですが、誰も他人を脅かして「自分は不運なので同情してなんとかしろ。」というのは間違ってます。それどころか他人に迷惑をかけてることも気がつかないようでした。
 それは意地悪ではないです。「岡田謙三の生涯」に書いてありましたが、「絵は描くのではなく作る」と言うのです。
私も同感です。新しいものを日々作っていくのです。そのために苦しみ努力をするのだと思うんです。
 うまくいかないときは自分に問題があります。だから反省するんです。

 「岡田謙三の生涯」で、彼の作品は散逸せずまとめて残っているとありました。彼はあまり名を売ることや他人のつてでコネクションを作らず世に出ることを意識的に控えめにしていた時代があったようです。

 色々なひとがいます。
 私も65歳近くなって体力的にも時間がなくなりました。だから、暴力振るう人と集る人とは付き合わなくてもいいと決めました。
 他人のものを奪う人や他人を脅かして無心する人も多くみてきましたが、今は遠い遠い人。
 
 神様が同じように与える時間、どう使うかも自由。
 そして、結果においても公平で神様のなさることには間違いがないといつも思う。

 人を騙して生きていく生涯もある。
 人を食い物にして生きていく生涯もある。

 素晴らしい花を開花させる生涯もある。
 生きる希望を与えて死後も人を幸せにする生涯もある。

 人生は選べる。

 神様は狡猾だが意地悪ではない。アンシュタイン
 
 神様はなんとか人間に正しい道を歩ませたいと思い色々な考える機会を与えてくださる。だから、読み取って、二度と来ない大切な時を大事にしたいものだ。
 

鹿と衝突して18分遅れた信越線!

2012-10-06 09.08.41 朝は昨日の里芋と油揚げのお味噌汁とハーブティーで済ませ、庭の片付けに入った。

 ペンキが乾いているので椅子とテーブルをそれぞれの場所に置き、地面のビニールシートを畳み、捨てるレベルに汚れたものは不燃物用のビニール袋にいれた。

 時計を見ると8時55分!
 間に合うかも。
 タクシー会社に電話をして、「9時19分の信越線に間に合いますか?」と訊いた。
間に合うと言うので、さっさと身繕いをして、庭で待っていた。

 タクシー会社から、2,3度電話がかかり、こちらからかけ直すと「間違えました!」とだけ言った。

 9時10分過ぎて来たので「遅れてもいいよ。事故を起こさないでね。」と言った。それで孟スピードで車は発車。
「似た姓の人と間違えてタングラムの方に行っちゃったんです。」と言う。社長の妹さんのドライバー。
「遅れたらコーヒー飲んで時間潰すから事故を起こさないでね。」
「黒姫ではみなルイコさんんい感謝してるんですよ。タクシー使ってくれるから。」
 なにしろバスがなくなって、土曜日は学童のバスはないし、500円バスも10時25分か9時36分でそれに乗ると9時19分の信越線には乗れないのだ。歩くには時間がないし、次の電車だと一日潰れてしまう。

 駅についたら「間違って遅れたから1000円でいい。迎えの280円とで1280円。」と言う。
しかし、間に合ったのだ。

 ホームで待っていると、アナウンスがあった。
「長野行きは20分遅れて運行してます。」

 それで、売店にいって読み物を探していると、売店のおばさんが
「鹿と衝突したんですってよ。」
「鹿は無事だったでしょうか?」
 と言うことだった。

 結果的に18分の遅れで、駅内のお蕎麦屋さんのおば
さんが前を通ってにっこりと挨拶してくれたのでたので、「鹿と衝突したんですってよ。」と伝えたら「山から降りてく
るからねえ。」「昨日は長野市で熊が撃たれたし。動物がかわいそうだね。人間の勝手で。

 ☆今日は10時半からの長野ロキシーで放映中の「夏の祈り」を観ようと出てきたのだ。

 長崎の被爆者のいる老人ホームでのドキュメントだ。
普通ならひっそりと暮らしている被爆者たちが福島の犠牲を思ってカメラに自分達をさらしてくれたと言う。

善光寺前のパティオでお茶!

 ドジと言うのは続くもので、10時半に長野ロキシーに着くと、「今日からスケジュールが変わって12時50分からです。」と言う。
 それで、ブルー系列の絵具が無くなったので、画材屋さんで新しく出たホルベインの水でとける油絵の具で油絵の具とも混ぜられると言うのを混ぜ12本ばかり買った。8000円強。画材も20000円買うと1000円サービスしてくれるようでカードの判子が一杯になった。

 それから善光寺に向かって歩き、安い衣類屋さんで冬用の絵を描くときに履くパンツを2本買った。薄い紫とブルー。1本750円くらいだった。冬は寒いので普通のサイズのパンツの植えに履くようにLサイズと普通サイズを買った。

パティオでお茶をしようと入ったら市が開かれていて手頃価格でお野菜や果物が売られていた。

 喫茶店でアイスコーヒーをオーダー。

☆今日は長野駅で「笹鱒鮨」を買った。
2012-10-06 11.03.57
2012-10-06 12.23.33
12時になったらロキシーの前のパラソルで食べよう。
しかしながら、時間があると買いたいものが漬け物屋とサン-クゼールにある。
そこも寄ろう。

「夏の祈り」を観る。

2012-10-07 00.53.25 

12時50分から始まった「夏の祈り」を観る。
観客は4人。私の前列の左側に3人並んでいた。
映画を見終わってからこちらを振り向いてくれたので、ご挨拶したら皆、カトリック信者だった。
それで、長野教会の場所を訊いた。11時からの御ミサで20分前からロザリオの祈りがあるそうだ。
明日はドミニコの「ロザリオの祝日」だからだ。

 この映画は信者以外の人にも見てもらいたい。

内部被爆についての話と一生被爆により苦しめられた人の生の声があるからだ。

原爆ホームと呼ばれる被爆者の森のなかの老人ホーム「恵の丘長崎原爆ホーム」。
そこでホームの人たちによって演じられる昭和20年の8月9日、11時2分の出来事。
「痛いよう。」「お水をください。」と言う叫び声。
脚をやんだ人や被爆によって目の不自由な人や耳の不自由な人が演ずる演劇に年に数回訪れる高校生、中学生や小学生が旅行に来て涙を流しながら観る。

 ドキュメントの主人公は孤児院で育って、11歳のときにそこで被爆した女性、
カトリックの施設なので聖歌がたくさん歌われロザリオの祈りが唱えられる。

 祈りによってどれだけ人は救われるか?

 想像以上の傷の痕を肉体をシャツを脱いで見せる。



 被爆ピアノには無数のガラスの破片が刺さっている。

 被爆マリア像も首から上だけ。目の水晶は取れて地下から発見された。

☆驚いたことにこの映画は福島の3.11より前に創られたことだ。
こんなに人を苦しめる原爆を投下した人間の心に激しい怒りが込み上げてきた。

日本からの漂流4トン?4億円の処理費用をに本政府が払うとか!

シアトルに日本の被災地からの漂流物、桟橋とか着いていると言う。
当たり前だが、消えたのではないのだ。

☆映画を見終わってから長野駅まで歩く、
 先ほどりそな銀行から10000円引き出したら残金が800円くらいしかなく生協の代金をそこから下ろしているのですぐ困ってしまうので東京三菱うufjから2万出して入金ておいた。
 東急の地下でミカン一袋とサラダだけ買う。

 3時17分の信越線に乗ったのだが繋ぎのバスはない。
喫茶「しなの」でコーヒーを飲む。
10日に黒姫山頂上から紅葉を観るツアー計画があるのだが、紅葉と天気の都合があって遅れて運行されるようだ、

今日は学校のない日なのでバスが走ってない。
それでしかたがなくタクシーで帰ってきた。
5時にはコテージに帰ってきたが、地元の子犬を連れた女性が通りがかって、「熊が怖い。」と言った。
上越でも熊が出て怪我人が出た。長野駅の構内まで熊が出たと言う。

 今日の夕食は火薬飯に鰤に大根と馬鈴薯のお味噌汁。サラダは明日でもいいし。
うっかりして醤油が切れかかったので、火薬飯はそうめんつゆで味つけした。足りない水分は鰹節で出しをとった。
鶏肉、油揚げ、椎茸、ニンジンが入っているので大丈夫な味になるはずだが。

 先にデザートの柿を食べてしまった!
2012-10-06 19.15.12
 美味しかったです!
 今夜は水色系列の絵の具が手に入ったのでワークをする予定です。
2012-05-18 18.27.01