October 11th, 2012

2階の掃除完了!

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 エッグ-テンペラで描いたイコン画の『ノアの方舟』の内側。
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 1972年『眼相』自分がモチーフのシルク版画!
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 1979年から1981年のヨーロッパ滞在資料。
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 『ノアの方舟』

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 物持ちのいい私は新婚の時に買ったこたつ(29年前)を持ってきて使っているのです。
このテーブルは変形で一辺が弧形をえがいてます。

慎ましい朝!

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台湾の漫画で人生観を語ってます。陶板にプリントしたもの。
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2階で寝たので、きれいな部屋で起きたら気持ち良かったです!
 
 昨晩は4時頃寝たと思うので10時頃まで、ベッドで雑誌を読んでました!
「婦人公論」母と娘の確執がテーマ。

 私の母は大変な人でしたけど、今、昏睡状態で病院にいるまま7年くらい経ているので何のわだかまりもないです。

 戦時中の女学校時代と教員としての就職。戦後の結婚と男女2人づつの子育て。日本の高度成長と共に夫婦で頑張り、それなりの成果のあったいい人生だったと思います。

 母の倒れたベッド周辺から見つかったものは、恋愛や不倫小説やドキュメントばかりで赤線がいっぱい引いてありました。

 とても女々した人で私はそれが嫌でしたが、たくさんのバッグのなかに口紅とコンパクトがそれぞれに入っていて晩年は衣服は全部オーダーでしたから、ずいぶん贅沢な母でした。

☆母と娘にはライバルのようなと頃があって、私は30歳から2年近くパリに行き35歳で結婚したので、ドロドロはここで終わったのが今思うと幸せでした。実質は33年くらいの同居ですみました。

 母には社会性が丸でなく、仕事の妨害で関係者を傷つけるので営業妨害も酷いのでした。
しかし、世の中は未だ女性の社会進出にセクハラやパワハラ等の不利なことが多く、都心の自宅で両親と一緒に暮らしているのはずいぶん守られていたのでした。

 一方、アメリカで博士号を取って帰国した妹は大学院にいったのが30歳で遅かったので37歳から両親と同居で、その前の7年はアメリカだったので価値観の違う両親との同居は辛かったようです。
50歳で九州で助教授と迎えられる迄の地獄の講師時代を両親と争っている姿を末の弟はよく見たと言うのです。

 私が独身で実家にいたら、矢面にたたされて母の攻撃を一挙に浴びていたと思うので妹には少し罪悪感に似たものがあります。

 私は父とも反発した関係にあったこともあるのですが、父の能力には敬意を示す部分の方が多かったので父にたいして抗議したり声をあらげて上からなにかを言うことはなかったです。

☆今は1階のベッドの上でパジャマを着たまま携帯でブログを書いてますが、私の仕事は収入が少なく安定がないので、もし、妹と立場が反対だったらゾッとするほど悲惨だたでしょう。

 しかし、母は私の才能を最も評価していた人だったかもしれない。
それで、嫉妬と憎悪と自分の無理解とがコントロールできなくて狂気のような仕打ちをよくしたものでした。

 主婦である母は社会性がないので如何に弱い立場の人たちが美術世界には多くてそういう交際も大事dと言うことはわ
からないのでした。


 父は恐ろしく限界を越えるほど弱者への労りに満ちた人で、父のお世話で命が助かった人や経済的に助けられた人がたくさんいて、私たち4人の子供は皆お人好しで弱い人に優しいので、父は「ママに似なくてよかった。」と言っていたものです。

☆子供とは良くしたもので、両親の欠点も美点も受け継ぐのです。
母の虚栄に満ちた衣装道楽は私と妹にもずいぶんしゃれた良いものを着せてくれました。

 父は質素で家の趣味もほっとけば事務用のスチールでもいいように見えたけど、洒落もののようでもありました。
家のコーディネートや家具選び母でイタリア製のデコラティブの家具やフランス人形のコレクションを父は毛嫌いして、自分の会社の父の書斎は中国風にしてました。また、それを母は馬鹿にしてました!

 しかし、晩年、父は母の大きな玄関にあるフランス人形をこのままにしておいてほしいといい、私は母の人形を長野に疎開させてますが、1階のキャビネットに入ってある人形はそのままにしてあるのです。母が娘に人形は全部あげると言っていたので、陶器の顔が地震で壊れるのを私は嫌だったのです。

 母も「パパも友人に妻が人形のコレクションをしていると言ったら、いい趣味だと誉められて認め始めたのよ。」と
言ってましたので、晩年はそれなりに成長したのでしょうね。

☆私は父から「怠惰だ。」とよく言われました。
考えることがアートの一部なのでそう言う時間が大切なのでそう見えるのでしょう。
 母からは「色気がない。」とよく叱られました。
私はセクハラが大嫌いなのでそうしていたのですが「中国の紅衛兵みたいだ。」と言われたものでした。
母の選ぶ衣服が余りにも浮世離れしているので、それを着ず安物の衣服を買ってきていたので「親のいうことをきかない。」とこづかれたものです。

 私の家では、母は絶対で逆らうと言うことは逆鱗に触れることですから、大事にしているものを壊されたり捨てられるのはしょっちゅうでした。

 それでも、逆らって闘争して負けて傷ついていたのは私で妹は関せずで、父からは「お前は要領が悪い。妹は賢いから相手にしない。」と言われたものでした。

 それで、地獄の37歳から50歳まで母のコントロール下にいた妹は気の毒でした。
☆「婦人公論」にはそうした母と娘の地獄がたくさん出ており、距離をうまくおけたパリ生活と結婚生活が晩年、母といい関係でいられた秘訣だった気がします。

お昼はお蕎麦!

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☆咳が出るので今日はハーブティーを3時に!
Cosmos さんの特製です!
「ぷりーず-こふぃ-おふ」
マレイン-ヒソップ-レモングラス-レモンバーム-ヤロウ-スペアミント
(鎮咳効果-のどのケアに)
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これからワーク!

1階は生活臭溢れている状態です!

今夜はハンバーグにコーンポタージュにしようと思う。

☆ワークをこれから始めます!
4連結です。
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2012-10-11 17.53.24
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金を払わないなら飛び降りろという苛め!生きたくても生きれない病。

テレビのニュースで聴こえてきた苛め。
検索すると7月20日のニュースである。
中学2年生。

腰を折って重症らしい。

2者選択も中学2年ならお金をだすことはできないだろう。
死を覚悟したに違いない。

☆夕方テレビを見ていたら30歳で亡くなった須藤康花さんの父親が東京の家を売って松本に娘の記念美術館を建てたという特集が流れていた。
母親を若いときに癌で亡くし、2歳の時からの自分の難病のせいだと自分を責め、自殺するつもりの遺書をニュースでは読んでいた。小学校はほとんど通えなかったようだ。しかし、必死で生き美術大学と大学院を出て才能を認められていたが、28歳で母親と同じ癌になり30歳で亡くなった。
 テレビでは彼女の絵をたくさん見せていたが、すみきったワイエス風の風景画と暗く苦しむ暗い画があった。
 大学教授だった父親は「生きたくても生きれなかった娘の絵をたくさんお人に見てもらいたい。」と2年後に美術館を建てる。

 検索すると画集など3冊の本が出ているようだ。

☆苛めで自殺する子供たちも生きたかったに違いない。
中学2年から、同級生にお金か死を求める魂の壊れ方。
教育はなにをしているのか?