October 13th, 2012

松本へ!須藤康花記念美術館へ!

 昨晩は遅めだったのですが、安眠用のバス-ソルトと電気毛布の敷きシーツがよかったらしくすぐ深い眠りに入りました。
 今朝は8時に起きました!
 ゆっくり最後のバジルパンを暖めて緑茶と一緒に朝食にして、洗濯物を干し部屋の片付けを始めると、「そうだ!松本へ行こう。」ということいなり、着替えを済ませタクシー会社に電話をしたのが9時19分。
9時19分の長野行きに間に合うとのこと。

 寒いので薄いコートも持参しました。
亡くなられたお嬢さんのお父様が接客してくれるようなので、失礼のないようにスーツにして、寒いのでタイツもはきました。

 明日になると早くも薪が届くかもしれないので今日が晴れているし出かけるには一番いい日なのです。

 月曜日と火曜日は美術館は休みなのだそうです。
お嬢様を30歳で亡くされ、2年後に娘さんのために記念美術館を建てられたお父様。
テレビで拝見しましたが品のある美しい初老の元教授。奥様も亡くされているので、娘さんを支えて絵の応援もなさってこられたのでした。

 麻積村という長野県のまんなかで住まわれていたようで、お嬢様の夢は土蔵で近所の子供たちに絵を教えることだったそうです。

☆今日、乗ったタクシーの運転手の話だと、古間で火事でなくなった92歳のお婆さんは娘夫婦と同居していたそうです。
夫婦は逃げて助かったのだとか。体格のいいお婆さんで元気で車を引いてその辺を歩いていたそうです。
隣の家も一部、類焼したとか。

 合掌。

☆今日の読書は「セザンヌ物語」。
2012-10-13 10.07.22
 松本までは「とくとく切符」と言うのがあり、とても安く行けます。
 
 長野駅に着いたら、10時から名古屋行きが出るので乗りました。
特急券を買う時間がないので、自由席に座って車掌さんが来るのを待ちます。
今、来たので1150円の特急券代を支払いました。
急いで乗ったので所持金も5000円くらいですが、松本でキャッシングできるでしょう。

 車内は満員です。
 晴れているので車窓が楽しい。
 10時51分には松本に着くそうです。

素敵なお蕎麦やさん!

2012-10-13 16.27.15
バス周遊券を500円でゲット!
草間彌生の水玉バス-東回りに乗り、途中で下車してお城まであるきました。
2012-10-13 16.06.44
2012-10-13 11.43.41
和菓子屋さんで最中「松本城主」3個買い、次に大きなお揚げ1枚180円を買いました。
2012-10-14 02.14.48
今日の目的の康花記念美術館を目当てにひたすら松本城の北をめがけ、ついでにお昼を食べるところを探して歩きました。

このお蕎麦屋さんは見るから美味しそう。12時を回ったところで既に道で待っている家族がいました。
東京から名古屋に行く予定でお昼をわざわざこのお蕎麦屋さんに寄られたのです。待っていると後ろにさらに行列ができてました。

待つこと30分、そしてさらに席に座って30分。
「雪見」というとろろ蕎麦を頼んだのですが5分くらいで食べ終わり1000円支払いお店を出ました。

2012-10-13 12.09.01
2012-10-13 13.13.09
 向かえのカトリック教会の分室で目の不自由のかたの講演会があり、待っている間にそれらしい人が、はいられるのを見ました。

 今日は10月13日「ファチマ」の祝日でポルトガルのファチマでは大きな祈りの集会がある日です?

 東京からお蕎麦を食べにきた家族の息子さんも障害の有るかたで唸ったりいりいろ発言したりして待っていたのですが、ご両親の慈しみと他者にたいする気配りは優しい仲のいい夫婦なのでことさら美しく見えました。

 その教会で美術館の場所を訊いたのです。
お巡りさんにもガソリンスタンドにも訊ねたのですが、ようやく知ってる方にお会いできたのです。

☆歩いて5分くらいでしょうか?
美術館の前で携帯に電話が入ったので電話をすると、タカ子さんからで昨晩帰って来たそうです。
美術館前にたっておられたお父様と目があってしまい会釈をしました。

 とっても立派な個人美術館でした。

康花美術館へ!

2012-10-13 13.32.41
康花美術館 9月22日開館
郵便番号 390-0872 長野県松本市北深志2丁目1-27
松本城より徒歩12分
TEL/FAX0263-31-0320

「美しい人須藤康花、絵と愛と闘病の軌跡」須藤正親著 須藤康花絵 晶文社 2000円
2012-10-13 22.06.11
「無幻彷徨」須藤康花画文集 東京図書出版 リフレ出版 3000円
2012-10-13 22.07.12
2012-10-13 22.08.17

☆30歳で亡くなった康花さん。
経歴を読むと余りにも過酷な人生に倍以上生きている私はなんとも辛い。

 お父様が娘のために東京の家を売って建てられた美術館は9月22日オープンしたばかり。
 美しいお嬢さんの絵のために建てられた美術館。

 お父様の人生も過酷だ。
1978年 9月15日福島県で生まれる(本籍地東京)。父正親、母礼子。
1980年 弟岳陽死去。ネフローゼ症候群発症、入退院を繰り返しながら絵を描く(神奈川県在住)
1985年 神奈川県横須賀市鷹取小学校入学。
1987年 札幌に転居。札幌市桑園小学校転入。
1990年 「住まいの絵画コンテスト」朝日新聞社賞、「花の児童画コンクール」農林中金大賞等、他受賞。
1991年 25回水光会入選、24回道美展入選。
    札幌市真駒内小学校卒業、藤女子中学-高等学校入学。
1993年 母礼子死去。慢性肝炎発症。
1994年 静岡県沼津に転居。沼津美術研究所入学。
1995年 「私の目指す絵」を決意、以後死去するまで一貫してその目標を追求する。
1997年 東京へ転居。新宿美術学院入学。
1999年 詩作「魂と風景-無限彷徨」を執筆。
2001年 多摩美術大学入学。父親とともに長野県麻積村で農業を始める。
2002年 東京国際ミニプリント-トリエンナーレ2002 入選。
2003年 第13回ARTBOX大賞展入選。
2004年 父再婚。
2005年 東京国際ミニプリント-トリエンナーレ2005入選。第7回欧美国際公募-ドローイング-版画-デッサンコンクール    優秀賞。国際プリントビエンナーレ“losif lser"2005入選。
2006年 国際ビエンナーレ“graveur de lunes"-月の版画-入選。
2007年 多摩美術大学大学院修士終了。病悪化、その後入退院を繰り返す。
2008年 第9回日本-フランス現代美術世界展入選。
2009年 5月10日死去、享年30歳8カ月。
2010年 5月5-11日東京すみだリバーサイド-ギャラリー「須藤康花展」開催。
    7月、フランスのGravicel及びL'inventaire よりコレクションの依頼。
2011年 『田舎の詩情-麻積村の四季』、『無幻彷徨-須藤康花画文集』刊行。

☆1階には、若いときの作品や読まれていた本や使われていた画材なども展示されてました。
2階には、随分多くの作品が展示してあり、その絵の背景的な出来事や影響を受けた本などの説明が書かれていて、一つづつ読んでいく。会場は広く疲れたら本も読めるようにソファーも2ヶ所に置かれていた。

 暗いというか深いというか魂の奥深いところから描かずにはいられなかった病苦からの昇華を求めて光を見ていたように思う。

1階にもどって、3冊出版されている内の2冊を頂いた。
玄関にいらしたお父様と談話。

☆この須藤家とはいくつか共通点がある。
 私の娘は28歳。
 娘の父親は須藤教授と同じ職業で、哲学-人類学専攻の娘は遠野物語を学びに東北にいったのかも知れなかった。

 康花さんはドフトエフスキーと遠野物語をとくに愛したようだ。そして、北斎。日本人アーティストの仕事は日本から学ぶものも多いので留学のチャンスがあっても拒否したという。

 康花さんのお父様は娘の絵を死後観て、文章も死後読んで、娘を理解しようと追跡してられるようだ。

 娘のためにやれることがあり、娘のために美術館を創ったり出版する力があるのはとても幸せだと思う。
 そして、お嬢様は映画を観るのが大好きだが、「カミーユ」でロダンと結婚できなくて失意で作品を壊し始めた時に、「芸術家は作品が残せれば幸福だが壊したのではなに残らない。」と言ったそうだ。

 ☆芸術家の幸福はよい作品を創ること。
 
随分多くの新聞に記事が出た。切り抜きがたくさんあった。

若くして中断したのは残念だけど、幼い時から健康には恵まれなかったが文学や映画や画集など出逢いが豊かにあった。

アーティストとしては幸福だったのではないか。
そして、お父様からの愛情。

康花さんは、母親が亡くなったのは自分の介護で疲労が重なったからだと罪悪感があったようだ。

カトリックの学校にも6年在籍した。
心のなかで光を求めながら絵をこんなに残せた康花さん。
お父様が諭されたように世界には想像もできな苦しみがある。
誰でも完全ではない。

しかし、吐き気とからだの日々のだるさは過酷な試練だ。

もう1冊の優しい風景画集もとても素敵だ。

☆私は重い2冊の本をもってバスにのろうとしたがなかなか時間があわないで本町まで歩いた。