December 20th, 2012

お早うございます!

お洗濯物を乾かして、残り物も食べてさあ出発!
小鳥さんへのご飯も!
きれいな青空!
雪は昨晩は降らなかったようです!
雪景色が映えて写真を撮りたかったけれど時間がない!

☆書房「しなの」で週刊誌2冊。
お店のバイトのおばさんもコートを着ている。
寒いのよ!
喫茶「しなの」でコーヒーを飲んで体を暖めて!
9時19分の信越線で!

長野で美容院にいく予定です。
この長野の若いこたちだけの美容院はリラックスできて嫌でないのです。

東急の地下で一口トンカツ、ズワイガニとアボカドの贅沢サラダ100g、おせんべいを買って来て新幹線に乗り込んだところです。美容院は12時までは予約で一杯だったので今日はやめて、東京に早く帰ることに。

フランスパンとケーキがお弁当箱に入っているのでお昼は新幹線の中で!お茶もコテージから持ってきているので!

☆落とした携帯は中央警察署に届いていることを確認したので帰り道によっていくつもりです。

女性の生き方!その1.

人間の生き方には正しい答えなどないと思う。


☆発言小町で芸大を出た画家が37歳で婚活をしているのを読んだ。
以下コピーです。

 私はタイトル通り、37才で独身です。
芸術大学を出て、その道一本でやってきていますが、
独立して食べていけるだけの収入はなく、
実家に月4万円で(食費、家賃光熱費込み)両親の唯一持っているファミリー物件に住んでいます。

月収は展覧会で販売をしたり、家で教えたりして、だいたい10万くらいです。
その中から実家に4万入れています。


両親はとても協力的で、私の仕事にも応援してくれていますが、
結婚して、近所にアパートを借りている弟夫婦(二人の子持ち)からは
冷めた目で見られています。

なんとなく、私に出て行って欲しい感じもします。

結婚したい!
でも、相手がいません。
お見合いしてもなかなかいい方がいません。

どうか私にアドバイスを下さい。

経験談でもいいです。

ユーザーID:7538298044 [説明]

とにかく、その彼女の希望にたいしてお答えの厳しいこと!

私も応援のコメントをいれようとしたのだけど、入らなかった。

☆女性の画家に限らず、画家は貧乏の代名詞なので男性でも生活は厳しい。
精神的にも満足な作品がいつもできるとも限られないので、地獄といえば地獄だ。大抵は満足などできるわけもないので。

 それで女流画家を検索すると独身で相当厳しい経済と精神生活をしている人も裕福で理解ある夫に恵まれ優秀な子供を育てながら(鹿児島ラサールの寮にいれてるらしい)芸術第一で暮らしつつ、他人の病人にも骨を砕いて社会的にも認められているというブログもあった。

 どっちが幸福と言うことは分からない。
絵を見たら、感動するほど素晴らしい作品は貧しい苦しい生活から生まれているのだもの

☆私の場合、だいたい努力もしないでいつも誉められていたのがお絵描き!
これでいいのか?
と言うほど、自分的には楽にグラフィックデザインを学び空前のバブルのなかを楽しく仕事をして来た。

 私の負い目はそこにあった。

 それで、少し不遇な人々のために生きたいと思うようになった。

 私のキリスト教はそこから始まったのだった。

 あまり男性は好きでないんだと思う。
唯一好きなのはイエス様。少しでも神様のお役にたちたいとはいつも思ってますが。

☆仕事はたぶん好き。
楽したいと考えたことはないと思う。

 人の労苦をも引き受けてしまう方だ。

 信じられないほど無欲な人だと思う。

☆結婚するとも、子を産むとも思ったことはないが親が喜ぶ方を選んだのだと思う。

 だから、結果論として結婚も母親もお絵かきもしているのだが、そうなってしまったのだ。

 姑はもらいっ子、甥は知的障害、主人も薄給だったし、姑と同居だったから世間的にはいい結婚とは言えないのではないか?

 では、嫌かと問われると、全然嫌でない。
発言小町の常識的な世界では姑との同居、貧しい暮らし、障害者のいる親戚は皆アウトであるので、自分は馬鹿なのかと思うこともあるが、もし、仮に35歳で画家。こういう縁談があるのですがと相談したら、「相場」
だ。」と返事が帰って来るだろう。

 よく結婚の時に「るいこさんならもっと若かったらもっといい結婚ができたのに。」とか、「るいこさんなら、ご主人はハンサムで背が高いエリートなんでしょうね、」と言われ、「反対です。」と答えると怪訝な顔をされた。

☆よく書いているように大学の時、○泉節子さんから「結婚するんじゃないよ。」と、廊下を歩いていたらいきなり平手打ちされた。35歳で結婚したとき、東京カテドラルの教会で結婚式をあげたときに、本気で爆弾でも仕掛けられるんではないかと思っていてここで殺されるのなら、葬儀も教会で都合もいいし、天国にもすぐに行けるかもと選んだのだった。

☆そして、これもよく書いているように、たま出版の故瓜谷社長が次から次へとトンでもない男性に私の住所を無断で教え、5年ほど大変な禍に巻き込まれることになった。
その件についてはよく考える毎日である。

☆小島善太郎という画家はずいぶん不遇から絵を描いていたが、才能を認める人が幾人もいてパリにも留学して長生きして評価もされた。
 辛い人生にはバランスを取るように幸運も訪れると思う

女性の生き方! その2.

☆そして、これもよく書いているように、たま出版の故瓜谷社長が次から次へとトンでもない男性に私の住所を無断で教え、次から次へと脅迫されたり、強姦されそうになったり、お金の無心やタダ働きをさせられた。

 そうですね。28、9歳でしたかね。
 これは今考えるととても恐ろしい苛め、殺しだったと思います

 もし、仮に結婚前の28、9歳の女性に私が精神障害者(病院に通勤中)とか肉体的障害者(学校にいけないレベル)を、女性にににけしかけ続けたら、親に八つ裂きにされてもしょうがないでしょう。
その方たちは19歳から70代前半ぐらいの方たちでした。みな独身で、ふつうというイメージではない方たちでした。

 また、大学生たちを「ガールフレンドもいないんだね。」と嘲っていた故瓜谷社長が電話を教えた青年たちは何を期待して私のところに電話をかけてきたのか今もわかりません。自分たちの飲み食いしたレシートを私の前に出して「払ってくれ。」と言うような甘ったれた大学生達でした。

 女性の年齢は宝です。
 20代の後半というんは仕事を選んでいる女性にもどんなに貴重な時間だったでしょうか?
その大事な20代後半から5年ほど自分の画業がそのためおろそかになりました。

 なぜなら、人の命というところに隣接する際どいところに絡んでいたからです。

 若い大学生たちも故瓜谷社長が仕掛けなかったら、赤の他人の女性を「前世、姉だったのに、面倒を見ずさっさと結婚して見捨てた。今世は面倒みろ。」と脅かして罪を重ねるようなことはなかったでしょう。

 また、S神父も玉出版で本を刺されているのでこの系列ですが、「お小遣いくれてもいいのよ、」と脅かして引ったくるように20万円を恐喝することはなかったでしょう。

 最近、お巡りさんが人を拳銃で殺して「警官だから何をやってもいいと思った!」と言って、世の中を唖然とさせましたが、このS神父は「神様は許してる。」と言いましたね
結婚式の前野子とで、もちろん、式お礼や結婚講座の受講料は払ったあとのことです。

 もう、上野です。

 私は故人を中傷する気でも何もほしいわけでもないのです。自分の思考回路の間違いを探そうといつも思い出して書いているのです。

☆それでは、その人たちを無視したり警察に突き出したりしたほうが良かったのか?
 いつも考えているのです。

 反省は続きます。

女性の生き方!その3.

 ようやく兜町の中央警察署で古い携帯をゲットできました。
14日、午前11時頃、名も告げぬ女性が拾ってくださったそうです。
やはり路上に落ちていたそうです。

 感謝です。その方にいいクリスマスが訪れますように!

家に帰って、住所やメモの記録を写し、写真と記録を保存しているカードを抜き取ってからdocomoに送り返す予定です。
今は日比谷線の中です。

☆さて、反省の続きです。
その次から次へと押しかけてきた男性たちのためにボロボロになりながらも、私は自分の使命をしっかりと果したつもりでした。
殴られても食い物にされても「悪いことは悪い。」「間違っていることは間違っている。」というのが私の生き方で、奉仕もできるだけのことをするというのが私の生き方でした

 しかし、私は多くの現実に絶望しかけていたのです。
福祉も宗教も信じられないくらい腐敗してました。

 自分を無にして奉仕しても、どの人たちもいかに食い物にするかを考えているような人ばかりだったのです。

福祉施設では「ただで働かなくなるから、本当のことを襲えるんじゃないよ。」と言って、寄付で寄せ集めたものを経営者家族で分け合っていました。それが当然のようで後ろめたくもないようでした。

修道女でさえ、嘘までついて「ルイコさんをタダ働きさせて一生、左団扇で楽して生きていくつもりよ。」と言いふらしてました。

S神父は私縁で私に入ってきた仕事の報酬を自分のものにするのをあたりまえだと認識しているようでした。

 私は長い間、修道者というのはアッシジの聖フランシスコやマザーテレサのような人を言うのだと思っていたので現実には驚くことばかりでした。

 福祉社会も「税金がかかならい。」とうそぶいているようで不幸な人や困った人への愛情も感じられなかったのには驚いたものでした。親が優秀でないのでその子供たちには張り合いがないと児童施設のえんちょいうが言うのです。ボランティアががんばると保母さんたちが自分たちの魅力がないみたいでいやだというのでした。つくづく、親となるものは長生きして子供を守らなければならないと思ったもんでした。

 それで、幻滅することがあまりにもあったものですから結婚の道を選ぶことにしたのです。


 35歳で結婚した私はかなり従順なお嫁さんで姑との同居も嫌ということはなかったです。
代替、私はお見合いを一度もしたことがないのです。気がないのに失礼でしょう?気を持たせることをすることもしたことがありません。
いつも汚い格好をして異性からは愛されることの無いように努めてました。人を傷つけないように自分をなるべく低く見せてました。

 結婚してからはけっこ泣いての家族や結婚相手の考え方に沿うように努めました。
姑の勝気さもなるべくお応えするようにしました。

 それで、結構忙しかったのですが張り合いのある結婚生活でした。
 兎に角、打ち出の小づちと言われてましたから、要求されることが多かったのです。

貧しくても知恵と努力で脱出できました。

 子供は恵みで喜びをたくさん与えてくれて、幸せでした!

 このような幸福を他人が奪うことは罪です。

☆今時の考え方では、結婚してからも仕事をして続けて自分の自由にできるお金を自分で持っている方がいいということがあります。

 私も仕事は一生続けていこうと思ってます。
時には、お金にならないボランティアをも含めて仕事は自分を助けてくれるものでした。
(広尾の喫茶店で一休みしながら書いてます)

 そして、自分の汗水垂らしたお金は自分を自由で自立してくれる道具になりました。
そんなわけでパリ個展もアメリカの美術学校も自分のお金でいけたのでした。

☆姑のいいところは、教師らしく頑張れば認めてくれるところで「息子のことはほおっておいていいので絵をがんばりなさい。」と建設的なところです。
 主人も教師らしく、頑張っている分には応援するのです。
 あまり家庭的な仕事の不備では注意されません。

 そんな感じで生きてこれたのでした。

女性の生き方!その4.

2012-12-26 10.47.052012-12-26 10.46.502012-12-26 10.46.382012-12-26 10.46.142012-12-26 10.45.472012-12-26 10.46.382012-12-26 10.48.372012-12-25 20.03.012012-12-25 20.01.572012-12-25 19.05.312012-12-25 20.02.212012-12-25 20.01.412012-12-25 22.00.092012-12-25 19.04.332012-12-24 20.10.312012-12-24 20.10.422012-12-24 20.29.532012-12-24 20.29.492012-12-24 20.08.502012-12-24 20.29.062012-12-24 22.27.482012-12-24 20.29.302012-12-24 20.29.442012-12-24 20.29.562012-12-24 20.09.022012-12-24 20.08.502012-12-24 20.08.262012-12-24 20.27.272012-12-24 20.29.562012-12-24 20.43.582012-12-24 21.04.582012-12-24 21.09.462012-12-24 19.13.30 東京の家に着いて、ホーリーバジルがきれいな紫の小花をつけてとてもきれいでした!
水もやらなくて1週間咲いていたのです。なんと強い生命力でしょうか?
☆カミメボウキ(神目箒、Ocimum tenuiflorum, Syn.O. sanctum)は旧世界(アジア、オーストラリア)の熱帯を原産とし、栽培品種や帰化植物として各地に広がったシソ科の芳香性の植物 [1]。サンスクリット語でトゥルシー(tulsi)、英語でホーリーバジル(holy basil)とも呼ばれる。

茎は多毛で多数の分岐を伴って直立し、高さは 30-60cm である。緑の葉は対生で強い香りを放つ。葉には葉柄があり、葉の形状は卵形で長さ最大 5cm、周縁部はやや鋸歯状。花は紫がかった色で、主軸が長く伸びた総状花序に密な輪生の花が付く[2]。インドやネパールで栽培されているものには2種類の代表的な多形がある。葉が緑色の「ラクシュミー・トゥルシー (Lakshmi tulsi)」と葉が紫色の「クリシュナ・トゥルシー (Krishna tulsi)」である[3]。

カミメボウキは宗教的・医療的目的、およびエッセンシャルオイルの抽出を目的として栽培されている。南アジア各地では、一般にアーユルヴェーダで使用される薬用植物やハーブティの材料として広く知られており、ヒンドゥー教のヴィシュヌ神崇拝のしきたりにおいては重要な役割を担っている。帰依者たちはカミメボウキの植物体もしくは葉を用いて礼拝を行うのである。

タイ料理ではカミメボウキの様々な品種が使われ、それらはタイホーリーバジル、ガパオ、クラッパオ (กะเพรา) などと呼ばれる。ただし「タイバジル」と呼ばれるものは別種のメボウキ(Ocimum basilicum)であり、混同してはならない。

ホーリーバジル:シソ科
ヒンドゥー語 トゥルシー(TULSI)
英語名 ホーリー・バジル(HOLY BASIL)
タイ語 バイ・カパオ
THE HOLY NAMEとは、キリストのことを現します。
それ故に、キリスト教圏の人達は、めったにHOLYと
言う形容詞を宗教関係以外では使わないのです。
HOLY NIGHTなどが、代表的な使用例でしょうか。
しかし、このバジルには、
聖なるバジルとしてHOLYの名を冠したのです。
そこに、このハーブの魅力と価値が
あるのではないでしょうか。

そして、このハーブを国中に栽培することによって、
健康で豊かな国造りを推進した賢人達がいたのです。

インドでは、女の子が生まれると,
トゥルシー<ホーリー・バジル>のネックレスを与えて、
その子の幸福と繁栄を祈ります。 
また、ヒーラーの多くは、
トゥルシー<ホーリー・バジル>の数珠を腕に巻いて、
そのパワーを得ます。
 インドのヒンドゥー教徒の家やお寺では、
祭壇にトゥルシー<ホーリー・バジル>を植え、
毎日聖水を捧げて、家族の幸福と繁栄を祈ります。
そして、その生葉を数枚食べるのです
。トゥルシー<ホーリー・バジル>の薬効によって、
家族は病気知らずとなります。
インドのことわざでは、
トゥルシー<ホーリー・バジル>のある家には、
病気がやって来ないと言われています。


2012-12-20 16.01.23
お花やちいさな生き物はなんと心を慰めてくれるでしょう!

自宅に帰ってすぐやることは郵便物のチェックとお皿洗いです。
食事つくりも楽しいです。もう少したったらお買い物に行きましょう。

2012-12-20 14.16.16
 中央警察署のある茅場町の駅から、日比谷線で広尾までいって一休みです。
すごい荷物なのですが、エレベーターがないのです。我ながら感心するくらい力持ちなのです。地上まで重い荷物を運びました。つくづく男の人に甘えることなく生きてきて良かったです。こんなこともできるというのが私の誇りです。

 広尾プラザの入り口にかわいい出店があって、とても幸せそうなクリスマスの風景なのです。それで、かわいいタイのお人形を買いました!
幸運のお守りで願いを叶えてくれるとか!

 広尾プラザもしばらく行ってないうちにずいぶん変わりました。文房具の伊東屋さんが撤退して本屋さんが広くなったのですが、喫茶店は相変わらずありました。
娘が3歳くらいの頃、有栖川公園の近くの病院で幼児に英語を教えるというのがあって、娘と通ったものでした。愛育病院でしたかね。それで、少し懐かしいのでした。愛育病院の院長先生も神山に別荘をお持ちで、インターネットを使ったときはお会いしたのでした。
2012-12-20 14.12.05

 ☆今、新しい写真が入ったのは実に奇妙なやり方で入ったのです。
古い携帯で写真を撮り、そのブログに写真を移動し、新しい携帯でその移動した写真を改めてブログに書き入れるというやり方です。いろいろわからないことが多いので、明日か今日にもdocomoに行っていろいろ尋ねましょう。

 ☆反省というのはいいことです。
 この間、いとこから電話があって30年ぶりくらいにあったのです。母は意識不明ですが、母の末の弟のお嬢さんです。お母様といらして原宿でお昼を一緒にしたのでした。

 叔母は、私の父が私の写真を母の実家にいつも何枚も送ってきて、4人の子供のうちに子供は私しかいないようだったというのです。
それで、叔母も従妹も私しか顔の分別がつかないと言うのです。

 他の兄弟はどんな思いをしているのだろうと思ったというのです。
叔母や従妹は私の両親は一番かわいいのは私で誰でもそう思っているというのです!

 そうなの?

 私の両親は母が倒れる2週間前に目黒駅のイタリア料理屋さんに一緒に来て、母は泣きながら「私たちはいちばんあなたが可愛いのだよ。」と確かに言ったのです。しかし、私は親は誰にでもそういっているのだと思っていたのです。それで、調子いいこと言ってと思ってました。

 ☆しかし、従妹や叔母は郷里名古屋の母の実家では皆そう思っているというのです。

 教育上それはいけないんではないの?

 ☆私だって努力してきたんです。
  それでも、人によっては「不公平」なほど私は恵まれているというのです。

  父の願いや母の願いを私はずいぶん受けてなってきたのです。
  父が私に託したのは末の弟のこと。
  母が私に託したのは娘の幸福や絵のこと。

  おまけにイエスキリストからも託されていることがあるので、これでも私は忙しいのです

  でも、エネルギーが降ってきているんですよ。
  だから、何とかできるように運命づけられている。

 ☆だから、私は兄弟の多少のおずるは許そうと思っているのです。
 末の弟から見たら多少ではないおずるですが。
 多く愛されたものとして、多く許そうと思うのです。

1週間前に撮影した時のホーリーバジル。
 2012-12-13 13.48.58 
私が神様から託されたことや家族から託されたことを実現するには、やはり、長野の仕事場と東京の家の往復が必要なのです。

 長野から「ジャンヌダルク」竹下節子著を持ってきました。

 それぞれの使命がある。やらなくてはならないことがある。

 リレーのように次にバトンタッチをする日までは頑張って覚睡してなければならない。

☆自分にしてみればコテージの地下は神様からの大きなプレゼントだ。
 物置を作るとしたら300万円と言われたのが地下の階段作りの30万円未満で済むのだもの。

 なんだかねえ。

 素敵なことがたくさんたくさんありそうに思えるのだ。