December 26th, 2012

よき日には父の家にいこう!

☆今日のお昼!
2012-12-26 13.25.18 

 大雪の神山も天気予報によれば明日は晴れるそうだ!
おまけに28日、29日、30日から階段工事だ!

 それで雪かきをたのんで明日は神山に行く!

☆以下は昨晩クリスマスのプレゼントに自分に買ったもの!
小鳥のボタン!
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お針セット!
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北欧やフランスで仕入れたものを三越の1階で売っていた!
かわいい紙袋にいれえくれた。
この種の可愛いものは恵比寿や表参道で売られていたのだが、今は移転か閉店してしまい手に入れることができなくなったのだ。
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☆以下は同じ三越の1階にある食器店で買った食器をふくなふきん!2枚で380円くらい!とても大きくて食器をふくのに便利なの。
もう一つはグリーンのタッパウエアで大・中・小でこれもバーゲンでとても安くなっていて二つの買い物で1000円でおつりが出た!
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☆この下の冬のパンツとハンカチは六本木の新国立美術館で侯爵コレクションの行った半券でプレゼントされたハートのハンカチとあまりにも寒いので暖かい部屋着を買ったもの。
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12月26日!クリスマスを過ぎて思うこと!  なぜ私に本当のことを言われると困るのか?

 ☆私は高校3年生の時に11月になって、「美術学校に行こう。」と決めて2か月間日曜日に四谷にあったと思うが桃園学園という美術受験の教室に2か月通って受験した。、
  
 その時に、戦争中の厳しい生活を体験している父と母は「絵描きが食べるほど甘い世ではない。結婚してもいつ離婚や死別があるかもしれないので、手に職をつけれるデザイン科に限って受けてもいい。美術学校の短大はだめだが今通っている私立では短大があるのでそこに行きなさい。」と命じた。

 それで、女子美術の大学のそれもデザイン科に限って受験を許してくれたのであった。

 その時に、美術の時間の教師は日本画家で日展に作家だったのだが、どういうわけか「あなたは数学ができないからデザイン科は無理よ。」と言った。「受かって恥をかかせるんじゃないよ。」と口を歪めながら言うのでした。

 その当時は女子高だったので「女の子は好きなことをやればいい」という考えが普通の親の考えで、ベビーブームの時代で子供も多かったので女子美術に4人も受験した。
日本画、造形学、図案科でたまたま図案科は倍率が一番高かった。それで、受け持ちの教師も私が一番心配で案じてくれた。

 それが受かった時に、私は基礎デッサンの時間があまりに短ったためにたいへんなコンプレックスで気持ちはついていくのに大変だったのであった。
 女子美術というところは中学から付属校があって、私の両親はその時も受験を考えてくれたのだが安保闘争があって思想的に巻き込まれるのを危惧して普通のお嬢様学校に行ったのである。

 しかし、お勉強はまるで興味なく親も女の子はそれでいいという考え。この間、叔母といとこにあった時も「あなたのママは通信簿を顔につけて歩いているのではないので女の子は器量と性格がいいほうがいいと言っていた。」と言っていた。伯母もいとこも美人で今もゆるぎないその考えを持っているようだった。

 付属の中学があって高校も普通の学校に比べると美術の時間が多いのであったから、付属の中高から来た人は知識やデッサン力がとてもあった。
その人たちは2か月の受験準備で入った人がデザイン科にいるというのは嫌だったらしく「裏口入学」とか「おっとりしていてバカ」とか、親まで「学校に行っていない」という人までいたのだが、私は一切言わしておく方の性格なのだ。それで、本当のことを言わず言わせておいた。それで、さらに甘く見たのか?いじめでたかりも多かったのだが20歳の4月7日から神への絶対的な信仰を持てたのですべてに従順に応じていた。

 ☆信仰によって試練を超えると栄光の時が来て絶賛されることも続き始めると同級生たちは感情的になって暴力やおとしいれを始めることもあったがそれをも他人に訴えることもなく無言で無表情で受け入れていたのである。

☆なぜ、そんなことを今書くのかというと、私の幸運は神の目から見ればとても公平な影の労働力の結果がもたらしたものが多くの人はまるで見えないことに驚くのだ。

 私は卒業してもフリーのデザイナーとしてイラストやポスターを描いていたのだが、若い女の子でおっとりキャラだったので労働賃金も払わない人が結構いたのである。それも、いやな顔も一つもせずに受け入れていて腹を立てたこともなければ訴えることもなく他言もほとんどしなかった。

 そういうタダ働きが山のように蓄積されて、今日になって返ってきているのである。

 ある人は「あなたはお姫様だからタダ。」と言って報酬を払わないのを正当化した。お姫様というのは愛子様のような人を言うのだと思うのだが、払いたくない人はそんな風にも言うのである。

☆神は公平だというのはそういうことだ。
 大人になってたとえば易カルタを創作した時も「週刊朝日」の記者に銀座に出会って記事が出て次の日に出版社からの電話で出版させてほしいとあった。名もない出版社だったがその出版社は印刷屋に借金が300万円あったとかでその300万円をチャラにするために印刷会社に権利を儒としたのであった。それで2800円の易かるたの印税を10%と別に1000円のものが販売されその印税がいくらだったか記憶にないのだが、とにかく3000部くらいで100万に満たない印税収入を得たのであった。宣伝費もじゅぶんで払った。

 若かった私は25,6歳であったのでそれで十分だった。
 評価されてマスコミに50か所くらい出たので大満足であったが、検索してもその印刷会社も出版社も出てこない。
 若者の権利を食い物にするような人たちはそのような結果になったとしてもしようがないではないか?因果応報とはよく言ったものだ。


☆私が新聞や専門誌に評価されるようになると悪口やデマを流していた人は舌打ちをしたり、ツバキを吐いた。勝手に低能だとか馬鹿と言っていた人たちには不都合であったようだ。
「易経」というものが深遠で難解な東洋の哲学でとても若い人は理解できないと思っている人たちもいて「お父さんに書いてもらったんじゃないか?」とか「体を売って記事をかいてもらったのだろう?」という人もいた。いつものように、言わせておいてただ一生懸命に絵を描いていた。

 「易カルタ」の占い方も考案して、そもそもが人を助けるために作ったので、占っても1時間ぐらい見ても100円もらっただけでその100円も「赤い羽根募金」に入れていた。それで、ますます澄み切っていたので、自殺する人も助けたし夫のお金を無断で貸してしまい夫にばれたら大変だという人が見てほしいと言って鵜あらなってあげたら、少しづつでも返してくれると出たのでそう伝えたらその結果になって、今でも友情も続いている人もいる。

☆☆☆☆☆

 そもそもの神との契約が人類の幸福のためだったのだ。
神は「あなたに美を約束する。美は真理と愛と等しい。あなたは私の与える美の才能を使って人類に真理を伝えなさい。それが愛です。」と教えてくれたのである。

真理は人を救う。そして愛だけが真理であり美なのだ!

 そして、本物のアートには神の霊が宿っていると古から言われているのではないか?

☆私の労働を自分のものにした人は多い。
 自分の手柄にしたり自分が報酬を横取りしたり。

 しかし、神がそんなことを許すはずがないのだ。

 悪銭身に付かずとはよくいったものだ。

 だから、私はその人たちを許しているわけではない。
静観しているのだ?

 神はどう処理するのか?

☆私がフランスの滞在2年間で集めてスイスのルツェルンの養老院にいらしたエグリ神父に頼まれて出版するために用意したヨーロッパの聖母マリアの資料も、多くは私が当時のフランで安くもない本を買い重ねたものだが、それをよこどった週刊現代の記者がいて、私と同じ年齢の65歳であるが、今、検索すると「チンピラ・ライター」とか「真面目な信徒をたぶらかしている罪は重い」という良心的な人の批判が山と出てくる。しかし、始めの出だしからまさか女性の集めた資料を恐喝し騙し取ったことは誰も知らないと思う。

 個人的には、今、十分幸せなので、そんな人のことは考えたくもない。

 しかし、一方でそんな人のお金もうけだけの欲望の情報に翻弄されて人生を誤っている人たちがいるので、黙っていても罪なのかなとは思うのである。

 この事実を30年前から知っている男の人も多い。
その記者をいさめるどころか、おこぼれに預かりたいとか、自分も何かせしめて美味しい思いがしたいという人のほうが表れてきたのが現実である。

 その延長にS神父もいたし「ルイコさんを一生タダ働きさせて左団扇で暮らすのよ。」と言いふらしていたシスターIまで現れたのだ。
S神父は当時70代でシスター伊藤は60歳だった。私が今、65歳で自分より若い人には応援こそすれ食い物にしようなどとは考えたこともない私にはどうしても彼らの考えがわからないのである。

☆幸いなことに私には神がついている。

 そして、神山で仕事もできる。

 しかし、65歳なので雪に埋もれて死ぬかもしれない。

 今は、死も怖くない。

 ずるしたってしょうがないというのが私の考えだ。

 そして、今はいい時代に入ってきた。
今まで、いじめて平気で同級生を殺していた子供や児童虐待で弱い者をいじめていた人たちがだんだん生きられない時代にようやくなってきたのだ!

アセンションというのはこういうことかもしれない!

 ☆さあ、これから郵便局へ行って「釜ヶ崎のキリスト教協会」にほんの少し送金して父の家に行きましょう。

 聖書には、貧しい人たちのためにしたことは神にしたことで、神にしたことは幾倍になって返ってくると書かれてます!