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今日は大掃除です。
忙しいですが頑張ります!
午後1時からクリーニング屋さんにいってきます!
家事は嫌いでないです。
バランスですかね。
今日の宝くじの結果が楽しみですね!
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クリーニング屋さんにいったのは大正解で全部できていて4日までお休みとかでした。
同じならびのシェルガーデンにいって買い物。
年老いたお爺さんがハアハア言って買い物袋を持って歩いていました。おばあさんは病気か亡くなられたかもです。
年の瀬なので夫婦で買い物をする人も多いのです。
☆私も喪なのではでな正月のおせち料理はないのですがそれでも家族の年越し蕎麦(うどん)の用意や正月にいただく野菜やお肉などを買うと大荷物になったので、カートを引っ張って帰って来ました。
ヒルデガルドのレシピの「ダンケシェーン」のお茶で一服しているところで、このあとお掃除を続行します。
☆昨日の日本経済新聞の文化欄で「黒姫」という司修さんの文章がのってました。
小林一茶の記念館や子孫の経営するお土産屋さんによってお話したりしたようです。
☆今年は父が逝って身内の初めての葬儀だったのですが、こちらも65歳で立派な老齢を迎えてます。
やはり、残りの限られた人生を大事にしたいですね。
若い日の蒙昧は仕方がないと思います。
でも、この年齢になってこそ見えてくるものがある。
ある程度は幸福は自分で作るものだと思う。
同じ人生をなるべく美しくなるべく輝かしく生きたいもの。
思いやりや同情する気持ちは大切ですが、自分でしか解決できないこともある。
人間が人間にやれることは限られていて、人間が人間を救えるかどうか。
健康や性格もこころがけで良くなるなら、なるべくいい晩年にしたいものです。
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私は2度目の買い物でカートを引いて、幼稚園時代から高校を出るまで住んでいた家の前を通りました。
少し涙が出ました。もう、他人の持ち物になって10階以上もあるマンションになっていました。
母が倒れるまで絶対売ってはいけないと言っていた土地ですがスピリチュアルの大御所と言われる人に取られ家のものでなくなったのです。
私の家族が田園調布に越してからは年中無休のもっとも安いゴルフの練習場として近所の人に使われてました。私も家業を手伝い毎晩レジを打ったり、大学の頃はゴルフクラブを打ってる私のゴルフ姿が駅のホームに看板となってかけてありました。
幼稚園前に住んでいた銀座の土地もその後はビルになり父の持ち物でしたが、それも1年前には姿も形もなくなりました。
父はよくあんなに穏やかに晩年を過ごせたものです。
それも同じスピリチュアルの大御所に取られたのでした。
☆敵討ち?
いいえ、私は自分の使命である愛と美と真理のためにいきるだけです。
☆母はどんな思いで意識不明のまま病院で寝ているのでしょう?
てんかんが出てきて衰弱が始まっているそうですが、医者は診断書の提出を拒否しているのです。
☆私が思ってきたよりは法律はフェアでないようです。
☆私が体験してきただけでも、他人のものを平気で乗っ取る人が多いのでした。
戦争中を生きてきた両親はもっと多く人間を見てきたでしょう。
しかし、美しく穏やかに天に帰った父が見せた生きることの品位。
私の父や母が与えてくれた最大のものは財産ではないのです。
弱いものへの援助。強い生き方への誇り。努力すれば花が咲く。
父は大変な勉強家で囲碁や中国語の勉強をいつもしてました。
ゴルフもよくカップをもって帰って来て、楽しそうに囲碁クラブに通ってました。
西安での藤沢名人との旅行ハパ楽しかったでしょう?
父はハンサムで長い間、写真屋のウインドーに飾ってあったそうです。
母が倒れてから知ったのですが女性も40年以上お付き合いのあるかたもいてずいぶん幸せな人生だったのですね。
☆私が一番父親ににていると言われ、幸運の体質もそっくりでした。
父は賭け事も異常に強く、毎日つるんで遊んでいた弁護士N氏が分譲に協力していて付き合いで買ったのが神山の土地です。
父は狩猟も趣味だったので好きなことを何でもやった人生でした。
☆幸福な人生をありがとう!
母は父が好きで好きで仕方がなかったので晩年の母の嫉妬にはビックリ!
でも、1日でも父より長く生きたいという母の願いは叶えられたのでした。
☆母に森光子の「放浪記」のバルコニー席をおごって一緒に観たこともありました。毎週火曜日にお昼にあって三越で食事をするのが習慣でした。
母は戦争中女学生で学童疎開の引率の教師でした。
私と妹のことをひ弱過ぎて、戦争になったら生きていけないと心配してました。私の娘のことはどういうわけか大丈夫。心配ないと言ってました。
私と母はしょっちゅう喧嘩をしていて母がきついしっかりものなので負けて泣いているのは私でしたが、晩年はわだかまりもなく私も優しくしていたので父はとても感謝してくれたのでした。
☆2012年ももうすぐ終わりです。
私は父の教え通り生きていきますよ。
さようなら、2012年。
紅白は「ヨイトマケの唄」が聞けて良かったです。
一生懸命に生きている人たちが幸せになれますように!