January 28th, 2013

お残りご飯!


今日は晴れてとても明るい! 一服して、2階の掃除に入るが家事労働というのは無間地獄に似て、掃除しても片付けても同じサークルで汚れて繰り返す作業だ。 絵を描くのは、失敗作でもそれなりの学びがあってずいぶん充実感があるものだ。 この作業を繰り返し家事とアートを交互にしている私はある意味でとてもいいバランス! ☆東京は気が重い。空気が重いのだ。 それで、睡眠時間が長くなるのだが、家事労働は目に見える範囲だけでも多いので起きている間は忙しい!

お人好し劣等感!

 昨晩、「薔薇の名前」で「お人好しは損すると先生が言った」と若いフランシスコ会の修道士が聖母像に言うシーンが妙にひっかかってます。そして、今、第2番目の洗濯機を回している最中で干して乾かすので洗濯機が終わるのを待っている状態で一休み中です。2階のお風呂場とトイレを掃除し終って少し疲れが出たところ。

☆発言小町を読んでいたら、3人兄弟で優秀な兄と妹の間で差別されて育った人が専門学校を働きながら卒業し、良く働いた結果、豊かになり外車にのり旅行へも行けるようになったそうです。優秀な妹は大学を卒業したものの結婚し離婚し子連れで出戻り、働いていて両親はその差別していた娘に暮らしぶりがいいようだからお金を無心し妹のまだ4歳くらいの子供は電話を掛けて来て、遊びにつれてってほしいとおねだりをするそうだが、差別されてきた娘は戸惑っているという内容でした。

☆私はこの差別されてきた娘に相当します。

 私もアートの道を選んでから「穀潰し!」と罵られ、毎日、明け方まで絵を描きバイトをし、苦しみながら生きてきました。そう言う苦しみを他人に言わない性格なので、端は裕福な家の娘が両親の援助のもとにのびのびと絵を描いていたように見えたかも知れません。

☆ですから、学生時代からとてもたかられることが多かったのですが、キリスト教の信者として「聖書」の教えを実践しなければならないと思っていたので、できる限り無心には無条件で応じてきました。


「聖書」には5キロメートル歩けと言われれば10キロメートル歩けとあり、上着を求めるものには下着をも拒むなとあり相手がいい人であるとか悪い人であるとか関係なくなのです。
それと、人が困っている場合は日曜日の休む日だと関係なく助けなければならず、真夜中であろうと危険区域だろうと関係なく人助けしたのでした(役立たずであろうと)。

☆今、65歳にもなりこの世の中で生きてくると、人間のほとんどが美しくもなく、嘘をつき、さもしいということを知らずにはいられなくなります。

若いということは素敵なことで、嘘をついてまでして他人から何かを取り上げようとする人たちがこんなに多く存在することは夢にも思わなかったのでした。


 この「発言小町」の4歳の甥が「遊園地につれてって。おもちゃがほしい。」と言って、差別されていた専門学校出の叔母に電話を掛けて来るというのは、多くのアドバイスをくれた人が「子供の智恵でなく、その親である妹や差別してきた同居している両親の差し金で、甘いかおして応じ続けるといいように食い物にされて30歳前後の差別されて専門学校を自力で出た投稿者の結婚するときのお金やマイホームや子育てまで食い物にされる。」と言うものでした。


 私も結婚して子供が1歳のころ、パリで私生児を産んだYこの子供(4歳くらいでした)から電話がかかり、「おうちがないの。お金を送って。」と言われ、30万円ほど送ったことがありました。自分が幸福だったので、そう言う状況の子供にたいして出きることをしなくてはいけないと思ったのでした。
 しかし、そのささやかな善意はやがて心をズタズタにされる結果となりました。

 Y子に私生児を生ませたのはもちろん私ではないのです。

 Y子の絵は私は好きではありません。しかし、成功と言えば成功しているアーティストと言えるでしょう。

 Y子の書いた講談社からの本にかいてあるのですが、寺山修司と不倫して彼女の本には多くの著名人が出て来るのですかにら、逆に「そう言うレベルの人が私程度になぜ家賃を請求してくるのか。」と美術の世界の厳しさ、私生児を育てる厳しさに痛んだのでした。

 
 Y子から電話がかり、「どうしてもお金を返したいのでパリに取りに来てほしい。」と言ってきました。
私は年上のY子に「返さなくてもいい。」と言うのは失礼だと思いました。

 それで、母と姑に半分づつ、5日間づつ娘をみてもらいなけなしのお金でパリにいきました。

こういう費用はすべて私のお金で主人のお金ではないです。30万円も私のお金です。
☆ところが、パリのホテルの住所も電話番号も教えて、毎日、Y子に連絡しました。Y子は、「ローマの仕事でいない。」とか、「郊外で車の事故を起こしていけない。」とか、言ってきて、もう残り少なくなった日のある日、パリ在住の成田京美ちゃんが、「アパートにいってみよう。」と言って一緒にY子のホテルのすぐそばのアパートに一緒に行ったのでした。

留守のはずの彼女は子供のお誕生日パーティーの最中でいたのでした。

 京美ちゃんの観察によるとY子は真っ青でこめかみをピクピクさせていたそうですが、私は人を騙してまでしてという驚きで一杯でした。

☆さらに、驚いたのはその後東京に来た彼女からの手紙です。
「アポイントもとらず来た慰謝料を100万円欲しいくらい。あのお金は私への貢ぎ物で時時、お金を送ってくれる人がいるがそうしたもので、返す必要はない。人を利用しようと近づいてきて。」という罵りに溢れたものでさらに驚きです。

 その前に、30万円を送った時の手紙もまだあって、「あなたのコツコツと貯めたお金、大切に使わさせて頂きます。」とありました。私は電話をしたことなどあったかしら?

☆彼女のパリでの位置は、「そこ小娘は私も知っているけど。」というフランス人の蔑んだ表情で伺い知れるものです。

 私が京美ちゃんのアドバイスで出掛けなければ、「返したかったのに忙しくて。」と、次は100万円貸してと言われたでしょうね。
そして、あのときに、お金を送らねば自分は困っている私生児のために何て愛のない行為をしただろうと一生悔やんだでしょうね。キリスト教はかくも厳しく試されるものなのでした。

☆しかし、Y子からこんな電話がかかってきたこともあります。
「今、パリ大学の教授でお父様がノーベル物理学者の物理学者が来て、あなたの易カルタをみてあなたは天才だといっている。会いたいと言っているので今、来れない?」という内容でした。断ったら、「欲がないわね。」と言うのでした

Y子といやな思い出もこのひとつの爽やかなエピソードで消える日を待ってます。

「池上線のなか」です。


娘が帰って来て、おやつがわりに巻き寿司を4切れくれました!

 今日は晴れているので、寝具を外に干して、第3番目のマット類の洗濯をしているところ。

 

 今日の夕食の仕度は全部揃っているのですが、まるきり家からでないのも何なので、ミシンを見に蒲田の「ユザワヤ」にいってこようと思います。娘がミシンがほしいというので。「ユザワヤ」の30%割り引き券を持っているのでコンピューター-ミシンをみようと思うのです。

 

☆池上線が動き始めました。 社内は暖房で暑いくらいです。 ☆「週刊現代」を買って、「海外でビジネスをやるということは、こういうこと」という「日揮の悲劇」という記事を読んでます。

再び池上線のなかです。

 ミシンは1万円台から80万円くらいまであり、ほとんどが白です。黒いのが1台、黄色いのが1台。それぞれ蛇の目とシンガーミシンで足踏みのものです。

 娘に電話をしたら黒のがいいとのことで、黒にしましたが特別限定品とのことで10%の割引でした。
パンフを読むとシンガーミシン創立160年の記念限定品と言うことでとてもきれいなオーソドックスなデザインでした。おまけにコンピューターなので、娘の希望に叶いました

 主人の家が財政破綻という状態なので、これが内職の道具となる日が近いです。

☆姑の壊れ方も目立つようになり、通帳も出てきたのはよかったですが幾度も電話がかかって来て、主人と娘がひっきりなしに駆り出されるのですが、「丸々がないから、持ってきて!」が姑の家にあったり、娘も感謝してくれないから、疲れがたまるこき使われ方。

「財政破綻なら、あのサボってばかりいる庭師をやめさせて、通販の買い物も控え目にしてほしいわ。」と言ったら、庭師は癌で亡くなったそう。
 なにしろ、お昼頃来て、庭のテーブルチェアでゆっくりお昼を食べて、ちょっとのぞくとタバコ休憩でお休みをまたテーブルチェアでしていて、頼みもしないサボテンを植えて帰っていって、凄いお金を請求するので、嫁の立場で我慢していたが娘とそのぼったくりに腹をたてていたのだ。
 それも、2カ月毎に来て1週間ぐらいごろごろしているのだ。

 通販も主人が娘と姑で張り合って買い物しているそうで、何で85歳がそうも買うのかと思っていたが、黙っていたのだ。

 その穴埋めを私がするの?

 ふざけないでよ!

 いつまでも打出の小槌やってられないわよ!

☆思い出せば、あの白のパラソル付きガーデンチェアセットも私が買ったのだった。

「私、趣味悪いからルイコさん買ってえ。」と姑が言うので、私が買って支払いも私だったのだ。

娘とドライカレーオムレツ!

 これは娘が中村屋のドライカレーを買ってきたときにスーパーの販売員から教えてもらったそうです。 はじめは目玉焼きを乗せたらいいと聞き、次に「目玉焼きはやってみましたと言ったら、オムレツにしたらいいと言われた。」そうです。


ベトナム春巻きと霧茶!

デザート!ほろ苦い人生のデザート!


 栗と苺があって、苺が1つしかなかったので取り合い。
  なんとなく懐かしい味でした。

☆やはり年なのでしょうか? 疲れが出てます。 ☆「お人好しは舐められる」という言葉に感じ入ってます。  キリスト教には「許し」「赦し」の教えがあります。 どんなにひどいことをされても許すという教えです。  しかし、現実社会には「許し」のある人は「立派な慈悲深い人ではなくて、お人よしの愚か者」となります。  キリスト教では、自分の罪だけでなくて他人の罪をも償いなさいと教えてます。  現実にこれを実践すると「頭のおかしい人とか揶揄して奇特な人」と呼ばれます。 ☆先程、書いた「お人好しの劣等感」という題の文章に、差別される子供という特定があります。  私は長女の4人兄弟の先頭ですが、「中間子」という言葉があることがわかりました。  中間子というのは真ん中の子供で、ふつう、最初の子供や末の子供ほど大事にされないという意味で使うそうです。 ☆私どもの家族の遺産相続で、中間子の長男と次女が「私たちは親に愛されなかった」と両親を恨み、親の一番大事にしていたものをことごとく壊したのでした。 それも弱り始めたり、意識不明になって病院に寝ている間に。  末の弟は自分は両親に愛されたので、両親が好きだし両親の介護やお世話は喜びだったというのです。  私は母親と喧嘩ばかりしていて愛されていたと思えなかった日もあったのですが、基本的に弱い者いじめは大嫌いなので、両親が弱い老人になった時にはいたわりの気持ちが優って、少しでも幸せにしてあげたいと、母親とは毎週火曜日に会いよく歌舞伎や旅行に誘って一緒に食事や季節を楽しんだものです。  しかし、奇妙なことに中間子の妹と弟は、一緒にそんな経験もなく、妹が鹿児島に就職して移転したのは今から13年も前で、母も行こうと思えば行ける体力だったのに鹿児島には一度も行ってないのです。妹がアメリカで大学院と博士課程を卒業した時も両親二人とも駆けつけてはいません。それは今から25年から30年も前のことで、両親は行こうと思えば行けたのでした。  それが、差別というかたんなり手抜きなのかもしれませんが、私が37歳でパリで個展をした時も(妹は33歳だったはず}、母親は行きも帰りも手伝いと称して断っても来たのでした(姑も帰りはきた)。  上の弟は、母に「自分の娘に洋服を買ってあげてほしい。」「自分の娘をヨーロッパに連れていってほしい。」と頼んだそうです。母親は上の弟に私の娘に洋服を買ってあげていることやヨーロッパ旅行に連れて行った(旅費は私たちの分は自腹で母親のおごりではないです)ことを話したのでしょう。そして、結婚を反対されたとはいえ、自分の子供が差別されていると思って傷ついたに違いがないのおです。  そのせいか、その娘は母の入院ももう7年くらいになるのですが、一度も見舞いに来たことはなく父の葬儀にも顔を出しませんでした。 ☆私と末の弟が当たり前のように親の介護をし、末の弟が母の倒れる前も月に一度は訪れて母の届かない電球を替えたり母にCDプレイヤーを贈って心和ましているのに比べ、まったく寄り付かなかった妹と上の弟のやり方はあまりにも違うものであったのです。  末の弟とよく話していると、親というものは4人の子供とあまりにも違う関わり合いを持っていたので新発見が多いのです。  2階の母の部屋は上の弟の部屋と末の弟の部屋を今から30年ほど前にリフォームして母の部屋となっていました。 母はベッドを入れて、広くなったその部屋を自分の人形部屋にしていたのです。 ☆私は結婚して娘がハイハイし始める時から、その2階の母の部屋によく行きました。  私が娘と一緒に父の家で居候しながら百人一首を作っていた時もその部屋があって、母は子供のお守りをしてくれました。  主人も日参して母の作った料理を父と母と一緒に食べて帰ったのです。  そのころは妹はアメリカの大学で大学院に行っていた頃でした。  母の人形部屋には母が倒れるまで幾度も幾度も通ったのでした。  主人の家が建築中の頃は、おひな様のその2階の部屋に飾って祝ったものです。  母にとって人形だった私の娘のために、玩具も食器も子供の寝巻もエプロンもあったのですから、もし、その後独身の妹が見たら(37歳で博士号を取って日本に帰国し、50歳で就職するまで両親のところに住んでました)面白いわけがないのです。  私には妹の気持ちがわかります。  妹はいわゆるいい子の優等生で、大学でもオールAの成績で真面目という感じです。 それに比べて、私は優等生型ではなくて自分の好きなものには多少頑張るのですが、好き放題してきたのです。 家事だってできません。特別きれい好きでもなく、家庭生活がまっとうにできるタイプでないのです。  それなのに、姉は結婚して子供を産んだために、親が夢中になって大切にされている。  自分のほうがはるかにいい子で優秀で立派なのに!  この不条理には我慢できない!  両親も私も恨んだのでしょう。  日本社会は女性の博士にはけっしてやさしくはないし、大学への就職も日本の大学院を出てないのでコネがなく厳しく、非常勤時代は薄給で末の弟に言わせれば親の援助もなかったそうです。 ☆末の弟は母が倒れた日に、父がお寿司を買ってきて「一緒に夕飯を食べよう。」と声をかけても返事がなく2度目に8時ころ声をかけて、自分の部屋に中から鍵をかけていて入れず、外のベランダからカーテン越しにのぞいたところ、母が痙攣しているのを見て末の弟に電話をかけて呼び出したときに初めて入ったそうです。  末の弟はベランダから1枚ガラスでできているガラスを割ろうといったところ、父が「早まるな。修理が大変だ。」と鍵屋に電話をするかと思案中にようやく合鍵が見つかってドアから入ったそうです。  泡を吹いていたので、「どうしようか?」と私に電話をしてきたので、「救急車を呼びなさいよ。」と言ったのが私でした。  そして、母の部屋を片づけるように頼まれたのと、保険証を探すように頼まれたのが私で、それがまた、兄弟の憎悪を増したのでした。  長男が「なぜ、自分に知らせてくるのが最後なのだ。」という怒り。その時に、妹に母が倒れたことを知らせ、妹から長男に知らせが飛び、末の弟は救急車で母を連れて病院を探していた最中でした。 ☆母はもしかしたら、子供のいない末の弟に気を使って2階の自分の部屋が子供用のものがいっぱいあったので入れなかったのかもしれません。上の弟は家には大学の時から寄り付かず、父の経営するゴルフ練習場の2階に泊まっていたのです。もちろん末の弟と同じサイズの自分の部屋があったのにもかかわらずです。 ☆どこまでが差別化というのは難しいのです。  アメリカの大学に大学院と博士課程の4年間を留学していた妹の学費も滞在費も決して安くなく、それは父が払っていたのですから私なら十分愛されていたと思ったでしょう。  上の弟も会社を継がせてもらったのですから、差別されているとは言えないでしょう。  それを、中間子の二人が自分たちは愛されていなかった」だなんて! ☆末の弟は自分は両親にはやるだけのことをしたので、後悔はない。介護もいろいろな人から教わって十分なことができたといいます。  私も母への憎しみがいつの間にか消え、毎週火曜日1時間くらい遅れて来る母を忍耐強く待ち、いろいろおしゃべりをしたり買い物を一緒にしたりしたので、後悔はないのです。    そして、父親の介護を一生懸命にしてくれた末の弟の気持ちを大事にしたいと彼の意見に心を寄せているのです。  我が家の相続は上の弟と妹の総取りの計画があって、末の弟が父の遺志と違うので判を押さなかったので凍結されてます。 ☆「親の財産を当てにするな。」って父に言われたよと末の弟。  私も「お金は自分で稼ぎなさい。」と父に言われてきました。 ☆それと、苦笑いしてしまったのは、末の弟が少し言いにくそうに、「田園調布の家を残したいと両親が言ったのは、妹が鹿児島から帰ってきて住む家があるようにというのと、お姉さんが(私のこと)いつ、離婚して帰ってきても住む家があるようにという親のはからいだ」ということでした。  「出戻りかあ。」  可能性が一番あるのに、そんなことを思いもつかなっかったおめでたい私です。  ありがたいなあ。 ☆そういえば、結婚式の時に「離婚して親に恥をかかせるんじゃないよ。」といったのが母親で、父親は「辛かったら帰っておいで、その時は持って行ったものは全部持って帰ってくるんだよ。」といったのでした。  「あんなに、何もできない子が結婚生活ができるんでしょうか?」と母親は不安で7キロもやせてしまったそうですが、父親は「案外、持つかもしれないよ。」と言ったそうです。 ☆今、私の友人は「嫁ぎ先の財産が破たんしたら借金はルイコさんが背負うことになるのよ。別れないと大変なことになるわよ。」という意見と、「これはチャンス、離婚時(どき)。アート優先で生きるときよ。」という意見と、「あなたは大丈夫でしょうけれど、ご主人が一人で生きていかれるかしらね。」というのがあります。  皆が、主人の「お前の遺産はなしだ。家を取られるからハンコを押せ。」というのはおかしいというのでした。  まあ、私の父からの遺産を嫁ぎ先の財政の破綻の補てんに使いたかったのが真相であることはわかりやすいのですが、もう少し賢く説明ができないのでしょうか?  私は主人の家は身分相応に暮らせばいいと思います。借金までして大きな買い物を私たちももう65歳なのですから止めて、つつましく暮らせるはずというのが考えです。娘に負担もかけたくないし。 ☆というわけで、弁護士に明日呼ばれているので事務所まで行きますが、何でこうすっきり事が運んでいかないのでしょうか?  このところ、どこも世智辛くなってきて、隙間があれば少しでも多く買わせようとします。  ちょっと前まで、日本人は靴など黒、茶、白の3足位だったのにテレビで収納の番組があると女性の靴が100足くらいあるのでびっくりします。  スニーカと長くつ、ブーツ。私などせいぜい10足くらいですが。 ☆私の場合、売れない絵を描き続けるという贅沢があるので、靴どころでなく他は自分では勉強のつもりの読書と映画が出費の最大費用。  それでも、感謝していますよう。  魂がいつも喜んでいますもの。  明日も無事に終わればいいなあ。  今のところ、天気予報を見ていると木曜日金曜日と晴れるそうなので、そのころ神山に行きたいと思ってます。  やはり、絵を描かないとまずいでしょう? 、