February 5th, 2013

若松孝二 「11.25  自決の日 三島由紀夫と若者たち」

 1925年に生まれ、1970年に45歳で自決した三島由紀夫。

 三島由紀夫が自決したのは、私が大学生の頃だった。

 私は世界史専攻の学生だったが、日本史の教授が自宅に呼んでくれ、丸い石に小さな点のあるものを「春の雪」、小さな陶でできた寺の文鎮を「暁の寺」、そして「奔馬」は藁でできた馬の飾り物だったか、その死を惜しんで並べていた。

 三島由紀夫の言葉で覚えているのは、「絶望しながら書いている。」というのと、「人がバカに見えて仕方がなかった。」という言葉で、父に「他人がバカに見えて仕方がないと言ってるのだけど。」と三島由紀夫を理解しようとしているときに、父は「そう言うことを言うのがばかなんだ。」と、言った。父は謙虚ということと他人をバカにしてはいけないというのであった。

 あのとき、佐藤栄作が「天才の紙一重」と言って、ファンから攻撃を受けた。

 そうだ。日本史の教授は「有史以来。」と言った。

☆私は三島由紀夫の文学がそれほど好きでない。それでも、ずいぶん読んだように思う。
当時はテレビで三島由紀夫や寺山修司や横尾忠則や野坂昭如や三輪昭宏が、話題提供しているときで美術学生には面白い時代だったのだ。

 横尾忠則が「女性自身」の三島由紀夫の手紙の文章に挿し絵を描き、そのシンプルなカットに明日のアーティストが見えた時。銀座の交差点の地下の宝くじ売り場でイラストを描いていた横尾忠則に英語の教科書のカバーにサインをしてもらった女子大生に三島由紀夫は普通に意識の周辺にいたのだった。

☆今日映画を観て、三島由紀夫は純粋で日本美と言うものをないがしろにしている時代にあのように抗議せずにはいられなかったのだと思った。

 三島由紀夫は肉体を鍛えていて、よく週刊誌のグラビアにその肉体を晒していた。
 
 それは、小柄であるので肉体コンプレックスと言う人もいた。

 また、ロココ調の邸宅も成功している文学者の証明のように誰の目にも記憶されていた

 都立大学駅の「グラナダ」でポルトガルの藍色の一枚絵のタイル絵を見たが、それは三島由紀夫に頼まれたものでサイズがあわなくて納めないままになったものであると言った

☆ノーベル文学賞の受賞ではないかと話題になっていたが、川端康成が受賞したのであった。

☆映画であるように「楯の会」の軍服姿も記憶にある。
 映画で客観的に見せているように自衛隊市ヶ谷駐屯地のバルコニーの演説も浮いていた
あの時代は学生運動が過激で学生たちは既成の秩序、構造、体制に義憤をもって破壊するために全エネルギーをかけて戦っていた。全共闘、連合赤軍の時代だ。

 その心意気に知識人も三島由紀夫も命をかけずにはいられなかったのだと思った。

☆若松孝二監督のこの映画はとてもシンプルに三島由紀夫の行動と思想をドキュメントにしていると思う。
この若い井浦新と言う役者も清潔で三島を美しく語っていると思う。
現実の三島由紀夫はもっと複雑な野心家だとも思えるのだが、さっぱりと爽やかに三島由紀夫を演じて、観客に日本を愛する心を忘れていたと省みるような映画の力を感じた。

 アルジェリアの事件があって自衛隊のあり方を変えるべきだと言う主張もあった。
 
 阪神大地震、9.11. 東北大震災があって、日本は美意識を持てるほど国にゆとりがなくなった。

☆三島由紀夫は若松孝二はその為に生きたのかと思うような日本のの危うさ。

いつもの暮らし!

 鳥は上手に食べて、いつも揺りかごはからになってます。 食べているところを撮影したのですがすでの飛び立ったようです。


天気予報は外れっぱなし!
雪は降っているのだが晴れている。

日光浴にハーブもだして。


春が近づいている。

 この窓の溝はつららが落ちてできたもの。


 蜘蛛とてんとう虫を今日はいじりましょう!

 夜の読書は、

奥様が書かれた本のようです。

 逆さですけど、御主人の顔が素敵!</p>

蜘蛛ペア!


兎の跡だと思うの。


 テーブルに乗っかったらズブズブと!




 蜘蛛は葡萄ジュースの色がいいと思うのだが。

☆セブンイレブンにジュースを買いに行ったら、スキー場を隔てた隣の奥さんが車で坂道を上って来て、困ったことがあったら言ってと言ってくれた。
 同じ年齢で定住組だが、同じとしに引っ越してきたひと。
 御主人と山登りが趣味のようだが。

 

 今、グラタンの解凍中。
昨年だか今年だが作っておいたものを冷凍庫に入れといたのだ。

 

 その時、牛乳がなくなっていたので、牛乳や海老を足して作り直してみよう!

 

 玄米リゾットのようで、お米がまだ凍っています。

芽キャベツもいれよう!