March 4th, 2013

春の雪溶け。


 胡桃が入っていて美味しいお菓子です。

 電気の球が切れていたので梯脚立にのって換えました。

 鳥籠は細かい竹細工で戸が開きます!


一番上が風車で次が着物。
次が桜で、そのつぎが七餅。
下が赤ん坊の人形。






雛片付け!

 マトリョーシカは中にはいるので収納しやすい。

 ボストンのガードナー美術館で買ったミニチュア。

上海で買った螺鈿の家具。

 小さなものもとても好き。

  私のデザインした棺桶にハートをいれないでと言うペンダントトップキーホルダー。ハートは金。

  チェコのミニチュアのロザリオの入ったミルクガラスの薔薇のロケット。

 母からもらったのは乳母車と三輪車。

 娘がくれたロンドン製のバッグと指輪。

 アメリカのセント-バレンタインの本とミニチュアの本ものの貝で作られたもの(小さいの)。左上はカード!

Be mine!
私のものになってと書いてあります。貝は全部本物。

本のケースの内側も素敵!
中に入っているのが、ミニチュアなもの。

本の表紙。

本を閉じて、ミニチュアも閉じて。

 船乗りさんたちが自分の恋人のために、船にのっている間に作ったもの。ロマンティックですね。

 

☆今日は雪が溶けて危険なので、家で掃除と片付けとお仕事に専念しましょう。

探検隊!

お庭に運んで!

 潜っていたのをつり上げて!

しいたけの原木が埋まっている!

家を一回り!

 道なき道なのでズボッと沈んでしまいます。

 逆さになっていた蝶ももとに戻します。

すっかり乾き!

鳥も飛び交ってます!

白隠と北斎!その1.

 今、白隠展で買った生姜飴を舐めながら、「白隠」の図録を読み終わったので自分の感想を書いてみることに。

 

 白隠は1685年、
駿河に生まれ、1768年84歳で荼毘に付した。

 

☆11歳のとき、母につれられた昌原寺で地獄の説教を聞き、大いに恐れた。
12歳で人形浄瑠璃で「法華経」の威力に感嘆し出家を目指す。
15歳で松蔭寺で得度。

 

 修業

 

24歳で越前高田の英厳寺で大悟。

 

 修業

 

34歳で妙心寺において法階を得て「白隠」と号する。

 

 修業

 

42歳で菩提心を大悟し、大自在を得る。

 

 修業

 

57歳で、禅師「白隠」の名声は全国に響き、各地方より雲水が参禅を求めやってくる。

 

65歳で、黄檗僧、格宗浄超が再来し、金襴の法衣を受ける。

 

79歳で大いに衰弱するが、夢で今はなき緒禅師との応酬を得て、力を取り戻す。

 

84歳で松蔭寺に帰り永眠。

 

☆出山釈迦

 

蓮池観音

地獄極楽変相図

半身達磨

自画像

不釣り合いは突破してとの作意。
布袋さまの提灯釣り鐘。

すたすた坊主 豆蔵
ひとの福を願って代参する布袋さまの謙遜。

鼠大黒


傀儡師
二十四孝の郭巨の人形を操る大道人。貧乏だが親孝行の男が金の釜を堀あてたという孝行物語。
傀儡師は禅宗では特別な意味を持つ。世の中の人はみな傀儡師、鬼が出れば仏引っ込む。

百寿福禄寿

☆晩年の絵は凄い!
禅のお坊さんとして、絵で教えを説いたようだ。

 

 ユーモアがあっておおらか。
60から70代の作品だが、書いてある書は「遠州浜松よい茶の出所、むすめやりたや、いよ、茶をつみに」だそうだ。

白隠と北斎!その2.

北斎
1759年下総国本所割下水で生まれる。
1765年6歳のころから作画への興味を持つ。
 
12、3歳のころ貸本屋の小僧として働いていたようだ。

 

14、5歳のころ彫刻家某の下につき、木版印刷の版木彫りの職を得た。

 

1778年、19歳の北斎は浮世絵師勝川春草に入門。

 

1779年、20歳の時、勝川春朗名で作品発表。
21歳の時、黄表紙などの挿し絵の分野に進む。
22歳の時、洒落本や噺本に進出。
23歳の時、天明の大飢饉始まる。
30歳の時、浮き世絵、美人画、武者絵などにも進出。
34歳の時、狩野融川に破門される。
35歳の時、俵屋宗理を襲名。
39歳の時、北斎辰政と号する。
40歳の時、不染居北斎の号あり。
45歳の時、4月、江戸音羽の護国寺にて120畳大の大達磨半身像描く。
46歳の時、本年、九々の号あり。
47歳の時、春から夏にかけて曲亭馬琴宅に寄宿。
48歳の時、亀毛蛇足の印を用いる。
49歳の時、亀沢町に新居。
50歳の時、本年、本所両国橋辺に移住。
52歳の時、馬琴と絶好。
53歳の時、秋ごろ名古屋に滞在。「北斎漫画」の下絵を描く。
54歳の時、亀毛蛇足の印を門人北明に譲る。
58歳の時、10月、名古屋西掛所境内で120畳大の大達磨半身像を描く。
62歳の時、11月、4女が没す。
63歳の時、長女離婚。
64歳の時、川柳の号に卍を使う。
68歳の時、中風を患うが、自家製の薬で回復。(一茶65歳で没する)
69歳の時、後妻こと女がぼっする。
70歳の時、孫が悪事を重ね尻拭いをする。
75歳の時、本所までの転居数56回。
80歳の時、火事にあう。
89歳の時、引っ越し93回。
1849年、90歳の時、病床に伏す。

 

私が生まれたのが1947年なので、98年前に亡くなられたのですねえ。

 

 40代の作品。


70代の作品。

☆もう凄すぎて。

 

 (ため息)
右は赤壁の曹操。
左は88歳の絶筆。

☆画狂人北斎に影響を受けたフランスの画家も多いのでした。

 

☆借金もして、子供も亡くし、孫の悪さに苦しみ、名声を得ながらも食べるのがやっとで、着るものや家具などは着の身着のまま、ミカン箱と言う感じだったそうです。

 

 晩年になっても、猫一匹満足に描けないと泣いて悔しがったそうです。

 

 敵いません。

 

☆北斎の絵はこれからもたくさん見るでしょう。

 

 長生きなさったのも、自家製の薬と言いますから、私も頑張りましょう。

 

☆北斎は40代の時に近くで雷が落ちて、腰を抜かし啓示を受けたそうで、以来、絵が売れるようになったそうです。

 

 神様も精進していると見捨てないのでしょう。

 

☆白隠も北斎も面白さ自然さを愛した天から愛された人のようです。

 

 苦しいいことがあっても、堪え忍び自分の仕事を全うしたお二人は非凡な人ですが。

 

 そう言えば、白隠は武士のお姫様の華美な暮らしと召し使いになにもかもさせている姿に驚き、長文の戒めを書いて、お経のように毎日数回読むように送ったそうです。

 

 子供のころ地獄絵を見て、僧になったそうですから本当に老婆心(老爺心)だったのでしょう。

 

 とにかくすてきなお二人に学んで私も少しでも後に続きましょう。

美しい雪は怖い。

 厳しい吹雪で多くの人が亡くなった。テレビの映像を見ても信じられない激しい吹雪だ

 昨日、タクシーでの帰り、運転手さんが友人を雪で亡くした話をしてくれた。
「いい奴だったんだよ。酔っぱらって家に帰ったときに、屋根から雪が落ちて、皆で探したんだが行方不明で、春になって雪が溶けた時に体が出てきたんだよ。」

 「ご家族はいらっしゃらなかったんですか?」
  
 「ひとり暮らしだった。」

☆ここ黒姫では、雪で昨年はずいぶん亡くなった。
今年の方が雪は深いが、事故がない。

 雪掻きの土手がすごく高くなって、歩道を歩くときに風が吹いたら雪に人は簡単に埋まってしまうのがわかる。

 格好つけてられないので、いつも頑強なゴム長靴とスティックと何重ものパンツと上着と替えの靴下も手袋も持参。

 食料品も燃料も電気が切れても生きていかれるようにあらゆるレベルで蓄えている。

☆普通の暮らしがいかに大変なことか!

 しかし、雪の風景はあまりにも美しく見飽きることのない神秘を称えている。

 義理を欠いても、みっともなくても安全を心がけている。

 人間がどんなに心がけても自然には敵わない。

 もうすぐ、父の一周忌。3月10日。

 3.11の一日前。
永遠に忘れることはないだろう。

 仙台にいた娘を訪ね、幾度も東北にいった。

七夕のありがとうの言葉と千羽鶴は仮設住宅から。

人は多く失い、悲しみと疲れと生きることの意味を問う。

私たちは、もう、何かをきれいな心で信じることはできなくなったかもしれない。

子供たちを守ってやれなかった日本人の私たち。

☆娘を守って死んだ雪国もお父さん。
 白い悪魔から本能の様に娘を守った大きなお父さんの愛情。

 私たちも小さなものを守る心をいつも持っていたい。