April 11th, 2013

明るい朝!


 お天気で雪が溶け始めてます。

☆昨晩「一茶 カレンダー」を読んで寝たのだけど、このカレンダーは一茶の生涯を綴っているのだ。

 一茶は今から250年前、信州柏原宿に生まれる。
 宝歴13年5月5日に生まれました。
父母と祖母と一緒に暮らしてました。宿場の伝馬役(荷物や人を運ぶ仕事)を勤める百姓の跡継ぎ息子。

 

 3歳の時に母親がなくなり、おばあさん子で一人遊びを好む。

 

 8歳の時に新しい母が来て、弟が生まれる。

 

 15歳で江戸に出て、俳句の勉強を始める。

 

 俳諧師としていきる決心して、故郷に帰る。

 

 俳句の修行のため、京大阪、四国、九州など各地の俳人を訪ねた。
6年間の西国の旅を続けた。

 

 江戸で名が出て、郷里の父の介護をしたが父は死去する。

 

 父の遺言で弟と財産を分けて、信州に帰り家を継いだ。

 

 50歳で結婚し、子宝にも恵まれた。

 

 次々と子がなくなり嫁も死ぬ。

 

 俳句を読み続け、65歳で火事に会い、焼け残った土蔵のなかで65歳のしょがいを終える。

 

☆クリーニングをとりに、第一スーパーのバスに乗って来ます。

長野のおばあさんは元気がいい!

☆第一スーパーのバスは今日は空いていたのです。カートハモっていかなかったのですが、運転手さんがコテージまで送ってくれておおいに助かりました。それはお米を買ったからです。玄米はあるのですが、豆ご飯を炊きたくて少し買ったのです。いわゆるグリーンピースご飯はお酒を少し入れてたくので玄米では美味しいかどうか? 今日もコメリによって白いパンジー。シャベル。ソーラパネル2本買いました。 第一スーパーでも浅蜊やバナナ、ピザや牛乳など結構買ったのですが帰りに一緒にバスにのったお婆さんたちが年齢を次々教えてくれるのでしたが、その若さにびっくり!  うちの姑も相当元気ですが、同じ年齢やそれよりは高い年齢のかたたちが一生懸命に荷物を運ぶ手伝いしてくれるのですよ。「持てますよ。自分で持てない量は買わないことにしてますから。」お婆さんたちは、「一人で寂しくないの?」「一人で暮らせて偉い。」と言ってくれるのですが、東京に家族もいるし、絵を描くのに気が散るので一人でないと制作ができないのですよ。 しかし、ふとこう思いました。 もし、独身で同じように絵を描くためにコテージ暮らしをしていたら、こう言う他愛ない会話も不快に思うかも知れない。「あなたは明るいからいい。うちのお嫁は明るくないのよ。」といっているうちに、おばあさんの家について、降りていかれましたが姑は姑なんだなあと思いました。                                                                                ☆兎に角、長寿ナンバーワンを誇る長野のお婆さんたちは元気で体もよく動くんです。私もそうありたいので、よく歩き、しっかり肉体労働もして、よく野菜も食べるようにしたいと思ってます。野菜の食べる量も日本一だそうです。  ☆小林一茶が65歳で亡くなり、多くの後世まで残る俳句を残したものの厳しい人生を送ったことを思うと、私の65歳はどうも甘いと思うのでした。                                                   ☆昨日観たドキュメントの「すきやばし次郎」さんはまだ健在でお鮨を握られているようですが、育ちには厳しいものがあったようです。裕福な生まれながら、お父さんが8歳くらいから働かなくなったらしい。それは父親の写真見ながらも、郷里で墓参りをしているときも言ってました。お墓には腐りかけて枯れているお花があって、「今度、花は持って来るからいいや。あまり世話にはなってないけど。」と言っているのを、長男が「お墓の前でで、言わなくても。」と戒めてました。                                                                                                         悔しいことや悲しいことがその後の人生であったのでしょう。                                                             ☆小林一茶が子供のことをよむ俳句は愛情溢れるなんともほのぼのしたものばかりで、その子たちが次々と死んでどんなに悲しかったでしょう。                     






クリーニングも無事に取れて。


ソーラーパネルも2本買い足して。


 少し肌寒い日です。
これより大きめのスコップが消えてました!それで買ったのです。


段々あたたかくなってきました!

人間は皆が幸福になるしかない!


 幸福な人たちは意地悪もしないし、皆の幸福をいつも考えているものだ。

 

 犯罪も、苛めも、意地悪も、どこか幸福ではないひとがするのであるから、幸福な人たちは一人でも多くの不幸な人を幸福にしてあげてほしい。

 

☆また、頼んでないつもりの本がアマゾンから届いていたので、郵便局から送り返しました。送料は380円!

菫も。

土手には土筆が一杯!

 神山の菫は淡い色です!

馬鈴薯の残りの種芋を埋めて考える「良心詐欺」。



 椎茸もずいぶん出てきている!

☆テレビで「おれおれ詐欺」「振込詐欺」が手渡しになったので、新しい名称を募集していて5月始めにその優秀賞を発表すると言っていた。

 

 孫が大事な書類が入っているバッグをなくしたからと、携帯もそのなかで、すぐ受け取りにいくから100万円を出してしまった人の映像が幾度も放映されていた。

 

 とてつもない多くのお金がこの手の詐欺で騙し取られているという。

 

☆このバリエーションに富む詐欺のうち、気になったのは「良心詐欺」である。

 

 そう言うことなら、「良心詐欺」にはあまりにも多くひっかかってる。

 

☆私は、いつも書いているように普通である。
 成績も公立小学校では体育以外はオール5だったが、私学にはいった中学、高校では普通。兎に角、全く勉強する意味がわからなかったので全くしなかったので数学など普通以下のものもあり、英語もできない方。国語に限っては良かったかも。

 

 勉強重視でないアートの大学に行ったので、あまり劣等感を感じないで今日に至っているが、アートにいかなければ多分、短大の国文科辺りにいっていたような価値観で育った。

 

 それで、一流大学出には負い目が無いが、それ以下とか高卒中卒には負い目を感じてしまう。

 

 そこに忍び寄るのが「良心詐欺」である。

 

 それと同じで、喧嘩しながらも両親いる家に育ったので、「片親」「私生児」「離婚家庭」と言われると、負い目で「良心詐欺」にすぐひっかかってきたように思う。

 

 食べるものに不自由しないで育ったので、「貧乏」「家がない」「借家育ち」とか言うのも「良心詐欺」にひっかかる。

 

 その連鎖で「障害があるの」「家族に障害者がある」というのも負い目。

 

 これは、普通のことだと思っていたのだが、他の人はそれほど情に脆くないようだ。

 

☆人間はどう生きればいいのか?

 

 孫や子供が不始末をおかして、なんとか助けてあげたいとお金を出す人たちは、おおむね優しく口だけでなく人助けをするいい人である。

 

 仮に本当に交通事故をおかしたり、女の子を孕ませたりして(自分が悪い)親や祖父母が助けてくれなかったとしても恨むのは筋違いだろう。

 

 それにしても金銭がなぜ絡むのだろう?

 

 人の善意や優しさにつけこむ詐欺師はバチが当たってそれ相当の人生を送るだけだ。

 

 人の世が厳しいからこそ、庇ってあげたかった詐欺の被害者は、人の世が二重にも三重にも罠に仕掛けられている怖さに、哀しいと思うのか?失ったお金を悔しいと思うのか?

 

 ヴァチカンも一説にはもうすぐ崩壊するとか。

 

 善意そのものが愚弄されているような気がする。

 

 確かなものはなにか?

 

 馬鈴薯の種芋を埋めながら、費用はかかっても「蒔かぬ種は生えないというもの」と思った。

 

 しかし、種芋の大きさに比べ収穫した馬鈴薯の小ささを思うと、私程度の農業能力だと、いかがなものかと思うのである。</p>

素敵な本「炎の絵」!

土筆が美味しかったです。苦味はなかったです。味付けは昆布醤油。


 年月が感じられる本!


 この本を書かれている中込忠三さんは、母親の影響で慈悲深い。
山梨県の酒造の家に生まれ、東大の独文科を出てから東京の下町の貧しい家庭のこの集う公立小学校の教師をする。

 

 同郷の貧しい画家の絵に惹かれ、絵の具やキャンバスを買い与え、東京に読んで同居しながら絵を描かせ続ける。

 

 長谷川利行もつれてきて3人で同居する。

 

 手塚一夫のことを理解する妻に看病させるが、病身の手塚は死んでしまう。それで、死後、遺作展をする。

 

 中込は手塚に公募展出展を禁止するが、それなりに彼を認める画家が励まし応援した。

 

☆中込の母は法華経で、自分の着物を残さないほど、日々貧しい人たちに、それぞれに必要なものを配っていたという。

 

 中込は手塚が亡くなってから、ある日、少年感化院の子供を引き取り実の子と分け隔てなく育ててほしいと頼まれる。彼は引き受けたかったが、どうしても妻が自分の子と同じように育てる自信がないと言うので断った。

 

 中込がこの本を書いたときは、中央大学の教授だった。

 

 中込の家は与謝野晶子夫妻が訪れ、歌を2首残すような名家だった。

 

☆長谷川利行や手塚一夫の貧乏ぶりが書いてあるが、その人たちを自分の教員の給料で養っていた人、一緒に食事をして寝ていた人の学問のあり方は、今日の日本ではなかなかあり得ないことだと思う。

 

 いい本にであった。

 

 手塚一夫と言う画家も幸せである。

 

 絵もすごいと思う。

手塚一夫は28歳でなくなり、中込と同居した年月は2年である。絵を見てくれた画家は里見勝蔵。 ☆手塚一夫の絵は中込氏が大事に防空壕にしまっていたのにも関わらず、半分は戦災で焼け、残りは戦後、勝手に持ち出した人が自分の喫茶店に飾っている時に火事になって燃えて消えてしまったと言う。 戦時中に妻は子を4人も連れて疎開するのに必死で絵を東京に置いてきたことを中込にしかられた。 中込にとっては、山梨の農夫を東京に連れ出して絵を描かせて誰よりも彼を大切にしていたのにも関わらず、病気に死なせてしまった。せめて絵を守ってやろうと死後に、個展を企画し大手新聞に批評が記載された。  手塚の弟はその個展の案内状をもって戦地に出征したと言う。  手塚の父も紋付き袴で個展会場に現れたと言う。  里見勝蔵の命で作品発表は生きている間はしなかったが、郷里では応募して知事賞を得た。  作品が残らなくても、その高みまで自分の絵を描けた手塚は幸せである。  独学で貧しい画家だったが、中込が材料も食事も住むところも支えてくれたのだった。 ☆この本は「絵がなくなっても、手塚一夫のことを君が書くべきだ。」と勧められて書いたそうです。