April 17th, 2013

徹夜で読み終えた。


☆水上(みずうえ)勉の息子、窪島誠一郎が著者。

 

「なぜ 自分を捨てた父を許せたのか」

 

☆1919年3月8日、水上勉は若狭に生まれた。宮大工の子であったが、とても貧しく水も引いてなく、電気もない山の奥で猪や熊の出るところだった。

 

☆1929年、10歳のときに臨済宗-相国寺瑞春院の徒弟となるため、京都にでる。

 

 盲目の祖母の実家から道路工夫に出ていた当主が和尚が小僧を求めているときいた。

 

「雁の寺」の舞台となった寺。
 京都の尋常小学校に5年3学期から通学。
 1931年に得度。
 奉公は過酷で和尚との差別があった。

 

 中学に行き、よその小僧の奉公に比べ過酷なのを知り、
 1932年脱走。衣と袈裟を新調してもらったあと。

 

 警察に家出人捜索が出ていて、直ぐに捕まり他の僧侶に預けられる。
 
 等持院に弟子入り。
 中学の校内弁論大会で優勝。
1936年、花園中学卒業後還俗。
 贅沢三昧をしている仏教者の実像に嫌悪感。6年の小僧生活で観たものの僧職への不信感。

 

 叔父の下駄屋で働いたあとで、薬局で働く。

 

 立命館大学の夜学に通う。
遊郭遊びを覚え8か月後退学。

 

 運輸会社には入り「はるぴん丸」で満州へ。

 

 中国で日本人が苦力(クーリキ)にたいして過酷な扱いをすることにショックを受ける。

 

1938年、奉天大学に近い病院に肺結核で入院。

 

1939年、若狭に帰る。丙種合格。レントゲンに肺の影がうつっていたため。

 

 満州から送金があり、結核療養をしながら文学書を読む。

 

☆21歳で東京へ出て、新聞社の校正をする。

 

 左翼けいの「東亜研究所」で事務をしている女性、加藤益子と知り合い、筆者を妊娠。

 

 千葉にすむ益子の父親に結婚の許可を得られず駈け落ち。

 

1941年、筆者誕生。貧しくて生活できず筆者を他家に手放す。靴修理職人の子として父親水上勉を知らずに育つ。

 

☆水上勉はその後、別の女性と結婚し、長女を生み、別れる。

 

 長女を育て、別の女性と結婚し、次女を生み、障害者だったのでその生活費を稼ぐために妻に養育を任せ育てる。

 

 長女は結婚して5年後に夫を事故で焼死で失う。

 

☆筆者は長い間、実の両親を探し求め追跡し、手軽を出し父、水上勉にあう。

 

 それは、世間の話題となり世に知れる。

 

☆筆者は実の母とも会う。
実の母は結婚し、男女の子を育て幸せな暮らしをしていたが、筆者にあったとき罪悪感で自分を責めていた。

 

 82歳で自死。

 

☆☆☆
 とにかく、あまり読みやすい本ではなくて、大変な人生を皆生きてきた。

 

 弱者であった水上勉が見てきて書いてきた小説は普通に暮らす人には驚くことばかりだが、とにかく、ハンサムでとてももてたそうだ。

 

 晩年には成功したお陰で沢山の家屋を持ち京都や長野にも家を持ち、紙漉きや陶芸などもしていい暮らしだったようだ。

 

 息子は批判的な切り口で父を書いているが、やはり好きなので、幸せな父とのいい関係を持つ。

 

☆窪島誠一郎は長野の上田にある戦争で亡くなった若い画家たちの「無言館」や若死にした画家たちの「デッサン館」等を経営し、父とで会ったときは画廊経営者だった。

 

 双方にとって幸せだった。

 

☆時々、軽く「バチがあたった」という書き方を筆者はしているが、因果応報と言おうか、それぞれのバランスがみえる時期に書かれた良さがあると思う。

夕飯かな?


 黒姫はトウモロコシが名産品。
スープにして食べたら、美味しかったです。

 昨晩、読書であまり寝てないので早めに寝ましょう。
 
 5時57分に地震。

 その前に、5年持つ備蓄用のカレーライスの紹介や企業に2日間のストックが用意されている紹介があった。

 

 明日は木曜日で第一スーパーの日なのだが、ビスコ等もう少し買っておこうと思う。