芸術の至高さを知らない画家は不幸である。
☆演歌歌手の絵を描いたのが美術学校の受験生であったという記事が週刊誌に出て、話 題になっている。 ☆誰が何を描こうといくらで売ろうと原則には自由である。その作品の価値が別のひと にとって取るに足らないものであろうと、喜んで買うひとがいるのも自由である。 ☆しかし、本当の最高のアートと言うものが他人から脚光を浴びるためでもなければお 金で高い価値をつけられるものでないことが、芸術の崇高さなのである。
☆どこの世界でも偽物と本物がある。見る側の教養や眼力によって見えないものは見え ないのである。 しかし、芸術がでたらめではない証拠に、見れる人の眼には偽物には偽物でしかない歴 然とした差が在る。 ☆☆☆ 残念ながら、偽物の方が多い。そして、偽物は偽物であることを知っているので 本物が憎くて仕方がないのだ。 本物はだから、いつも偽物から殺されるのではないかと言う危機感を持っ ているだろう。 ☆芸術をここまでバカにできたのは(無名の他人に描かせたものを自分のも のにして、名声や富を得ると言う)、有名ならばフランスの画壇で入選歴があればと言う 世の中を嘗めた今までの生き方の延長なのであろう。 ☆大野左紀子のプログに、具体的に書かれているが、芸術家がコン クールに出展するときに構図や色や指導者が手を加えることは、よく聞く話しなのだと言 う。
私の中高大の同級生だったH子の叔父が芸大教授の日本画三山の文化勲章の受賞者で、 日展に出品するときに彼女は叔父が描いた色つきの構図まで描いた紙を拡大して描いてい たが日展に入選したものの、37歳で彼女は自殺している。
いくら入選しても実力がなければ生きて生きれない時が来る。教育者でもある大家の叔 父はそんな彼女のためにならないことを何故したのか不思議だ。姪を愛していなかったの としか思えない。 ☆本物のアーティストの歩む道には神が背景にあって、そのたどる道は悉く神の栄光のた めに照らされている。
偽物には悪魔の弱さ、自然に逆らうしか方法のないものの限界があるのだ。
それは、私たち人間の卑劣な思いの反映である。
私の中高大の同級生だったH子の叔父が芸大教授の日本画三山の文化勲章の受賞者で、
いくら入選しても実力がなければ生きて生きれない時が来る。教育者でもある大家の叔
偽物には悪魔の弱さ、自然に逆らうしか方法のないものの限界があるのだ。
それは、私たち人間の卑劣な思いの反映である。