September 12th, 2013

(no subject)


 昨日はオープニングだったせいかご本人がちらといらしてました。
「For you」という釣り鐘草のかたちの鉢と、面相筆を2本、75万部売れた本とバッグの取っ手となる赤い皮のハンドルを買いました。全部、送ってもらうことにしました。

 

 

庭の雑草も美しい!

 明日は生協の来る日で1週間前の球根たちも玄関前に山積みしていると思うので、木曜日の今日に帰ることにしました。

 

 娘はとても良い子で介護の勉強にもいってみたいとのことですが、明日は姑と主人、娘でケアつき老人ホームに病院から許可を得て見学に出掛けます。

 

 1日、臨時で入った老人ホームの費用請求電話が!一日で3万!姑の二人部屋の相棒の婦人はその前に3日入っていた病院が一日で10万円だったそうです。

 

 病院に入らなくても良いように生きたいものです。

 

☆これから新幹線に乗ります!

今日の読書!



☆平沢貞通氏の絵は凄い。
私は数枚の絵のカラー写真を見て、色と良いテーマといいとても非凡さを感じた。

 子供の頃、母にせがんでしてもらった話は「人柱」の話で、橋を作っても流されるので、案として「人柱」を出したひとを誰も犠牲者にならなかったので、人柱にして柱を建てたという話を聞いて、「僕だったら、皆のためになるのなら人柱になるよ。」といったと言う。

 

 国家がどうしても犠牲者を探したときに、時の法務大臣が「このような絵を描く人が人を殺せる訳がない。」と言って、死刑のために判を押さないように代々伝え、38人の人が誰も判を押さなかったので、終身刑のごとく獄中で95歳(96歳)でなくなるまで、死刑にならず生きたと言う。

 

☆ごく若い時(22歳のころ)、このような弱者への視線の絵を描いていた画家。

 

 むしろ、慈愛の人ではなかったか?

 

☆未だ、読み始めたばかりです。

平沢貞通氏の非凡な人生。

☆平沢氏の奥さんは高校を首席で出た才媛で二人の結婚は小樽新聞の記事になった。

 

☆横山大観の弟子となるが、その教えが素晴らしい!

 

雪舟の長巻の模写をさせるが、1回目はまだ見るのが足りないと言う。2度目は4,5日観たのはわかるが、未だ観るのが足りないと言う。3度目には雪舟の心が乗り移り、客観的には雪舟の模写としては似てもつかないものだったが、大観は誉めたと言う。
大観は「平沢は天才だ。」と言っていた。

 

☆関東大震災で決まっていたイタリア留学がダメになった。

 

☆1925年、大正14年の33歳の時に狂犬病のワクチンによって、コルサコフ病になる。精神と肉体の作用によって2,3年絵が描けなくなる。

 

カルルス温泉湯で治療。

 

 全盛期の写真。
 顔立ちのい方だ。
☆テンペラ画を描く。

☆指圧療法を学ぶ。(昭和7年)
 絵の仕事からの収入が減り、指圧で人を癒すことに才能があり、迷うが最終的に絵を描く道のため生活費を縮小して暮らす。

 

☆妻が病気になる。
☆フレスコ画を描く。(42歳)
☆1940年、
小樽美術館収納。48歳。

☆1941年、真珠湾攻撃。49歳。