October 24th, 2013

「夢を与える」綿矢りさを読む。


☆2007年、芥川賞受賞後の最初の作品である。

 

つい最近に実際に起きた18歳の美少女がタレントで俳優としてすでに仕事をしており、家も恵まれ学業にも問題なく前途洋々であったのにも関わらず、学歴詐称して近づいてきたフリーターのフィリピンと日本の混血の母子家庭の少年との恋愛中の映像がネットを通して流布されて破滅したところが、一部に似ていると言われている。

 

現実の方は恋愛相手に殺されている。

 

小説の方はタレント生命を失う。主人公の少女は19歳で、はじめて愛した彼氏がダンスの踊る人で、学歴もバイトをしなければ食べれない少年であっても嘘をつかなければいけないと所属事務所に言われたことに納得しないことも、そういう人を愛したことも悪いとは思っていない。それよりも彼が自分を本当には愛してないこと裏切られたことに失意がある。

 

☆小説の方は母親が逃げようとする父親を若い時に嵌めるように同居し妊娠に持っていった伏せんから、父親が他の女性に心を移し、それも結婚前からの付き合いのフランス人で、そこでの生活があり、父親に逃げられた母親の子供を芸能界に幼児タレントに必死に育てていく不自然さが危ういものとして描かれている。父親はフランス人で、そこでの生活に自然さを求めているが子供をタレントにしたい母親には日本に住む方が有利と譲らないこともあった。

 

☆小説の主人公は混血の美形だが、自分から望んだものではないタレント業に執着しているわけでなく、母親の夢に付き合わされているだけで、言わされるように「人に夢を与えたい」と言う。

 

☆これは現実に裏切られる夢物語である。

 

ダンスを踊るフリーターの彼は彼女の幸福を考えてはいない。
大手の事務所のいっているように「誰かの利益で売られた」のである。

 

主人公は大人の嘘と事務所の利益のため行動を拘束されて、唯一の救いのような恋愛だったのだ。

 

☆小説の方で、誰が悪いと言えば姑息な手段で結婚した母親が、娘の美形を夢に持っていき、自分の家庭の裏切りに子供をどんどん追い詰めていったところであろう。

 

娘の方は折角、大学受験準備のため事務所が与えてくれた緩いスケジュールを恋人との逢い引きの時間にしたが、稼いでいる子供はお金を持っているし、娘のタレント稼業のステージママとして多忙であった母親は、それだけ父親をなおざりにして、別の家庭を父親が創る理由にもなった。

 

☆☆☆

 

それに比べ、現実の「ユージ」の本はハッピーエンドになっており、混血の離婚家庭の少年がいじめにあい、逆にヤンキーとして不良となっても、父親と母親の連携が立派にたち直されて読後感は、「本当に良かったな」と言うものである。
  お父さんもお母さんも親戚もご先祖も素晴らしい物語である。

☆今、65歳で10月27日に66歳になる年齢で振り返ると、人間の世界には罠がたくさんあって、それは試練のようなもので本気で対処すると回避できることもたくさんあることだ。

 

中村うさぎさんが50代だと思われるが奇病で、心臓停止を2度して入院中だ。ご両親が病院に現れて、「親より先に死んではいけない」と思われたそうだ。

 

☆人間は自由ではないのだと思う。
人間は実はひとつの揺るぎないルールがあって、そこからはみ出ると軌道修正させられるために病気になったり事故が起きたりするのだ。

 

これ無事名馬とは良く言ったものだ。

 

☆この間のNHKの番組で「鬱の起源」と言うのをやっていて、大昔の人々は狩猟して得た食べ物を公平に分かち合い、そのように今も暮らしているアフリカやアジアの民族でも鬱病にはならないと言うことがわかってきたと言う。

 

現代の雇用主が一方的に利益を得る企業の下で、不当に働かされると鬱病を発症しやすいという。

 

姑に虐められたお嫁さんやセクハラ、パワハラ、アカハラに虐げられた人が鬱病になるのは弱いのではなくて自然なことなのだ。

 

人間の本質は平等であること公平であることを体で知っているのだ。

 

☆全然、関係ないことであるが4万年前の洞窟の壁画は女性が描いていて、手のひら跡等でわかってきたと言う。男性は狩猟に行っているのだと言う。

 

☆私が思うに、危うい人生で決定的に危うくならない為に、日々の正しい生き方、正しい行動が必要なのだと思う。

 

生死の分かれ目に隠れた行為のようなものが生きてくるのだと思う。

 

☆今日もテレビで台風の被害とこれから来る台風避難する人の思いをいくつも観た。自由に動けない年齢になると家と一緒に危険でも島に残りたい人の気持ちもわかる。

 

☆今日のテーマ「夢」。
夢ねえ。

 

この世に夢のようなことはないのかもしれない。

 

普通でいいといつも思う。

 

有名というのもろくでもない気がする。

 

人類の軌道修正が始まっている。

 

人類は平等と公平に向かっている。

 

スーパースター等要らないのだ。

 

それよりも誰でもが幸せになることの方が大事だ。

 

自然はそう教えているのだ。

今日は雷雨だがまだ雨は弱いとのことで。


お出かけすることに。

山が色づいてきました。

歩いて歩いて黒姫駅に到着の時は電車が入ってました。車掌さんも切符買わないで乗れと指示。

 

その前に本屋さんで雑誌2冊。

もう、帰るつもりだったので食べるののが無くなったので買い出しです。
金曜日の生協も帰るつもりで頼んでなかったし。

(no subject)


「ろうあ学校前」バス停の名出迎えにログハウス屋さんが。

 


2時50分から長野ロキシーで「夏の終わり」がある。瀬戸内寂聴の50年前の作品らしい。観れたら観たい!

 

レースラベンダーとチューリップの球根25個。
100円ショップでガラス瓶など購入。まだ青トマトがたくさんあってつけたい。

 

権藤で降りて、ラッキーなことにカラーピーマンを3個100円で買う。

 

☆パンやさんとゆにゅうざっかのおみせに寄る。

「夏の終わり」を観る。

瀬戸内寂聴の出版50周年の映画化。
昭和30年代の暮らし。衣服も家並みも落ち着いている。

 

自伝的要素の入っている小説だが主人公の女性は「芸術のために夫と子供を捨てた。」と言う。

 

瀬戸内さんは文学のためだが、小説では女子美術を出た染色家。

 

経済的に自立ができるほど染色家として成功している制定で、主人公知子は一戸建てに住んでいる。

 

四国の実家から教授である夫と女の子を捨てたのは、夫の教え子と駆け落ちしたからである。

 

しかし、そのうち別れ妻子ある中年の純文学の作家と半同棲をする。

 

作家の慎吾はきっちり家庭と知子の家を半分づつ行き交う。

 

何年も続いているが、正月は慎吾は自分の家族と暮らし、知子は寂しいので旅に出る。

 

知子は「女一人で生きる辛さがわかるか?
」と再び現れた年下の恋人に言うが、自分でも我が儘で身勝手であると思う。

瀬戸内寂聴は晩年は僧侶として、小説を書き、人の苦しみに救いを与えるお役目をしている。

 

主人公のような生き方ができるのは、タフで有能であるからだが、関わった男達は皆、破滅しているそうだ。

 

生き血を吸って成功してきた女なのかもしれない。

 

☆演じた女優は、満島ひかりで華奢で美しくて、タフな要素が見えにくかった。

 

しかし、着物姿も洋装もさっぱりと清潔でどろどろしているはずの現実が、物を創る人の業の過酷さに妙に好意的に理解してしまうことになった。

 

☆この小説を書いたのは瀬戸内さんの40代とのことだが、このように創作の孤独を埋めている作家が今日もいるのだろう。

 

☆私の絵を買ってくれた逗子の女性も20年も同じ人と不倫をしていて正月が寂しいといっていた。

 

そのくらい大事な出会いが結婚と言う形をとらずあるわけだ。

 

☆不倫恋愛と言うのは、罵ったり、泣いたり、暴力にあったりするもので晩年に僧侶になって人のために生きる道を選んだのもどこかバランスの悪いものなのだろう。