今日、セブンイレブンで「朝日新聞」を買ったら、日展の審査に不透明が多いとあった。

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☆そんなことは、私は40年以上前からわかっていたことであった。それは私の友人のH子が日展の作家で、ある日遊びにいったら、審査員の日本画三山の一人である芸大教授がA4くらいの紙に色塗りで構図が描いてあり、H子はそれを80号から100号の大きさの大きな紙を貼った板に拡大して写していたのであった。
H子は女子美術の日本画科の生徒であったが、受験がもう少し前に決意していたら芸大だ
っていれてやったのにと、叔父が言っているとよく言っていた。そうだ。H子はその三山
の文化勲章を持っている著名画家の姪だったのだ。
しかし、H子は37歳のときに自殺している。
私が初めての個展で英字新聞に記事が記載されたときにH子は両手の10本の爪で私の顔
の頬に上から下まで引っ掻いたのだった。
私より遥かに条件のいいバックグランドを持つH子に「なぜ?」と思ったものである。2
3,4歳の頃の話である。
☆多くの公募には似た体質があると思う。自分の弟子やカルチャー教室の生徒にはよく計
りたいのが人間の情なのかもしれない。
☆人間の幸福というのは、なかなか含蓄がある。
私の両親は大学時代に授業料と月5000円の小遣い以外は何もくれなかったので、いつ
もアルバイトをしていたのだが、クラスメートの殆どはふんだんに与えられる材料費や小
遣いでアルバイトなどしてなかったように見えた。
しかし、私はそれを惨めだとか不公平とか思ったこともなかった。
世間を見るのは楽しかったし、自分の能力を発見したのも楽しかった。
そして、そこから学んだ事が大きいのであった。
☆お金のかかるという美術学校へ行けただけでも、やはり画家としてはいい方の世界であ
る。しかし、美術学生になると、知らなかったことがわかってきた。2ヶ月の受験勉強で
美術学校へ入れたことは幸福であった。
しかし、私は芸大のあることも多摩美や武蔵野美術のあることも知らなかったので、後に
芸大が格上にあることを知って、逆にハンディがあって良かったと思ったものだ。
この美術の世界は学歴の無くて名を為した人の多い世界である。
そして、一番の敵は驕りや無知だと思うので、いつも低い立場に身を置いて、できるだけ
多くの学習をしていた方が、最終的には実りの果実が多いと思うのだ。
☆本物のアーティストの血の滲むような日々の努力。
ゴッホ然り、ダ-ヴィンチ然り。
そんなちゃちな情実で、日展を代表とする日本の公募展にしたとしても世界の美術史には
残らない。
同じレベルの仲間を誤魔化せても、ものを見る目のある人には無視されるだけだ。
本物を知らないというのは可哀想だ。
☆フランシスコ-ベーコンですら美術教育を受けてないという。
美術教育の危険なことはオリジナリティが生まれにくいことだ。
先生の好みや見解で評価されてしまう。先生が本物であればいいが、そうでない場合は悲
惨だ。
生活や安定のため先生になっている人たちは生徒の才能を見いだそうとか伸ばそうとか未
来を輝かせる指導などできないし、しない。
☆日本人で海外でも評価される洋画家はフジタくらいで、彼をパリに追いやってしまうほ
ど狭量で嫉妬深い日本画壇は逆に才能ある若者を早めにどのくらい潰しただろうか?
☆孤独で自分の道を切り開く画家の厳しさ。
群れてパーティで顔を広め年功序列の世界はぬくぬくと安穏で居心地がいいものだ。
しかし、そんな風にして人の心を打つような本物のアートができるかどうかは別である。
☆日本人の画家は原点に帰った方がいい。
今、「天心」にひかれている。
「このままでは日本画がダメになる。」という気概。
経歴も要らない。
絵だけで勝負できるような民の成熟があったら、そんな世界は意味を持たなくなるが、誰
でも年取って疲れてくる日まで 真剣勝負はできなくなるのかもしれない。
☆こうして、誰でも知っていたような公募団体の姿が漸くおかしいと発言できるようにな
っただけでも
進化であると言えるだろう。