December 3rd, 2013

爽やかな朝!

東京に帰って来ると、大掃除から始まります!

 

☆これから京都で買った着物用の収納箱が届きます!

 

  南禅寺、永観堂の帰り裏道を歩いていたらフランス雑貨のお店や小物のお店があって覗きながら楽しんでいたのだ。

 

着物の収納に関してはもう、桐だんすを買う気はなく、インターネットで収納箱を探していたら、専門店を発見したのだった。

 

着物のサイズはこれと教えてくれて、5段の桐の収納箱だったら私の部屋に入れるので先に1セット送ってもらうことにしたのだった。

 

幸い、昨日、父の家から末の弟に運んで貰った私の着物にはちょうどぐらいの量だ。

 

☆今、東横インのカードを渡し忘れたと送ってきた。

 

東北震災の後で、娘と金色堂に行ったときに一ノ関の東横インにはボランティアは、たくさん宿泊していて朝食のオニギリには感動したものだった!

 

交通の便がいい!
これからもお世話になるかもと、カードを作ったのだった。

 

しかし、渡すのを忘れたと新幹線の中で電話を受け取る!

 

☆師走は忙しい!
今日か明日は姑のケアハウスにも行きたい!

 

このシャッターのしまっているところは姑のゲストルームである。

 

やはり、しまっていると淋しい!

何処も同じ秋の夕暮れ。美術界の不正。


☆今日は新月だという。祈りが聞き入られられるという月の日だ。

 

神社や寺で祈ることの筆頭は家族の幸福だ。

 

そして、世界の幸福。

 

☆個人的に気になっているのは美術世界の不正だ。

 

下は私が1995年(神戸大震災、オームのサリンガス事件の年)にボストンに行き、夏に英語を習ったときの学習最後のパーティで知らずに撮られた写真が翌年のサマースクールの表紙やポスターに使われたものだ。

私の白のレースの傘の下で、アラブ連邦首長国のミリアム、当時はカイロ大学の学生だった、ウクライナの16歳の少女、彼女はママのアメリカ人との結婚で来た、そして、47歳のおばさんの日本人の私。

 

この左の紋章はハーバード大学のものでラテン語で「真理」と書いてあるのだ。

これは、何よりも嬉しいことであった!
何故なら私は「真理」のために絵を描いているからだ!

 

それは、20歳の4月7日の早朝に天から、「真理と愛と美は同じものです。」と言われたからである。

 

ジョンーケネディは「大学は美しい!」と言った。大学は真理を探求するところだから美しいのだ!

 

☆当時、私の英語クラスには日本航空のアテンダントが3人も居て、皆、若く美しく26,7歳の方だったから美で選んでいれば当然彼女たちが表紙になっていたのだ。

 

「何で私たちでなくて47歳のおばさんなの?」とむくれられたものだった。

 

☆しかし、神と言うものは心を見る。
英語を学ぶのには他国の人たちとコミュニケーションをはかり理解し合うことで、それは「真理」のためにであるから、このショットは私のような英語アレルギーのものを励ますために天が采配してくれたのだ。

 

☆下はIBM創始者夫人のR子さんの障害者のための音楽学校運営のオークションに招待された時のもの。

 

金の薔薇シールを貼ったのは私のドレスが胸が開きすぎているからで、デザートはグランドピアノ型のチョコレートの中にバニラアイスクリームが入っていて、それを食べているところである。

 

私は疑似表示が嫌いなので、いつもR子さんに「私は貴方ほどお金持ちでありません。」と幾度も言ったのだが、「嘘おっしゃい!」と、手をピシャリと軽く打たれてしまい、私にはもしかしたら金持ちオーラーがあるのかもしれないと思ったのでした。

 

私はボストンの美術学校の卒業生の40代の男性が同じ陶芸教室で作品を作っていたのだが、家賃が払えないので買ってくれと言う彼の作品を半額ということで600$で買ったのでした。その非常にフラジルば華奢な造りの壺を障害者のための音楽学校のオークションに寄付したのでした。

 

娘の高校の近くのR子さんの家に車を運転して運んでいったら、R子さんが1000$のパーティ券を贈って下さり、300人からの招待席の一番特等席のR子さんのとなりにお席を用意してくれたのでした。

 

R子さんはティファニーのトンボのブローチをしてられて、私はドレスを持ってなかったので10月の始めでしたが、R子さんに恥をかかせてはいけないので、ニューヨークまで行って靴、ドレス、コート、アクセサリーを買ったのでした!コートはグッチですぞ!

 

パーティーってほとんどの方が黒の衣服でした。

 

パーティーはオーケストラからカクテルパーティ、音楽学校生の演奏や合唱、テレビで有名な司会者の司会でバークレーのプロの音楽家の演奏もあり、引き出物はティファニーのペーパーウエイトのクリスタルのハートでした。

 

そのR子さんの紹介で左の写真のナンタケット島で最高峰のバスケット製作者にバスケットのレッスンを受けることになるのでした。

 

そして、この写真の撮影した9,11の1年後の撮影した写真で、ホテルに泊まっていたユダヤの女性と夕焼けを見ようと浜に出たときに撮影した写真です。

 

この写真を東京に帰って、下の東京スタジオに遊びに来たテレサが、「わあ、鳥肌がたつ。マリアさまが、イエスさまを抱いて立っておられる!」と言ったのでした。

☆ナンタケット島には幾度も通いました。ボストン空港からセスナ機で行くコース。車で行ってフェリーに車ごと乗るコース。南ステーションからケープコッドまでバスで行ってフェリーに乗るコースがあります。
どのコースでも言ったことがあります。

 

R子さんは私より少し若いお嬢さんがいるのですが、今思うと、テストをたくさんされたのでした!

 

「 車で私の別荘までいらっしゃい。」と、言われ着くとよ「偉いわ。合格よ。」とか。

 

でも初めてあったのはボストンのコンコルドのバスケット教室でR子さんが黒のヴァンクリフのペンダントアクセサリーをつけていて、「私も同じのを持っている!翡翠のだけど、色を合わせてパリとニューヨークから指輪とペンダントトップも取り寄せて貰ったの。」と言ったからでした。

 

それは、本当なんですがサウスーステーションから10$でケープコッドまで行くバスに乗って200$のセスナ機を節約しなければやっていけないほど、美術の材料費はかかるので経済的に困窮していたのも事実なのです。

 

☆R子さんとはご家族で京都旅行をご一緒したこともあります。あちらはスウィート、私は普通シングルです。お金持ちだからと言って絵を売りつけたこともないです。

 

R子さんのお嬢さんが村上隆の絵がほしいと言われたので、小山ギャラリーに問い合わせ「3000万円でもいいか?」と訊かれたことがあります。「おきに召したらお買いになれる額です。」と答えましたが、「村上からパリで個展をするので売らないでくれと言われた。」と言うことで収まりました。

 

☆美術家に必要なのは品位と言うか、卑しくならないということではないでしょうか?

 

☆今、佐川急便で桐の箱が京都から届きました。

「いつも娘さんが受け取ってくれるのですが、いい娘さんですねえ。」
「親は欠点しかみえなくて、他人様がそう言って下さると嬉しいです。
私は仕事で地方に居てなかなか家にいないもので。」
と言った。

何処も同じ秋の夕暮れ。美術界の不正。その2.

お昼の腹ごしらえ。
京都や金沢で買ったものが本当に美味しい。

 

☆美術界の不正は日展だけのものではないでしょう。

 

昨晩、見たblogに芸術院や文化勲章や人間国宝を拒絶した作家の名が列挙されてました。

 

作風がやはり清々しい。

 

☆昨日、「こすもすのたね」さんのblogや個人メールで蒲田で「宇津保物語」の演奏会と琴や書や画の展示会があって夕方からであるというので出掛けました。1時半に新幹線が品川についてタクシーで家に帰り、洗濯物など出して、末の弟と会いに父の家に出掛けたのが3時でした。着物をもって帰ってきて家において末の弟が蒲田まで送ってくれたのでした。

 

☆主催者の高欲生さんにあったのは、品川税務署で少ない税金を払って安堵して、中国の琴の貼り紙がお茶館にあって高縄プリンスのなかでお茶が飲めるので入ったからでした。

 

「 宇津保物語」絵本を描いているものですから、中国の古琴をやっている高さんとはいい出合いだったのでした。

 

「こすもすのたね」さんもハーブのお勉強をしてお茶のお店を出していたので、お二人にとっていいと思い案内して紹介したのでした。

 

「宇津保物語」は作者不詳の古典ですし、紫式部の愛読書だったほどのもので研究者は世界的に居ます。

 

ですから、誰のものでもないと思うのです。

 

私に絵を頼んだ伊東節子博士はニュージーランドから英文を送ってきて、私が絵を描き出版されたら半額づつ印税を分けあおうというものでした。

 

しかし、伊東節子博士が狙っていたインターナショナル講談社は出せないようで長い間放置されてました。

 

私は画材代金と制作費を1円も貰ってません。

 

37歳の時に1986年でしょうか?
Parisで個展をするときに、その原画を出展し英訳から仏訳にしました。勿論、英訳チェック代金も額も最もいい額屋でオーダーしたものですが、招待状、ポスター、勿論滞在費も全部自分で払いました。

 

伊東節子博士に知らせたところ、祝電がニュージーランドから届き、大変喜ばれてました。

 

芸術の真髄の物語なので、フランスの人に紹介されて嬉しいと。


下の写真が「宇津保物語」の絵の一部です。

それから更に先に、l AVEの東京支部が「宇津保物語」のなかの天女の絵のところをグリーティングーカードにしてくれたので、聖母の騎士社が新しい印刷機を購入したので仕事をくださいとあったので、自腹をきって24万円でlV A Eの他のグリーティングーカードを3種作って寄贈したときに支部長の佐々木さんが「宇津保物語」の絵本を作ったらいいじゃないかと言うので、草間彌生さんの本を買ったときに丁重なお手紙をいただいたので、そこに持ち込んだのでした。

 

その時に、私が日本語の訳を書き足しました。

 

本には伊東節子博士をおたてして、成り行きを書き、御本人にも贈与してます。

 

特別なものなのと、じりつ書房も借金がたくさんあると言うことで、実費も全部私が持ちました。

☆インターネットのお陰でplogや書評が見れるにですが、英文があることが良く、その後に和訳があることが良く、家守風という琴の名がhousekeeperと訳してあると面白くて笑ったとありますが、私の英訳ではないのです。

 

☆この物語の素晴らしいところは芸術が金でも名誉でもなく、貧乏して山の熊の住居に住んでも琴を演奏y続けると言う心。そして、本物のアートには天の呼応があると言うところなのです

 

☆ですから、この作者不詳の謙虚な気持ちを踏襲して、お金や名誉になることは避けなければならないと私は思ったのでした。

 

☆高欲生さんの演奏はよかったと思います。
休憩のときに、「日曜日のパーティーの方に来て欲しかったはね。」とプイと顔を向けられました。

 

「日曜日は大阪の作家の個展に行っていたもの。前から決まっていたのよ。」
日曜日と大人の休日パスが使える期間で編み出した唯一の日なのでした。

 

☆夏前にきいたときは、50歳の高さんの誕生日記念で、お金を琴の製作者と
書の製作者と私とで出しあって画集を作ると言うものでした。琴と絵と書をセットで100万円で売ると言うものでした。

 

私はそんなゆとりがないし、「宇津保物語」の名誉もお金も拒絶して琴のわざにあけくれた本物の芸術からえらく離れてしまいそうで嫌だったのでした。

 

その時は東京タワーの芝プリンスが書くが高いので、そこで大々的にやるので私の経歴をホテルに出すので作ってくださいといわれ、作り始めたものの一晩考えてお断りをしたのでした。

 

☆私はそれで正解だと思いました。
立派な後援団体が羅列されていて、芸術家のそんなものから無縁な姿勢から離れていたからです。

 

ご主人から、絵を見ていたら「写真は禁止です。」と声がかかりました。携帯は家に置いていたので撮影しようもなかったのですけどね。

 

私は黙って座れば2000円もするお茶にも30万円もした琴にも黙ってお金を支払ってきました。

 

中国人男性が考えた黄山の旅も随分高いものでしたが参加しました。

 

今度の催し物にお金を出して参加しなかったことが、悪いことだとは少しも思いません。

 

また、私が紹介してチャンスをたくさん得て、歓んで朗読している「こすもすのたね」さんには、「良かったね」と言う気持ちです。

 

「こすもすのたね」さんからはメールが幾度か来ていかねば失礼と思ったのですが、まるで渦のようにお巡りさん、タクシーの間違いで3分で着くはずのところが30分もかかったのも何か面白いものを感じました。

 

☆天心が多くの苦しみを経て、「それでも芸術は美しい。」と映画で言います。

 

大阪の若いアーティストたちと美しい話をたくさんしました。美しいタカ子さんとも庭作りに励もうと合言葉。神山にふさわしく!

 

日展の腐敗は遠いところではなく、日々、私たちも狭き門を厳しく天からチェックされてます。

 

だから、芸術は尊いのではないでしょうか?

届きました!衣装ケース!

結構、大きいが軽い!

さて、どこに置くか?
私の部屋がやはり一番いいでしょう!

 

2階の私の部屋を片付けていたら、こんなものが出てきました。

20代の個展の案内状です。
印刷した方で出てきて助かりました!

 

主人がくれたの三越のバッグ。
役に立ちそう。

欲しかった
☆懐かしい結婚のときの「聖母の騎士」の5月号が出てきました。

私たちの結婚の出合いを主人が頼まれて書きました。

前のページにルルドの水を物理学社が調べている記事が。

 

☆車を付けて。

易カルタも出てきたので今夜は久しぶりに占ってみよう。

宇津保物語の絵本を作るときの版下指示が出てきました!

銀座教会での個展。

初期の作品の写真。

百人一首のプレゼンテーション用テキスト。

「千鳥姫」豆本が出てきました!


アリスカードも出てきました!

この着物も大好き。

ドアも閉まるし!完了。