March 29th, 2014

 人間の怖さ。「冤罪と苛め自殺事件」は似ている。

袴田事件の冤罪について、人間の怖さを思う。

 

人間には毒の芽があって、それは本能のようにある種の人間にはある。

 

人間が人間に対する陥れ。

 

それに関していろいろ思う。

 

娘が幼稚園の頃に、ある男子生徒の祖母が昔、小学校の教師をしていて自分の孫と一緒に私の娘にも有料で教えたいという。もう一人いるといいということで、ある女児を誘って3人の子供を目黒の幼稚園のあとにその祖母と私かその女児の母親かが交互に祖母の住む白金のマンションまでバスにのせて送り迎えをした。

 

それは小学校受験準備のような内容であったが、その元教員の祖母はまっすぐで潔癖な人で正しく公平に指導していた。

 

ある日、女児が私の娘がカンニングをしたとその先生に言ったと言う。しかし、先生は私の娘の方が「早くできて提出したのであるから、そんなことはないだろう。」と注意すると、女児は後ろから娘の首をしめたというのだ。

 

その話を聞いて、5才そこらの子供が憎しみか気分が悪いかでこのようなことをすることへの驚きで私は絶句した。

 

☆その女児が特別なのではなくて、人間にはそのような芽があるのである。

 

自分が勝ちたいときに、誰かを貶める。嘘をついてでも首を絞めてでも自分が勝ちたい心が人間には、勝ち気な人間にはある。

 

☆袴田事件も静岡県の某なにがなんでも勝ちたい警察が、嘘を吐かせても、証拠を捏造してでも、相手を殺人犯にしてでもやってしてしまったとても恐ろしい事件だ。

 

一人の殺人犯が出れば、一族全員が後ろ指を指され生きていかざるを得ない。当の冤罪によって殺人犯人にされた人間も正気で保つのに何を信じれば生きていかれるのだろうか?

 

☆同じ人間だろうか?

 

幾人もの罪のない人が、一人の罪を罪とも感じない警察官によって一生、人間の尊厳をないがしろにされ廃人にされたのだが、罪悪感もなく恥も感ぜず勝ち組として生きていたのだ。

 

良心の呵責もなく。

 

☆怖いではないか?

 

☆神の正義が働いたのか?

 

科学の力の発展のお陰でDNA鑑定の精密度が高まったのだ。

 

☆私たち普通の人は、日常生活で厳密に他者を罰していきてはいない。

 

周囲に刺々しい空気を放たないように、あるときは目を瞑り、有るときは寛容に許し、有るときは人の弱さを同情を持って理解するように育つのだ。

 

☆しかし、ある地位に置かれてしまうと、勘違いをして神のように裁いてしまうのだ。

 

神ではないのに、気に入らなければ犯罪者にされてしまう嘘つきにされてしまう弱者に向かって、間違えを恥もせず裁く。

 

☆それは、多数の苛めっ子に「死ね」と脅迫され自殺した多くの子供たちの姿に重なる。

 

人間はここまで、地に落ちている。

 

しかし、ギネスブックに袴田事件の袴田さんはもっとも長期にわたって刑務所にいる人と認定された。

 

日本の死刑囚が世界一長く刑務所にいると言うのだ。それも冤罪で!

 

恥ずかしい国である。

 

☆聖書に「人を裁くな」とある。「人に裁かれないために。」

 

日本の子供たちは、膚で権力のある人間が罪のない人間を罪人にするために、暴力も恐喝も許されていることを知っている。

 

だから、自分達もグループになって正直なものや真っ直ぐなものを、いたぶり自殺に至るまで追い詰めるのだ。

 

☆この間観た、「ワンチャンス」の映画は実話だ。

 

  イギリスのスーザン・ボルデが優勝して世界に知られるようになったイギリスのテレビのタレントコンクール「ブリテンズ・ゴッド・タレント」でスーザンより2年も前に優勝したセールスマンの男性の物語だ。

 

☆この貧しい労働者階級出身の主人公は実に悪質な同級生から日常的に苛めに会う。男のチンピラだから体に残る傷を命ギリギリまで執拗に受けるのだ。

 

どんくさいからとか、冴えない太っちょだからと言うよりも、私は思うにチンピラたちには敵わない美しく気高いものを本能的に感じて暴力を振るわずにはいられないのだと思う。

 

☆しかし、彼を応援する者も多い。
貧しい労働者に正当にお金を与えるチャンスやベネチアのオペラの音楽学校にはいれるチャンスや有名なオペラ歌手の前で歌えるチャンスをも、彼の努力や仲間の友情がもたらしてくれるのだ!

 

そして、何よりも彼を信じる彼女や健全な家族の愛情。

 

☆誰でもが心動かされる天使の声も、認められる舞台に上がれるまでは、無視されたり、評価され無かったり、事故に遭って声を失ってしまうことまであったのだ。

 

☆冴えないけれど、誠実で真っ直ぐな正直な不器用な男。

 

実際の人生では損ばかりしているタイプ。

 

☆しかし、彼の声がなぜ天使の声なのか?

 

神はかれの愚直さを愛でているのである。

 

遠慮深く図々しくない、美しい魂を神は引き上げたのだと思う。

 

☆今の日本に欠けているところだ。

 

「人は、厳密に見かけが9割」と称える日本の表面至上主義。

 

私の子供の頃は親から人の美醜を言ってはならないと教わり、外見を誇るのは下の下と言ったものだが、今の日本は見映えのしない人を貶めるのが文化になってしまった。

 

森は生きている!


充電中なので洗濯機の上で。
この間、京急デパートの買い物券で手に入れた携帯お箸。

 

500円の買い物券でafternoon teaの10%割引と消費税で475円で釣は受け取らず手にいれました!

お正月の福袋でてに入れたロクシタンのボディミルク。こちらで使うことに!

今、届いた本!
古本です。
年収300万円で豊かに暮らそうというもの。300万円ならできると思う。

本来の道がようやく見えて!

 

テーブルは壊れていたけど直せるレベル。

転がっていた植木鉢から雪割草が咲いていた!

氷を取ってみると!

綺麗な雪割草がが!
snow dropと言います!


「森は生きている」の継娘が、吹雪いている冬のただ中に雪割草を摘んでこいと言われるのです。

 

我儘な女王様が欲しがっているので、ままおっかさんとまま姉さんは、報償金欲しさに、自分達はペチカの前でぬくぬくしながら、継子に雪割草を摘みにやらすのです。

ここにキャンバスをたてて描きます!

教育格差! 

東京から持ってきたスープのもとはクラムチャウダー!


明日は雨。

テレビも教育テレビしか観えないので食後は読書かドイツ語でも。

テレビを観ていたら、何しろ教育テレビしかつかないのとそれも画面が崩れているのだが、教育格差のことをやっていた。 貧しい子供が貧しいだけで教育に差があってはいけないというわけで、無料の家庭教師がいるという。 70%の子供が塾通いをしているので、毎月に1万円から3万くらい出せない家族の子供は成績に差がついて、劣等感や希望を失うことにつながるという。 ☆袴田冤罪事件で、恋愛の反対にあい高校を中退し、親から勘当された長女が祖母と暮らしていたので一家皆殺しで殺された家族から助かった唯一の家族となった。 高校中退した長女にとってむごいと思ったのは、その日、母屋の兄弟二人に家庭教師が二人来ていたことだ。 親から、勘当された娘には軽度の障害があって明るい部屋のほうがいいからと祖母と同居していたというが、ほかの兄弟は家庭教師までつけられて学んでいたのである。 長女が犯人かどうかは、私にはわからない。しかし、長女が犯人かという意見はたくさんある。 しかし、味噌屋は少し人の心というものをわからなかったのではないかと思った。 例え、学力に差があっても、豊かな家庭なのであるから、同じように長女にも教育の機会を与えてあげてほしかった。 ☆近所の人の話では、家族から一人残った長女は生きていて私と同じ年頃の66,7歳だという。ぶつぶつと独り言を言って不気味とのことだ。 ☆私は教育と医療は無料がいいと思う。  そして、望めばいつでも、定年退職後であろうと、社会に出てからであろうと入学できるシステムがあればいいと思う。 ☆人間社会は平等ではないといわれる。  しかし、ハンディから思いやりが生まれ、少しの見込みの悪いタイプの人が忍耐強くコツコツと学ぶ姿勢が生まれることもあって、長い目で見たらとても人生は公平だと思うのだ。 ☆私たちは生きている間にどうしようのない格差を感じる。 生まれながらに美しい人やスタイルのいい人には、整形でお金をかけても適わないと思えるし、代々の名門の血を引く人の品性もかなわないなあと思ったりする。 しかし、普通の人間は、生きている間にどう生きていけば幸福になるか、知恵がつくのだ。 私はあまり頭はよくないほうなので、性格だけは心がけていいようにしようとか。 不細工だから勉強は頑張ろうとか。 若い時に親が貧しくて学べなかったので、年を取ってから学校に行こうとか。 ハンディのある生まれの人も、美しい世界の詩人だったりして、社会というものは皆が勉強にになり、謙虚さや賢さを知り、敬愛しながら助け合うようにできているのだと思うのだ。 ☆私達も生きている間に必ずしも自分の可能性を引き上げてくれる立派な教師に恵まれるわけではない。 無知な親の下に生まれ、学業より働けと言われるかもしれない。 しかし、それでも、図書館に通っても学ぶことはできるのだ。 生まれながらの頭脳のできの差や環境の差も、全部がそのハンディに負けるわけではなく、むしろとてもたくましい立派な人間が育ったりする。 顔やスタイルや生まれながらの頭脳の差や性格すらも、どんなにしても決して同じようにはならないだろう。 ☆晩年、暇ならば、学業を助けるボランティアにふさわしい優秀な人たちは多いと思う。 また、奨学金を与えられる財力のある人もいるだろう。 ☆☆☆  今日のショックは、絵描きの青年が絵が売れなくて家賃や材料費を溜め込み、その支払いのために福島の原発で働き始めたというプログであった。  絵というものは、同情で買っては失礼だと思うので、その青年が健康で体調を悪くすることなく、元のように絵を描いてほしいと思う。  貧乏もどこまでが、自己責任なのか?  社会悪なのか?  運の悪さなのか?  働きながら、絵を描いて他人に迷惑をかけない人も立派だけれど、絵しか描けない不器用な人もなんとか生きていける世であってほしいものだ。 ☆誰にでもハンディはある。  しかし、66歳になって思えるのは、そのハンディを克服したときには何とも誇らしい気分になれるものだ。  私は運動神経が鈍くて、体を動かすことには劣等感を思っていたが、不思議にドッチボールで当たったことがないのだ。  それは、本能的なサバイバル能力があるように思う時がある。  私は今も子供の頃もおっちょこちょいの読み間違いや記入漏れはしょっちゅうするタイプであったが、それは劣等感にはならなかった。  暗記物はからしきだめで、生意気にも、そんなものは辞書や参考書を開けばいいと思っていたので、これも何とも思わなかった。  一番、大切な能力は考える力ではないかと思う。  そして、考える力には答えが自分で出すことができて、社会の価値観や世間体などに批判されても妙な充足感でマイペースで生きていくことができるのだ。 ☆今日、見た「発言小町」にお姑さんがあずかってあげるというので田舎で銀行や郵便局が近くにないのでアルバイトや内職で貯めたお金を預けてた若いお嫁さんの相談があった。  旅行に行こうと、お姑さんに「返してほしい。」と言ったら、お姑さんは「いきなり言われても、使っちゃったわよ。」と言うのがあって、若いお嫁さんはお姑さんに預けた信じた自分が馬鹿なのかという相談だった。  世の多くの賢い人たちの回答は、「お金を預けてはいけない。」というものでったが、「人を信じたのは悪くない。馬鹿ではない。」というのや、「お姑さんを泥棒にしたあなたが悪い。」というのまであって、ほとんどの人がご主人に言って返してもらいなさいというものであった。  私は、やはり、お姑さんを信じたのは正しかったと思う。  そして、理想的には、お姑さんは一時的に借りただけで、すぐに埋めるつもりであったと思いたい。  そして、ご主人に「今、いるから貸して。」と言って、お姑さんには主人である息子に返しておいてねと言って、穏便に済ませるほうがいいと思う。  家族の中で犯罪者を作らないように、鈍感であることも馬鹿になりきることも、長い人生の間には自分を救うと思う。  そして、もちろん、今後は預けないことだ。 ☆私は、バカと言わればバカなんだけれど、信じる能力というのが結構必要だと思うのだ。  幸福に生きるのには、人を見たら泥棒と思えよりも、皆、仏様の似姿。キリストの似姿と思うと、信じ切るといつの間にかそうなってくるのが不思議だ。  泥棒にしてしまえば、姑は嫁より以下の人間として孫からも軽蔑されてしまうだろう。  しかし、「うっかりさんね。私もやってしまいそう。」などと明るく振舞っていれば、お姑さんだって照れながらも期待に応えるようにパートで働くかもしれない。 ☆生きる知恵というのは、塾通いでは学べない。  塾に行って奨学金で大学に高校に、専門学校に学べるかもしれないが、生きるのに本当に必要なことは学力よりも人間力だと思うのだ。  自分が中卒でも、「若いお兄ちゃん凄いなあ。大学で勉強したんだってね。」と言える年寄りは人間力が高いのだ。  逆に「親が金持ちなら東大だっていけたさ。」と言って、集団で東大生のアルバイトを苛めていたのを見たことがあったが、そんな人たちは人間力が低いのだ。  生きている間に、毎日のように会う人に、「元気が出た。」と言ってもらえる言葉を投げかける人と「嫌な人だ。腐すことばかり言って。」とい人がいる。  人を不愉快にさせていたら、不愉快な人生で終わるであろう。  人を喜ばし続けていたら、輝きの中で人生を終えるだろう。  私は、教育格差をもっと拡大して、どんな人も教育を受けてない人をも大切にされる社会が一番いいと思うのだが。