June 3rd, 2014

ガーデンが消えていた!

 5月19日に閉店したそうです。 それで、5月9日までゴールデンウイークまでバーゲンだったのですね。 バラが50%匹でしたもの。 しかし、今日、知ってよかったです。癌で手術したAさんがバラがお好きなので今度ご案内すると言ってしまったのです。 無駄に歩かせなくてよかったです。  1時間に1度のバスなので、権堂駅から歩いてガーデンに行きました。喫茶店ひとつないので休めなかったのがきつかったですが、凍っているお茶ボトルはまだ凍っていていつでも快適に飲めたのが幸いです。


バス停前にある藤色の花は何でしょう?


マリア様の周りにはかわいいお花を! 木造のマリア様の注文があったのですが、サイズなどもう少し聞いてから制作にかかりましょう。

コモンセージの藤色の花もかわいらしいですね。

鳥がとても気持ちよく囀ずってます!

八百屋さんによく似た莢が売ってました。 どう戴けばいいのかと尋ねたら、ゆでてパスタの上に載せるらしいのです。


☆アイルランド、イギリス、アメリカ。

実在の人物!

買い物袋!

あんパン!

「わが愛するものを抱きしめる日まで」

原題の『PHILOMENA』カトリックの処女信仰に対する皮肉。
非凡な人。不思議な現象。その意味をもつ主人公の名。
カトリックの信義のもっとも要の無原罪の乙女マリアへの信仰。

現実の社会には嘘が横行する。

愛、そのものにすら人間は真実を見えてないが、愛する事に多く苦しんだ普通の老女は実は奥義に到達する。

「赦します」と言った。

「あなた怒りでひどい顔をしているわよ。鏡を見たら?」

しかし、人のために怒るのも愛である。

生涯、童貞を守る聖職者はどのくらい神を知っているのか?

無知と奢りで一番大切なものから離れてしまう。

聖フランシスコの祈りを思い出す。

理解されるより理解することを。



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チェック:10代で未婚の母となり幼い息子と強制的に引き離された女性の奇跡の実話を、『クィーン』などのスティーヴン・フリアーズ監督が名女優ジュディ・デンチを主演に迎えて映画化。ジャーナリストのマーティン・シックススミスによる「The Lost Child of Philomena Lee」を基に、50年前に生き別れた息子との再会を願う母親フィロミナの姿を描く。彼女の息子捜しを手伝うマーティン役には、本作のプロデューサーと共同脚本も務める『マリー・アントワネット』などのスティーヴ・クーガンがふんする。

ストーリー:1952年アイルランド、未婚の母フィロミナは強引に修道院に入れられた上に、息子の行方を追わないことを誓約させられてしまう。その後、息子をアメリカに養子に出されてしまった。それから50年、イギリスで娘と暮らしながら常に手離した息子のことを案じ、ひそかにその消息を捜していたフィロミナ(ジュディ・デンチ)は、娘の知り合いのジャーナリスト、マーティン(スティーヴ・クーガン)と共にアメリカに旅出つが……。http://ecx.images-amazon.com/images/I/51Ds2zFwGXL._BO2,204,203,200_PIsitb-sticker-arrow-click,TopRight,35,-76_AA300_SH20_OU09_.jpg

The Lost Child of Philomena Lee: A Mother, Her Son, and a Fifty-Year Search
その日、フィロミナは、50年間かくし続けてきた秘密を娘のジェーンに打ち明けた。それは1952年、アイルランド。10代で未婚のまま妊娠したフィロミナは家を追い出され、修道院に入れられる。そこでは同じ境遇の少女たちが、保護と引き換えにタダ働きさせられていた。フィロミナは男の子を出産、アンソニーと名付けるが、面会は1日1時間しか許されない。そして修道院は、3歳になったアンソニーを金銭と引き換えに養子に出してしまう。以来わが子のことを一瞬たりとも忘れたことのない母のために、ジェーンは元ジャーナリストのマーティンに話を持ちかける。愛する息子にひと目会いたいフィロミナと、その記事に再起をかけたマーティン、全く別の世界に住む二人の旅が始まる──。
2009年に英国で出版された、実在するアイルランド人の主婦・フィロミナの物語は、数多くの人々の心を捉えた。無理やり引き裂かれた息子を捜し続けて50年、わずかな情報を頼りに生まれて初めて飛行機に乗ってアメリカへと渡り、思いもよらぬ真実を見出した彼女の旅を映画化するために、英国映画界最高のチームが結成された。
ヴェネチア国際映画祭脚本賞、トロント国際映画祭観客賞次点を受賞するなど、各国で熱い喝采を浴びた本作は、シリアスなテーマでありながら、客席から笑いが絶えないことでも話題を集めた。ロマンス小説が大好き、誰にでも遠慮なく物を言う田舎者のフィロミナと元エリート記者のマーティン──共通点ゼロの二人の不思議な友情に笑い、母の深く切ない愛に泣き、非道な養子縁組の事実に胸を突かれ、最後には彼らと共に人生の大切なものを見つける──そんな感動作が誕生した。

「我が愛する者を抱きしめる日まで」感想。


この映画は悲しみから始まります。

 

しかし、若い恋人達の愛が「ふしだら」と言われた50年前のアイルランド。

 

アイルランドはカトリックの国で、貧しく、自然の美しい島国。

 

両親は妊娠した娘を恥ずかしく、とんでもないと思ったのでしょう。

 

世間に知られたくないし、堕胎等考えもしないでしょう。

 

こう言う若い娘を引き受けたのが修道院です。女子修道院のなかには同じ境遇の若い娘が20人くらい映画では居ました。

 

萩原葉子さんの「蕁の家」に、二葉という名だったか主人公が妊娠し、祖母によって出産と子を里親に世話する仕事をする女性がいて、その手続きと言うのが花柳界の元芸者が話をつけるのが出てきます。

 

日本でも修道院の代わりをする業者がいたようです。

 

☆今日、買った飯山のトマトとお豆。山菜祭りの道の駅で買ったアスパラ。

☆それで、10代で出産のお礼でカトリックの修道院「聖心」で、主人公は4年間、労働奉仕を罪の償いのために強いられます。

 

キリストの花嫁の修道女たちは、終世、聖母のように乙女であることが要求され、結婚前に処女性を失うと言うことは大罪なので、罪人として、懺悔、祈りを指導されます。

 

それでも、子を産んだ未婚の若い娘は自分の子と会うことが一日に一度一時間でしたか許されて、抱いたり遊んだりできるのです。

 

母乳の必要もあったでしょう。

 

主人公の産んだ男の子はある女の子といつも一緒でとても仲が良いのです。

 

それで、アメリカから富豪が女の子を養子にもらいに来た時に、離れなかった男の子も一緒につれていくことになってしまったのです。

 

心の準備もなく、修道女は容赦なく追うことも最後の別れを許しません。

 

☆私は北朝鮮に拉致された母親や父親もことを思い出しました。

 

母親から子供を奪うなんて!

 

しかし、娘達の親にとっても世間にとっても、能力のない若い女性達の厳しい母子生活にとっても最良の選択とカトリックも子のない富豪も思ったでしょう。

 

それが、人身売買にもなると教会を支えていた財源でもあるという仕組みもあることも映画は見せています。

 

☆その目的のために、過去データも消されてもう、会いたいと思った息子が50歳の誕生日になると 、素人ではなんの手がかりも得れなくなります。

 

☆「マグダレンではあるまいし。」
映画の中で悪名高い修道院の実態を描いた実在した修道院の名が出てきます。

 

そして、その血も涙もない修道女の名前はヒルデガードと言うのでした。

 

ドイツ語でしたら、ヒルデガルドでしょう。

 

修道院は慎ましく、静かで、聖歌を歌う他は犠牲と償いの場所なのでした。

 

イエスさまの言葉で、罪ない人はいないでしょう。

 

そして、多く愛する者は許されると言うのもあります。

 

若い日に好きな人との性は天国に上る気持ちだったと主人公は言うのですが、修道女は「楽しんだことは罪です。」と冷たい声で言い放つのです。

 

色々、考えさせられる修道生活です。

金で買えないもの、金で買えるもの。

たまたま、コンピューターでblogをチェックしていたときにテレビで林先生がo・ヘンリーの「賢者の贈り物」や「千ドル」等の紹介をしてました。

 

☆この映画で富豪の夫婦は修道院から子供を二人買います。子ができない夫婦なのでしょうか?

 

この会の条件はカトリックであることというのも養子縁組の条件ですので、大事に育てられたでしょう。

 

もし、主人公が納得していたら、最良の選択と言うこともあり得るでしょう。

 

☆私達家族はボストンで暮らしていた時があり、アイルランドからの移民が多い地で庭に聖母像や聖フランシスコ像ガおいてあるカトリックの家が多かったです。

 

娘が通っていた中学で養子縁組の子供はとても多く、白人女性が黒人の乳児を抱いて、学校につれてきて「今度貰ったのがこの子です。」と先生にみせていました。

 

娘は白人家庭のインド人の養女が同級生だったので、「私ねえ。お金持ちで、
いい学校に行けてきれいなお洋服を着ているけれど、本当は貧しくても本当の両親のいる子沢山のインドにいる方が幸せだったと思うの。」と言っていたことがあります。

 

母親が病気かも知れないし、不慮の事故で両親がいない場合もある。

 

友人のマザーテレサのところでボランティアを10年していたテレサが言うには、両手両足のない子供がとても頭がよく、オムツの濡れた子を発見しては修道女に教えていて、ドイツ人の夫婦が養子にもらいに来たと言う。学問をさせて貰えるのが幸福ではないかと。

 

産まれながらのものでなく施しを得るために手足を切られたのである。

 

カトリックのやっていることがすべて悪いと言うのではない。イギリス映画であるのでアイルランドには辛口であるというのもある。

 

☆若い時に交際したことのあるイケメンの青年が「お金で買えないものはない。」と言った。私は「お金で買えないものはたくさんある。」と言った。

 

その青年は年収のよい仕事で、外見も頭脳も良かったが、母親が自分を捨てて家を出ていったと言うことが傷になっているようで、私がケンカをしょっちゅうしていた母親の「ママ」と言う言葉にも傷つくのだという。

 

絵を描く身には疲れそうなので終わったのだったが。

 

☆母親に愛されると言うことはとても大切で、どのような欠点を持とうとも母親の愛があれば子は安心して生きられると言う例を、盲目のピアニストや五体不満足のライターにも学んだことだ。

 

しかし、私達は親を選べない。

 

転生輪廻で子は親を選んで産まれて来るとは言うが、産まれながらの不平等に世界はとんでもないことになっている。

 

☆私達は皆何か無いのだと私は思う。

 

主人公は別れた息子がホームレスになっていないか?肥満になっていないか?
と心配する。

 

私達はなにもかも揃ったような人が自殺することも、産まれながらに苦しむだけの病の人も戦争や餓えのただ中にいる人も知っている。

 

親がない子も親が棄てた子もいる。

 

貧乏が死ぬほど嫌な人も養子に恵まれなくていつもマスクをしている人もいる。

 

自分のことを自分でできない障害者もたくさんいる。

 

そのなかで、何が不幸で何が幸福であるかは哲学の領域に広がると答えがでない。

 

そのなかで、お金で買えるものは知れている。難病も戦争もお金で解決しないが整形手術や教育はお金である程度まではうまくいくであろう。

 

☆主人公はカトリックで修道生活も体験したので教会で告解もごミサも献ろうそくもする。

 

主人公は結婚して大きな娘がいる。
普通のおばあちゃんとしてイギリスにいる。

 

それでも息子の3歳の時も写真を見る。優しい修道女が上の修道女に隠れて撮影してくれた息子の写真だ。

 

棄てたのではない。

 

修道会が息子を富豪のアメリカ人に売ったのだ。

 

これは書き方が悪いのかもしれない。

 

子を育てる子を望んでる夫妻が現れ、育てる事を申し出てくれ、教会に献金をしたとも書ける。

 

修道院はキリストの教え、愛の実践のつもりだったのかもしれない。

 

しかし、証拠の記録は隠滅された。

 

ジャーナリストにあわなければ、できなかったであろうことが、偶然できたのだ。

 

これも神の介在を感じる。

 

彼女の祈りは聞き届けられたのだ。

 

☆田舎のおばあちゃんは飛行機や豪華ホテルの体験をし 息子の子供時代の写真や8ミリを観る。

 

☆アメリカ。
時代の持つ差別。

 

彼は聡明でエリートとして生きていた。

 

自分なら与えなかったであろう高い教育。

 

養父に大事にされて育っていた息子。

 

アイルランドのことは語らなかったが。

 

☆人は皆苦しむ。

 

しかし、神に導かれている。

 

神の計らい。

 

其々の道。

 

☆実話だと言うこの物語は、罪とか、愛とか、神とか、赦しとかを考えさせられるのだ。

 

それぞれ、一生をかけて償いも愛することも赦すことも學ぶ。

☆この間、観た「ダーク・ブラッド」はこのインディアンの居住地から始まった。

21世紀はマイノリティの時代というけれど、多くの人の権利が大事にされる時代になるといいな。