August 7th, 2014

10月2日から銀座の小さな画廊で個展!


この画廊はビルが解体されることになり、「使って。」と言われたもの。

 

それで、明日の7日に準備のために東京に数日帰ります。

 

☆このところ女性の性をあからさまに作品にしている女性アーティストが逮捕されたり、釈放されたり外国人の報道者に対してインタビューに答えたりして 話題のようです。

 


☆そして、同級生を殺した少女の話題。

 

  殺したくてしかたがない少女は、アートで表現すればよかったと思う。

 

そう言う少女はアーティストなら凄い表現が可能だからだ。

 

☆42歳の女性アーティストは警察からは自称アーティストと表現された。

 

どこからがアートで表現どこからがアーティストなのでしょう。

 

作品制作で食べていけそうで無いから 、警察は自称アーティストと言ったそうだ。

 

☆そうなると、弟に食べさせてもらっていたゴッホお自称アーティストということになる。

 

☆アーティストは自己申請なので、自分はアーティストと言っておれば、アーティストなのだが。

 

☆パリ、コペンハーゲン、ミュンヘン、フランクフルトでたくさんのこじきを見た。

 

職業と言えるかどうかは分からないが、犬や猫を連れている人。
障害が明らかに見える形である人。
健康そうだが、年期が入って座っている人の他に全く普通の身綺麗な格好した白人の若者がキャッシングをしていると 背後から金をくれと言うので 、どこまでが犯罪でどこまでがこじきか分からない。

 

特にパリやコペンハーゲンのこじきは風景のように、なにかのどかだったのだが、ドイツの道には軒並みに座っていて、缶をガンガン鳴らしたリ、付いて来たり とてもアグッレッシブで怖いくらいだった。

 

コペンハーゲンの靴磨きはやる気きがなさそうだったが、一応さっと拭いたりはして労働をしていた。

 

パリのこじきはお巡りさんとも仲良くて嫌われてないようだった。

 

あのドイツのホームレス風も人たちは私が見た近郊の貧民窟から通っていてそれなりの収入もあるのかもしれない。

 

☆さて私達、貧乏の代名詞のアーティストたちはどうして稼いで作品を創ればいいのだろう?

 

それで、女性の性器をアートにしている女性アーティストは3Dで自分の性器のかたどり 賛同者の出資3000円以上の人に数字とアツファベットの並ぶデーターを送っていたのが猥雑罪に触れ逮捕されたという。

 

自分の性器を3Dコピーしたのは良心的だ。仮に男性アーティストが小学生女児をだましてということになれば真の意味で犯罪である。

 

私がボストンの美術学校にいたときに、大変美人の30代前半の女性講師の小さな作品がそこを絵に描いているもので 上手くも無かったのでスペイン人も友人と「?」と思って素通りした。

 

アメリカでは「サプライズ」と「ショッキング」が美術館のキューレーターが望むもので、韓国女性が男性性器をおもちゃにしているビデオは、教師たちが「
儒教の国の女性が!」と喜んでいたものだった。「ご主人はアートに理解がある。」とのことだった。

 

日本で逮捕された3Dコピーの性器のデーターを賛同者に送った女性はアメリカで10倍のその種のアートに選ばれたことから、日本で本をだし、週刊誌の話題にとリあげられたと経歴にあった。

 

☆うーん。
村上隆のcocoちゃんや射精中のアニメの男の子のフィギュアが登場したときに、ニューヨークから個展を回って撮影した教師はスライドショーでその映像を見たときに送った大勢いた生徒達はどよめいた。

 

その大胆さと日本アニメの可愛らしい安っぽさに。

 

しかし、エネルギーがすごかったのだ。

 

この人の時代が来ると予感できた。

 

☆私が19歳の時に「女性自身」週刊誌に、三島由紀夫の「私の手紙」という文章にほんの小さなカットで女性も横顔をかいた横尾忠則に感じたのと同じように。

 

しかし、今回の彼女の作品にはそれを感じない。

 

☆アートって何でしょう?

 

アーティストなら誰でも、なにをすべきか考え苦しんでいるでしょう。

 

☆学問 研究もほうで、その道の第一人者と言われ、若くして教授になった秀才が自殺した。他殺という説もあったが、この研究分野も野心と憎悪でなかなか生きにくい場所のようだ。

 

破格の研究費を自由にでき、注目されていた人が躓くと我々の税金でとバッシングも国をあげてになり、疲れたとの事である。

 

注目もされないと淋しいものだが注目も仇となる。

 

☆女性や若いアーティストが世に出るときには、多くの誘惑がある。面白がって話題にのせるために、他人が介入してくるのだ。

 

若いアーティストも研究者も聡明でなければいけないし、お金の不祥事でバッシングされる隙間も作ってはいけないのだ。

 

命とりになってしまう。

 

清く正しく美しくが正解なのだ。

 

駱駝が針の穴にはいるより、難しい日々の慎みのようなものがいかに人間には難しいか?

 

優れた作品の持つ普遍性がいかに尊いか!