August 14th, 2014

実を言うと、昨日、コテージの階段から落ちてしまいました!

まだ、明るかった夕方の6時半頃の事です。 コの字型の階段を2階から降りてきたところ、コの字の上の横棒のところから足を滑らして、その狭い踊場をぶつかりながら落ちて下まで降りたのです。 とても痛かったのですが、起き上がって歩けるのでセブンイレブンまで歩いて送金に行ってきました。一家が夜逃げをするかどうかという困窮のレベルのアーティスト支援のためなんですが、スイスイと問題なく歩いて行き歩いて帰ってきました。 その後、腰が痛くて強打のせいか紫のあざがずいぶん広がって痛くなってきました。 娘がいなくなったので、下の部屋にも私のシーツと夏のタオルケットを乗せ、どちらでも休めるようにしました。 だんだん、痛くなったので薬箱から痛み止めのの鎮痛剤と冷やす形の湿布を貼りました。 いろいろ、インターネットで調べると、冷やすのが最初はよくて、腫れがひいてからは暖めるのがいいようです。 それで、お風呂は断念です。 ☆戦争の体験者の話をNHKでやっていたので、始めは下のベッドにいましたがやはり、眠れないので2階のベッドのほうが落ち着くのでそこで休んでましたが、痛くて痛くて、腫れもコンクリートのようになり眠れないのです。 2階から降りてトイレに行くと、少し気持ち悪くなるので下のベッドで寝ます。そうこうしているうちに3時間ようやく寝たのですが不快感はぬぐえず朝起きて、朝ご飯を少し食べてまた寝たら、ようやくお昼まで寝れて気が付いたらずいぶん痛みが減りました。 打ち身の場合は、時間経過で良くなるそうなので無理せずに読書などしながら、回復を待ちましょう。


休日の過ごし方。

 

余りにも痛かったので、昨日はファチマの薔薇の木で作ったロザリオを握ってましたが!

☆斎藤真さんのごぜさんの本を読むと、ごぜさんはとても綺麗だったそうです。

 

新潟の長岡、高田にふたつの大きなごぜさんの元締め?があって、新潟 長野、時には秋田まで雪道を歩き、歌と三味線で心付けをいただきながら生活をしていたそうです。

 

私のいる野尻湖は弁天島に弁天が祭ってあるので必ずごぜさん達は弁天島の方向に湖まで来て、手を合わせて芸と旅の安心を祈願したどうです。

 

生まれながらというのもありますが、医療の発達してなかった江戸時代ははしかなどからも失明して親御さんがそう言う目の不自由な娘を芸で仕込み生きていけるように共同生活しているところに連れてったそうです。

 

修道院のようにしつけや規律が厳しく、男女関係などあると追い出されたそうです。

 

美しく若いごぜさんはそれで自殺もしたそうです。女性の場合は手込めされたり夜這いもあって、まして目が不自由なのですから、お気の毒です。

 

しかし、ごぜさんは目が不自由で不幸と言うことはなく、とても明るく仲間たちと談笑して世間の事をよく知っていたそうです。

 

心ある豊かな人たちは 、手厚くごぜさん達を泊めて、一番湯にいれて差し上げ、子供のいるごぜさんの子供に下駄などを買ってあげたとか。

 

雪の深い新潟では、春を告げるごぜさん達の到来を心待ちにしていたそうです。

 

わたしも常々思うのですが、目が不自由だから不幸と言うのはないと思うし、可哀想というのも健常者のおごりですね。

 

☆今回、階段から落ちて、骨折してないので歩くのに全く不自由はないのですが、寝返りがうてなくて不便を感じました。

 

66歳という年齢は誰でも多少、体の異変が起きているそうですが、このまま仮に寝たきりになったとしても、手があるから良いかなと思ったりもしました。

 

娘を呼び寄せても、反って気疲れしそうだし仕事が増えそうなので、1日我慢して、回復のメドがたっているのでこのまま22日まで、ここにいて制作する予定です。

 

23日は従姉妹が文学座に誘ってくれたので、「おとなの休日割引」も21日から有効になるので帰京する予定です。

 


(no subject)

蜂が水のなかに落ちて、

パラソルが倒れたのだけど、これは絵を描くには好都合。

腕にバッタが止まったので払いたら、絵の具が腕についてしまいました!

 

外は空気が良くて今日が涼しいので最高なのですが、虫が多いのが難!

 

アイスコーヒーと戴いたアーモンドクッキーとても美味しいです!

今日は庭ではここまで。

雨は降らなかったのです。 まだ、体調が回復してないので少しづつ家の中を片付けて、いたわってます。

庭で取れたパプリカを食べてます。 体力をつけないといけないので。 きゅうりとトマトは頂き物でありがたいことです。 今日は買い物に行かなかったんですが困らなかったです。