August 26th, 2014

雨も続くと少し淋しい。


ラスプーチンの読書がなかなか進まない!
「アウトサイダー」が書いた「ラスプーチン」がとても真摯に真実に迫っているそうで、早速 アマゾンにて古本で購入

 

☆私は「ブリキの太鼓」の作者がなぜ、ラスプーチンの幻想を永遠に大人にならない決意をした少年に持たせたのか考慮中。

 

☆昨日は女性週刊誌を読んでいたのだが、とてもハッピーな記事があって 幸福なうちに寝たのだった。

 

それは、前世の記憶がある子供たちのことで、その子供たちの記憶は小学校に入るようになると消えてしまうのがほとんど。

 

その子供たちの多くの記憶はとても似ていて、生まれる前の天国で、どこの家のお母さんの胎内に宿るか選んでくると言うものだった。

 

自分の希望や好きなお母さんや前世への感謝や逆に助けてあげたくて選んでくるのであると言う。

 

天国での子供たちは皆、羽が生えているもだそうだ。

 

☆ 私が子供を生んだときに、金曜日のよく晴れた日の3時に生まれてきた娘は天国から光の柱ができていて、薔薇色で本当に金の羽がついているように見えたものだった。

 

☆「ブリキの太鼓」のオスカルは胎内に戻ろうか一瞬考えたが、お母さんが3歳になったらブリキの太鼓をこの子供に贈るという言葉を聴いて、生まれることにしたと言った。

 

☆私は結婚しようとも子供を生もうとも思わなかったので、妊娠中に、この不完全な地球に子供を生むことに非常に苦しんでいた。

 

そのせいか、子供が2歳の時に野坂昭如の「ホタルの墓」のアニメを観て「こんなにひどい処に生まれて来なければ良かった」と娘が言ったので、「やはちね。」と思ったものだ。

 

この娘は子供の頃から偉そうで、バギーでふんぞり返っていたので、主人と「偉そうだね。」と言っていたのだが、幼児の時から、「本当に至らないのですから。」等と私の事を言うので、私を助けるために生まれてきたのかしらと訝ったものである。

 

☆ものの見方というものは面白いもので、「ブリキの太鼓」のオスカルを悪がきという映画評を読んだこともある。

 

しかし、原作でオスカルは「自分はキリストだ。」と言ってる。

 

私もキリストのように見えた。

 

剣をもって裁くために現れたキリストに似、ブリキの太鼓をもって生まれてきた。

 

☆作者グラスが若いときにナチスの党員だったのをカミングアウト下のはノーベル文学賞を受賞した後である。

 

この文学を書いたのも多くの贖罪から生まれたのだと思う。

 

人間は罪から逃れられない。

 

美しいオスカルのママは、不倫相手のいとこの子供を妊娠しても、誰も咎めたわけでない。

 

カトリックの司祭が告解室で、彼女が「頭、思い、行いで罪を犯しました。」と言っても、「祈りなさい。」と、言っただけである。

 

その時にオスカルは教会の聖母子像の聖母マリアに抱かれた幼きイエスを太鼓のバチで叩いていたのである。

 

ママは、告解どころでなくオスカルを抱き締めて、来た神父に「もう14歳になるのにこの子は相変わらず,このようなのです。」と言う。小人症で大きくならないことと、分別なく教会で太鼓を叩き幼きイエズスを打ちのめす非常識をすることに、打ちのめされて、何よりもの不倫の罰だと感じていたに違いない。

 

ママは、ポーランド人もハンサムな従兄弟と不倫し、従兄弟もオスカルと同じ青い目であることで、オスカルの実の父親だと認識している。

 

この知的障害のように見えて実は聡明なオスカルは 自分と同じ青い目だねと言う。

 

時代はドイツ人に有利でポーランド人であることは危険であり、ママは、愛しながらも結婚はドイツ人である食糧品屋も戸籍上のパパと結婚したのだ。

 

しかし、愛は続き夫の寛容さの中で従兄弟と愛の歌も歌うし別室で情事もあつ。

 

オスカルはそうした大人の事実を観るにつけ大人の偽善を許せなくなり、大人にならない決意をして、3歳時より1センチたりとも身長が伸びるのを拒絶したのだった。

 

ママは、その背丈の伸びないオスカルと太鼓を取り上げると奇声をあげものを壊し 、学校でも適応できず家でもアルファベッドを学ぼうともしないオスカルに耐えられなくなる。

 

☆イエスキリストは幼児の時から、世に
対して真理を告げて抵抗していると言う。

 

しかし、実際にバチカンはヒットラーのナチスを支えていたと言う。

 

その態度への抗議で作者グラスは「万能ではないか?太鼓を叩かないのかよう!」と幼きイエズスをオスカルにバチで叩かせたのである。

 

しかし、実際にバチカンはナチスの味方をしても、神はオスカルに裁かせたのである。

 

美しいママは、自分の罪から自爆して自殺した。

 

夫は「誰の子でも良いから産んでくれ。」と言ったからにもかかわらず。