September 7th, 2014

今日はここまで。


ロシア皇后、ラスプーチン、ロシア正教会修道女、貴族の美女。

☆ロシアの田舎の農家に生まれたラスプーチン。

 

20歳の時、聖母マリアを空に見て、イエルサレムまで2年かけて、徒歩で歩いた。

 

帰って来たら、奇跡の治癒能力が備わっていた。

 

貴族や富裕層から莫大な謝礼が寄せられてるが断り、質素な藁布団のベッドに寝ていたと言う。

 

皇后の息子の血友病を治して、王室の信頼を得たものの、影響力を恐れた敵から暗殺された。

 

毒入りワインやお菓子では死なず、切っても死なず、凍っている水のしたに埋められ、死因は溺死とか。

 

☆カトリックの聖人と言われるような人にもバッシングはあるのだ。

 

蚊帳教会に来て歌ってくれたAKIRA君のプログで、この1ヶ月に13ヵ国訪ねたそうで、アウシュビッツも訪ねたことがわかったのだが、マザーテレサの生まれたマケドニアにも行ったと言う。

 

それで、マザーテレサ批判と言うのがカナダの大学でが発表され、世界中からの寄付が余るほどなのに、貧しい人たちへの医療が近代的な医療レベルからみると低く、苦痛を耐えることが魂の浄化として治療より耐える事を勧めたり、時の権力者の不正なお金を寄付されていたというものであった。

 

カトリックの聖人伝説のために宣伝が巧みで実態は、違うと言うものであった。

 

☆聖人と言われるような人も人間であるので、欠点を探せば探せるだろう。

 

また、有名にならなくても隠れた奉仕生活をしている人もざらなので、私は神様が知っているので、わざわざ重箱の隅を突っつかなくてもいいでないかという考え。

 

近代医療がより救えるなら、自分は近代医療で無料で貧しい人を救ってあげればいい。

 

☆ラスプーチンのマトリョーシカを描いている間、金の雨がずっと降っていた。

 

未だ、未完なのだがラスプーチンは本物だったのだと思う。

 

ジャンヌダルクもラスプーチンも田舎の出で、祖国を救う使命があったのだ。

 

女たらしで強姦もしたそうである。

 

悪魔の誘惑も多かったと言うことか。

 

☆先ほど読み終わった「小人レスラー」の本で、10000人の一人の割合で生まれると言う小人症に、なぜ自分がと思うと言うのがあった。

 

私は、例えば、乙武さんのような人は凄く大きな使命のために、ああいう体を選んで生まれてきたと思うのだ。

 

私たち普通の人間は、実に鈍感で、他者の痛みを知る能力が低いのである。

 

そして、先ほどの本で強く訴えたのは、私たちが踏みつけている異形や弱者や発言しない人にどれ程罪深く、自分たちの偏狭な価値観で押さえて不幸にしているか気がつかなければいけないと言うことだ。

 

☆私たちは強者でありたいと、得したい、特権を得たいと頑張るような社会構造のなかにいて、そこから弾かれると敗者として、惨めな扱いを受ける。

 

生まれながらの障害と言うのは、そのレースのハンディ戦になるので、どんなにか生き難いだろう。

 

貧困や両親の不在や戦争のただ中で生まれたり、放射能の降る町に生まれたり、選べないものだたけだ。

 

そのなかで、生まれながらの名門の貴族でも、とんでもない残虐の限りを尽くす人がいたりすると、私たちの人生は貧しい家で仮に病持ちで生まれても、立派に気高くいきることもできるので、世界は公平だと私は思うのだ。

 

多少のえこひいきはあっても、人殺しを崇拝はしないし貧しくても人のために尽くす人を見れば、神が宿っていると思うのだ。

 

☆清貧もいいが、お金を使う人は多くの商人の暮らしを潤し、経済流通を助ける。

 

品行方正で倫理観の強い人もいいが、多く愛して潤いのある人たちも歓びを人に与える。

 

処女懐胎は聖母マリアの崇高さを語るけれど、人類は普通の男女の営みで存続してきたのだ。

 

この世に生きる以上、食べることも着ることも暮らすことも楽しめばいいと思う。

 

それより、自分と違う価値観を批判せず受け入れることも大事だ。

 

奉仕は道楽でやればいい。

 

誰も後ろめたくさせないような気楽さで。

 

☆「ブリキの太鼓」のオスカルは、なぜ、読み書きを学ぶよりもラスプーチンの物語を読んでくれといったのだろう。

 

オスカルは物語の作った人物だが、ラスプーチンと同じ啓示、使命をもって生まれてきたのだ。

 

小人症は障害者扱いで苛められたり、親たちは愛しながらも、オスカルの存在に胸を痛める。

 

ママといとこは不倫の罪の罰だと思って自分たちを責めた。

 

「小人症の子供の親の会」の母親に作者はインタビューをして、親は相当辛いらしいと知り自分のデリカシーのなさを苦しむ。

 

☆私たちの住む世界は、あまりにも不完全でまともな思考力があれば、どこに自分を置いても苦しい。

 

貧困で食べれない人を知れば、喩え、自分が倍働いて節約の限りで得た収入で食に満たされることも後ろめたい。

 

社会構造があまりにも悪いのだ。

 

自分の子であろうと他人の子であろうと同じように愛し、どの異形や生き方の相違もあるがまま、受け入れ合えたら、誰も傷つかないし、苦しむこともないだろう。

 

でも、なぜか社会はどれだけの成熟を得てない。

 

姑の同居ですら、離婚と言う人もいる時代になった。

 

☆マザーテレサのことだけど、私はこう思った。

 

不正の利益で得たお金を企業はマザーテレサに託すことで、貧困や病んでる人のために使われることで浄化されるのではないか?

 

☆コリン・ウイルソンの「ラスプーチン」の本には、病は純粋な魂の人がその心を清めれば治ると言う治癒能力者が出てきた。

 

私は聖書に書かれていることは、正しいと今でも思う。

 

苦しみが魂を浄化するのは本当だ。

 

現代医療が痛みを取り除くことが最良としているのだとしたら、少し疑問だ。

 

自分も階段から落ちて、腰をしたたかに打ち 、太もももお尻も青痣で、少し触っただけでも痛かった。

 

でも、少し、その苦しみが必要なものであった気がする。

 

私は66歳と言う年にも、ハードな旅行にも謙虚な反省ができた気がした。

 

私は今でも思う。

 

誰にでもハンディはある。それが見える形のものは解りやすいが、目に見えないハンディも公平にあるのだと思う。

 

私はとてつもなく無器用で、筆で色を塗ると言う単純な作業でも自己嫌悪にいつも陥る。

 

こんなに無器用でなのに、なぜ、絵を描いているのか、いつも罰ゲームのようなものか思う。

 

どこかで、読んだ記憶がある。
不器用な人の方が下手なので結局は長く続けて本物になると。

 

そうであったらいいなと思う。

年を重ねる恵み。

人間は自由だし、それぞれ蒔いた種を借りとりながら、人生を学んでいくのだと思う。

 


自分は商人のごく普通の家で育ったが、これは欠点なのか長所なのかわからないが、勝ち気でないと言うか、競争するのが嫌な性格だった。

 

公立の小学校に行ったので、決して平均的な人たちだけでクラスが構成されていたのではなかった。

 

66歳まで生きて四捨五入すると70歳と言う年齢になった。

 

勝ち気な頑張り屋が、現実社会で勝っているわけでもなく、先手を常に怠りなく打ち万全であるはずの友が安定した暮らしをしているわけでもないのに?と思う。

 

私はケセラセラで、明日の事など考えないタイプ。それでも、生きてこれた。

 

おおよそ計算することなく、緻密でないのに。

 

人生は不思議なところだ。

 

☆それでも、子供の頃に読んだ「3匹の子豚」のような生きる知恵が、結局は一番、大切なのではないかと思う昨今である。

 

煉瓦を積むような生き方。無器用でも下手でも遅くてもだ。結局はこの生き方が確かなのだと思う。

 

☆絵を描くことは私の仕事なので、可能な限り本も読むし、作品も観る。

 

新しい時代の美術はわからないことも多いが、不思議と見続けると、あるときにわかったりする。

 

☆私たちに与えられた平等な時間。

 

生命を短く終える人も長く健康に生き続ける人も大局的には公平に学ぶ。

 

☆ 私には肉体的なハンディがいくつかある。

 

慢性的な鼻炎と風邪を引きやすい体質。

 

運動神経も人並み以下。

 

性格も、それほど誉められたものでない。

 

父はいつも「怠け者」と言っていたし、母は「お人好しのポンちゃん。」「人を観る目がまるでなく、どうして、利用されているのがわからないの?」と叱られていたものだ。

 

でも、二人とも、「あの娘は幸福だね。」と言っていた。

 

☆そうねえ。
私ほどトロイ人間はそうはいないと思いますよ。

 

☆私はイエスさまのようになりたかっらんですよ。(笑)

 

病んでる人に手を触れて、どの人が治ったらどんなにいいかと思っていた。

 

それで、小さな真似事をしていた。

 

☆私は少しラスプーチンに似ているのです。

 

私は20歳の4月7日、神様に呼ばれた。

 

目に見えたのは光。
感じたのはイエス様。

 

それで、その日からいつも神様の望むままに生きた。

 

これは、ある意味、もっとも楽な道。

 

☆私もあの小人症のレスラーのように、眠ったような人生より輝いて精一杯生きたいと思ったので、イエス様のラブコール(申し出)に追いていったのです。

 

親から見れば、子供が危険なことをして怪我をしないか廃人にさせられないかはらはらドキドキだったと思います。

 

でも、父は「自分の子だから大丈夫。」と面白がって観ていましたが、母親は常識から離れた生き方を不安そうに観てました。

 

何はさておき神。

 

兎に角、傑作なことに、自分がしっかりしていなければこの世は滅びると思い込んでいたのですから(呆)。

 

☆私も狂ったのかしらとも思ったので、そう言う体験本をたくさん読みました。

 

その中の一つが、コリン・ウイルソンの「アウトサイダー」。

 

自分のように神を見た人のオンパレードで、ひと安心。

 

その頃は、私の背負った重荷は感じる人も多く「もっと、気持ちを楽にしなさい。」とか、「殺されるよ。」と注意されたものです。

 


結婚なんて考える分けないではないですか?

 

地球の存続がかかっているんですよ。(笑)

 

☆さて、「キリストに倣いて」を生きていると、確かに超能力を得れるんですよ。

 

多分、誰でも。

 

それで、本当に病気の人も、自殺しそうな人も助けることができました。

 

それは、私がしたのではなく、私の中のキリストがなしたことなのですが。

 

主の僕。はしためと言うところでしょう。

 

☆マザーテレサのことを、「巨大な田舎者」と言うプログを読みました。

 

特にインテリの方は、純朴で疑わなく神に従って生きる生き方はなかなかわからないのではないかと思います。

 

「スーパー物乞い」とマザーテレサの巨額の献金のことを批判した文章も読みました。世界中から巨額の寄付が集まって来るそうです。

 

☆私が一番気をつけているのは、やはりお金のこと。

 

寄付はほとんど断ってます。

 

それは、明日は転ぶ恐れがあるので詐欺にならないようにと安全の為です。

 

私はそれほど誉められた人間ではないので、間違っても、誇大広告されたら嫌です。

 

多くの誘惑がありますから。

 

この間観たマンデラの映画で、モデルになったマンデラは決して美化しないでくれと監督に注文したそうです。

 

素敵だなと思いました!

 

☆私も66歳になると、神への熱情は変わらないのですが、自分がしっかりしてなければ地球が滅びるとは思えなくなりました。

 

もしかしたら、かなり前に、定年退職したのかもしれません。

 

でも、何千人何万人の同じ使命を持っている人たちと何とか第三次世界大戦を阻止しなければならないと思っているのです。

 

他者の痛みを自分の事のように感じることができたなら、あの酷い自然災害も戦争も何とかして止めないといけないのです!

 

日々の出来事は全て、その目的に向かってます。

老老介護。

老老介護の記事を読んでいた。
70歳女性が91歳のご主人を20年介護して、疲れて「あなた死んでください。私も後を追いますから。」と刺したが、「私は生きる。」とご主人は言ったそうだ。それで。未遂なのだけれど、20年後の自分の疲労具合を誰が予測できたのだろう。

 

こうなると、若い奥さんも余り年齢の離れた結婚は防いだ方がいいようだ。

 

☆今日は風邪を引いているせいもあるが細い線が描けない。

 

10年、20年、30年前に容易にできたことができなくなっているのだ。

☆それで、少し休憩中。

 

☆ふと、思い出したのは結婚前に修道院を脱走してきた修道女が、60歳だったが、32.3歳くらいの私に「孤児が可愛そうだと思わないか?」と、児童福祉施設でボランティアをするように言い、そこの80の園長夫人に勝手に、「ルイコさんがルルドに連れてってくれるから。」と喜ばせ、「えっ!」と驚いた私に、目配せして「少しは私も資金を出してやるから。」と言った。

 

そして、次に「お小遣いをくれてもいいのよ。」と言ったカトリック要理を書いている70歳の神父に、「ルイコさんをマリアさまに奉献しましょう?」と言った。

 


次には、「ルイコさんは、結婚できない人だから、タダ働きさせて、左団扇で暮らすつもりよ。」と公言していて、それを聞いたドミニコ会の元修道女が私に伝えて来たので知ったのであった。

 

☆怖いと思った。
本人の許可もなく、自分の老後の安泰の暮らしのために、全く騙して児童福祉施設にボランティアに連れ出されたのであった。

 

結婚することに、方針を変えたときに、70歳の神父は口を歪めて、「お小遣いをくれてもいいのよ。」と言ったのであった。

 

暗黙の了解で今思うと、神父と修道女は私にタダ働きさせて、目上として君臨し、60歳の修道女が言っていたように、「秋田の聖体奉仕会の安田神父のように、庭いじりをして楽しみたい。」と言う願いが、純真な私の存在で実現しそうだったのに、結婚することになって、予定が狂ったので、少しでも取り立てようと思わず本音を出したのだった。

 

その時は手持ちの20万円だったが、1年たつと「車がほしい。」と言う手紙が来た。

 

☆カトリックの組織のなかに、働き手に働かせ、楽をして表舞台に出る長と言うのは、ある構造である。

 

☆別の修道女も教育里親をやっていて、私たちはインド、パキスタン、バングラディッシュの子供たちの学費を月々送った。子供たちは比較的早く卒業するが、次の子供を自動的に里子に告げられ永久的に学費を送り続けなくてはならないのであった。 その修道女はこうも言った。毎月、教育里親の寄付は千万円を越えて、とても大きなお金になり、そのお金を投資に使う人もいると言う。誰でもアジアの貧しい子供たちが小学校で学べるのは善だと思えるので、集める側から見れば、旨味のある仕事なのであろう。

 

ある里親の母親が、「人からお金を集め、外国に行って感謝され配って、毎年のように海外に行けるなら、私だってやりたい。」と言ったと言う。

 

その時は、そう言うものの見方もあるんだなあと思ったが、その修道女の人格に問題があったらしく多くの人が止めた。

 

それから、断っても断っても、手紙の入った大きな封筒が今でも送られて来て、一時はその封筒を見ると涙が出て、吐き気がして、これほど嫌がることをする善意と言うものに疑問が沸いた。

 

☆私がどの宗教にも驚くのは、寄付で成立しているところである。

 

あるボランティア団体も団長が「皆の寄付で世界中何十ヶ国に行ったのよ。」と言ったのを聞いて、これが本当のボランティアなのだろうかと驚いた。

 

つまり、貧者の一灯もこのように使われているとは想像もしないだろうと思われた。

 

☆私がこのようなことを思い出したのは、マザーテレサへの批判なのである。

 

  カトリックはスターを常に必要としているし、聖人と言うと憧れの対象だが、一人の人間を犠牲にして、神格化するために、宣伝もあるだろうと言うのは想像しやすい。

 

☆純情な信者は使いやすく、「犠牲だ。犠牲だ。自己放棄だ。」と言われれば身を粉にして働いて教会に差し出すのは、珍しい事でない。

 

また、そう言う風に教育もするのだ。

 

実は捏造?「マザーテレサ神話」 !function(d,s,id){var js,fjs=d.getElementsByTagName(s)[0],p=/^http:/.test(d.location)?'http':'https';if(!d.getElementById(id)){js=d.createElement(s);js.id=id;js.src=p+'://platform.twitter.com/widgets.js';fjs.parentNode.insertBefore(js,fjs);}}(document, 'script', 'twitter-wjs'); ハピズム ざっくり言うと マザー・テレサのイメージがメディアによって作られたものであるという研究結果 「痛みに耐えろ」という怪しげな看護法や、問題点の多い政治家とのコネもあった 彼女が祈って治癒した「奇跡」もデタラメだという説も ハピズム 2013年03月13日21時00分 マザーテレサの怖い素顔が明らかに! 「洗脳看護」「カルト施設」、その実態とは!? 写真拡大 去る3月2日、インドの日刊インターネット新聞「The Times of India」に、「Mother Teresa 'saint of the media', controversial study says」とのタイトルで、マザー・テレサのこれまでのイメージがメディアによって作られたものであるという研究結果が出たと、掲載された。 マザー・テレサといえば、貧困や病気にあえぐ弱い人たちの救済活動に生涯を捧げた、カトリック教会の修道女。修道会「神の愛の宣教者会」の創立者でもある彼女は、"無償の愛"の代名詞のように伝えられており、今なお、世界中の人々から崇め、慕われている。しかし、カナダの宗教学専門誌「Religieuses」最新号で大学の研究者が発表した論文によると、マザー・テレサの美談や名声は、カトリック教会の誇大宣伝のためにデッチあげられたものであり、聖人には程遠い人物だったというのだ。■これまでのマザー・テレサ像 1910年、オスマン帝国領のコソボ州で生まれたマザー・テレサは、敬虔なカトリック信者の両親に育てられ、12歳のときに「修道女としてインドで働きたい」と決心。18歳で、ロレト修道女会に入り、インドのカルカッタに派遣され、上流階級の子女の教育に携わっていたが、「すべてを捨て、最も貧しい人の間で働くように」という神からの啓示を受け、カルカッタのスラム街に移住。宗教を問わず、貧しい人、病気の人など弱者のために働きたいとし、1950年に修道会「神の愛の宣教者会」を設立。ホスピスや児童養護施設を開設し、その無償の愛の活動は全世界に知られるようになり、世界中から援助が集まるようになった。1971年に、教皇・パウロ6世から勲章「ヨハネ23世教皇平和賞」を授章されたのを皮切りに、ノーベル平和賞など数多くの賞が贈られた。1997年に、87歳で亡くなった時には、インド政府が国葬を行い、死後5年目にはヨハネ・パウロ2世が「彼女は福者である」と宣言した。そして、なにかと問題の多いカトリック教会において、清く正しく、いつまでも輝き続ける聖人のような存在として、マザー・テレサは人々の記憶に残ることとなった。■明らかになりつつある、マザー・テレサの素顔!しかし、実像は異なるのではないか、と疑問を投げかける者が現れた。今回「Religieuses」に論文を寄稿したのは、モントリオール大学とオタワ大学の研究員たちである。 彼らは、マザー・テレサに関する文献資料、約300件を調査し、「マザー・テレサが世界中に開設した517もの『死を待つ人々の家』ホスピスは、衛生状態が悪く、医薬品も慢性的に足りず、満足な治療が施せなかったと報告されている。しかし、彼女の修道会『神の愛の宣教者会』は何百万ドルもの多額の寄付金を受けており、金銭的に困っているわけではなかった」という事実を突き止めたと発表。そして、「マザー・テレサは、患者の痛みを和らげることはせず、痛みに耐えることを賛美して癒やすという、怪しげなことをしていた。多くの病人が、彼女の元を訪れれば、医師が治療をしてくれると思っていたにもかかわらず、彼女は、イエス・キリストの受難のように、痛みに耐えることは尊いことだと繰り返し言うだけだった」「人気が低迷しつつあったバチカンは、劣悪な環境で痛みに苦しむ人たちに『あなたは素晴らしい人間なのよ』と優しく接している、マザー・テレサのことをまさに“生きる聖女”だと大げさに宣伝することで、カトリックのイメージアップを図ろうとした」と指摘した。 また、「バチカンは異例の早さで彼女を福者だと宣言したが、“痛みに耐えろ”という、怪しげな看護方法、問題点の多い政治家とのコネ(ハイチやアルバニアの独裁者を支持し多額の寄付金を得たという説がある)、多額の寄付金の管理に関する疑問点、そして、中絶、避妊、離婚に関して過度に批判していた点などは、一切、問題としなかった」とも綴っており、事実を知れば知るほど、マザー・テレサの神話はでたらめだということが明確になるとしている。 さらに、マザー・テレサの名が一気に世界に広まったのは、英BBCのマルコム・マガリッジ氏の力が大きいとも指摘。中絶反対派でカトリック右派のマザー・テレサに共鳴したマルコムは、1968年にロンドンで彼女と面会しており、翌年、そのミッションをたたえる映画を製作。「初めて写真に撮られた奇跡」として、コダック社もマザー・テレサを宣伝に使い、彼女の顔は世界中に知れ渡った。 奇跡といえば、バチカンは、「マザー・テレサは、ひどい腹痛に苦しむモニカ・ベスラという若いインド人女性の腹部に、宗教的なメダルを置き、祈ったことで治癒した」とし、マザー・テレサの奇跡として伝えている。しかし、医師は、「モニカが患っていた卵巣嚢腫と結核は、投与された薬により治癒したのだ」と証言しており、これを否定。それでも、バチカンは「奇跡だ」と主張し続け、多くの人々を騙しているという。 なお、マザー・テレサは晩年心臓病を患い、ペースメーカーを入れる手術などを受けていたが、自身は衛生的で設備が整った近代的なアメリカの病院で、痛みを和らげる麻酔薬を投与されながらの治療を受けていた。まさしく、聖人からは程遠い人間だったというのである。 マザー・テレサは聖人ではない、うさんくさい人間だという意見は、実は昔から出ていた。2年前に62歳の若さで食道がんでこの世を去った無神論者のジャーナリスト、クリストファー・ヒッチンズは、長年、マザー・テレサはとんでもない食わせ者だと主張し続け、それに関する本まで発行。「彼女が世界中から集めた寄付金を使えば、ベンガルにファーストクラスの病院を建てることだってたやすいことだった。しかし、彼女はそうせず、衛生状態の悪い、あまりにもひど施設に患者を収容し、ろくに治療を施さなかった。痛みを和らげるなど嘘だ。死ぬこと、痛みに耐えることを賛美する、まさしくカルトのような施設だったのだ」「信仰する宗教に関係なく看病したというが、それも嘘。朦朧とした患者に、痛みに耐えれば天国へ行けると、繰り返し言い、洗脳した」と厳しく批判している。 今回発表された論文だが、「聖人的なイメージを持つマザー・テレサの創られた神話が、貧困にあえぐ人々の救済を目指す人道活動家たちを励ますことになっているのは確かだ」「しかし、マザー・テレサに関するメディア報道は、もっと慎重に、事実に基づいたことを伝えるべきだ」という言葉で締めくくられている。 衝撃的な論文であるが、マザー・テレサの人気は不動のものだとされており、カトリック教会への打撃はさほどないだろうと、米メディアは見解を示している。今から10年前、2003年にローマ教皇庁はマザー・テレサの列福式を行ったが、世界中から25万人を超える人々が集まり祝福。実像がどうであれ、カトリックが全力を注ぎ創り上げたマザー・テレサの"聖人としての神話"は、揺らぐことのない、不動のものなのである。