September 9th, 2014

日々の糧。

☆母が肺炎は治ったものの腎臓や心臓に不全が出ていると昨晩知った。 末の弟の顧問弁護士から電話。 母の病態の緊急の時の電話が長男に電話があると入院時からの契約であったが、8月15日の緊急電話のさいも、上の弟の病院に現れたのが25日で、他の兄弟に連絡も入れずなので、頼りにならず、第一緊急連絡先を母の後見人の弁護士と末の弟も加えて貰ったので、私もそこに入れるかという内容であった。 そして、そうしたいのなら直接病院とかけあってほしいという。 ☆母は大学くらいの時に、自分が死ぬときは私も連れていくと言うのが癖であったので、8月15日前後に私が階段から転がったのも何となく符丁があっている。 又、肺炎が完治した次の日に、腎臓と心臓がおかしくなったのも不自然で人工的何かが加えられたのではないかと、言う考え方も起きているのだと言う。 私と末の弟は可能な限り、母の延命治療をするように文章を出しているのにも関わらず、看護婦長が現れて二人の男性兄弟が言葉を合わせ、母の無理な延命努力をしないように言ったとわざわざ私がお見舞いの際、現れて言ったのだ。 「ラスプーチンの本を読んでると毒物殺害もあったと言うしね。」 兎に角、母の不調と合わせ、私の体調も悪いので母に死ぬときに連れてかないでねと、新月でも満月でも祈るしかない。 母が私も一緒に死ぬときに連れていくと言ったのは、私を偏愛しているわけでなく、母は長い間、私は一人では生きられないと暗示にかけていたのであった。 そうして、一人で生きられないように、私の絵の顧客名簿は勝手に捨てられ、仕事の電話も伝えられず、ありとあらゆる妨害をしていたのであった。 「お前は生きられないようにしてやる。」と言うのが口癖であったし、それは嫉妬でもあり、自分の不幸の捌け口のストレス解消のようでもあった。 私は「あなたのお母さんに生涯初めての侮辱を受けた。」と訴えられることもあったが、謝ったが、事の真相はわからない。 私は母の虚栄心の材料でもあったので、着物や洋服はずいぶん良いものを着せられてもいたのだ。 私が30歳でパリに行き、帰ってから結婚した後は私の娘が大変気に入って、無条件に甘い母親に変身してしまった。 上の弟も母との相性が悪かったので、その変身をとても不思議に思っていた。 妹は30歳からアメリカの大学院に行き7年で博士号をとり帰国したが、親と同居するしかない非常勤講師の給料であった。 それで、親へのとんでもない罵りなどをする精神状態だったと目撃者の末の弟は言うが、私の家庭を壊すべく、主人へのちょっかいや娘に母親である私の悪口等の電話など、とても不幸な状態が13年あり、50歳で鹿児島の大学に准教授の口が決まり家から出たのであった。 「母も父も、マンションを買ったときの父が保証人の契約で鹿児島に行って以来、一度も鹿児島に訪れていない。親として冷たいのではないかと私は思う。 娘が仙台に行った2年間、幾度も行ったわよ。 日本国内だもの。まだ、父も母も元気だったのだから鹿児島くらいいけたはずよ。 なぜ、行ってやらなかったのか? そう言えば、7年間のアメリカの大学院での卒業式も誰も行ってやらなかった。 妹はそれで、両親を恨んだのではないか? 私のパリの個展もボストンでのプレゼンテーションも母は姑と一緒に来て着物を着せてくれたり、娘の世話をしてくれた。 年齢的に言えば、ボストンの時は妹が鹿児島に行った頃だ。 それで、妹は僻んで上の弟と親の財産総取り計画をしたのかもしれない。 介護をした下の弟は親との相性のいちばんいいこでどちらからも愛されていたが、末っ子であるので私はそれも当然と思っていた。 逆に父親とも母親とも相性の悪いのが上の弟で、親の反対を押し切っての結婚で生まれた孫、特に女のこの方は母親は露骨に差別した。 上の弟から、「自分の娘にも洋服を買ってあげて欲しい。ヨーロッパにも連れて行ってあげて欲しい。」と言われたと母は私に言った事がある。 私がパリで2歳の娘をつれて個展したときも、頼みもしないのに「孫娘が死んでしまう。心配で眠れない。」と、父に毎日、訴えて、「そんなに心配ならついていけ。」と言われ、母も来たのであった。 私に言わせれば、言葉もできないのに個展準備で忙しい中、パリのウィンドーショッピングを楽しみに来たのではないかと思える母であったが、上の弟から、見れば、それをも羨ましく見えたのかも知れなかった。 幸い3週間で帰国したが、もちろん個展時にも姑と現れて、手伝ってくれると言う理由であったが、こちらが全力投球して個展中、郊外から一人でパリに行きたいのにいけないと呼び出される度、迎えに郊外まで往復3時間程で倒れるほど疲れたのであった。 親だから我慢したけれど、姑も会場で店番をしているはずでもふいに行くと居なかったから、やはり助けにと言うより遊びに来たのだと思う。 ☆人間は欠点のあるものだから、私はすべてゆるし、なるべく火の粉がかからないようにいきるのがせめてもの知恵だった。 ☆だから、末の弟と話すのは、なぜ親の財産総取り作戦を上の弟と妹がしたのかと考えるのには、子供の頃からの根深い被害意識があったのではないかと洞察するのである。 性格と言うのは、どうしようもない。 生まれながらのものもあり、前世の怨念までいったらお手上げだ。 私も両親への反発も山々あったが、こうなっては、父が死に母が植物人間の状態で、ご破算である。 親が年をとり、体も弱く頭脳もボケる年齢では赦すより他はないのであった。

お絵描きの合間に!

こんな落ち方していた!
それで、奇跡的に溢れず。


お風呂の石鹸は今日からこれ!

洗面台は今日からミモザ!

太股の痣はようやく消えたのだけど。
腰の後のコブはまだある!

 

☆昨日、うとうとしながら、「バグダット・ホテル」を観た。

 

やはり、ショー的な面白さのあるアメリカの砂漠のあるひなびた石油スタンドのあるモテル兼カフェに、ドイツから喧嘩してきた40代の女が現れてきた映画だった。

 

  黒人のファミリーやインディアンの人が住む地域で価値観も清潔好きなドイツの太っちょ女とは違って、亭主に逃げられた女はやりくりに終われ、ギスギス、ガミガミしているので白人女が好きではない。

 

しかし、色々な人種がテントを張って良いかと訊ねたり、支えあって、それぞれの文化をリスペクトする潜在的な能力あって、本当は敵ではなく仲良くできるとハッピーになれることを知った。

 

赤ちゃんがかわいくて、思わず抱き締めて、ほおずりするドイツ女に「自分の子を抱き締めればいいだろう!」と言ってしまう黒人カフェオーナーは掃除も嫌いだし娘だって勤勉でないのでどこか煙たいのだ。

 

「いないの。」
ドイツ女の目はあどけないくらい純粋に 自分には子供がいないと言ったのだ。

 

黒人女は「はっ。」と胸をつかれる。

 

自分にあるものが当たり前にドイツ女にもあると思っていたのに、子供がいなくて可愛くて思わず赤ちゃんを抱き締めてしまった女の淋しさや悲しさや愛らしさがわかってしまったのだ。

 

留守中、掃除してきれいにしてくれたが、頼みもしない事だったので、劣等感や恥をかかされた憤りがあるものの、この女にはそんなさびしい境遇があったのだ。

 

☆私がストックホルムから列車ごと船に乗り、船のレストランの席がなくて、若い夫婦の前に座った。赤ちゃんに乳を与えていた母親はエレガントにショールで乳房を隠し、「赤ちゃんに乳を飲ませているのですが良いですか?」と訊いた。

 

「もちろんですとも。私にも娘がいます。もう大きくなってしまいましたがこう言う体験があります。」

 

若い母親は若い父親と安心してにっこり笑って、「4ヵ月なのよ。」と言った。

 

隣に4歳と2歳の男の子のいる家族が来て、子供たちが「赤ちゃんがいる。赤ちゃんがいる。」と夢中になった。

 

「可愛いねえ。」と言っているうちに、その坊やたちのお母さんが「僕たちのお名前、教えなさい。」
と言って、子供たちは自分はダニエルとかマイケルとかいって指先で年を教えてくれたのであった。

 

この可愛い赤ちゃんのお陰でレストランの一隅はとても明るいものとなり、若い夫婦が去るときも丁寧に挨拶して出ていった。

 

この男の子達の母親もなんて聡明なのだろう。

 

こうして、育てば人種差別などしない大人になるだろう。

 

☆バグダット・カフェがとてもヒットした映画で、イラクの首都は戦争のただ中でおおよそ平和で無かったが、「イラクで最も代表的なものは?」と訊かれるとユーモアを込めてこのアメリカの砂漠に「バクダッド・カフェさ。」と答えるそうだ。

 

怪訝さ。
知らない恐怖。
自分達のようなものの経営する寂れた汚ないホテルになぜ幾日もいるんだろう?

 

劣等感や自分の今までの価値観ではあり得なかったこと。

 

しかし、実は人間は皆、寂しくて、自分にはない温かいものがあるこの黒人ファミリーが憧れだったかもしれない。

 

そのいえの息子はクラシックピアノの自主レッスンをしていて、始めは指の練習のような単調の曲を辿々しく弾いているが、いつの間に、親があまり評価しないピアノも上達してアヴェマリアを弾く。

 

こう言うカフェの子供がドイツのクラシックの作曲家に惹かれ、ドイツ女の世界の理解者だったりする。

 

戦争も過ぎればアメリカの若い男性と黒人娘もドイツ女もブーメランを楽しく遊べる。

 

インディアンの保安官も元俳優の絵描きもフェアにドイツ女のパスポートを見て滞在の許可を確かめ、その魅力を讃える。

 

それにしても、「バチカン出逢いまししょう」の映画にも出た主人公ジャスミンは、同じように掃除好きで新しい男と逢う役なのであった。

 

20年も前だそうだ。

 

しかし、女優というのはたいしたものだ。

 

太っているのがハンディに見えない。実に表現の巧みな美しい女だと思う。

 

映画と言うもは凄い。

 

偏見も差別も実は互いに知らないということを教えてくれる。

 

本当は皆、もっと、仲良くなれるようにね。

 

☆今日のフルムーンは世界中で素敵な気付きが起きているようだ。

 

虫の声をバックミュージックにマリア様のマトリョーシカを描きましょう。