October 17th, 2014

生きる哀しみ。マララちゃん。

世界中にはとても過酷な状況のなかで生きている子供がいる。

豊かな国でも虐待や家族の不慮の事故で孤児となって生きる子供もいる。

とても幸福そうに見える子供でも内情はわからないのだ。

☆若い17歳のパキスタンのマララちゃん。

マララちゃんの父親は学校に行けるほど裕福に育ったわけではなく、とても苦学した人だった。

夢のように生まれた少女に英雄の名前をつけた。

男の子しか特別に喜ばれない国で、彼はマララちゃんの誕生に女の子としては例外的に祝った。

こう言うことは、彼女のかいた本に書かれている。

☆親も神様ではない。

自分の子供に自分の実現できなかった夢を託すときに、背負う子供に起こるべくあらゆる正負の出来事を予想できない。

私の叔母は生涯独身で祖父の夢を実現した。

アメリカ好きでアメリカで暮らしたかった祖父はその夢を次女に託した。次女は優秀で名古屋の領事館からアメリカの大使館勤務に移り、定年まで働き、キャリアウーマンとして人生を全うした。

しかし、叔母は結婚しなかったし、子供のいる未亡人の長女を「自分より幸せだ。」とも言った。

三女の母と次女の叔母は年子で同じミッションの金城女学院に通い、終生のライバルだった。

私は平凡な主婦の母もキャリアウーマンの叔母も対等に観て、どちらの人生にも哀しみも喜びもあることを学んだ。

☆しかし、40代の頃、叔母はマインドコントロールのように引かれたレールにのって、頑張ってきた人生が祖父の夢実現で自分はその犠牲者であるような批判を強くしていた聞いたことがある。

それは、私の妹が30歳にアメリカで大学院に行き博士号をとるときに、あまりの厳しさに日本に帰りたいと手紙を出したときに、父から3時間しか眠らず学んだナポレオンの本をただ1冊、無言で送られて、結局過酷な状況を乗り切り卒業し博士号をとったとは本人が話したことであるが、今、実の父親への恨みのようなものになっている。

だから、私は娘に学問は好きでやるもので、強いられたり虚栄のためにするものでないから、やりたければやればいいと言っているのだ。

☆この世界で怖いのは、マララちゃんが若すぎるので誰かの利益のために利用されている。操られていると言うものである。

現実に、お絵描きを生業にしている私にもごく若いときから、色々な赤の他人がやってきて「育てたい。」「成功させてあげる。」「応援したい。」とやって来るのだが、その思惑は残念なことに、その人の野心や利益や金蔓だったりで、若かった私もそれとなく勘でわかるので、お断りしてきたが、それがすぐに敵となって苛めや潰しになることに驚いたものである。

☆ノーベル賞平和賞が若すぎるのでマララちゃんに与えられたことで、マララちゃんの背負うものの大きさに心配したり、大人の思惑に使われているのではないかと危惧している人は多い。

☆聖人伝を読むと、貧しい育ちのものが教会や特別な恩人のお金で学ぶ機会を得る。優秀で純朴だと、そのままきれいに育ち殉教してしまう。また、教会はその行為を称え、英雄扱いし聖人とする。

しかし、怖いと思うのだ。

恩によって、気がついたら自分意思等主張できなくなるのである。

ナポレオンに傷の膿を吸って貰った兵士の母親は泣いた。この息子はこれで、ナポレオンのために死ぬこととなるであろうと思うのである。

☆人間の世界の大人の思惑は怖い。

子供はいつも大人の犠牲者で、貧しいインドの子は貰いのいいコジキになるために、大人から足を切断されたり、目を潰される。お金をより多く貰うためだ。

そういう子供を救うために、教育里親制度や養子縁組の制度もできたのだ。

☆マララちゃんは過酷な貧しいアジアの一少女として、自分が親のお陰で教育を受けれたように、同胞の女の子達が無知から解放され権利主張をできるように学ぶ権利を言ったのであった。

インドではご主人が死ねば生きながら焼かれるサティと言う習慣もあったし、奴隷のように親のいいなりで年よりと結婚する事もざらであるから。

☆何はともあれ、健気な少女がどうせ殺されるなら主張して殺された方が良いと、公的な舞台に立つことを選んだのは、日本の子供たちには考えられない切実な背景があってのことで、世界にはこのような子供がいることを彼女のお陰で私達は知ったのであった。

少し休みたい。


疲れがどっと出た。

 

今日も家の掃除をして、皿を洗ってドイツ語を3時間レッスンしてきたのだった。

 

今日は裁判だったので末の弟に電話をすると、平凡に終わったという。

 

母の方は衰弱して、あと1週間持つかと言う感じだと言う。


☆母は実家では「鬼の政子」と言われていると従姉妹。

 

母の弟である従姉妹の父には子供の頃に喧嘩で木の枕を投げられて顔に傷が残っていると言う。

 

母はしっかりもので現実的には賢かった。泣きついて実家に帰る事など一度もなく、自分の思い通りに生きた。

 

 

☆ 姑は自らを「鬼姑」と言うくらいで、同じくらいキツく強かった。

 

  Y子さんは妹さんと私の姑とお茶をしたことがあり、「あの姑と一緒に暮らしているルイコさんは偉い。」と妹さんが言っているそうだ。

 

姑の嫁苛めで精神が壊れたり体を壊したり、夫婦仲が破綻する例はざらだ。

 

古い別の価値観から自分の人生を生きる移行するまでに、大きな試練を重ね、やっと自分流に生きられるようになる日には、自分も老いの入り口だ。

 

☆母はくも膜下で倒れる一週間前に、天国のお花畑の夢を見た。それは母の父と一緒だったので、従姉妹の父親である母の弟は喜んでいた。

 

母は最初の子である長女や期待を背負った優秀な次女に比べて、三女と言うことで大事にされなかったと思った。次に生まれた長男は初めての男の子で愛されたであろうが、母は自分の幸福は自分で勝ち取らないといけないと婚活にも励み、父との縁談に姉が英文科で呉服屋にはいらないと言うことで着物の縫える母が選ばれた。

 

しかし、次女は少し羨ましかったようで、「猫を被っていた。」と母のお見合いでの態度を表現した。

 

誰にであるように欠点も長所もある母は、とにかく強く、私や妹の弱々しさを戦争があったら真っ先に死ぬと表現した。

 

☆姑も大変強い勝ち気な女性で、主人いわく、どんな手を使っても勝たないと我慢できないタイプと言う。

 

しかし、相性と言うものがあるなら、姑とは相性が良くて、私の母が「この娘は馬鹿だから。」言うと、「ルイコさんは馬鹿ではありません。」ときっぱりと言う正義感も持ち合わせていた。

 

私が婚家で生き延びたのは姑の加勢があったからで、無理して何かを進めたことはなかった。

 

子供が必要以上にしっかりするときには状況に必要があって、姑もらい子で無条件に愛情を勝ち取るには有能でなければいけなかったからである。

 

私の友人たち、長男の嫁達は同居してなくても、介護のために入院したり、倒れたり、地獄の苦しみを体験している。

 

奇妙な事だが、次男や三男のお嫁さんになって免れれば良かったとは誰も思っていない。

 

この間の韓国の「テノール」の映画で、オペラの歌手はガンのため声がでなくなってしまうが、彼も「病気になって良かったと思う。」と言うのだ。

 

しかし、それは成熟した成功者だから言えることかも知れなかった。

 

☆母の一生も終わりを迎える日は近い。

 

「欲しがりません。勝つまでは。」の時代に女学生だった母は物欲が強かった。

 

しかし、ものを大事にした。

 

御飯など残すなどと言うことは誰にも許さなかった。

 

幸せな一生だったと思う。彼女の夢は全て実現したのだから。

 

☆ここのところ睡眠時間が短いのだ。
ゆっくり休みたい。

 

もう、軽井沢!