February 22nd, 2015

サリドマイド・ベービー。


ドイツの製薬会社。
年を重ね、痛みが出るようになった。

 

法改正を求め年金が上がり、旅行や生活の楽しみが増えた。

どうすれば最善のサポートができるか?

 

50年目のからだの変化。

 


生きることの意味。
自立への努力。

 

みな強く立派なので、自分もちゃんとしなければと思った。

 

手記に書く人も。

 

薬を飲んだことを責める母親も。

 

お坊っちゃんが薬剤師の勉強をしている人も。

お母さんのことを本で読む。

ちゃんと向かって母と話をする息子。
子供は謝りたいと言う。

 

お母さんは出産の時に障害を意識したと言う。

 

薬が害になることを知ってほしい。
息子は立派だ。
小学校の時にからかわれたときも、そういう人間は相手にしないと決意して、決して親の障害を恥と思ったことはないという。

アルビノ。

☆昨晩、テレビでオームのサリン・ガスの被害者がまだ寝たきりで母のように植物人間のかたもおられ、人間のなすことの怖さに考えました。

 

ナチスですら、使うことをためらわれたサリン・ガスを何の根拠もなく通勤者に撒く。

 

サリドマイドも医者に投与されて、生まれる子供の障害もお金で解決しようとする側に抵抗するのも個人では非力なのでした。

 

☆1万人に一人の確率で出るというアルビノの方は白くて美しいのですが、就職やアルバイトにも障害があるそうです。

 

髪が白や金髪で目が青か赤いそうです。

 

個性とみたら、素晴らしい個性です。

 

自分がそう生まれてしまったということも、自分で肯定的に納得しないとハンディにもなるようです。

 

☆人間社会の価値観は様々でハンディでないこともある人にはハンディとされマイナス要因になる怖さ。

 

☆私にもハンディはたくさんあります。

 

夜は鼻炎系の苦しみがあります。
皮膚も弱く、ホッカロンでやけどになります。

 

今もそうですが、目が片方一重で片方二重です。近眼と乱視があります。
年相応かもしれませんが、白髪もあります。

 

出身 学校ランクも中くらいなので、人によっては口に出して蔑視もされます。

 

人間は下らないもので、住んでいる場所や職業で見上げたり、蔑んだりします。

 

私は普通だと自覚しているのは、例えば容姿にしても誉める人と蔑む人がいるので、両方体験していて良かったと思うのです。

 

嫌な思いをしたら、他人には嫌な思いはさせない努力をします。

 

ですから、私は肝に命じて学歴差別、職業差別、容姿差別、格差差別をしないように努めています。

 

☆アルビノのかたたちは美しいのに、孤独を感じてきたと言います。

 

☆先日、娘が「ドイツ語をやめて家事に専念して。」と言ったので、「私は絵を描くことで危うい精神をコントロールして幸福に生きられるようになった。でも、雪で長野のコテージにいけないので、ドイツ語をやることでアートのために努力すると言い聞かせて、幸福にいきることができるのよ。」と答えた。

 

「ふーん。でも、ママ、自分の絵を説明したり、経歴を言えるようになったのね。それなら意味がある。」

 

娘は哲学と人類学と日本学を学んだ人で、とても繊細で気質は芸術家そのものなのです。

 

ある日、「言っておくけど、結婚はしない。子供は生まない。それは両親に言わなければならないと思って。」と言う。

 

「このひどい世界で子供を産めない。」というのです。

 

それは、妊娠中に私も苦しんだことでした。

 

今は詩人だそうです。

 

ありとあらゆる汚れた事が嫌いで、人を騙すとか他人から奪って大きくなった会社のものは食べない買わないというのです。

 

私もそうなのですが、娘から言わせると「ママの場合はムーディ。甘い!」とのことです。

 

☆私も異物、異端、例外を生きてきました。

 

私と同じような人は本当に100万人に一人くらいはいるのです。

 

純粋というか神からの啓示を受けて生きている人。

 

だから、娘もその遺伝子なのでしょう。

 

孤独ではあるが、不幸ではないのです

Ruiicoの60代。

2006年。母が倒れ、週に3度、中目黒の共済病院に通う。意識不明なので毎日、着替えの汚れた浴衣を5枚くらい持っていって洗って持っていくのだ。

 

家からはJRとバスで45分くらい。結構大変で、濡れた汚れた浴衣は結構重く、東京在住兄弟3人でやってが、弟二人は洗濯は妻がしていたので楽だったと思う。

 

共済病院の入院は3年。イロウだった。

 

その頃は恵比寿で書道や香道、日本橋で月に2度、能舞を習ったが単なる教養程度。

 

その頃が60歳になったと思う。

 

父から家の掃除を頼まれ、週に2度通った。

 

そうこうしているうちに、父の所有していた野尻湖の土地を兄弟4人の名義になっているので、いい土地なのに使わないのはもったいないので誰か建てろという。

 

誰も建ててつかおうとしないので、私が建てることにした。

 

2009年。 黒姫、神山にコテージを建てる。

 

長野から週に1度、父の家に掃除に通う。

 

娘はアメリカから帰り、日本の大学院へ。

 

娘は東北へ。

 

2012. 3.10父 帰天。
2014.10.20母帰天。

 

東京のマンションを引き上げ、神山で制作する。

 

姑と中国、スペイン、フランスに巡礼旅。

 

今まで描くスペースのなかった100号の油絵。

 

マトリョーシカ。

 

蚊帳教会のインスタレーション等をする。
2011年。東北に4回旅。

 

               ユーゴに巡礼。
2012年。フランスに旅。
          
2014年。ドイツ語を始める。

 

         7月、ヨーロッパ10国の美術を観に旅。

 

 

2015年。67歳。