June 8th, 2015

今日は庭の片付け!

7時に起きました!

洗濯物を干して、昨日買ってきた茄子とひまわりと矢車草を植える。

このコテージを建てたときに、縁の下に保管したプラスチックケースが5個あったのだが、厳しい雪国の
風雪によって、プラスチックが割れて、水と落ち葉と中に入っているも鉄が錆びて赤くなって朽ちているのだ。

プラスチックは触ればパキパキとわれ、中の金属ですら、砂糖菓子のように脆く崩れる。

落ち葉も層をなして黒くなっている。

⭐梅雨入りの前に片付けよう!

⭐区分けして、壊れた木材は燃やすように井戸の中に。

プラスチックの破片は洗って干して分別ゴミに持っていく。

⭐2つのケースを片付けたところだが、一番大切なものが出てきた!

何だと思います?

棺桶シリーズのプラスターです。

娘は高校生の夏は隣の州のニューハンプシャーのエクスター高校のサマースクールに8週間行って寮生活をするのです。

それは、日本人家庭で英語を忘れないため(3ヶ月の夏休み!)で、他にはフランス語と数学、ピアノをとってました。9月にグラスわけテストがあるので良かったです。

土日は休みなので、私がハイウェイを飛ばして、会いに行き、一緒に日本料理や中華料理を食べたり、海の街を訪ねてプチホテルにいって家族をするのです。

さて、ハイウェイから道にぬけたところに、庶民的なレストランがあって、私はコーヒーとア
ップルパイを
いただいて、レジで支払い終わり、土産物コーナーを観ると、木で造られた棺桶が売られていたのです。

「ハロウィーンのジョークです!」

小さな長さ15センチくらいの物です。

15ドルくらいでした!

それを買ってボストンにかえり、セラミックの先生達の協力を得て型をとってたのです。プラスターといいます。



それから2年かけて100個のセラミックの棺桶ができました。

この世にあってはならないものを、ほうむったのです。

ですから、この棺桶の型がある限り無限に棺桶ができます。

この棺桶シリーズが2001年の9*11の予言であったことがあとでわかります。

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祈りの椅子物語!

ある時、セラミックのグラスの私の机の上に白いなが封筒が置かれていた!

中に1000ドルの小切手が入っていて
「おめでとう!
これで、バロセロナのガウディのサクラダファミリアへ!」

私は、娘とバロセロナへ!
カーサ-ミラの中の立派なドールハウス!

祈りの部屋があって、ちいさな祈りの椅子があった!

あの椅子を造ろう!

私は娘に紙とペンを買いに行かせ、デッサンした。

ボストンに帰って椅子を作ってみたが上手くいかなかった。

私はボストンのアンティークショップを訪ねたがヨーロッパにしかないという。

私はスベインやフランスの教会を訪ねたが同じ椅子はなかった。

ある時、飛行機の荷物がパリに届かなくて、帰りの荷物受け取りでいきそのままの荷物を受け取った。

そのおわびでやや安いチケットで荷物が届かずできなかった目的のためにパリに行った時に、

迷路にはいったように私は、知らない街を歩いていた。

その時、振り返ると!

あったのだ!

蚤の市が繰り広げられ

あのドールハウスの祈りの椅子と同じ椅子が

不思議の国のアリスのクッキーを食べて大きくなったように、

普通の人間のサイズになって売られていたのだ。

ポンと叩くと埃が霧のように上がった!

100年もまえの売り主のお祖母さんの使っていた椅子!

それで、椅子は旅をしました。

パリ、
ボストン、
東京、
長野の神山。



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今日はこの組み合わせにジーンズです。
多分、2時20分から第一スーパーのバスで買い物に行くと思います。

毛布の洗濯もできてると思うし、冬のコートも出さないといけないし。

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私の体験したいじめ。皇室で行われてるいじめ。

⭐日本の世界がいじめで子供たちが死んでるのは、日本の中心の皇室でいじめがあるからだという記事を、読んだことがあります。

いじめで人が殺される度、自殺する子供が報道される度に、私は涙と怒りで我慢できなくなる。

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⭐私が受けたいじめの言葉!

「よく生きてこれたね。」
「殺されるよ。」
「あんたなんかが生きられるほど甘い世の中でないよ。」
「生きていけないようにしてやる!」
「障害者(か◯わ)にしてやる!」
「口きくな。」
「大学に受かるんじゃないよ。」
「低能児!」
「超ドブス!」
「結婚するんじゃないよ。」などなど。



⭐小学校の校庭で母が迎えに行くと、魚屋さんの娘にいじめれて泣いていたそうです。

同級生の主人と結婚した私は今も子供の頃と同じ地域に住んでいるのですが、姑はその魚屋で頼んで刺身等運ばせていたのですが、私はそこからは買わず、その先のシェルガーデンで買います。

主人は「君は執念深いね。」と言いますが。
その彼女はクラス会には来ないのですが、独身だそうです。



⭐隣に住んでいた姉妹。妹はビアノをやっていて音大にいった優しい性格な子でしたが、姉は私と同じ年齢でとても意地悪。母がよく塀から隣が顔を出して、庭を覗いて姉の方が嘲っていたと言うのです。

家にもよく遊びに来てましたよ。

それが、60歳過ぎて高輪のお料理教室で懐石料理を習っていて再会したのでした!

鴨を父が狩猟でとってきたのを母が隣にお裾分けしていたようです。それで、鴨料理を習ったときに、教室の日や時間が違うのに鴨の肉を料理したことがあると同じ話題になり、会ったのでした。



それから、料理教室の帰りに二人で皇后様ご実家の合歓木公園にいってお話。50年ぶり!

私の家は当時360坪あり、能の役者が建てた平屋でお庭は四季の果実のなるとても日本的な家でした。しかし、4人のこどもがいたので、土のあるところは芝生にして、犬が子犬を生んであちこちにいたので、ブランコありで風流とはかけ離れた暮らしでした。

隣はエリートサラリーマンできちんと暮らしていたというイメージ。



隣のY子さんは国立大付属小学校から私立の名門大にいき、超一流の外資系会社に勤め、そこでであった方と結婚したのは、かつての彼女のイメージのままです。

彼女は聡明で品格も感じられる佇まいで身綺麗にしてましたが、子供が知的障害で家でハタを織っているというのです。

彼女からかつての意地悪なところが消え謙遜ややさしさが感じられる変わりようです。

意地悪はされた方がする方よりいいのでしよう。彼女の学びは神の演出でしょうか?



⭐小学校では、お習字等上手く書けると、先生に「大人が書いたものを持ってきた。」と、叱られました。宿題もやったが、家に置き忘れたことがあり、「嘘つき。」と叱られましたが、その頃は諦めて怒ることもなかったです。

どういうわけか先生は私の手相を観て「玉の輿。」といい、器量がいいけれどお馬鹿というイメージを植え付けようとしてました。

私の母は小学校教師をしていたので、受け持ちは教育的でないと、子供たち全部を隣の港区の学校に越境で転校させました。



⭐小学校5年生の2学期からの転校で、受験校でしたので、生徒は競争心が、強く思えました。

帰りに5、6人の男子生徒に待ち伏せされたり、塾で運動靴にオシッコをかけられたこともありました。

⭐ベビーブームでしたので、やたらと子供が多く、半年だけ塾に通いましたが、模擬テスト等受けると、すぐ、◯千台から10台くらいの順位になりましたから、自分は馬鹿ではないが、勉強はそれほどやっきとなることでもないと、普通に生きてました。

⭐中学、高校は女子高。
眠ったように生きてましたが、いじめは生徒よりも女性の教師からの方があったと思います。

戦争中で男性がたくさん亡くなり、お茶の水女子大学を出た独身の女性教師たちは、学問もあり、育ちや品の良さもあり悪いという水準ではなかったのですが、ストレス解消のようないじめがありましたが、その頃は、ひたすら、自分が至らないからだと思ってました。

特に英語の先生、生物、家庭科、美術の先生にいじめられ、高三の時に男性の先生にようやく当たり、急に美術学校に行きたいと言ったのが11月ですから、学科は良いからと、日曜だけの受験用画教室に2ヶ月半通う手続きをしていただけました。

女子の先生だったら、受けさせて貰わなかったかもしれません。

いじめ2。

⭐コメリで壊れたプラスチックケースの代用のものを買いました。

今夜は雨ので夕方までに収納しないと!

他には毛布とgapの綿入りベストを出して、冬の間着ていた赤白のストライブのダウンコートとブルーの山岳用のコート。半袖のグレーのストライプのブラウスをお願いしました。

アサリ、ティッシュペーパー、枇杷、チーズ、生姜をかいました!

時間に余裕があったので、「おおさわ」で焙じ茶ケーキを食べたのですが、なかなか美味しかったです。

帰りに、3段のプラスチックケースを持って歩いていたら、バスが気が付いてくれて、近くまできてくれました。

コテージについても、運転士さんが、玄関迄運んでくれました!

今日は大学村から顔見知りのひとが一人、こないだ会ったおじいさんとで3人でした。

関西では、明日から梅雨入りとか。



⭐⭐⭐

強烈ないじめは美術の道に入ってから始まった!

なんていうのか世界が違うというのか?

教授が私の作品を誉めると、リンチ。

平手打ち、足引っ掻け、スカートを煙草で焦がされたり。

その時、「結婚したら許さないからね!」と言われた。

古美術研修で、奈良、京都にいったのだが、馬鹿な教授が、「今日は美人のとなりで嬉しい!」とバスの席の隣に座り込んできたときも、夜は旅館ではぶられるというリンチ。

その間、サークルであった芸大生と同じクラスの同級生から、経済的たかりをされていて、憎しみというか妬みというか、心を壊すのを目的としていて、二人ともとても執拗でほぼ毎日まとわりつかれていた。



親から月5000円の小遣いしかもらわなかったので、バイトにバイトをしていたわけだが、私を苦しめるのが目的のふたりは、家にまできて食べたり、家族連れで宿泊したりした。

前にも書いたが、公金(サークル活動の)を横領しようと誘いかけていたので、私にはそれをさけるのには、倍、働いて彼らの飲み食いを支払うしか思いつかなかったのである。

お説教して、きくとは思えなかったし、狭い美術学校で逃げきれるとはおもえなかったのである。

女性の方は本人が語ったが、ただでヨットに乗り、強姦されたという。

それで、「あなたは本当にいい人だわ。」と言われ、その後、たかりはしなかった。

男性の方は、友達の彼女に手を出して、殴られたそうだ。

二人とも最後に初めてコーヒーをおごってくれて、「へえー!同じことするんだなあ。」と人間心理には普遍性があるんだなあ。」と感心していたら、二人とも、「これからもつきあってくれ。」というので、心底、驚いたもののである。

⭐それまでは、おっとりというか、同じような価値観の中で生きてきた私は、競争の勝利者となるために、暴力やたかりを日常とする人の存在に、打ちのめされ、絶望的な気持ちになった。

教授のひとりに「100点満点中120点。完全過ぎるから、もう、伸びない。」といわれた。資生堂のデザイナー、中條正義である。

それはいじめではなく、率直なる彼の批評て、私は、その時は素直に嬉しかったのであった。

真珠の紹介の案内状をつくったのであった。

⭐結婚もするなと言われているし、アーティストとして、伸びないといわれるし、しかたがないので、もっばら、ボランティアをして生きることにしたのであった。

いじめ3 救い。真夜中4時半雨です。

⭐第一スーパーから帰ってきてから、全部のプラスチックボックスを開けて、乾いてるものから新しく購入したプラスチックの3段重ねのケースにしまい、5時半頃、分別ゴミを出すためにロッジまで運んだ。

それから、セブン-イレブンにいき、餃子とか焼売とか買って、帰ってきた!

夕飯はどじょういんげん、焼売、ぎょうざ、梅。

お昼は豚肉、ピーマン、椎茸、生姜、チーズトースト、プチトマト、オレンジジュース、さくらんぼ。

今日は忙しかったが全て計画通りに進んだ。

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「苛め」というのは、苛める方に実りをもたらすことはないのだ。

古い写真はどれも懐かしい。

与えれば与えるほど、裾野が拡がっていく気がする。

人生はとても良くできている。
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現代詩の挿し絵を描いていたことも。no title
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東京のおうちもkeepできるといいのだが。
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鎖のイエスの教会で買ったろうそく!
奇蹟が起きるという鎖のイエス像を見たときの大きな慈しみが甦ります。
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ボストンでの最初のおうち。
手前半分です!
お隣はフィンランドの画家とノルウェーのエンジニアでした。

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ノアの方舟バスケット!
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棺桶!
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ノアの方舟。未発表の作品。
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いただきもののノアの方舟!
娘が小学校にはいったときの贈り物。
「ベルリンの壁の天使の詩」という写真集もその方は下さいました。
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彼女の家に私のデッサンがある。
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和紙。
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和紙の人間国宝のいちべいさん。
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薊の布はグラナダさんのお父様のデザイン。
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リトアニアで買ったイエス様!
考えるイエス様なの。
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サイン帳。
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フィンランドの日本お伽噺!
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蚊帳教会!
見えますか?
祈りの椅子の後ろにマリアさまが手を拡げておられる。
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1972年。
初めてのギャラリー個展の版画。「眼相」。
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社会は複雑!</p>

だからと言って自分の生き方は変わらない。

神だけを見ればいいのだ。

集るのは、その人の生き方の問題で私には関係ないのだ。

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いじめは天が解決する。
実に見事に!

20年もたって届いた手紙。
とてもきれいな和紙の封筒と便箋に、
「私は、あなたが眩しかった。あなたをきちんと見ることが出きず、あなたを貶めることて、自分を救うことしかできなかった。」

あなたには充分よくしてもらったのに。
そんな風に反省されても。

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この「いじめ」の文章を書いたのは愛知県の苅谷のいじめ問題の怒りから。

そして、雅子さま賛美の美しい文章を読んだからである。

その文ははっとさせられるほど、雅子さまのお苦しみの意味があった。

「雅子さまは大変な努力をすれば希望は叶うと思われて生きてこられただろう。

努力しても叶えられなかった人や憎しみを持って敵対する人や悪意で行動する人の存在を知ることが雅子さまには必要なのではないかと思われたそうである。

20年近くかけて、苦しみから雅子さまはますます輝かしく蘇られて、雅子さまは神々しいほど、おおきくなられたと。

(私は、記憶で書ているので文そのままではないです)

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私は、自分の愚かしい体験を書きながら、今、いじめられている人も、過去にいじめられた人も希望を持って欲しいと思うのだ。

苛められるなかでも、学びはある。

ある時は、私は、鈍感であり。

ある時の私は、理解することに不足があった。

苛める側には想像力の欠如があり、

因果律の運びの確かさを知らないのだ。

宇宙に放った思い、行動がブーメランとなって自分に帰ってくるのだ。

自然界の完全さ。
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