July 12th, 2015

今日は35度!ヘレン-シャルフベック!


朝から梱包!

夕方、荷物出し!
14号ダンボール箱
10個。

絵の資料が半端でないのであと50箱は送らないと!

10箱づつ送り、着いたら全部取りまして収納します。火曜日の朝9時に着きます。

体のあちこちが痛い!


余力があれば午後には美術館や画廊巡りをしたい。



☆12時に家を出ました!

☆神田。かねこギャラリー。
公に寄附を募って現代美術をやっている女性の個展。長野にマンションを借りて制作しているが、元々は小金井に住んでいたそうだ。

彼女の画集を買った。

☆神田駅から上野駅まで山手線で。
上野公園のなかを歩いていると、氷の彫刻コンクールが開かれてました。

あまりにも、暑いのでかき氷をいただきました!シロップは青リンゴで!

☆東京芸大美術館。フィンランドの女性画家。ヘレン-シャルフベック!

👩すごく感じることがあった。
3歳の時に階段から落ちて、生涯杖が離せなくなった。

2度の失恋。

生涯独身で絵を描いた。
私の産まれる前に1945年に、亡くなっていた。

足が悪くて普通の小学校にはいけなかったが、特別な絵の教育を受けられる指導を得て、授賞と奨学金でパリに行くことにある。

当時は女性のための学校がなく、美術館と塾で学ぶ。

絵は男性以上!
パリ万博で銅賞。

ヘルシンキで母を養うために10年教鞭をとる。

40歳から北フィンランドで絵に専念!

母と恋人を失う。恋人は19歳下の絵のファンで他の人と結婚!

人物画を描くが、自画像が多い。

風景画も人物画も安定してみてられる旨さだが、晩年の静物画の色は独自のものが見られる。

絵は洗練されているのと、人柄の人間らしさが、子供や農夫や老人たちをモデルにしたものに見られる。

11分のビデオを観て、彼女の写真を数枚観て、やはり、絵に没頭してきた人生の厳しさが感じられた。

当時の女性としては、厳しい人生を送られてきた強い方に思えた。

足が不自由ということで失ったものと、それを越える恵まれた才能と昇進を裏ずける努力する力。

勤めている間、休日しか絵が描けないときの焦燥感。

80を越える長生きなさり、これだけの絵を遺された。

私もあと15年は生きたいものだ。

☆ホテル-オークラのレストランが美術館あったので、海老グラタンとアイスコーヒーをいただく。

図録と木の壁掛け人形を買う。
☆上野駅5時25分にでる。
25分で最寄りの駅に着く。

6時にヤマト運輸が荷物10個、取りに来るので、タクシーを使ってぎりぎり!

☆家に帰って着替える間もなくピンポーン!

出荷10個とダンボール10枚くらい持ってきた分で17252円!

気がつくと、現金がなく、コンビニでキャッシングするまで待っててもらう。

☆ケアハウスから主人が帰って来て、中華のお総菜を買ってきてくれた!

デザートは葛餅と杏(長野から持ってきたものだが)!

「死ね!」「あんた死ぬ?」「まだ生きてるのか?」

no title

私が女子美術で大学教員に言われた言葉である。

女性の助手もいた。

クラブ活動のお金を横領しようとした同級生も、その後、研究助手になった。

いじめ得である。

☆私は村松亮くんの自殺事件で、もう、これ以上黙ってられない気持ちだ!(怒)



村松亮くんは、とても優しい子供で、同級生がいじめにあっていたら、慰めているような正義感溢れる子供だった。

5年前に両親が離婚した時に、母親に姉妹2人と一緒に東京に引き取られていたが、お祖母ちゃんとお父さんがかわいそうと、自主的に岩手県に行った。

お母さんは、別れたお父さんと何年か振りでの電話で亮くんの自殺を知らされたのだ。

お母さんは、あの時引き留めていればと自分を責める。

☆亮くんは学校へ行かなければよかったのだ。

お母さんは亮くんの部屋を片付けていて、虐め相談SOSのたくさんのカードを見つけて、なぜ、電話をかけなかったのか?

お母さんは担任の先生を信頼して、SOSをだしていた亮くんに、なんの助けるもしなかった。

あんなに酷い暴力をされていたなんて!

お母さんの悲しみは大きい。

☆私にはわかるところがある。

子供は、言わない。

心配させたくない。

プライドと言ったらいいのか、こんなこと自分で解決したいと思う。

死ぬほどの絶望。

☆虐めっこをも、虐められる方はどこか信じる。

私もそうだった。

本当はいい人なのだ。こちらが優しくすれば、きっと本当にいい人のもとに戻ると、信じたかった。

だから、逃げなかった。

それを、あるとき救ったのは三輪明宏だった。

ある女性週刊誌の身の上相談で「変わるはずないじゃない。」と答えていたのだ。

それまで、ひとを見限ってはいけないという王道があった。

どんな人でも、善なのだから、その善を引き出して、悪いところを見てはいけないと。

三輪明宏は、「さっさと、逃げなさい。」と言ったのだ。

そうか、見放していいのだ。

私はようやく楽になった。

☆虐めは殺し。

暴力は犯罪。

そして、たかりは恐喝である。

☆自由が丘にあった「ジェリコ」。
絵の客が、連れていってくれたピアノバーと言うのか?アメリカ人歌手が経営していたピアノとカウンターだけのお店。

毎晩のように50歳の雇われママ日本人から電話。

「家賃が払えないから来て。」
家賃は大倉山の自分のアパートのことで、給料前に支払えなくなるので、客のトルコ人の女性画家に借金していた。

父親は京都大学出の僧、自分は元宝塚、中学校教師の夫は自分の母親を大事にしないので離婚したという。

その50歳が真夜中12時頃、毎晩電話してきて、「家賃が払えないから来て。」というのである。

25歳くらいで、毎晩制作に忙しかった私は、電話を受けとると家を飛び出した。

母親は「いっちゃダメ!」と、泣いて引き留めたが、私は人が困っているのに助けないのは人としてあり得ないと、おもって、人が殺されたばかりの宝来公園を通り過ぎて、20分ほど歩いて駆けつけたのだ。

すると、そのママは罵倒し唾を吐きつけ明け方までいびるのだが、行かないのは、人として愛が無さすぎると思って、次の日も次の日も駆けつけたのだ。

あの真理は虐められっこの真理だと思う。

行かないのは、何か卑怯なような真理なのである。

破滅に向かっていく。

虐めっこの方の心理は、自分の閑古鳥の店への劣等感や日々の楽しくないせいかつへの鬱憤晴らしである。

おそらく律儀な真面目ないじめられっこは、行かないとか逃げるとかしないのである。