August 22nd, 2015

晴れて!生きていくことには誘惑が多い!

6時頃、起きました!



☆大学で産業デザイン、グラフィックを学んで世の中に出て、いきなりフリーのデザイナーになったのでした。

 自分ルールで、好きなことをしているので、なるべく、利他主義と言うのがありました。

 それが創造の仕事といいバランスになっているのが、自分にはよくわかったのでした。

☆当たり前ですが、大学を出てからは家から1円ももらうことは無かったです。

 そして、それが良かったと思えるのですが、貧乏な劇団や現代音楽家のポスターを作っていたので、無料とか謝礼は演劇チケットと言うのがありました。

 好きなことをして、あぶく銭が動くのはおかしいという感覚がありました。

 しかし、名のあるデザイナーやアーティストはいつの時代でもそれなりに稼いでいたし、私の学んだ大学の教授でも夢のような豪邸暮らしを雑誌のグラビアで見たこともありました。

 しかし、同年輩の同業者は佐野研二郎氏のような成功をしている人など知らなかったです。

 それは、50歳近くになってからもそうで、ハーバード大学でデッサンを習った時に、国際的に著名な教授に、「どうしたら、こういう風に百人一首の箱の作品の注文がくるの?」と訊かれて、腰が抜けるほど驚いたことがあります。

 外国の方には、和歌は詩ですから詩人100人の詩を集めたものが特別豪華に思えたのでしょうが。

 これは、35歳のころ、ロシア料理の居酒屋を経営している3歳くらい歳上の女性から依頼されたもので、お店二つを抵当に入れて2000万円の制作費を作ったと言ってました。

 素人と言ったら素人なのですが、文化というものは皆のものという考えがあった私は、娘の誕生の前後に1年かけて、実家に居候し、赤子の世話を母に頼みながら、毎日、1枚描いたものです。

 当たり前ですが、書籍は衣装や百人一首の専門雑誌等、事前に数十冊は読むのです。

 光琳のものなども観ますが、勿論、オリジナリティーを出すために、高価な和紙をなん百枚も用意するのです。

 パクるなどは考えられないことです。

 1枚の古色紙に丸一日かけて、家中、紙を散らしながら描くのです。

 顔は手書きですし、衣服は10枚から20枚近くの重ねコラージュです。

☆大手と組むのが一流という考えがありますが、私はそうは思わないのです。

 何より、絵の質が大事だと思うのです。

 居酒屋からの依頼でも、関西nhkに放映され、美術評論家たちは光琳カルタと比較して講評してくれたのです。

 37歳の時には、美智子皇太子妃(当時は)に献上され、パリ個展ではパリユネスコで働いている人に買われ、やがて、美術館に買い上げられました。(マチス、ロダン、ディ-ビュッフェのコレクションで充実しているところで1999年にはヨーロッパで優秀な美術館として受賞したところ)

 パーマネントエクスポジションされて、ガラスケースの中に入ってます。

 どこの国の方からもパクったなど言われません。

☆人は意外に観ているもの。

 豆本のグループ展に出したときに、昔は、池田満寿夫や武井武男等の画家の一部しかつくってなかったものの裾野がいつのまにか広がり、可愛い手作りの私家本がたくさん出てましたが、ある老人がやって来て、「こういう仕事を初めてしたのは貴方だ。」と言うのでした。

 その1ヶ月前に、「ちい散歩」で、地井さんが個展をやっていた喫茶店に訪れて、「すごいなあ。縷衣香さんっていうのですね。」といってくれたのが秋分の日にテレビ放映され、記憶していた婦人が、

 「ちい散歩で素敵な絵だと、ほら、喫茶店の電話番号をメモっていたのよ。」と、紙を見せてから、豆本を買ってくれました。

 プロの方たちからは、信じられないほど安いといわれますが、買える値段というのも私のルールなのでした。

 だから、佐野研二郎氏かそのスタッフがあんなにわかりやすいコピーを仕事としてするのが不思議でした。それで40代で2億のマンションが買えると言う成功をしているのが、「へぇ~!」という感じなのです。

 奥さんが、青山に30億のビルを見に来て、自分たちの年収は5億で買うのに6年かかるとも言ったそうです。

 オリンピックの仕事をすれば、200億とのことですから、実現可能な夢なのでしょう。

☆誘惑は多い。

 それこそ、アメリカの大学にいかせてあげる。

ヨーロッパにいかせてあげる。

 白紙の小切手をもってくるから、好きなものを買えばいい。

名のある国際的なアーティストにしてあげる。

 日本のデパートのどこでも個展をさせてあげる。


そういうのを、すべて断ります。
 
 それより、大学でたばかりの人や美術学校で学ばなかった人と同じ気持ちで、作品を頑張らなければと言う気持ちが大切だと思う。

☆若い時は名がない方がいい。

 あぶく銭はいただかない方がいい。

 危険な汚れた知人からは遠ざかることだ。

☆佐野研二郎氏は多摩美の教授だそうだが、多摩美のデザイン科が、パクリを認めているわけではないと思う。

 私の場合は、オリジナリティーがありすぎて女子美術からは、教授たちからいじめぬかれたものだ。

 グラフィックデザイン主任教授は、「いい加減に。真面目にするな。」と恐喝したくらいだ。

 また、クラスメートからは、「あんたのなんか、すぐ真似できる!」と言っていた。

 そのかたが、ある日突然、家に現れ、殴る蹴るをしたのであるが。

 多摩美の中にも疎外されながらも、ぱくらないデザインを学んでいた人がたくさんいるはずだ。

 この問題は日本の今そのものの姿だ。

皆が、軽く、嘘ついて凌ぐ時代。

オレオレ詐欺しかり。

☆ベネチアにいったときの学校のパンフが出てきた!

Scuola lnternazionale di grafica venezi

 3週間、この学校の寮に泊まりながら、ベネチアで絵を描くsmfaのプログラムで、16歳の娘も許可をとって参加したのだった。

 単位を取れるし、有料で、プロの絵描きも参加していて、ベネチアビエンナーレやグッゲンハイム美術館を見学して、月曜日から金曜日迄が授業。

 毎週末は、フローレンスやラベンナ、コモ湖などにいった。

 私は安く質のいい旅の達人なので、ラベンナの時は、アメリカ女性二人が、一緒にと言って、4人でホテルに泊まりレストランで夕食をいただいた!

 アメリカの大学のプログラムは誰でも参加できるし、美人のアメリカの女のこに、現地のイタリア男子が目をつけて、真面目なアメリカ男子が犠牲になり、夜中の4時頃喧嘩になり、警察沙汰になった。

 私と同世代の女性の先生も2人、週末にボーイフレンドをアメリカから呼び寄せ、男の取り合いで揉めていたので、画家というか、アメリカ人というのは、タフだと思ったものである。

 参加したアメリカ女性は、ボストン郊外に自宅とアトリエを持っていて、秋になって皆でミニツアーで再会した。

 アメリカ人の画家のほとんどは、自宅の別にアトリエを持っていて、とてもバランスのいい暮らしをしていた。

☆今日は恵比寿までお出かけなので、梱包も11時頃迄にして、支度をする。

☆恵比寿までjrで。ようじがすんだのは3時。

お昼をたべたのは、パン屋さん。

☆それから、阿佐ヶ谷駅まで。

☆アーケードのドイツ村でクルミを買う。
なかに、ドレスデンの教会。