October 31st, 2015

晴れ!プランターが届くと朝8時に電話!

 あまり寝てないので、もう一度、寝ましょう!

☆庭で洗濯ものを干していたら、8時30分に永青文庫から春画展の図録が届きました。

☆お花に水やりして、部屋を片付け、朝はキュッシュと無花果、茶。

☆テレビで長野の農業女子を紹介してました!

☆なかなか二度寝はできないものです。
着替えて、お化粧までしてしまいました!

no title

  最近、読んだ本によればイエスは実在した人ではあるけれど、マリア様は処女懐胎ではなく、戦後敵の兵士に強姦されたそうです。育ちは貴族の出で、当時は敵の兵士に強姦されるのは普通のことだったらしいです。

☆11時にプランターが届きました!
12時半までに90%植える!

チューリップ桃20球。
      白20球。
      白20球。
      黄20球。
シルクロード 5球。
アイスクリーム1球。
モンテスパイダー 1球。
フレミングマルゲリータ 1球。
フレミングスプリンググリーン 1球。
フォクシーホックスロット 1球。
ホォクシーホックスロット 18球。
ヘミスフィア 18球。
パステルカラーセット 15球。
サンシャインセット 15球。
ムーランルージュ 5球。
カサブランカ2球
オリエンタルユリ ピンク2球
オリエンタルユリ 1球
山ユリ1
ディジー1
ヒヤシンス 青3
ヒヤシンス 白3 

ブローディア ルディ 5球
エスティバム 鈴蘭咲き水仙 4球
スパラキシス 10球。

 疲れたのでお昼休憩。

 お布団の日光浴を!

☆4時半に分別ゴミだしに!
帰りは真っ暗なので大きな懐中電灯を持っていったのだが。カートと雨かもしれないので傘をもって行ったので両手が塞がってなかなか大変。

 ペンダント形式か帽子形式の懐中電灯をかわないと、雪になったら危険だ。

☆娘がすき焼きの用意を長野に行ってかってきたので、夕食はすき焼き!

 とても美味しかったので、食べ物の充実は大事ね。

☆夕方、セブンイレブンのところで5度。
夜中はコテージは0度だろう。

 湯タンポもだした!
 ローラアシュレーのバラの毛糸の白地に一輪のピンクのバラがとてもきれいな湯タンポケースに入っている!

☆なにしろ2ちゃんねると5ちゃんねるしかつかないテレビなのだが、今日は、カナダでのフィギアスケートと11時から藤田の映画の番組をやっていて充実。

 アメリカ代表の3位に入った男子の選手の髪が、ブルーだったのだが、私の染めたのと同じブルーだ。

 25歳の青年はとてもかわいい顔をしていて、男子はイケメンばかり。

 どういうわけか皆難易度の高い技に挑戦していて、転んだ。

 しかし、手足が長いのね。

 日本の選手も気概があってなるほど。

 カナダ代表男子は二人ともアジア系。東洋人の方がフィギアにはむいているのでしょうか?

 日本の羽生選手の時は、ハラハラしてしまう。 

 トップを走るブレッシャーをあの細い体に背負って、なんでもありの事故に、凝視できない。

 チェコやロシアの10代の選手はフレッシュで可愛い。

 女子はなかなか精神力が強そう。

 アメリカの選手はきれいでした。
強くて、バランスのいい現代の選手なのね。

 ロシアの選手は若いけれど老成しているほどこくかある。

 日本選手はやはり根性と努力で頑張っている気がします。

 カナダなのに、スポンサーでしょうか?
日本の広告が目立つのでした!
 
☆藤田の方は映画監督の時代の文化論がなるほどと思いました。

 高村光太郎の詩や藤田の晩年の都々逸の録音が印象的でした。

 藤田の絵は洒落ているが、哲学を感じられない。装飾的なのです。私はそう思う。

 ただ、勤勉で頭のいい人。
育ちもいいです。家老の家で、父親は軍医。

 恵まれた人です。

 前にモンサンミッシェルに行ったときに、2歳の娘をだっこして、バスもタクシーもないので駅まで歩こうとしていたところ、一台の車が止まりました。

 おばあちゃんとお母さんと娘が乗っていて、どこまでいくの?と訊ねるので駅まで行くの。と答えたら、駅までは遠いのよ。私たちは駅の隣に住んでいるの。汽車が出るまでは時間があるわ。それまでは家でお茶を飲んで休んでいるといいわ。と乗せてくれたのです。

 本当に駅の隣の小さな一軒家でした。

 お茶を淹れてくれて、お話が弾むと、藤田はパリの同じアパートに暮らしていた時に知っていて、とても寡黙な人だったと言うのです。

 藤の花がたわわに垂れ下がる季節でした。

 5月くらいだったでしょう。

 個展をしにパリに滞在した10ヶ月の間、私はフランス人の生活になぞり、週末は必ず1泊のプチ旅行をしていたのでした。

 アートの神様はいるんです!

 フランスに旅していて、不思議なことがたくさんありましたが、困っているときにも神への信頼で困らないように運ばれるのでした。

☆しかし、81歳で亡くなるまで63歳から帰国することはなく、フランスに帰化した藤田は、寂しかったでしょうね。

 カトリック信者になり、ランスに平和の聖堂を創って亡くなった。

 フレスコ画で80歳から最期の仕事として手掛けたそうですが、神への信頼があったのでしょうか?

☆ニースのマチスのロザリオの教会。 

コルビジェの教会。

祈りの場は美しい。

☆当時の日本画壇にはあまり評価されなかった理由のひとつに、藤田は自分の白い肌を描く技法を人に教えなかったと言うのがありました。

 当時は黒田清輝が芸大で教鞭をとっていた時代で、西洋から得たものを皆で学ぶ時代だったようです。

 それで、技法を教えない藤田に批判があったようです。

 藤田から見れば、パリで成功するためにお調子者にもなり、目立つために割りきったところもあり、プロの厳しさで甘えを疎んじたところもあったでしょう。

 また、なにもかも揃っていた藤田に嫉妬や憎しみのある日本画壇でもあったでしょう。

☆孤独と自立のパリ。
アーティストが甘くいきられるわけかない。

 まして、東洋人のハンディもある。

 藤田だからこそ、受け入れられたパリ画壇でもあったでしょう。