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私の場合。
20歳4月7日、神との契約により、誰でも愛する決意をした事から始まる。
☆他校との学生サークル。
女子美術には異性はいないので、美術大学進学を許してくれたのだが、他校には異性はいるのであった。
私の目の前で、私の名を連呼している同年齢の青年。それは、無意識で本人は意識してなかったと思う。
そうして、近づいてきた青年は、直感でとても弱い人だと思えた。
私には、異性に対しても同性に対しても、好きだ嫌いだという感情はあってはならないという決意がある。
神はそれを許さないだろう。
普通に学生サークルの交際があったのだと思う。なにしろ、もう50年近くも前のことなのだ。
覚えているのは、つげ義春の漫画を紹介されたことや音楽喫茶ランボーとか青蛾とか言うお店に行ったこと。
確か、私がマクルーハンの「メディアはメッセージである」と言う本を読んでいるとき話しかけられた。
「女の人の頭がいいのはいいな。」とか。
「私はバカです。頭が良くないです。」と答えた。
☆ある時に、それも、無意識に彼は出生のタブー(らしい)を吐露してしまった。
それは、不本意らしかったらしく、壮絶な虐めが始まった。
とにかく、私に話させないような脅かし。
憎しみ。
私 = 世間
への怒り。
本能的に破壊せずにはいられない攻撃。
☆私はどうしていいかわからない。
私には、逃げる事は許されない。
私は誰でも愛さなければならないことを神に誓ったのだから。
私は毎日、泣いていた。
父の仕事場を手伝っていたので、大学から帰りると、夕方はレジを打っていたのだが(ゴルフレッスン所です)、よく泣いていて、プロレッスンの先生に見られたりしていた。
☆私は三つ巴に苦しんでいたのだ。
その青年の人権にかかわることなので、誰にも相談できなかった。
その青年は、正体を見せて5000万円のマンションを買えと意味のわからないことをいったり、経済的集られていた気がする。
両親からは交際はとんでもないといわれる。
以前、通っていたお料理学校(田村魚菜)の友人に偶然であったときにも、「人相が変わった。そのお付き合い相手は切ってください。」といわれる。
神は何を望むのか?
欠点があるからといって去っていいのか?
私は育った環境でない体験をあえてして、差別を受ける側の苦しみを知ろうとした。
本人からは、何かにつけて「差別だ。差別だ。」と罵りを受け、生き地獄だった。
それを乗り越え、神が望むなら、喜んで差別解放の生け贄になりますと言う心境に到達したときに、それこそ、天上から一筋の光が射して、その青年が苦しみから癒されたようであった。
別に肉体関係はなかったが、精神が通ったのだと思う。
気がついたら猫背の自信のなさが青年から消え、堂々と胸を張って生きていた。
それが、私の青春で大学を出る頃は半年間寝ていたほどのダメージを受けていた。
その青年から離れられた理由のひとつは、易を知った頃で幾度占っても、四大難卦が出て、去れと出たことで、聖書の教えの七回の七十倍許しなさいと言う、教えとの違いに現実を学んだのであった。
☆この世には確率を越えた真理がある。
それを学ぶために、体験したのかもしれなかった。
しかし、客観的には、20歳から24歳くらいまでの若さも美しさ(年頃の女性が誰にでもある)も壊され、一番大事なときにと言う怒りも両親はあった。
精神も壊されていた。それから回復までに7年くらいかかった。
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異説 野口英世物語
文学座公演
作 マキノノゾミ
演出 西川信廣
紀伊國屋サザンシアター
☆なかなか面白い作品でした!
1876年に福島県三ツ和村で生まれた野口清作が、1878年に、いろりに落ちて左手に大火傷を負う。1883年、三ツ和小学校に入学する。
1889年、猪苗代高等小学校にはいる。
第一の恩人、小林栄先生 自分の月給から学費を与え、手の手術をさせ医師への道に導いた。
1892年、会津若松の会陽医院 院長 渡部 鼎先生により左手の手術を受ける。
1896年、「志を得ざれば、再び此地を踏まず」と床柱に彫んで上京。
タイトルはここからとった。「再び此地を踏まず」
☆野口英世は偉人として、私たちは火傷や貧乏に負けなかった人として、環境がどうあれ、向学心と努力で国際的な医学貢献をしたとインプットされている。
現実には、女好きで遊郭通いをしたり、大金を人に借りて、飲み食いで散財して迷惑をかけたり。
しかし、恐ろしく勤勉で、人の善意を引き寄せる人でもあった。
☆従姉妹からの誘いで、佐川和正さんが出演するのを観に行った。
物語は、1898年、野口英世が北里柴三郎が所長を務める伝染病研究所の助手となるところから始まった。
小説で野口清作と言う若者が不良なので名前を英世に変えたのもこの頃。
郷里からお金や着物を借りている友人が訪ねてくる。
帝大出だらけの研究所で学歴や経済的に恵まれない野口英世は悪評を得るほどの品行。
ドイツ語がわかるので一言話すと野口英世は分限をわきまえないと同僚たちに批判される。
佐川和正くんは、物語の語り手で、野口英世の同僚。
長い台詞をよく覚えたものだ。
☆舞台は、中国、アメリカと移り、語学能力が彼の出世を導く。
前に、野口は中国につくまでの3か月の船の中で中国語を独学でマスターと読んだことがある。
アメリカのレストランのウェートレスと結婚し、ロックフェラーの研究所野口として有名になるが、ジャップと罵られ差別も受ける。
梅毒の研究をし、京都大学や東京大学から博士号を贈られ、幾度もノーベル賞候補になる。
恩人たちもアメリカに訪問し、成功を称え、アパートの隣人の画家からや秘書との研究生活からも非凡な野口がうかかえる。
ストレス解消から別荘で絵を描いていたようだ。
☆失恋や手の火傷や貧しい障害から、いじけることなく前にすすめたのは、母親シカさんの祈りか!好い人たちに恵まれた一生だ。
野口英世の明るさ。
志。
国際的成功。
人の話ながら晴れがましい!
☆野口英世の親戚が作っていると言うDr 野口と言うお酒を買った。
フレスコのボトルに入っている!
父の位牌の横に置いた。
父はお酒が好きだったし、中国語を3ヵ月でマスターして通訳になった父も野口英世は好きだと思われるから。
☆従姉妹と高島屋の3階でアップルケーキの上にアイスクリームののっているお菓子とアールグレイのお茶を飲んだ。
互いに母親を亡くし、親戚も少なくなった。