January 8th, 2016

 梱包を終え、送ってきた美祭を観てます。

とっても、分厚い絵の顧客用の画集です。

ですから、値段がでているのですが、色々発見があり、楽しんで観てます。

☆田中一村は、奄美で染色のバイトをしながら、貧しいなかで絵を描き、ひっそりとなくなられた画家なんですが、ある日、1枚の絵をキューレーターが観て、探し求め、展示会を企画したのが縁で、NHKでも紹介され、本も出版され、注目されるようになりました。

その彼の小品が軸になり、すでにいい値段なのです。

 2双で65万円。特別個性のある作品ではなかったです。

次に、大観は高いんですね。
千万の単位でした。

いいと思ったのは秋野不矩。
300万円で買えませんけれどね。

アフガニスタンの風景。
no title

 山口長男の油彩6号が700万円でびっくり。
no title

 私がギャラリーで最初の個展をしたとき、1972年京橋のプリントアートギャラリーで
シルクスクリーン版画を発表しました。

その時、毎日デイリーニュースが記事を書いてくれたのですが、一緒に紹介されたのが、山口長男、小野木学、島田君の彫刻(芸大の大学院生)オノサトトシノブ?私で、私の作品だけが写真で出たので、びっくりしたものでした。

テーマは、「名あるもの形あるものが信じられなくて、占いの世界を版画にしてみました」と言うものです。

64枚の易の古色紙もコラージュで発表し、やがて、易カルタになります。

ギャラリーオーナーの魚津さんが、「もう、大丈夫。」と、おっしゃったので、「まさか!」と思ったものでした。

私は油画科を出たのでないので、著名人のなも知らないのでした。

23歳か24歳の頃のことです。

今、思うとずいぶん幸せなレビューをしたものです。

次の個展は1973年。銀座の村松画廊で、「不思議な国のアリス、あるいは流異香個展」。この時はコラージュで、やはり、毎日デイリーニュースが書いてくれましたが、写真は記載されず田淵やすおや白髪一雄らと批評が記載されました。

公明新聞には、写真と文章を請求され、顔写真とアリスカルタの複写が記載されました。

誉れより恥を愛し
世と異なりて
低きに流れ
貧をもって品位とす
あるよりはただ香る

文章説明と自分が精神的なものを物質的価値より大事にしていると書きました。

バブルのただ中で、個展をしているとスタイリストが来て、カルタを借りていき、花園濡れ納豆の正月のカレンダーに使われたものです。

流異香はルイス・キャロルのもじりになっていて、世の中に抵抗していたものです。

一番辛いのは、セクハラだったと思います。

嫌なこともたくさんありましたが、25.6の花盛りで、街を歩いているだけで作品が売れました。

全身から歓びが溢れていて、街を歩いていると「わっ、可愛い!わっ、ちれい!」と言われたり、からかってくれてたでしょうか?パッと包囲して写真を撮影するポーズをグループでして、たちまち去っていったり、毎日が楽しかったのでした!

なんというか、今に比べて人びとに余裕がありました。

人を楽しませ、幸せにさせる人間的な大きさがありました。

貧乏でしたし、更に貧乏な人が1枚1000円の手書き易カルタを買ってくれたので、絶対裏切らないように生きようと思ったものです。

そういえば、当時独身だった西村画廊の西村さんも2枚買ってくれました。

画壇が全体的にやさしかったのです。

現代美術のギャラリーのどこにいっても、夕方になると水割りがでて、歓待してくれ、誰も自分の利益にならないことでも、若いアーティストにやさしかったです。

伸び伸びと、自由で私はいろんなギャラリーに出入りしてましたが、豆本のギャラリー吾八。
豆団扇のホテル・オークラ内のフランネルギャラリー、易カルタを売ってくれた京橋の此花画廊。皆、とても大きな心で育ててくれた。

此花画廊の看板は川端康成の字と言ってましたが、チャンスをくれた村田陶さんとおあいしたのも、ここでした。

☆加島美術が送ってくれた美祭のお陰で、若い日々の事が甦ってきました。

私はとても幸運な人なのだと思いますが、
画集のなかで、土牛のさらっと描かれたチューリッブ等観るとまだまだ到達できない境地がある。

画家は孤独であってもいいし、とても忙しくなったので、お付き合いがなかなかできなくなって、年相応の体力の衰えもあるのを、理解していただくより他ありませんが、やはり、一枚でも多くの作品を描きたいものです。

今日もコインランドリーと大掃除!

同じような風景がある。

ボストンでも、住んでいたアパートを家賃節約の為に、絵を描くために借りていたアパートに住むことにした最後の1年は、コインランドリーに通っていたのだ。

ボストンの絵を描く人は、住む家と絵を描くアパートを別に借りていて、私は道を二通りほど離れた同じ地区に借りていた。

 1階で庭からも入れて、大きな柳の木のある白いアパートで、その頃はバスケットを編んでましたね。

その家には洗濯機がなかった。

幸い学生街のど真ん中でコインランドリーも近かった。

しかし、黒姫とほぼ同じ状態の雪処。

寒いのでホームレスさんたちがコインランドリーで暖を取っているのだ。

ホームレスさんたちの中には若い人もいて、洗濯袋を持っていると、10ドルくれれは、運ぶのを手伝うという。薬をやっていて、コインランドリーまでは1.2分で行けるし、第一、洗濯ものは軽いのだ。毎日ですからね。

☆引っ越しはアメリカだけで4回しました。

いつも、一人でしました。

大抵、次のアパートを一月前に借りて、小さなものを自分の車で1つづつ、次の家の食器棚に運び、最後に娘のピアノと家具を業者に運んでもらうのです。

東京からボストンまで、段ボール箱40箱運んだので、荷物たくさんあるのです。

世界文学全集も日本文学全集も運んだのです。

着物も娘のも私のも幾枚も持ってきました。

それを、引っ越し毎に一月かけて、自分も娘も学校に通いながらやったのでした。

今回も似ているなとふと思ったのです。

異国暮らしは毎日緊張の連続でした。

その頃、娘はボストン近郊の寮にいってましたが、最後の1年は、家から朝6時頃起きて南駅から近郊電車に乗って通ってました。

テキサスからのアメリカ人の苛めで大金持ちの学校に何億も寄付しているうちの娘で、子分を幾人も使って虐めたそうです。

日々の寮生活の苛めで逃げ場がないので、自宅から通ったのです。

 9月からだったが、11月頃にはその娘は退学処分を受け、「アメリカには正義がある!」と、娘は喜んだものです。

美人で成績もよく、もう、行く大学も決まっていた子でした。

フランスに居たときは娘は2歳でしたが、男の子がぶったりすると、フランスのママは自分も子を叱ってました。

「女のこに手を出すなんて、ママはあなたが恥ずかしい!」

日本だけでしょうね。苛めをしっかりと叱らないのは。

文化の差でしょうか?

苛めをなくさないと!

☆昨日の娘との会話。

東北大学医学部のバス停の前で1996年に、高校生が交通事故で倒れていたそうです。

医学部の生徒たちは、自分の研究生活の方が大事とそれを見ながら放置。

その女子高生は亡くなったそうですが、遺族が医学部の前なので、もっと早く適正な処置をされてれば娘は助かったと抗議したそうです。

それで、今、退職した69歳の医学部長の教授が慰霊碑をたてたそうです。

バス停にはその慰霊碑がたっているそうですが、医学部の学生が自分の学業的業績を人の命より優先するなんて!

恥を知りなさいと言いたいです。

名を残さず、人の命を助けている医者もいるはずです。

大学は何をやってるの?

しかし、東北大学大学だけでないのです。

私の学んだ女子美術も酷いものでした。

大学の暴力があり、個展の案内状をもっていくと、「ひけちらかしにきたのか?」と、教授が言うのですから、そんなところで素晴らしい画家が育つのか?潰してるのではないかと、思ったものです。

そう言えば、日本で初めて女性で文化勲章を受賞した上村松園に手をつけて私生児を産ませた日本画の大家の絵を昨日、画集で見ましたが、松園の方が格が高いのですね。

安かったのですよ。師の絵は、軸で15万円。

年月がそう評価したのですね。

宮尾登美子の「序の舞」を、読みましたが、女性画家を性の対象にする画壇で、私生児を育てながらと言うのは凄い人生です。

女と言うことで松園をいたぶっていた同僚の男性画家がつまらない仕事しかできないで死んでいきましたとも、書いてありましたね。

「そのバス停の前の交通事故で亡くなった女子高生は医学部の腐敗を告発するのが使命だったのかもしれないね。」

それが、昨日の娘との会話。

娘は昨日初めて知らない町を一人で歩いたというのでびっくり!

それまでは誰かと行ったことがあるところしか行ったことかないと言うのです。

渋谷はSちゃん。秋葉原はパパと。
そう言うところは一人でもあるけるそうです。

それで、神保町が初めての独り歩きだったので、とても面白かったと言うのです。

 31歳でですよ!

ええっ?

初めての知らない町独り歩きが神保町?

娘発見!

☆そろそろ、主人が異国から帰って来るので、片付けないと!



コインランドリーの待ち時間!

クッキー缶に外貨の小銭とお札を入れていたのですが、娘が住友銀行のユニセフで扱ってくれてると言うので、缶ごと持ってきました。

中国からユーロ、ドル、日本円もあったのですが、それも全部まとめてokと言うことで缶ごと置いてきました!

☆花火の袋が出てきたので、台所で水につけてビニール袋に入れて捨てたら、娘が1日水につけると分解されると言うので、また、出してバケツにつけときました。

いろいろ、お片付けも大変です!

☆今日は、夜の食事の用意とガムテープと濡れテッシュを100均で買うことと、お米が切れたので買わないと!

台車を持ってきているので、運べます!

 無事に全部終えて帰ってきました!


 32分の洗濯中に住友銀行のユニセフに、その後にエクセルシオールでお茶をして、コンビニでガムテープ3巻きを買い、別のコンビニで缶コーヒーを買って、お釣の100円玉をたくさん用意しました。

乾燥機に移し、70分で700円コインを入れました。

それから、台車を置いて東急に行きました。

先ず、6階のcan Do で、濡れテッシュ7パッケージ。

 5階の銀座マギーでパンツをMとLサイズを試着して両方とも買いました。セールで半額より安かったです。

試着してみると、足がとても細く見えるのです。てのこったデザインで、紺とグレー。

長野からパンツは1本しかもってこなかったので、掃除のときはいているのですが、洗濯できなくて困っているのでした。

それから地下で食材。

お米も買ったのですが、重かったです。

今夜はパスタでもチャーハンでもピラフでもOK!

  しゃぶしゃぶにしました!

☆乾燥前8分にコインランドリーショップに帰り、店のオーナーのおじいさんとお話して待ってました!

テーブルの上で寝ていた男の人がいて、警察を呼んだそうです。女の子が寝ていたときは、そのまま寝さしていたそうです。

ホームレスには、お説教したそうです。

ここまでなる前に、家の一軒も建てれないのかと。一期一夕で年をとったのではないだろうと。

☆家に帰ったら、水が切れていたので娘に買いに行ってもらいました!

さあ、ご飯を炊こう!