March 23rd, 2016

Christmas

8時56分のひかりで名古屋に!

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 9時33分に名古屋。

 一宮の三岸節子美術館にいって、名古屋発「しなの」で、長野に向かいます。

 娘は、大阪発の「おおさかしなの」が、3月26日までなので、卒業鉄道に乗るそうです。
 
☆コインロッカーにカートと紙袋を入れる。

☆9時56分のJRで尾張一宮まで。
300円。駅から、バスに乗って20分とか。

☆越(おこし)行きバスに乗りました!
暖かくて、心地のいい日です!
Christmas

三岸節子美術館!

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息子さんも亡くなっているのですね。

立派な美術館で親子3人展でした。

 三岸節子さんは裕福な織物業の経営者の家のお嬢様。

 しかし、生まれつきの足の不自由があり、客が来ると、倉に隠され、家の恥とされて育ちました。

 家は10代の頃没落し、境遇が変わりました。

 足の不自由があるので、食べていけるように、親は裁縫をさせたり、医大受験をさせましたが、本人は先輩や親戚の影響を受け洋画家になりたかったようです。

 両親の反対もあったのですが、説得し、愛知県から、東京に出て女子美術の洋画に入りました。

 没落した家を恥に思い、絵で名声を上げたかったようです。

 貧しくてもいい絵を描いていた三岸好太郎に出会い、若くして結婚しました。

 娘2人と息子に恵まれましたが、浮気ばかりしていた夫は31歳で亡くなりました。

 女性が画家としてやっていける時代でないのに、三岸節子は3人の子供を、絵を描くことで育てました。

 戦争や時代の無理解のなかで、野菜を作り、遺伝子を受け付いた娘の足の手術や貧乏とのちかいもありました。

 没落したとはいえ、名家の力でアトリエを建て、描くために軽井沢や大磯に越しアトリエを建てました。

 自由結婚と言う宣言もしましたが、子供の世話をとり、4.5年で解消しました。
 やがて、60代から18年は、フランスのパリから100キロほどの郊外の家に住んで、画家となった息子と暮らしました。

 亡くなった夫の絵を買い集め、郷里の北海道に寄付し、記念館を建てました。

 文化功労賞を受賞し、自分の絵を郷里に寄贈し、寄付金が集まり、生前、美術館が建てられました。

 いい人生でした。

☆黒姫は雪なので、特急しなので着替しました。温度差が15度くらい。
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1時の特急「しなの」に乗りました!

ひつまぶし!
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特急「しなの」のなかで着替えをしました!

眠かったのですが、本1冊読みました!

 初期に性転換したデンマークの画家の本です。
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☆時間がなかったので栗おこわを2箱買うのがやっと!


☆4時10分の北しなの鉄道で黒姫へ!

喫茶「しなの」でコーヒーを!

6時頃コテージに帰りました!

☆栗おこわを暖めて食べて、おやつは砧!
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