このところ、考える。
私の68年間の人生勉強で、私が世間知らずなのか理想主義過ぎるのか、驚くことがありすぎた!
☆舛添知事のことを、テレビで連日、放映していて、彼批判は歯に衣を着せない表現で「せこい」「恥」とか、正義感からなので皆堂々と発言。
しかし、今、始まったことではない。
せこさや人の気持ちのわからないことは、前からずっとだ。
今までは、公に言えなかったし、公に発言すれば、潰されるだけの権力を舛添知事持っていたのだろう。
☆私はボーっとした女の子だったから、鈍感だったかもしれないが、私が人間にたいして驚き怖くなったのは、高校生くらいからだ。
とにかく、ベビーブーマーで戦後生まれた世代で、世の中は活力があり、貧しい人も白衣の箱を持った傷ついた軍人もいて、戦後の痛み分かち合いながらも、陰湿な虐めもなく、仲良く暮らしていたのだ。
舛添知事も同世代だ。
塾もできて、私も半年通って中学に行った。
子供の個性や家庭の方針かもしれないが、模擬テストで全国の順位が出ても、自分が馬鹿でないことがわかれば、特別トップになりたいなどとは思わなかった。
あんなものは、その気になれば、順位が上がるのは簡単だ。
☆しかし、なぜ、上を目指すのか?
特権を得るためか?
アホらしい。
☆貧しい少年時代、リアカーで野菜を運び売っていたと言う。
悔しい思いもあっただろう。
自分より、優秀でない人間の豊かさに、羨ましくも思っただろう。
長女のお姉さんは、地面に白墨で字を書いて幼児の要一に教えていたと言う。
成長して、力を得た時に自分と同じ同胞を引き上げようと思わず、大多数の庶民の税金で贅沢をしてしまった舛添知事の貧しさ。
それは、救いのない悲しみのともなった心の貧しさだ。