京橋にあった此花画廊の池田オーナーと!

易カードセット!

毎日デイリーニュースの記者が記事を書いてくれた!
プリントアートギャラリーのオーナーの魚住さんに「もう大丈夫!」と言われたが、私は「ま
さか!」と思った。
1972年、24歳?
大学出てから、渋谷の西武デパートの個展から画廊での初めての個展。
西武での個展は軽井沢で会った企画部の人が作品も見ずに企画してくれた。
なぜ、軽井沢にいたかというと、見知らぬ女の子が(同年齢)、軽井沢に行きたいという
ので夏のアルバイトでいたのであった。
私のあまりにも非常識な他者への善意は誰にも評価されることも感謝されたことも無かっ
たが、私にアーティストとしてのチャンスを運んでくるのであった!
いつも書いているように、大学を出てからは親からは1円も貰ったことが無く、自己責任
で行動していたのだが、表に出ている晴れ空間の裏で辛い事は重ねてあった。
初めての個展の帰りには、同じ中学、高校、大学で学んだ同級生から彼女の運転する自動
車の中で両手の爪を立て顔を引っ掻かれた。
必死で右腕で肘鉄し、左手で車のドアを開け逃げたが、彼女は肘鉄為れたことだけを噂で
流して、私は白い視線を浴びたのだが、黙っていた。
小さな栄光と悪魔の爪痕はいつもセットでくるようだった。
下の写真の京都の個展案内状は一茶の句である!
一茶の里の信濃町に、今、居るのも決まっていた運命なのだろうか?
京都の個展は、ホテルオークラのアメリカ人が経営するフランネル画廊に豆団扇を出して
いたとき、材料を京都の紙問屋で仕入れていた縁でギャラリー紙泉堂が開かれたときに、個
展を企画してくれたのであった。

7色のバスケット!

ヴェネツィアの島で!

庭中に百合を植えた年に描いたもの!










