雨が降る前に分別ごみを片付けたい。
冬の間の分も少しづつ運びたい。
バッグの中に浄化槽チェックの請求書を発見。
帰りにセブンイレブンで支払わないと。

ミニ棺桶。
100あるのだけれど、1個出てきた!
無くさないように大事コーナーに置いておきましたが、今日の棺桶はとても素敵な暗示で
した。

帰ってからお味噌汁と卵かけごはんとしば漬け。

娘と一緒に黒姫駅まで。
1分早めに娘が妙高高原方面行きの北しなの鉄道に乗り、私は11時55分の長野行きの
北しなの鉄道に乗りました。

12時45分から長野ロキシーで「はじまりへの旅」が始まるので、ぐるりんバスで権堂
にいきました。
間に合いました。
上映は予告編でした。

☆とても今日の社会の課題を表現している映画でした。
始め、のシーンはアフリカか南米か東南アジアの青年儀式のようでした。息子が父に試さ
れ、一人でカモシカをしとり殺せるかを見せて為し遂げます。
森は深く素朴な自然がそのままある。
滝、豊かな水の流れ。
父も息子も顔を泥で塗っていたので白人には見えなかったのですが、やがて青い眼が現れ
て6人の子供たちが父と一緒に電気のないガスのない学校に行かない独特の理想教育した
をしている家族なのがわかります。
ミルトンの失楽園!
娘はボバリー夫人を読んで、レイプ談義になると、パパは幼い子供にも、性交をきちんと
説明する。
意識の高過ぎる日々の会話だ。
ノ-ム・チョムスキーの哲学の信奉者だ。
子供たちはとても高度な教育を父親から受けてます。
歴史、哲学、文学は17歳くらいの長男を筆頭とする男女6人の子供たちは大学レベルの
ようなマルクスや社会の構造を批判する力を育てる教育を受け語学も6ヶ国語話せエスペ
ラント語も話す女の子もいます。
体力もサバイバル教育のでしょうか?ナイフの使い方もこどもたちは巧みです。
ワシントン州の山岳地方のようですが軍隊、訓練のような崖登りも半端でない高度なもの
で、更に音楽やダンスも楽しみバランスのいい暮らしなのです。
家も寄宿舎のような二段ベッドのある暮らしや木の上の掘っ建て小屋に住む子供もいて手
造りのテントにいる子もいて個性的でロビンソンクルーソーのようでもある。
これはアメリカのひとつの流行りだと思う。

映画ですから、ファッションも実に洗練された汚れた古着もク-ルで、自然の鳥の落とし
た羽根ややまの花を飾った美しい髪飾りも
独特なものです。猫のような剥製を被った男の子もいて、それもみているだけで楽しい。
ふと気がつくと、ママがいない。
ママは精神を病み、手首を切って自殺をしたと電話がかかってくる。
ママの父親から、ママを追い詰めて不幸にしたのは父親だから、葬儀に出るのなら逮捕を
すると言ってきた。
しかしママから公式な遺言書が届く。
「私は仏教徒で火葬してくれ。遺灰はトイレに流して欲しい。」
ママの父親は教会の葬儀と土葬を手配して、婿は出入り禁止で着たら逮捕すると宣言。
しかし、家族は大型バスを改造した自家用車にのってママの葬儀の行われている2400
キロメートル先のニューメキシコの教会に向かう。
☆父親は小さな子にまで母親に自殺を隠したりはしない。
長男にはハーバートやブラウン大学やプリンストン、MIT等の一流大学から合格の手紙
が届くが父には内緒にしている。
子供たちは父親から訓練され、独特の方法で交通違反やスーパーの万引きをやりとげるが
父親の思想で資本( -_・)?主義批判やコーラは毒という理屈で正しいと、思わされている。
意識が高く、世の真相が見えてしまう人達はかえって生きにくいところがあるとわかりま
す。
亡き妻は大富豪の一人娘で精神を病んでいた。
大富豪の娘も、ある意味、逆ハンディを背負う。
夫は彼女も救うために森の生活を自給自足の生活を選んだ。
6人の子供達は森で純粋な理想教育を施されたが、現実の世界の体験がない。
パパの兄弟の家に寄ると、学校に通ういとこ達はゲームと深く考えることのない教育に生
きてることを知る。
実際に人権に対する考え、知識も学校に通う子供達は何もなく、森の子供達の淀みない知
識や行道に脱帽するばかりだ。
しかし、世間常識の思想しかない妻の実家の大富豪の父も母も反抗的な孫の一人からス-パ-を
家族ぐるみで襲う暮らしや崖登りの酷い傷を医師に診せる事の無い暮らしを知って孫全員
を育てると言い出す。
名門大学に軒並み合格した長男は、実はママが協力してくれてたとパパに話し父親は自分
の教育の挫折を味わう。
朝のちいさな棺桶発見は、映画の中で実際の棺桶が出てきて大きな今日のテ-マを預言し
ていたのだった!(実際に私は今日は家の片付けをしたいと思って分別ゴミを捨てに行っ
たのに、娘が長野行かないの?タングラムのバスはもう間に合わないよ。一緒に長野に行
こうとタクシーを呼んだら、北しなの鉄道のなかでこの映画が12時45分から始まり、ち
ょうどまにあうことを知るのだ。おまけに娘は黑姫駅から反対方向の妙高高原行きに乗っ
たのだ。)
この映画の中で子供達が墓を掘り起こし棺桶を運びママの望むように海の見える海岸で家
族で火葬し、遺灰をトイレに流すまでやりのけるのだ。
棺桶の中のママは美しい花に囲まれ、子供達はママの望んだように歌い踊ってママを送る。
棺桶を掘り出した跡は土をもとに戻され、何もなかったように遺体が寝ていると誰もが思
うだろう。
最後はより正しい可能性の実現だ。
これは考えのある人達の一つの提案だろう。
☆カンヌ映画祭で監督賞受賞。
プログラムは売り切れ。
検索すると東京で一カ所、上映中。
もう一度観たいな!
長野ロキシーはプログラムの再入荷しないといってるし。
日本で、最近、歌舞伎役者の妻の小林麻央さんが亡くなり、幼い子供達の辛さを誰もが伺
い涙流す現実がある。
母親を亡くした子供も、妻を亡くした夫も、娘を亡くした親も皆辛い。
原因は現代の社会かも知れない。
誰もが幸福を求めながら、間違った幸福を求めてしまう。
遺灰をトイレに流すというのは、ある観念を嘲る事だろう。
形というものを無視する哲学。
東洋的というのか。

映画のあと、お茶をして新しい魔法のケ-キか美味しかったので娘にお土産に買う。

お花屋さんでラベンダーの育て方をきいて、ラベンダーの名のある花を買う。

娘が。新井で買ってきた。安くて美味しそう。

いつも、半分は食べきれないのでタッパーに入れて娘は持って帰り、私は冷蔵庫に入れて
翌朝いただきます。