November 7th, 2019

Christmas

晴れ。





 チンポムは作風!
 会田誠の作品、安倍総理の英語をおちょくる作品だが、日本批判の中に深い洞察。
 
 ウィーン日本大使館、公認を降りる。












会田誠作品。
 





















よく眠れました。
8時過ぎに起きました。

兵庫県の街。相生。

表現の自由。

要請で書いてる。
事前に審査なし。




















 北陸新幹線廃車
Christmas

2006年10月10日から始まったプログ!Ruiico is here.とだけ書いてある。



今、届いたポピー。
寒地は春4月5月に蒔けとのこと!

節約グッズ「ちふれ」の口紅も愛用!




 2006年、12月8日に出版した「マリア,コード」。



 2007年4月8日浅草橋「まめまつり」富士豆本
 2007年4月20日
 pure aquaさんに呼ばれて
 浅間神社
 4月22日「アースデイ」
 4月24日自由が丘のsoft breezeさんから「オーラソーマのコーラルピンクとタコーズブルー」のボトルを買う。
❇❇❇
 その日のプログのコピー
自由が丘の街を楽しんでますと、恐妻で有名な「カイヤ」のかわいらしいお店がありました。かわいいワーゲンにもお花や名前がプリントされ、中を覗いていると本人が現れ、「ヨガとべリーダンスと英語を教えているので来て!」と言われました。チラシには息子さんのケイトの名もありました。アメリカ的に高校生でもバイトをさせているのでしょう。「では、お友達に知らせるわ。」と言ったら、「もう1枚チラシを持ってくる。」といったので、「ああ、これで十分です。」と言って、「又ね。」と挨拶して私は都立大学駅のギャラリー「グラナダ」に向かいました。「ダンテの神曲」を発表したスペイン・イタリア・南米の小物を扱ってる貿易会社です。オーナーの河村さんと7月のグループ展のお話や8月のインスタレーションのお話をしました。
 グループ展中に彼女は私にオレンジと金色の十字架のスコットアイランドのアタッチという刺繍のブック・マークを編んでくれました。彼女の慈しみで多くのアーティストが育ってます。アーテイストは人の愛を沢山注がれて育つので同じ系列の銀座みゆき通りのギャラリーGKでの7月のグループ展に私も力を与えられたのです。


 「ダンテの神曲」煉獄編の部分。珊瑚ピンクの桜とタコーズの薔薇が見えます。


 それから、すぐ近くのアポイントをとってあった美容院「ジャネイロ」に行きました。


 私は美容院嫌いで長時間いるのが苦痛なのです。
しかし、飾ってるある聖母マリア像のお蔭で居心地がいいのです。おトイレの中にも聖母像が手を広げていらっしゃるのでちょっといいのかしらとも思いましたが、私たちの全生活を肯定してくださっているのですから悪いはずはありません。

 マリア様は、メキシコに御出現なさったときは肌の色も浅黒く、出現する場所によってヘヤ・スタイルも違うのだと話ますと偉く感心されて「成程。成程。」と納得していました。オーナーさんがマリア・コレクションされているので働かれている美容師さんもよくマリア様のことをご存知でした。

 家に帰って、ハンバーグと蟹のクリームコロッケ、水菜ときゅうりのサラダと若布大根の酢のものを戴きました。ご飯は黒米の小豆飯です。主人が帰ってきたので「カイヤに遭ったわよ!」と話ますと「君に似てるよ。鍵を変えて旦那を家に入れなくしたんだってさ!」と申しましたので、日頃脅かしてはいるのですが、現実には鍵を変えたことも追い出したこともない私としては、カイヤの迫力にはやはり負けてると思った1日でした。大きいしね。プロレスやってるからパワーが凄いの!
4月24日
昨年の12月26日に行った北軽井沢のドーム・パラダイスに明日から2泊3日行くことになりました。
夏の8月10日(波動の日)、11日、12日までの3日間の打ち合わせに行く為です。イヴェントは土、日の11日から12日までの蚊帳の中のSleep Overです。蚊帳といってもただの蚊帳ではなくInvisible flying Churchです。目に見えない大きな教会の中に人類は皆いる。それを象徴して5メートル幅7メートル奥行きの生成りの麻のアジアンティックな蚊帳の中で眠るのです。平和の祈りのためです。
 この蚊帳はかつて2001年4月、ボストン美術館のスクールで展示する際、防炎防水の加工がしてないと展示を拒否され、(それも直前になって!前年の10月から公けに日本に蚊帳のオーダーに帰るといったのにもかかわらず)インスタレーションの時を待ってたのです。


 幸いか不幸か「祈り」はさらに必要になりました。
そして、みお&ゆきさんのドーム・パラダイスの好意でインスタレーションが可能になったのです。ペンションも3日間予約しました。安価な特別便のバスも用意する予定です。(今日、お掃除隊で一緒だったおたえちゃんからアドバイスを沢山戴きました。)

 蚊帳はまだ広げてみたことがありません。巨大な蚊帳なので軽井沢の緑の中でどのように映えるか楽しみです。
その詩は「マリア・コード」(たま出版)の中にあります。9.11とシンクロした詩です。


 お昼!







 ヘアダイをしてお風呂から出て、庭の洗濯物を取り込もうとして、ドアを開けたら、カモシカがいた!
 さっき、防災ラジオで熊の目撃者がたくさんいるので、用心するようにとのこと。

🔑2007年4月28日のプログ。
 蚊帳教会のイヴェントのため、北軽井沢を訪ねた。

ドーム・パラダイスの2日目。
 明け方4時頃ばら色の空が天窓から見えました。天使たちが踊っているような軽やかな夜明けの空気の細波が流れてました。
 朝食はない。毒だしジュースを戴く。みおさんは健康な2食主義。
 お昼はみおさんお薦めのレストラン「パンカーラ」へ3人で。「パンカーラ」はアイラマ語で「花」の意味だそうです。アイラマ語は、ペルーとボリビアの境にあるチチカカ周辺の先住民族「アイラマ族」の言葉だそうです。大の大人のカップルが4人で共同生活をし共同でレストランを経営している。テレビにほ報道され、本にも紹介されてるお店。
ペルー料理をオーダーし経営者の男2人がペルーの楽器で演奏。ペルー音楽がなんとなく懐かしいのは血が一緒だからなのだろう。

 ドームに帰って、「いやしろち」といわれるドーム所有のスペースを見に行った。800坪の敷地は川の流れに近く道路も作られている。木々が若葉が空を埋める夏には風景も違うだろうが私も生成りの麻の蚊帳になんと写りのいい場所なのだろう。広さも景色もそのインスタレーションの為に用意されたとしか思えない! 

 天然記念物のカモシカや狐やリスや遊びに来るそうである。夜は真っ暗とのことなので素敵な照明を考えたらどんなにか私たちの平和の祈りがこだまするのがみえるだろう?
いよいよ楽しみが募ってきた! みおさん、神様ありがとう!

 夜は美味しい古米ご飯に山の幸、野の幸。
 みおさんのクリスタル・ボールをお願いして風呂上りにパジャマのまま横になりました。
 
 目をつぶり、予測できない音がデリケートな振動を自分にひとつづ入っていきます。どの音もそれぞれの水晶の持つ透明さが脳にまっすぐ入っていって自分の許容範囲の壁を打ち破ってるようでした。時には耳をふさぎたくなるほどの大きな刺激もありました。それでも耐えられる自分発見。そうこうしている内に音は静まったのですが、音も香りも色も体に話かけるのですねえと最近の学習のまとめです。

 みおさんいわく、50数回の演奏の中で一倍よい音が出たとのことで、それは私の持っている状態との呼応とのことです。私は絵を描くとき下書きはほとんどしないのですが、ここにこの色でなければいけないし、あそこにこの線でなければいけない絶対的な1点の厳密さがその作品の完成度を決めると思うのですが、多分現代音楽や即興ジャズなどと同じようにみおさんの腕がクリスタル・ボールを最もいいときに最も適切なボールを敲かれるのでしょうね。とにかく良い贈り物でした。

 私は重慶旅行の予習として簡易に書かれている「三国志」を日々読んでいるのですが、あまりにも複雑で進まないのです。同じような名前が多く何度読んでも頭に入らないのです。それで、少し読んで寝ました。

🔑2007年5月1日
友人のmuramuraが珠珠ちゃんをつけてる私をみて似ているのを持ってるといって持ってきてくれたネックレス。土曜日はバスケット・クラスなのですが2人とも「今日はさぼっておしゃべり!」とお茶することにしました。北軽井サワから帰って疲れが出てたのですが真面目?にスペイン語に行きました。友も来週の土曜日からバスケットのあと二人で「Lovely Coffins」の仏訳と西訳をしようと相談!無謀なのですけれど自分の力になるものね。

 スタジオも先週から掃除せずそのままだったのですが、いい香りがするし自分的にはほっとするスペース。
テーブル・クロスを洗い、少し片付けようと立ち寄りました。私の好きなものはバスケットと帆立貝や巻貝。ボストン時代の友のトール・ペインティングの先生をしている内藤さんからのお手づくりの贈り物の星型のなべ敷きも帆立貝。セージの箱は奥沢のケイシーのお店で買いました。

 トイレの中の右側の木の箱は私が焼きごてでバスケットを彫ったものです。
ここを掃除して、自分の家に戻りました。

 自分の家のトイレの窓の帆立貝はナンタケット島で拾ったもの。左から2番目のガラス瓶の上の赤い蝋燭の巻貝は「天使ビル」で買ったものです。こうしてモノがどんどん増え続けるのです。でも、海の思い出は潮風の匂いのまだする大きな巻貝の中にもまだ残ってる。
 今日「富士コノハナサクヤヒメ」の文章を書いていたら、息子のヤマサチは竹の籠船に乗って、無くしたウミサチの釣り針を探しに、海深く海神の城に行ったそうです。それで、海のことが気になったのでしょうか?籠と海もつながってるんですねえ。

もう、初夏ですねぇ。

 今日はお仕事で、写真の整理をしていたら雪の中の陶で作ったマリア様の写真が出てきました。
5月はマリア様の月、お恵みを戴いて前進しましょ。

🔑2007年5月7日

Survival as artist! アーティストとしていかに生き残るか?
 「アーティストとして、いかにに生き残るか?」の授業をアメリカ、ボストン美術館付属スクールで受講したのはとても有意義でした。

 世界中、アーティストは貧しいのが定番です。
 私も家を建てたいとか贅沢をしたいとか考えたことはないのですが、一生描き続けたいと思っているのです。その最低限度の材料費と描くスペースを確保したいと思うのです。

 しかし、それが大変なことなのですよ。
 名を残す偉大な画家でも、タバコの銀紙に描いていた(描く紙が無くて)アジアの画家や、
アンリ・ルソーでも描いては削って、画材ショップに売っていたというのです。絵が描かれてるのより白いキャンバスのほうが商売になったというのです。

 私も毎日、どう画材費を捻出するかが課題な貧乏アーティストなのですが、絵の世界では私より困窮しているのはザラですから普通の人並みの生活を送られている人からは考えられないことが沢山あります。

 豆本など3ミリちかくまでは紙の破片を捨てません。ちゃんと使うのです。また、大抵の作品は弄っているうちになんとかなるので反古はほとんど出しません。もっとも家族は誰もそれが傑作とは思ってないわけで、ガラクタといわれてます。

 それにもメゲナイ根性と自惚れがないと続けられません。
つまり、アーティストとして生き残る必須の感性は図太いことかもしれません。

「富士コノハナサクヤヒメ物語」

 ようやく「富士コノハナサクヤヒメ絵本」の原稿が書き終わりました。
多摩川園前に浅間神社があって、やはりコノハナサクヤヒメが祭られているそうです。
晴れわたる5月の午後に出かけると、9つの古墳のある多摩川台公園の入り口に浅間神社を発見しました。前に白金のギャラリー「くれあ」のオーナーに聞いたことがあります。

 私の英語教師のオ-ストラリア人のティム君が「富士コノハナサクヤ姫物語」を気に入って是非翻訳したいとのことで早速、日本文原稿10枚を渡してきました。絵は墨絵の色紙と貼り絵の色紙を20枚ほど描きましたが、さらに明日から行く中国の重慶で墨絵を見て新作を作りたいと思ってます。


 ギャラリーG2企画の富士展で、今、新しい作品がアルメニアにいってるのですが、
昨年夏に、ロシアでの「富士展」に誘われたとき、なんといっても、富士山は北斎の赤富士、土牛の富士山、横山大観の富士山と名作ぞろいですから、私が描くことについて考え込んだものでした。

 私にしかできない富士山があるはず!そのとき閃いたのが「コノハナサクヤヒメ物語」でした。桜と富士山は私には縁があるのです。
若い時、「易カルタで天の声を聴く」の原稿を日本経済新聞の文化欄に載せられたとき、私の原稿の右に奥村土牛の富士山の写真があったのです。此花画廊の池田清子オーナーはそれをとても喜んでくれたものです。

 それで、昨年7月に絵巻で「富士コノハナサクヤヒメ物語」を描いてみました。

巻物を巻いた時


「富士コノハナサクヤヒメ絵巻」


 富士山バスケットはほとんど球体ですが、ある一方が富士山のように突き出てます。
開けると、バスケットですからクッション入りの籠になっていて、小さな地球が入るようになってます。富士山バスケットの表面は花や葉のほか、恐竜や動物、生物が縫いこまれてます。
Christmas

古い日記のコピー。

 2007年5月15日

🔑仙人のいるところ中国、三峡クルーズと世界遺産―張家界・武陵源を巡る旅!
 
 姑のお付で5月8日より7日間、中国の三国志の舞台の三渓と世界遺産の張家界、武陵源、天門山の旅に行ってきました。

 驚くことがたくさんありました。
 中国で一番長い川である揚子江。世界で3番目の長さの揚子江は中国では長江といいます。
全長6380キロメートルの青海省チベット高原の唐古拉山脈にある各拉丹冬雪山を源と師、東シナ海に注いでいます。
古くから文明を育んできた長江。詩人の屈原、劉備のなくなった白帝城、中国4大美人のひとり王昭君の故郷の香渓、2000年前の懸棺葬棺。三峡は雄大な自然の景観とゆたかな歴史の舞台として息づいていました。
三峡ダムの建設によって1年もたてば80メートルも水面は上がり、多くの文化遺産と風景は消えます。

 胸に感動とある種の痛みを覚えたのは古くからの肉体労働ー駕篭かき、船漕ぎでした。
全身の日に焼けた、見るからに貧しい労働者。多くは少数民族の生きる糧の為に観光客相手の労働です。多きの土産露天も彼らの仕事で、彼らの住居は水に埋まるので移転を政府の援助で始めています。
                          

 超近代設備のダムやモノレール。
 貧しい少数民族の暮らしと豊かな大都市の一部の暮らし。
 オリンピックを来年に迎え飛行場などは見事なものでしたが、大学出の初月給が15000円くらいと聞き、いろいろ考えさせられる旅でした。

 成田ー広州ー重慶とフライト。
 重慶から大型船で2泊の三渓クルーズ。
                 10元札の裏の写真
                 
                 閻魔大王ゆかりの豊都の鬼城。
                 天国と地獄の考え方は世界共通。
                「中国神曲」とありました。天国と地獄の様を見せます。
                 
                 籠に乗り三国志のゆかりの白帝城に行きました。
                 三国の志士のひとりの劉備最後のシーンです。
                 
 
                 中型船、小船に乗り換え神農渓遊覧。
 北京原人が発見された地域。
 2000年前の木の棺桶が高い岩に置かれているのが見える。
 高い所に葬ることが供養だと思われていた時代。今でもどうして重い(中には500キロ)の棺桶を崖を削り運んだのかわからないそうです。

 2泊の船の旅で、アメリカや日本で個展をされたこともある画家であり書家であり篆刻家でもある孫徳平さんと友達になり、篆刻で縷衣香と彫ってもらいました。作品の写真を送りあう約束をしました。


 世界一の三渓ダム見学。


 宣昌から汽車で張家界へ。
 汽車の中で、演義公司(酒のメーカー)に勤めていたご年配の黄さんと知り合い、大戦中に日本軍に侵略されたことを憤りを持って語られましたが、私たちはすまなく思っていることと日中友好と世界平和が願いだと伝えると大変喜ばれ、ご自分で作られたお孫さんへのお土産のさくらんぼを分けてくださりました。


 張家界は仙人の住むところと言われます。日本のコノハナサクヤヒメのような伝説があるようです。
 張家界森林公園の百龍エレベーターで頂上へ。
             天子山自然保護区域のハイキング。
             自然保護区域の鍾乳洞、黄龍洞の中、小船。
             ロープウェイで黄石寨。


             宝峰湖遊覧。
             少数民族の土家族の娘が歌を歌うと対岸から男性が歌う
             エコバス。天然ガスを使ってます。それ以外の車は禁止。
                          
                         
 天門山ー昨年3月に開通したばかりの7455メートルの世界最長のモノレール。
 アメリカのセスナ4機が並んで通過した穴!高さ131、5メートル。幅57メートル。

 中国のエネルギーはアジアの希望でもあり、日本が失ったものを未だ持っている気がしました。世界遺産は多くの少数民族の老人たちがボトルやプラスティック袋を集め綺麗に護られていました。ダムもモノレールも世界の頭脳を借りて最高のものを作られていました。
 大自然と調和しないものには天は相応の怒りを見せられます。私たちの開発が天の意志にかなったものでありたいと願います。
 私たちは急遽、天気に恵まれ此の山を登ることになりました。
天門山は雨だと、景色がまるで見えなくなるので予定に組み込まれず200人くらいの日本人が訪れたそうです。1日に登れる人数も制限されているそうです。
帰りのバスで短冊のような虹の断片が空に上がりました。天の門が開かれたのでしょうか?

🔑
2007年5月18日
「祈りの椅子と蚊帳教会」

ミレーの「晩鐘」
 なぜ祈ることは美しいのだろう?


 子供が幼かった時に子供の幸せを祈らない親はいないだろう。

 
 私はだから揺りかごオルゴールを私の目に見えない教会の祭壇に捧げたのだ。曲は「こんにちわ赤ちゃん」。ねじを巻くたびに揺りかごが揺れながら音を奏でるのだ。

 アメリカでも日本でもイラクでもアフリカでも戦死したわが子のために祈らなかった親はいないだろう。


 私の作品は子供たちがよく知ってる平和への希望だ。


 教会は沈黙しているばかりだ。

 祈りが写真に撮れるとしたら、クレアゆうこさんが2006年9月7日に私の籠編みスタディオで撮ってくれた写真がそれだ。
 あの人の写真には天上に光などなかったのにこのように光線が数本映るのだった。クレアさんの魂が生きていていつも天から愛の光が降り注いでいるように感じられる。あの時、立派なカメラを向けてくれたクレアさんの私への最大の贈り物になった写真だ。そして、見えなくてもいつも天から多くの愛の光線が降り注いでいるに違いない。

 クレアゆうこさんのブログは今も生きている。クレアさんが昨年11月27日に帰天してからも多くの人の祈りに応えてクレアさんは天から働いている。

 クレアゆうこさんが「天使のバスケット」を見たいとヨシアさんの表参道の春の個展から言っていたのでお招きしたのだ。
 
 私は祈りながら籠を編む。それは対なのだ。棺桶との。


 クレアさんのプログは未だ残されていた。







夕飯!