November 8th, 2019

Christmas

3度から7度!雨!アートは私にとって人類の平和のために闘う道具❗



過去プログのコピー。
2007年5月31日
 私は土曜日、バスケット教室をやってるのだけれどずいぶんお手間がかかるんです。

 残念ながらこれは一昨年の写真。今は毎日掃除をしているのにもかかわらずゴミ屋敷です。
今日も母の病院に行ってきました。たくさんの洗濯物と汚れ物の交換。今日はあまり疲れて、中国語をサボってしまいました。
 教会の人に「家の中がひどいんです!」と言ったら、順序として正しいとのこと。私程度の人間は何もかもは無理なんです! 


 2007年6月30日
「麻の葉おみくじ版画から麻の生なりの蚊帳教会まで。平和のために生きてきた❗」
 大学を出てから、初めての個展を渋谷西武デパートの地下通路と1階の脇のMy Galleryでしました。そのあと、自由が丘画廊で版画オークションがあり「おみくじ版画」を発表したのです。麻の葉の千代紙に2年続けてひいた出雲大社の同じおみくじの二十六番大吉です。卒業制作の天国と地獄の襖を開けて「あなたに大幸運を贈ります」のメッセージです。もう、今から35年よりも前のことです。でも、趣旨は変わってないですね。偶然選んだ版画の番号が47番でした。おみくじ版画このときは気がつかなかったのですが、なぜ麻の葉模様だったのでしょうか?この絵柄は日本では赤ちゃんが生まれた時の産着に着せる縁起のいい柄です。メッセージには籠められた思いが含まれているものですね。最近になって私はバスケットを編むようになり麻の糸を使うようになりました。それで、アメリカのボストンで、ハーバート大学のネーバース会のコンペで2003年の秋に1ヶ月個展をすることになったとき詩を書きました。 その詩は平和のためにバスケットを編むというものですが、アメリカ人のチャールズが気に入ってピ-プル・ツリーに送ってくれたようで、後で浄化塾の佐藤君から教えてもらって検索したら出てきました。Ruiicoで検索すると英文ででてきます。People Tree に記載されてる詩。読みづらかったらプッシュし続ければ大きくなります。
 アース・デイに東京でも六ヶ所村でも参加するとフェア・トレードのものが売られています。その国で取れる材料を使って公正価格で取引し、手仕事で民族のものを紹介する他、その地に住む女の人や子供たちの生活を支えているのです。それは私の価値観と一緒だったのでピープル・ツリーに詩が載せられて本当に嬉しいです。それと、応援しているホームレスの支援雑誌の「ビッグ・イッシュー」にもよくピープルツリーの記事が記載されてるので方向が一緒ですね。誰でもが幸福になる道は近いところにあると思うのです。そして、誰でもができるやり方で幸福になれることを確信しました。

 自分がアメリカで住むようになって英語を最初に夏に学び始めた頃、世界に頒布される語学案内の表紙に自分の写真が出ていてびっくりしました。しかし、後で、大きなメッセージがこめられているのがわかったのです。
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ハ-バ-ト

48歳くらい。
なぜ、写真があるかと言うと、主人が撮れているから事務所に貰いにいきなさいと言ったからです。1枚10ドルでした。
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 日本人は平和を知っています。平和のために白い光が日本人に期待してます。私の日傘はその白い光を象徴していたのでした。アラブ首長国連邦のミリアム(当時、カイロ大学の大学院生)、ウクライナの17歳だった娘。肌の色は黄、茶、白だとしても平和の為に繋がって英語でコミュニケートできるのです!そのために左にはラテン語でVARITASつまり真理と書いてあって、神様は名もない私を選んで世界中にこの案内を送ったのですね!世界には救いがあります!そして、名も無い私を使われたのはさらに意味があります。

 やよいビッテルさんのご主人はドイツ人のサンスクリット学の教授なのですが、このやよい夫人の抜擢でおよそ3年間、ハーバート大学の教授夫人やスタッフの方の日本美術や文化の紹介を勤めてきました。学長の邸宅でセロモニーで紹介した百人一首です。

 
 私はごく平凡な娘でした。お勉強も普通かそれ以下で生きることの意味も見出せなかった。
ですから、神さまはもっと効率のよい優秀な人やすでに有名な人をなぜ選ばないのか不思議です。

 人間社会には誤った観念があり、それはとてつもない怖いことをします。

 例えば、47歳の頃だったでしょうか?
 ハーバート大学の夏の英語のクラスを8週間受けようと思った時、ある若い京都大学を出た奥さんが私を捕まえて「あなたには無理だからやめたほうがいい。」ととても、親切に何度も通告してくれました。クラス分けテストは大まかに5クラスありました。私も彼女もcレベルです。真ん中の大学受験レベルといわれてるところです。私は不思議に思いました。「ハーバート大学の試験管がいうのならわかるけど、なぜ彼女はそんなことを言うのだろう?」自分のお金でアメリカで勉強することがどこが悪いのかと。
 8週間、朝9時から3時までの集中授業です。
 私は小学5年生の娘もいて、家族の夕飯の支度もしなくてはいけなかったし掃除もしていたので確かに大変でした。でも、ついていけないことはなかったのです。先生も気を遣ってくれ自宅に私達家族を呼んでくれました。皆で国毎の料理を紹介して1冊のクッキングブックを作ったときには表紙には私の絵を使ってくれたのです。
その授業の最後のパーティの写真が翌年のサマークラスの表紙に使われたのです。ポスターもありました。キャンパスで自分の写真が出ているポスターを剥がして持って帰りたい衝動にも駆られました。でも、しませんでしたけど。

 京都大学を出た人は私学を出た人に自分と同じ楽しい経験をさせたくなかったのでしょうか?自分より能力が低いと思い込んで無理だと思ったのでしょうか?

 でも、、、。私はこう思います。世の中には学歴をあまり重視しない人っているんですよ。例え、受かっても行かない選択をした人をたくさん見てきたのです。受けようとさえしない人の中に輝くものをたくさん見てきました。

 こんなこともありました。それより10年前の37歳の頃にパリで個展をするためフランスに行きました。2歳の子を連れて行きました。ビザを取る為にフルタイムのユーロという語学学校に3ヶ月申し込みました。1ヵ月毎クラス分けのテストがありますが、10月の個展準備があるので正規の滞在権利を得るために3ヵ月の学生証を発行する語学学校に行くことが必要でした。前後2ヶ月は滞在できました。

 そのとき東大を出たという人が一緒に来て同じ語学学校に行きました。その学校を紹介してくれたのも彼女でした。彼女は私を捕まえては、長い構文を使って私のフランス語をいつも直しました。私より若い人で7歳くらい下でした。私は心秘かに「なぜ、この人はこんなに長い言い回しの文章を使うのだろう?」と思いましたが、親切で言ってくれるのだろうと思いましたので感謝して黙ってました。
 同じテストを受けレベルのクラス分けしました。28段階あるうち、私は上から2番目のクラスに振り分けられました。彼女は上から4番目のクラスで、1番上はスーペルブと呼ばれる最上級のクラスでした。そのとき、彼女は大変驚き1ヶ月間口を利いてくれませんでした。さらに他の日本人を捕まえて「あの人に気をつけなさいよ。凄い才女だから。」と言うのです。私学出は東大出に気を使って力を抜くべきだったのでしょうか?

 1ヵ月後に最上級クラス、スーペルブの授業は討論で環境問題を扱って賛否両論を論争するのでした。日本の外務省からの東大組が下のクラスに入りましたが、どうしても私がその上にいることが我慢できないようで、3人がかりで虐めるのです。「画家は黙って絵を描いていればいいんだ。」
 日本のエリートは情けない。
 
 私の意見は人間はそれほど差がないというものです。たまたま大学に行ったとしてもそれほどのことかどうか?と思います。私は中卒の方や高卒の方に聡明さや品格を見出して襟を正すことがたくさんあったのですから。まして、自分より年齢の高い人にそんな態度をとったら、私の家では凄く叱られたものです。

 それで、私はアジアだからとか女性だからとか私学出とかで差別を受ける度に、差別のくだらなさインチキさがますます嫌いになりました。

 麻の蚊帳の教会は天空の目に見えない教会を表現してます。
人類は皆、手を繋いでその目に見えない教会で無防備にともに眠りましょうと提案した制作を2001年の4月に発表したのです。それはテロの半年前でした。


蚊帳のイヴェントは8月11日から12日までありますが、そんな祈りに賛同した方に参加してもらいたいですね。

私は何の為に生かされているのでしょう?
 私は自分と同じように、決して強い立場でなく特権を持ってない普通の人が幸せになる為に生かされていると思うのです。
私にはだから、多くの無念の思いが私に届きます。
一生懸命生きていたのに、報いられない人がいたら報いたいです。
正しいことをしてきたのに評価もされず陥られてる人がいたら引き上げその人の真の評価を返したいです。
 私は、知力も体力も凡庸です。
 しかし、まだ見ぬ同志のために少しでも役にたちたいと思うと、やはりエネルギーが出てくるのです。
 私の絵はそんな人たちの声を聞くものでありたいですね。

☆ 
2007年7月17日「ファイヤーグレッド!」
11:11(GMT)

 日本時間が7月17日の20:11です。
 この時間に一番楽しいことをしながら自分の感謝すると素敵なことが起こるそうですと
「糸の落書き帳」にありました。全ての宇宙のエネルギーが注がれると!

 私はスタジオでお掃除をしながら祈りました。
 魂が乾いた時は祈りで潤してね。


 カナダのシェリー・イエーツさんという女性の方が臨死体験中に光の存在に会い、その存在が地球に祈りを捧げるように大勢の人に呼びかけなさいと命じたというのです。
 地球にはグリッドと呼ばれるエネルギーの格子が取り巻いているのだけれど、今、そのグリッドが傷ついている。多くの人類が同時に祈りや瞑想を行うことによって、そのグリッドを修復することができるのだそうです。

 11.11という数字は神聖な数字のようで11時11分に祈るとか呼びかけている人もいるようです。2004年に富士聖地に来たチェロキー族のシャーマンであるシルバースターさんも昔から11:11を重視してたのことです。

 その17日の11時11分は日本時間は午後8時11分でした。
 「8.11」とドーム・パラダイスのみおさんは8月に行われる私の「蚊帳教会で祈る」イヴェントを呼んでました。巨大な蚊帳はインスタレーションで私のアートです。
この蚊帳を2000年の秋に滋賀の西野蚊帳店にオーダーしたのです。その「西野蚊帳店」を当時アメリカにいた私は友人の河原ノリエに頼んで探してもらったのです。河原ノリエは中央法規出版から「恋するように子育てをしよう」というややこしい子供の母親としての本を出版して、最近は岩波ブックスから「ややこしい子供とともに生きる」を出版しました。もう、20年くらい子育てを一緒に悩み苦しみ楽しんできた同志です。

 西野蚊帳のお蔭で綺麗な生成りの麻の大きな大きな蚊帳ができました。
5メートル×7メートルです。
2001年4月にボストンで発表した「Lovely Coffins」の100個の陶製の棺桶の中に歴史であってはいけなかったものを突っ込みました。アウシュビッツ、原爆、奴隷船、インディアン虐殺、魔女狩り、飢餓、差別などです。100個では足りないので今でも延々と生まれてます。2年間かけて、毎日スタジオに篭り作り続けた作品です。
 その罪深いものを棺桶に葬り、皆で「祈り椅子」に跪いて神の前に我らの罪を省みて、人類の幸福の為に何をしたらいいのか祈って神に尋ねるものです。

 そして、私は人類は皆、神の下で目に見えない大きな教会の中にいるとイメージしました。宗派は関係ないのです。寺でも聖域でもいいのです。
それで、「蚊帳の教会」と称しその中で祈り、安心して大地に寝ましょうというイヴェントです。蚊帳はアジアの生成りの麻です。
そこにも意味がこめられてます。
さらに、これはボストン美術館のキューレーターより美術スタッフといってもいいですが、展示する数週間前に「防炎、防水加工がしてないので危険だから展示できない。」と言ってきたのです。半年前から自分のプランを語り、そのために日本に帰国してオーダーしたのを知っておきながら、そしてできあがったクリスマスヴァケーションにわざわざスーツ・ケースに入れて紛失しないようにボストンに持って来たのです。
 明らかに苛めですよね。
 そして、4月の1ヶ月展示されて6ヶ月後に9.11がありました。
 預言の作品となりました。

 なぜ「祈り」だったのでしょう?

 あれから私は帰国し、スーツ・ケースに入れられた蚊帳は時節の到来を待っていたのです。
9・11以来、世界は混乱と不幸をまし、人間不信や陰謀などの情報が世界を駆け巡ることとなりました。そして、祈りがますます必要になりました。

 私は神の計画の歯車に載せられ、
帰国後、過去作品をひとつづつ纏め始めました。
「宇津保物語」而立書房
「マリア・コード」たま出版
「コノハナサクヤヒメ」而立書房
 秋には「易カルタ」再版の話もあります。
そして、蚊帳イヴェントは来年の世界に向けた「Lovely Coffins」写真集出版に繋がるのです。
 
 多くの人の意識が繋がって共に祈り、共に行動する時代が始まってます。
 シンクロには驚きます。
 なぜ8月11日かというと、
8月10日(波動の日)金曜日から準備し、8月11日から1泊して12日のお昼までのイヴェントはそのまま、8月15日の終戦記念日に繋がるからです。
聖母の被昇天の祝日でもある8月15日は私にとっては重大な意味があるのです。

 私達の目的は永遠の平和だからです。
皆の地上での幸福。そして魂の浄化。未来永劫の幸福に向けて今を生きる呼びかけです。

 世界も人の心もひとつになってます。
私の「祈り椅子」も大変なドラマで手に入りました。
人間業ではありえないことですが、神にはおできならないことはありません。
そして、目的のためには神は美しい物語をお創りになるのです。



「祈り椅子物語」
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 2000年春、アメリカのボストンである日、陶芸スタジオ教室の私の机の上に白い封筒が置いてありました。「コングラチュレーション」と書いてあり1000ドルの小切手が入ってありました。
 そのお金はバロセロナのガウディのサクラダファミリア(殉教聖家族)教会に行く為にアメリカ婦人んの遺言で陶芸教室生徒への寄付の1部をくださったのでした。

 娘と私の夏の旅行としてバロセロナに行きました。(娘の費用は足しました)
ガウディのミラ邸「カーサ・ミラ」の上の階に高級なドールハウスがあって、その家には祈り部屋があり、ちいさな「祈り椅子」が1脚ありました。椅子に十字架が入っているものです。
私は娘を売店に行かせ、ペンと紙を買いデッサンしました。それは「100個の棺桶」に必要な椅子だと思いました。

 私はボストンに帰り、その椅子の実物をアンテークショップで探しました。京都みたいな街なので骨董屋さんは実に多いのです。それで、私は自分でもイコン工房で椅子を作りました。材木屋に行き、のこぎりできり釘打ちもクッションもオーダーしずいぶん大変でしたが。しかし、ピンとこないのです。骨董品屋さんがいうのにはヨーロッパ。それもイタリー、スペイン、フランスにしかないというのです。

 探すしかないと思いました。それで、リヨンでビエンナーレがあったのでインスタレーションの勉強に行こうとパリに向かいました。しかし、ド・ゴール航空で私のスーツ・ケースを紛失してしまったようです。カウンターでは「ロンドン」とか。それは飛行機の遅れでdelayが3回続き、ボストンからパリまで1日かかってしまったのです。パリで尋ねる美術館の書類もあったので困ったものです。リヨンのホテルの予約も取ってありましたので、夜行でそのままリヨンに向かい、夜中に着いたので安ホテルの親父はかんかんでした。

 リヨンの教会もくまなく探したのですが、ひどくモダンなデザインの祈り椅子しかないのです。あのダウディのミラ邸のドールハウスの椅子でなければならないのです。

 私はパリでの仕事もできぬままボストンに帰り、帰りの荷物回収の回転ロールからスーツ・ケースは1度も開けられるまま帰ってきたのです。

 ブリテッィッシュ・エアウエイズと交渉し、ささやかな慰謝料を貰いと安価なティケットを買い再びパリに行きました。有名なアーティストの「キーファー」の作品展を聖堂で見た帰り
ポスターで面白そうな展示がありそうで縁もゆかりもない小さな地下鉄の駅に着きました。
ところがお目当ての展示はないのです。狐につままれたように周りを見渡すと、こじんまりとした蚤の市が開かれているのです。小雨もぱらぱらと降ってきました。石畳を歩いていると太きになって後ろを振り返りました。「まさか!」そこに、古いあのガウディのミラ邸のドールハウスの中のミニチュア椅子と真同じデザインの椅子があったのです。聞けば買えない値段ではありません。早速買い、ホテルまで運びました。日本のペリカン便のショップがあったので梱包材料をお借りしてホテルで梱包し担いでボストンまで持って帰りました。

 売ってる人のおばあさんのだそうです。あまりにも古かったので埃が凄いのです。
私は家具屋さんにクッションを入れ替え紺のベルベッドで張り替えてもらいました。
その椅子の名はフランス語で「Prie-Dieu」といいます。神に祈るという意味です。

 私の知人の人たちはあまりにも頻繁に秋にパリに行ったので「パリに恋人でもいるのではないか?」とか「そうまでして必要な椅子なのか?」と思ったようです。
でも、今、スタジオに置いてある椅子を見るたびによく手に入ったと改めて驚きます。
 
 軽井沢駅ではバスや電車、新幹線で行けます。
軽井沢駅からはバスがあり北軽井沢駅で降りてください。軽井沢駅で電話をしてください。
北軽井沢駅までは車で向かえが参ります。8月11日お昼過ぎごろから夕方まで、いつでも好きなときに来てください。自然の中で自然に始まります。そして翌日のお昼までです。

 軽井沢駅北口バスターミナル2番乗場 草軽バス
北軽井沢行きまたは草津温泉行き1190円

軽井沢駅バス12:40
      13:10
      13:50
      14:25
      15:15です。



 神の計画には驚くべきことがたくさん込められてます。
嵐の中で暗闇にいるのではなく、希望も見せてくれるのです。
「マリア・コード」に繋がってる限り数字や出会いの神秘には大きな宇宙の意思が働いているのはすでにお気づきではあるでしょうが。
神の計画にあなたの参加がはいっているかもしれません。
心をあわせてくだされば、いつでもどこでも同じです。夜空もちょっと見上げてくださいね。

 8.11には「祈り」の願いがシンクロしてます。
 17日20時11分。日本時間、午後8時11分はなぜ8.11なのでしょうか?
 「わー、いい。」なのでしょう!
 

2007年8月2日 「奴隷」

 昨日、早朝のニュースで、アメリカの黒人女性がアフリカから10代の娘をアメリカで高い教育を受けさせると連れ出し、自分の家で14時間家事などを手伝わせ夜は狭いところに押し込み、暴力で脅かしながら粗食でただ働きさせていたことが、娘の脱出でわかった。3年ほど働かせられていて話が違うと逃げて警察に訴えたのである。連れ出したほうは懲役17年とのことである。
娘は今は支援団体の協力でアメリカでハイスクールに楽しく通っている映像が映し出された。

 このニュースは心に突き刺さった。
 黒人女性が同じ皮膚の色のアフリカ人を連れ出して奴隷のように働かせていた驚き!

 昨日読んだ「ハメルーンの笛吹き男」に通じる話だ。
伝説である日、ハメルーンの村に笛吹き男が来て子供達を笛の音色で連れ出した話である。
グリム童話によると、鼠に困ったいた村で或る男に「鼠を村から連れ出したら謝礼に金貨を渡す。」と約束した。男は笛を吹いて、鼠を川におびき寄せそのまま溺れさせて、鼠は村からいなくなったのにもかかわらず、村人は約束を果たさず復讐された話になっている。
研究者によると、子供達は植民地に連れだされたとか他の村で働かさせられたと推測されるそうだ。それも、笛吹き男の衣装でドイツの中世当時は衣服での差別化がはっきりしていて、貧しい人やユダヤ人は灰色や辛子色しか着れなかったので、カラフルな現在残る絵画の笛吹き男の衣装は政府の役人で任務を得た者ではないかと洞察されてる。

 人間の浅ましさ!
何か得をしたい心。
できれば賃金を払わずにただ働きさせたい。
文句を言わせないように隔離しよう。

 北朝鮮の拉致も然り。

 人権運動には最も関心があるのだが、21世紀には皆がそれぞれの違いを尊敬しあい共存し幸福に暮らすアプローチが必要不可欠だ。

 私達は細かく人権をないがしろにするものに対して厳しくチェックする必要がある。

 しかし、なんと難しいのだろう!
 理想主義は理想が高ければ高いほど現実に裏切られる。
 偏見や差別感を持ってるほうが被害も受けないですむのだ。

 何でも、訴えだしたらギスギスとした社会になるだろう。

 私が20代の最初の頃は、画家という職業が柔らかいイメージがあったせいかセクハラが凄かった。しかし、訴えるとか話題にするとかも出来なかった。私は易カルタをするから「セクハラ」の犠牲者の生々しい訴えも山ほど聞いた。

 女子美術の付属中学、高校で理科系を教えてる先生が、今が大学でセクハラが理由でずいぶん教師が辞めさせられていると言う。中・高はまだ子供でセクハラの対象にはならないと言う。

 若い娘は女性の私が見ても美しいものだ。
 美と追求する職業を選んだ者たちから見れば垂涎の輝きがあるはずだ。

 否、愛は同意だったらいいだろう。
 年の差があってもだ。
 しかし、成績や学校という逃げ場の無いところでは、拒否をしっかりすればするほど竹箆返しが怖いものが待ってると覚悟が必要である。

 私が20代の頃、潔癖症だったから、対象にされるのも嫌でわざと襤褸を着て汚れキャラでいたものだ。とにかく作品だけ見てくれと!

 しかし、よ~く、観察すると芸術の畑でも芸能の畑でも女性は美人が有利だ。
なにも無かったとしても、この頃はNHKの語学番組でもタレントの見目麗しいのを使っている。政治家でもルックスがいいのが当選する。整形医師が長者番付の上位のいるくらいだから、姿形をよくする努力を皆していることか?

 何か大きな罠にはめられてる気がする。
 外観を磨くためにこれだけ国が総力あげて磨いている間に
 本当に大切な心や自然やあるがままのよさが無視されている。

 ホームレスが殺されたのはなぜだ?
 彼らが貧しく汚れ後ろ盾が無いからか?
 生まれながらに痣や傷のある外観な人は嫌な体験をたくさんするという。
 長い間、そうゆう体験をし続けていい人間でいられる人がどれだけいるだろう?

 なぜ?
 人の判断を性急にするのか?
 人間をいわれなく見下したり敬意を払わないのも罪だと思う。
 
 同性愛者
 異国の人
 シングル・マザー
 障害者
 貧困

 社会の大きな悪巧みー観念の奴隷である私達
 自分の頭で考える
 本当に学歴は必要なのか?
 本当に容姿がいいことはいいことなのか?
 本当にお金があることは幸せの条件なのか?

 59歳の私は人間はつくづく平等だと思う。
 誰でも年をとり
 誰でもいつか死ぬのだ。
 どんな金もちも金で愛情は買えない。
 どんな美人も幸福とは限らないのだ。
 高学歴の驕りも墓穴の原因となる。

 私の知らぬ間に、いつもただ働きと無心で生きていた或る出版社が3度目の倒産をしたのを知って成る程と思った。厳しい人は「刑事事件にするぞ!」と支払いの滞りを訴えていた。

 自民党は大敗した。
 人間は馬鹿ではない。
 「美しい国」の下で福祉が削られ弱いもの達が無視された。
 美しいものを愛すことは、美しくないものを疎んじることに繋がる。
 だから、私はあるがままが好きだ。

 貧しい人は清貧の哲学の信奉者かもしれないし、
 ブランドに走らない人は手作り品が下手でも安価でも好きかもしれない。

 皆、一緒にするな!

 あのアフリカから連れ出された娘がアメリカでいいハイスクール時代を送れたらいいな!
 
 私も刻々と年と取るのだけれど、まだまだ楽しいことが一杯ある気がする。
 ほんの少しだけど、皆が楽しく生きられるために働いてる気がする!
 奴隷でなく、自主的にね!

8月2日
「コノハナサクヤ姫絵本」
今日、見本ができていまして早速而立書房に取りに行きました!

扉を開くと桜色の裏表紙に豆本が記載されてます。英語翻訳付の口語文です。
小学生からおとなまで!
日本の古事記が元になってます!
今年は霊峰富士山が噴火して300年目です。
日本人の魂に世界の救済がかかっているといって過言ではありません!

「祈りの椅子」と「蚊帳教会」。
「葬られる罪の棺桶100個」に対し、
「育み育てる揺りかご」に入れるものを皆で考えてみたい!

 「コノハナサクヤヒメ」の導きと「天使たちの援け」がなくて成就しない世界の救い!
主人公は日本人です!



 まとめて注文くださった方には送料をプレゼントします。
 サインをご希望の方には朱印とサインをします。
 市場に出回るのは7日くらいでしょうか?
 北軽井沢「蚊帳イヴェント」にはお持ちします。
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8月6日
「祈りの椅子を軽井沢に出荷しました!」

「コノハナサクヤヒメ」の本が家用なものがスタジオにドカンと着きました。
「易カルタ」で在庫がなくなって困ったので、自分用のをかなり多めに確保しています。
「百人一首」ももう、10箱ないんです。いつの間にか消えていく。大事にしてくれる人のところにいったはずなのだけれど。

 それから、私は大きなスーツ・ケースに蚊帳をビニール袋に入れて入れました。幸い、もう片方の蓋には他のものを入れる余地があったので、ビニール・シートや資料など納めることができました。「祈りの椅子」も、フランス、アメリカと旅して日本の中でも東京から軽井沢に行くので、丁寧に幾重にも布、ビニール、パッキングぷちぷち等で梱包しました。

 銀行に行く道にあるの「黒猫ヤマト宅急便」に寄り、記入用紙を貰い「6時までに電話をすれば家まで取りに来てくれる。」と聞きました。

 郵便局に酢の代金を払い、銀行から軽井沢での出費を出し、ステーション・ビルで夕食の用意をしました。今日はさっぱりなの。

 家に帰ると6時まで1時間あったので、ヤマトの黒猫に電話をし、スタジオで「コノハナサクヤヒメ」にサインと朱印をしながら宅配便のトラックの来るのを待ちました。椅子は家具扱いだといわれていたのですが、2つとも通常の宅急便として持って行ってくれました。

 今日は8月6日です。
62年前の今日、広島で原爆が投下された日。
しかし、世界の多くの国は核を保有し武器として使えるように準備をしている事実がある。
あの日、暑かったでしょうね。

しかし、あれから62年経って、地球は更に暑くなり環境も変わリ続けている。
生態すら変わっている事実。
人間の心も自然界と同じように静かに壊れ始めている。

人間が人間の幸せを満喫できる時代から遠い昨今の日本の政治事情。
国は荒れ、自分を騙すように物質に走る人の心に吹く淋しい風!

 戦争で亡くなった家族の写真を見る度に、あの頃の日本人の凛とした生きる姿勢を壊してしまったものを許してはいけないと思う。
私達が自由になった?
私達が隣近所と心を合わせ助け合った昔の温かさを失い
今日もホームレスの人たちに全身の火傷を負わせた愚かな子供たちが、
訳知ったように「世に価値がない人だから傷つけていい。」と言った。

 親も教育者も何をしていたのか?
 ホームレス、弱い人を踏みにじる政治を批判しないで
 そうならない為に学ぶ勉強には愛が欠けていて人類の幸福のために何もできないことをどうして誰も教えないのか?

 弱い人を大事にしない宗教家。
 弱い人を食い物にする福祉家。
 弱い人を無視して進む教育の現場。
 弱い人を亡き者として進む政治家。

 だから、自殺者が後を絶たない。
 だから、若者が絶望する。
 引きこもる。ニートになる。無気力になる。精神を病む。

 皇室の方も
 相撲取りも
 心を壊す。

 悪いことは悪い。
 罰も正当ならいい。
 しかし、個人中傷までして病むまで追い詰めて
 国から追い出したいのか
 自殺させたいのか
 どうして、皆、愛がないのだろう?

 どうして理解しないのだろう?
 異国生活の厳しさを
 日頃のストレスを
 ルールをしっかり教えて後は黙ればいい
 日本人の集団ヒステリーが追い詰め過ぎるのだ。

 人を裁くな!
 裁くのは神の仕事!

 そんな風に聖書には書いてありますよね!
Christmas

蚊帳教会!

☆過去プログのコピーです。
 写真はつけ加えました❗



 軽井沢駅に「蚊帳イヴェント」のため、1時に集合した浄化塾生の佐藤君、入谷君、ワクワク探検隊のおたえちゃんと縷衣香は大変な荷物なのでタクシーに入るかどうか心配したものの、上手に後ろに入れてくれていいタクシードライバーに旧軽井沢の権力者たちの豪邸別荘を案内してもらいながら白糸の滝に寄ったり、季節限定のおやきを食べたりしながら無事ドームに着きました。早速「いやしろち」のドームの見える敷地へ!
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 先に宅配便で届いている「蚊帳」や「祈りの椅子」を持って、敷地で広げます。



 紐が切れてしまいました!しっかり補強してやり直し!
 限られた木を使っての蚊帳吊りですから、高い梯子限界まで背を伸ばします!塾生達はもう立派な大人なんですけれど、大変心がけがいいのでこのような危険な仕事も黙々と!


早くも聖母マリアの御出現!
(写真とは関係ないです)
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もう、真っ暗になりました。

蚊帳の中から撮影すると!

 懐中電灯や照明をつけなければ、真っ暗で道を歩くには大変です。
 私達はみおさん、ゆきさんの玄米ご飯を戴き、美味しい野菜にびっくりでした。
昼間に案内いただいた「愛の茎」の畑でアンデスいんげんの収穫をお手伝いしてお土産に戴いたのですが、ピリ辛く味付けたものが感動です!野菜は正直で同じ時期に種まかれたものでもケアの違いで大きさにこれだけ違いがあると数ヶ月でわかるのですから驚きです。

 ついつい玄米ご飯のお代わりです!
 交互にお風呂をいただきながらドームに或る珍しいものに、今夜ドームに寝袋お泊まりのかのんさん母子は心惹かれているようでした。温泉も良かったようです。それに、レンタカー番号が47ですって!憎いですねえ!


いいお天気です!


蚊帳教会にも朝の光が!

まるで、聖母マリアが手を広げているようですね!


青空も見えます。

さて、会場の前に腹ごしらえです。みおさん、ゆきさん、おたえさん、塾生、縷衣香で「カフェ・フルール」で昼食。
 

中央にみおさん、右、おたえさん。左は縷衣香。


 サイン帳も用意!
受付嬢のおたえちゃん。おたえちゃんは酵素アーティストでたくさんの酵素ジュースをもってきてくれました。パパイアやすいかがアイスボックスの中に入れられ、イヴェントの参加者に無料で振舞われました。おいしかったです!
他に縷衣香の「お気持ち易カルタ」などやドームでは、おたえちゃんの珠珠ちゃん、酵素ちゃん石鹸、縷衣香本「宇津保物語」「マリア・コード」「コノハナサクヤヒメ」が販売されてました。
お祈りのポーズを習って!
ドームで天使の翼を見つけて背につけた生きてる天使になった少女の祈りはとても板について、天性のパフォーミング・アーティストとして参加してくれました。
「蚊帳教会」を作ってくれた入谷君〈左〉と佐藤君〈右〉。入谷さんはビデオ撮影を受け持ってくれました。休むことなくでしたから、ずいぶん疲れたみたいですね。カメラのお仕事に何十年も携わっているので安心して託せました。
佐藤君な弓道を長くやっていて、蚊帳を吊るに近い仕事をよくやるようです。こんなに大変な仕事をスイスイと手順よくやってました。
 かのんさんは、おうちのセージを持ってきてくれてアロマ・セラピストでもあるPURE AQUAさんと煎ったりしてくれて、いい匂いがしてました。

 天の配剤でしようか?
 天気も最高!
 人材も最高でした。

12th August 2007, 07:55 pm
8.11
「蚊帳教会と祈りの椅子」イヴェント。

 開場の午後1時になりました。1晩、蚊帳の中でお泊りすることもできるので多くの参加者は寝袋持参で駆けつけてくれました。近くにお住まいの方や別荘族の方はお家でお休みです。仙台から駆けつけてくれたVARADAさん。遠方から、バスで、新幹線で、車でと到着します。近隣の別荘族にもドームのみおさんはメールを流してくれたようです。「愛の茎」のメンバーの方も来てくださいました。後ろには東京からVARADAさんを乗せて8時間にわたるドライブをしてきた千葉のヨシアさん。黒い服の男性です。今回はカメラマンとして来てもらいました。その前はPURE AQUAさんとかのんさんの息子さんたち。同じ6年生ですっかり仲良くなりました。それで、お母さんは二胡のお稽古に集中できるものです。
 蚊帳の中はとても落ち着くので8時から始まるコンサートの練習や打ち合わせをしている人。祈りに集中する人もいます。すべて自由なのです。
お絵かきの卵〈自称〉の朋ちゃんは音楽を聴きながら絵を描く方なのです。蝋燭アーティストの千絵さんと新幹線とバスで駆けつけてくれました。Pure Aquaさんのお嬢さんが、よく朋ちゃんの隣で絵を描いてました。蚊帳の中も蚊帳の外もしたいことを自由にしていたのでした。居るだけでとてもリラックスできるのですよ。人それぞれ違うことをしているのですが、それが気にならないのです。

遠くに蚊帳が見えますか?

6時からは夕食。軽井沢「遊び隊」の月1度の集会会場をみおさんはドームにしてくれたのです。会費100円の一人1皿形式のポット・ラックパーティです。蚊帳イヴェントの参加者は合流しました。蚊帳の見えるドームのテラスが落ちるのではと心配するほど多くの人数になりました。食べ物は自然の有機栽培のものが多く「愛の茎」で育てられたお野菜や6ヶ所村の玄米などどれもこれも何種類もあって次々とMyはしがすすみました。

 夕食が終わると、すでに外は暗くて蝋燭のインスタレーションが映えます。

 蝋燭アーティストの千絵さんは、地球に優しくの発想からゴミ箱に捨ててあったビンを集めて蝋燭を入れて飾ったそうです。高価な上等な器より神様は評価してくれるでしょう!
 蚊帳の蝋燭の明かりはドームのテラスからもよく見えたようで、「遊び隊」のメンバーも皆で降りてきて蚊帳を見学にきました。

8時になると、ドームのみおさんのクリスタル・ボール。ライアーの鈴音さん、二胡のかのんさん、軽井沢代表の若いママの歌のコンサートが始まりました。
 小さな子供達が早めに床に入り、次々と寝袋を抱えた大人たちが「蚊帳」の中に入ります。
ヨシアさんの差し入れの蚊よけのおおきな蝋燭を前に、いつまでも明かりを囲んでお話のグループの楽しい団欒の風景がありました。一部のグループはもっと星の見える広い田畑のあるところまで行ったそうです。流星郡を見に行ったおたえちゃんはUFOも見たといってましたが、、、
 「温泉に行ったヨシアさんが車の中に鍵をいれたまま、ロック・アウト」のニュースが聞こえてきました。針金ハンガーを持って駆けつけたみおさんが最後に開けたようです。それで、帰ってきたのが午前2時頃でしたね!
最後に待っていて起きていたグループも安心して「蚊帳」の中に入りました。
「蚊帳」の中でヨシアさんは枕を抱えて「真っ暗でした!」と駄洒落で苦境を語りました。

 カメラも車に入ったままで、明日の朝の撮影にどうしてもカメラを出さなければと思ったそうです!殊勲な心がけですね!誰も声も出さず、静かで落ち着いて夜は更けていきました。

 私もおニューの寝袋に入り、意外と心地よいものだと思いました。祈り椅子を中央に寝る私達の人数は多すぎも少なすぎもせず、ドームのオーナーのみおさんまで寝袋を持って参加されてましたのにはやや驚きました。そうですね。17,8人くらいでしたか。

12th August 2007, 10:09 pm
8.11イヴェントのエンディング!感謝とシェア!
小鳥の朝のコーラスが聴こえてきます。
目が覚めると、緑の葉とまだ薄い青空が視界に入ってきました。
そうだ。青空蚊帳の中で寝たのでした。
隣には小さな女の子が。寝たいたときは大人の女の人だったのですが。若返ったのでしょうか? 
私は朝の5時に起きました。他の人はいまだ寝息をたててすやすやとお休みです。
皆、深い眠りの只中です。寝息もほとんど聞こえない涼しい朝。

 3時間しか寝ていませんが、そっと「蚊帳」から出ました。

 ドームまでゆるい坂は、木立に囲まれた森にあるプライベートの道で誰も入ってきません。落ち葉を踏みしめながらゆっくり向かいます。昨晩、道を照らしたライトはまだ活躍です。

 顔を洗い歯を磨き、スーツケースの片付けを始めました。もう、懐中電灯はいりませんね。
ゴム草履は使わなかったのですが、持ってきたお荷物!予備のタオルやお弁当箱なども3人分。パジャマも着ないで寝たので、昨日着た衣類は総替えです。それやかんやで、大変な荷物なのです。着替えはゆったりとした軽い赤いワンピース。

 1階では、早起き組みのヨガ体操がありました。
ちょっと基本をやってみました。ドーム特性のデトックスジュースを飲んで、8時になったらいっパン屋さんに行って、皆の軽い朝食のパンを買いに行こうと思っていたら、昨晩のポットラック・パーティで炊いた六ヶ所村の玄米ご飯が釜の中で保温されていてフリカケや胡麻塩で戴けることになりました。お椀やお箸の用意をしてくださり普段しない朝食のサービスに感謝感激です。皆で、次々と頬張りました。

 昨晩、みおさんがコンサートのあとに紹介してくださったので私の出版したばかりの「コノハナサクヤヒメ」の本や、以前の「宇津保物語」「マリア・コード」。おたえちゃんの石鹸や珠珠ちゃんの購入もありました。又、祈りのイヴェントにあわせ、聖母の騎士で紹介された精神障害で生活保護を受けながら修道院に納めるロザリオを作って生活の糧を得ている「小川ロザリオ」をたくさん買い入れ、実費とお気持ちでお譲りしました。大事にしてくれるところに行きました。
小川ロザリオんは謙遜な祈りの原点が手仕事に確かさとともに感じられるのです。まだ、7本くらいありますので、関心のある方はどうぞコメントください。大体500円の指ロザリオから1600円の長いロザリオまでの間の値段でとっても良心的な値です。

 ブログでお話してもなかなか直接ご本人とできるお話のご縁は少ないもので、いいお話を多くの方とできました。お片づけに入ると、わざわざ駆けつけてくれた近くの別荘の方が塾生達と一緒に蚊帳を畳むのを手伝ってくれました。それで、蚊帳は元のように無事にスーツ・ケースに収まりました。寝る時に敷いた多くのビニー・ルシートも収まりました。
「祈りの椅子」も梱包されました。多くのものを詰めた大きなスーツケースも帰りは宅配便で送り返すことにしました。それで、3個の荷物をヤマトに運びました。みおさんが車で運んで行ってくれたのです。本当になんと気のつく惜しみない労働ができる方なのでしょう。奥様のゆき様も同じように気働きの方で、こんなに欲張りのイヴェントをよく事故もなくできたものでした。
 最後の昼食を武蔵野方面まで車で帰るかのんさん親子、お多恵さん、知絵さん、みおさん、雪さん、塾生、私でおそば屋さんでいただきました。浅間山爆発のとき、神社の階段まで上った百数十人だけが生き残り、リーダーがその人たちを組み合わせ家族をつくり村の再建に尽くしたそうです。階段の途中で多分姑を負ぶったお嫁さんが間に合わず噴火の溶岩流の下になった骸骨となった姿が、何十メートルも掘ってでて来たそうです。もし、お嫁さんが姑を残して走ったら、助かった距離なのです。でも、美しい話です。神社の上まで走った人が助かり、運命の分かれ目で階段が途中からは生存者と死者を分けたようです。みおさんの説明で、ふと
富士山の噴火?と思いが横切りました。そうならないように、するのですね。

 1日だけのインスタレーション・イヴェントはもったいないようで、かえって心に残る思いが明確にされるのではないでしょうか?

 多くの人と話すと、
「どうしても行きたかった!」
「妨害がたくさんあったのだけど、虹が見えたのでいけると思った!」
「行かなければならなかった。」
「引き寄せられた。」
「感じるものいがあった。」と、
 それぞれのドラマがあったそうです。

 今日は日曜日です。
 日本中で一番、軽井沢が混む日とのことです。
 多くの訪問者は車なので、渋滞が思いやられます。
 私達は福岡までの飛行機の時間が決まっている入谷さんに合わせて、早め早めに東京目で帰ることにしました。すぐに指定席が取れました。

 私達はとてもしあわせでした。
なにか自分たちの理想が実現された気がしたのです。
ありがとうございました。



 妖精たちや聖母マリアさまがいらっしゃる様な写真です。
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過去プログのコピー。
2007年10月27日
誕生日のめぐみ!もりだくさん!
今日は小田原の美智子さんのおうちで私と同時に合同還暦誕生日祝いをしていただきました。

 ご主人が岩原駅まで車で迎えに来てくだいました。緑豊かな自然にベランダのある暖炉には炎が踊る寒くなった季節です。台風通過の折、箱根までの電車は運転見合わせ状態でした。美智子さんのお家に着くと、北海道のにゃンママこと直ちゃんからの花籠が届いていてびっくり!家までしっかり持って帰りました。
豪華なやさしいピンクの花籠!

3人のお母様でお嬢さんも片付けられて落ち着きのある主婦の美智子さんは生活一般が大好きとのことです。
お料理も美味しくて手が運ぶこと運ぶこと!

美佐胡さんはわざわざ、私たちのために北海道から駆けつけてサプライズのプレゼントをたくさん用意してくださいました。
中身はこんなです。ケーキ、セージの葉、ロシアの人形のカード。

それにAKIRAさんの音楽演奏と朗読。ピアノ、ギター、ハーモニカ、お友達の方のギターでご自分の本の朗読。明さんは5時間かけて美智子さんの家に着いたのでした。

 内容はママへの感謝、家族、インディアンのそれぞれにある魂の歌など10曲余りをよく通る澄んだ美しい声で声高らかに!幸い雨でしたし、ご近所も都会程近くなかったですし、
お家の広々としていましたから気兼ねなく!
 私は外見から明さんの歌はもっと激しく難解だと思っていたのですが、分かりやすく自分の言葉でハートに温かく浸み込んでくるのでした。ご本人も汗だくで休まず歌い続けられてました。
 ご近所の方が次々と現れ消えていきます。いいご近所付き合いをなさっているのですね。

お隣のブラジルの家族も現れました。
 明さんの本はぜひ読みたいと思っていたので3冊求めました。

帰りの東海道線で読んだのですが、経験で書かれているので、度胸の据わり方も凄いし面白いです。ヒューマンな人間を愛すことを視点に書かれているのでどんなに俗悪なことも嫌らしくないです。いつのまにか台風も過ぎていってしまったようです!

 美佐胡さんの御蔭で素敵な家族や素敵なアーティストと親しくなれて感謝です。
とにかく、「お誕生日をする!」という熱意と行動力には大感謝です。
明さんの歌はお母さんへの思いがたくさん詰まっていて、美佐胡さんはお母様の3回忌を思い出されてか涙涙でした。明さんの泣くような叫びは心に響いて温かく包みます。
美智子さんの焼かれたおにぎりとお手作りの沢庵を抓んで、名残惜しいけれど最終電車に近い明さんのお帰りです。日光近くらしいです。
 2時に小田原を出て4時間あまりの滞在。6時20分に美智子さんの家をでて、自宅に8時頃着きました。

 家に帰ると更にサプライズ!
 PURE AQUAさんから素敵なゴージャスな花束が!
 娘が花活けに入れたのでちょっとお花のよさが生かされないのですが、
お玄関は盛りだくさんになりました!

 「縷衣香」を検索したら静岡県の富士宮の図書館に「コノハナサクヤヒメ」が入ってました!Faxのお便りのゆかりさんから!ありがとうございます!


過去プログのコピー。
2008年7月15日
「すずし会」と「パンの木」の個展!にはいいようです。しかし、今日の漁船のストライキのように厳しい経済事情で庶民の苦しみも悲鳴をあげてますよね。
 そんな時に「すずし展」で一服の清涼剤を飲むように立ち止まることもいいかなと思います。

2008年7月31日(木)から8月5日(火)
     12時から19時、最終日16時まで。
     中央区銀座2-8-2 日紫ビル1F 03-3567-1555


☆もうひとつは渋谷の松涛美術館の近くにある画廊喫茶「パンの木」で8月11日から展示準備を始め(蚊帳教会の日です。)半年とも続きそうな個展です。作品は季節の移り代わりに連れて少しずつ微妙な変化をしていきます。
 このロケーションは東急文化村から松涛美術館までの道にあるのですが、この辺はパリの香りがするんですよね。

オーナーの松本さん。女性1人で切り盛りしてられます。


「パンの木」の向かえのフランス雑貨のお店。かわいいボタンや食器やカードや石鹸など売ってます。全部メイド・イン・フランスです。



 道沿いにはクレープのお店もあったり陶芸専門店や拘りの下着のお店などがあって時間があったらちょっと面白い散歩道です。でも急ぐ場合は井の頭線の「神泉」駅に近いです。
この駅名も凄いですよね。

 この界隈はいい映画を放映する映画館が沢山あって、映画の時間が始まるまで「パンの木」で食事をしたりお茶を飲んだり、フランス雑貨を見て時間つぶしをするのが楽しみのひとつです。

 来られる日や時間を教えてくだされば一緒にお茶したりブラブラできそうです!
とても静かで落ち着いたお店です。松涛美術館へは2分くらいで60歳以上は無料とのことです。

☆☆☆
 今日は墨絵アーティストの勝間田幸弘さんとモーツアルト協会の宮田さんと御一緒に3時過ぎから延々とアートのお話をしました。類は友を呼ぶとのとおり考え方が似ているし3人とも同じ学年のようでした。小学校の同級生のおふたりはおとなになって助け支えられる関係になっていいなあと思いました。勝間田さんはこの「パンの木」で個展を昨年していてとても評判がいいのでずいぶん延長になったようです。
 アートというものは高いところから見下ろすものでは決してなくてささやかに生きてる普通の人に静かにメッセージを送っていくものだと思うので画廊の展示もいいと思いますが、お茶を飲む人にさりげなく語るのもいいと思うのです。

 オーナーはお花が好きでいつもお店の前に飾っているので明るい楽しい絵やマトリョーシカを展示したいと思います。
今日は3人でいいお話をたくさんしたのですが、人間はどんな環境にあっても天国に住むことができる素晴らしい存在ということを確認したのでした。
暑くても物価高に苦しんでも私達の心は歓喜に震えることも爽やかに生きる幸せを感じることもできるのですね。それがアーティストの仕事であり出会う人々への双方への贈物だと思うのです。

 これから終戦記念日も来る。
 広島・長崎の被爆の記念日も来る。
 私達日本は世界を幸せにするためにどれほど多くのことができるでしょう。
 魂を気高く持ち
 世界の隣人に思いを馳せる
 心豊かな民族が
 この時代にこそ
 目をしっかり見開いて
 世界の誤謬をただし
 美しい人間の誇りを
 表したいものですね。

 慎み深く
 遠慮深く
 争いを好まず
 自然を愛した
 日本人。

 今ならまだ
 間に合うようです。
 そんな仲間との語らいや出会いは
 本当に楽しいですね!

 雑踏の中にも
 光がある。

 闇を照らす
 光は
 どんなにちいさなものであろうと
 目に見えない
 輪が広がって
 人の心を溶かすのではないでしょうか?

☆2008 9 22
 昨日はとうとう、朝まで起きてそのまま食事をしたり、お出かけして銀行に寄ったりしました。
 主人もかなり重症のようで、病院に行ったのですがそのまま仕事場に行き、帰ってきたのは夕方でした。主人はお粥で私と娘は江戸前でした。頭が回らなかったのでそのまま睡眠を取りました。
 昨晩の豆本もいまだ試作の段階なのですが、変形豆本はやはり大変です。
信じられないくらい多くの和紙を用意します。それで、作業は皆が寝た後になるのです。
大きな食堂テーブルをそのために独り占めしますから。

 朝にふと、「ちい散歩」テレビ朝日を9時55分から10時半まで見ました。
渋谷だったのですよ。およそ1ヶ月前に取材でしたから地井さんは暑かったでしょうね。
ハチ公のところから駅から5分の神社へ歩かれて、渋谷センター街を歩かれます、人ごみと若者の個性的なファッションを楽しまわれてちいさな帽子屋さんを訪れます。地井さんはいつもハンティング帽を被ってられるので帽子がお好きなようです。若い店主?と会話をされて帽子をずいぶん撮影してましたね。
 今日はここまでで渋谷は前半と後半に別れるようです。
 明日は鍋島松涛公園とフェイシングを楽しまわれて、「パンの木」でケーキとお茶とお絵かきをするそうです。予告編で私の絵もでてました。

 「パンの木」のオーナーのママさんも渋谷が出てたので1日放映がずれたのかと心配になって電話をしてきました。私が前半と後半に別れて放映するのでは答えタラ、そうかなという感じでいたが、番組の終わりに又電話を下さって「明日ね。」と安心されたようでした。

 ☆考えてみたら、渋谷って広いし渋谷センター街であの帽子屋さんを選んだのも凄い確率なんですね。松涛も素敵なお店は一杯あるのです。私の絵を掲げちょうどオープンの日にオーナーさんが腹痛で店を休まれ日曜日から始まった展示会でしたが、その日にテレビの方が訪れ撮影が火曜日だったのでした。随分多くのスタッフが来たようです。
夕方は雨でした。私は映画を見て帰りに7時少し前に「パンの木」に顔を出したのでした。
もし、ビデオに取れる時間のある方がいらっしゃったらお願いします。
明日23日の9時55分から10時半です。テレビ朝日です。家は地デジになってから、機械が変わりビデオに取れないというのです。謝礼はしますよ!うふふ。

 ☆福岡で子供が母親に殺害されるニュースがあってとても淋しくなりました。じっとしてられないお子さんでお母さんが育児に不安を持たれたようです。
子供って何がしら欠点のあるもんなんですよね。おとなだって欠点あります。
そこを責め込められたら辛い。自分だってお片づけが下手だし掃除もしてないわけでないのに
完成度が低いんです。
 忘れるために仕事や読書に夢中になって欠点だけを見ないで暮らしているから生きてられるんです。娘だって他の方とくらべないけれどうんざりするほど欠点が見える日もあります。
でも、美人で秀才で気立ての良い完全なお嬢さんでなくてもいいわけですよね。
そのお坊ちゃんも写真で見る限り可愛い坊やですし、好きなことや楽しいことを沢山一緒に体験してお母さんがドーンとしてられたら、今時は意地悪する人の人間性が問われる時代ですから、強気で生きてほしかったな。

 娘が同じ年頃を思い出すと、日本の社会は残酷で母親同士の他人を見る目が結構厳しい社会です。人にもよりますが、アメリカやフランスの方が一般に子供が守られている気がします。
欠点ある人皆(私もあなたも)いいところだけ汲み取って褒める習慣があるように思います。
よく、アメリカのお母さんは「私はあなたを誇りに思う。」って子供を褒めますが、客観的ではなく主観的が許されるんですよネ。親が子を誇っていいんですよね。日本は障害があったり
家庭が変形だと「人並み」でないとどこか弱気になってしまう社会です。
縄文時代は障害者は神様の語り部だったとか。弥生時代になって差別が生まれたとか。
原始時代ではもっとおおらかだった気がします。60歳の私はもう逆の心配をしてますよ。
老人になるとずいぶん差がつくんですよ。元気な人は90歳になっても100歳になってもしかかりしてるし、若くてアルツハイマーになる方も癌になる方も尊い基準を損なわないんですから。

☆「友がみな我よりえらく見える日は」上原隆著 幻冬舎アウトロー文庫

 この本は「オキナワの少年」で芥川賞を受賞された作家の方を検索していたらでてきた本でアマゾンで購入したものです。幾人かの実在の人に会ってインタビューした逸話を本にしているのです。その中で「清貧の書」を書かれた東峰夫さんも紹介されていました。
東さんは学歴を捨て(高校中退)、妻子を捨て(奥さんの浮気)、名声を捨て(芥川賞)、生きてこられた方です。彼は高校を捨てた時からひたむきに生きてこられたといいます。本当に大切なものだけを追求してきたと。

 「友がえらく見える日」は誰にもありますよね。
この本の中に竹中工務店で働いている時、同輩の給料の低さに戦い会社が約束を待ってくれない時に止め、アパートに人が訊ねてくる旅に縮小しホームレスになった人が紹介されてます。
彼は「今までは他人のために生きた。今は自分を救う為に生きる。」といっているそうです。
お子様3人も成人し、学費を送り続けたそうです。

 容姿に恵まれなかった40代の女性が淡々と日々生きてる姿もある。好きな人に有り金をはたいてしまったこともほろ苦い経験のような。

 〇私はこの本の読み方が最初はわからなかった。
でも、もう1度読んで人間の外に現れた勝ち負けを超えて心の中に宿す誠実さやよりどころが本人を救っているのだなあと思うと、人間って言うのは偉大だなあと思いました。

☆私もマトリョーシカ体型になり、若い時のスレンダーさは夢のようですが、それでも生きてていいんだなあと思えるのです。頭も以前からいいほうではないし庶民の出でエリートの持つ特権とも無縁できましたが、結構楽しいのよね。人生は!

 目の障害で盲目になった人もでてきた。
 引きこもりや妻に去られた人もでてきた。
 でも、何が欠けてるから人生がつまらないわけでもない。

 私だって忙しいのを弁明にしているけれど、時間があったらもう少しましな作品ができると思いますよ。台所片付けに1時間はかかるもの。洗濯にもおたたみにもね。
父親の掃除でも終わりの無い老人3人抱えてますから。

 でもね。
 生きることって別に作品だけでもないし、振り返えられるほどの美人である必要もないのよね。公平に月の美しさも太陽の暖かさも届くということではないかしら?

 だから、自殺とか人殺しとかしてしまう追い詰められ方って、人間力の幅が無いのかなあと思うことがあります。
今の情報社会には嘘が多い。はだを白くするとかダイエットするとか偏差値の高い学校に行く為に塾に行かなくてはならないというのも嘘。
失敗したってバツになんかならない。そんな風になぜ言わないのだろう?

〇自分は今、豆本を作っているでしょ。沢山の方が「豆本フェスタ」に参加なさるでしょ。
検索すると皆様仕事が綺麗で丁寧で完成度が高い。
「う~む。時々豆本作家って甘いのかな?」
と思いますよね。でも、
冷静になるとね。皆と同じである必要はないのよね。
昨年の「まめまつり」に参加して100人はゆうに越えていた豆本作家を出展してました。
私のは手書き手作りですから、仕事はそれほど綺麗とは言えないですが、あとで取材もあって記載されたりしましたから、私は私でいいと言うことですよね。

 だから、子供を殺したお母さん。
 もっともっと悪条件の障害のお母さんだって日々の労働の重さにへとへとのお母さんだっ
どこか子供の笑い顔に救われたり生きてる温もりに支えられたりしているのだと思う。

 お母さんも持病があると本人は言う。

 私も36歳で出産してますから、若いお母さんに対してはハンディがあると思います。
でも、ハンディはあってもいいのよ。子供だってママが完全であることは必要ない。
欠点からいたわりや理解や助け合いが生まれるかもしれない。

 豆本作家のお母さんの中には子供の運動会に出られなくて負い目を感じてられる日記もありました。忙しさが伝わってくるようなブログもある。
下手だっていいじゃない!こどもだってママの当たり外れはあるのを知って自分の人生の反面教師にすればいい!

  
 さっき数えてみたら、「豆本フェスタ」まで20日あるかないかなんです。
相当頑張らないと!でも、公平に誰にでも同じ時間の流れがある。
主人の風邪も熱を引き、早々をベッドに入ったが幸い明日は休日ですから、いい休養がとれるでしょう。

 これから仕事に入ります!
「生かしてくださってありがとう!」
伊勢白山道さんによると「ひふみ祝詞」は危険とのことですが、私はこの祝詞には縁がないです。又、不可思議現象に振り回されないのも大事だという考えには同感です。
私の油絵の先生は実に普通のもの、例えば新聞紙とか本とか鉢とかを実に美しい作品にしてました。こうゆう地道な仕事の中に美があると思っているので、昨今の「驚きとショックと意外性」に価値を置いた現代美術には?です。
当たり前のことに感謝に賛成です。
女、子供の喜ぶ仕事って今、結構いいのではないかと思ってます。
街中の名もないアーティストって「いいではないですか?」
「ちい散歩」楽しみだな!!!



☆2008 9 23
「ちい散歩、観ました!」

なんだかんだと昨晩も豆本作りで夜通し起きてました。
少しずつ色組み合わせも落ち着いてきたかしら?

「ちい散歩」Wikipediaコピー
 都内近郊のスポットを俳優の地井武男が訪れ、散歩するという内容である。散歩中にその土地の店に立ち寄ったりして交流を深めながら、街の紹介をしていく。番組は冒頭に地井が登場して「皆さん、最近歩いてますか! 散歩って良いですよ~。さぁ、散歩に出かけましょう!!」と挨拶をし、パラパラアニメーションと「散歩は 大人の休み時間 一歩 踏み出せば 冒険が始まる」の文字とともに始まる。冒頭の地井の登場は夏期(4月中旬~10月中旬)と冬期(10月下旬~4月上旬)で服装が異なる。当初は東京都内を歩くことが多かったが、最近では横浜市、千葉県、埼玉県など東京以外へ行くことも多い。

なお、番組タイトルの題字とオープニングの絵は地井本人によるもの。
曜日によって放映内容が違うようです。

「月曜日・火曜日」
地井が散歩をしながら街の紹介をする。この番組のメインコーナーでもある。散歩中に路地を見つけると進んで入ったり、公園のブランコに乗るなどリラックスした雰囲気で展開される。散歩の終わりには、地井が印象に残った物や出来事、場所などを絵手紙にする。時々、その場所にゆかりのある芸能人も散歩に加わることがある。今まで志村けん、加賀まりこなどが参加している。

 ちい散歩まっぷ

散歩の進行に合わせ、「ちい散歩まっぷ」というマップが画面に表示される。地井が歩いたコースの道路部分に赤線を表示。なお、マップ上には各所ごとのイラストが描かれている。散歩終了時には地井が歩いた歩数と消費カロリーがマップ上に表示される。また、2008年度より「えこ散歩」の立ち上げに伴い、エコ量(コースの距離(km)×151(自動車走行時のCO2排出量)×そのコースを歩いた人数=換算)も表示されるようになった。

なお、水曜日は「昭和の散歩まっぷ」という別のマップが使用される。ただし赤線は表示しない。「昭和の散歩まっぷ」は放送内容により複数のコースを表示することがある。

各局の放送時間
放送対象地域 放送局 系列 放送時間 放送開始・期間 備考
首都圏
※制作局 テレビ朝日(EX) テレビ朝日系列 月~金曜9:55~10:30(35分)[2] 2006.4.3~
青森県 青森朝日放送(ABA) (30分 不定期) 2007~
(※詳しい時期は不明) 不定期放送 [1]
秋田県 秋田朝日放送(AAB) 土曜7:30~8:00(30分) 2007.10.6~ 週1回放送
福島県 福島放送(KFB) 土曜9:30~10:00(30分) 2008.4.5~ 週1回放送
新潟県 新潟テレビ21(UX) 土曜6:30~7:00(30分 不定期) 2007~
(※詳しい時期は不明) 不定期放送
石川県 北陸朝日放送(HAB) 日曜6:30~7:00(30分) 2008.4.6~ 週1回放送
富山県 北日本放送(KNB) 日本テレビ系列[3] 木曜15:55~16:25(30分) 2008.7.3~ 週1回放送
全国 BS朝日 テレビ朝日系列BSデジタル放送 月曜18:30~19:00(30分) 2006.10.4~ 週1回放送

* テレビ朝日以外の放送では全て同一フォーマットで、番組後半の「いいものさがし ちい散歩くらぶ」は放送されない。
* BS朝日は改編のたびに放送時間が変更になっている。

バッグ・リュック

地井は放送開始からショルダーバッグかリュックサックを背負って取材をしている。このバッグまたはリュックに、散歩の最後に紹介する絵手紙用絵具やスケッチブック等を入れて持ち歩いている。地井が『徹子の部屋』(2008年1月11日放送)に出演した際に、自らバッグを持参して公開した。

2007年4月からショルダーバッグは、番組と地井がプロデュースしたARTISAN & ARTISTとのコラボレーションによる特製のものになった。2008年3月までは矢島アナ、4月以降は生稲もこのバッグを使用している。リュックサックも2008年6 月よりARTISAN & ARTISTの特製のものになった。なお、番組で使用しているものと同型のバッグとリュックは、「ちいちいバッグ」・「ちいちいリュック」として、テレビ朝日のインターネットショッピング「Ropp!ng」で販売されている。

[編集] 歩数計

地井は散歩の際に歩数計を持参しており、散歩中に記録した歩数や歩いた距離、消費カロリーなどが記録される。歩数とカロリーは散歩の締めくくりの「ちい散歩まっぷ」上に表示する。

番組開始当初から2007年夏ごろまではオムロン製「ウォーキングスタイル」を使用していた。2007年秋以降はCASIOの腕時計型「PHYS WALKING&CALORIE」を使用している。

[編集] 帽子

火曜放映時被っている帽子は和帽子屋・必武のものである
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 うとうとソファーでしていたのですが、主人も気になったらしく10時ごろ階下に下りてきて、テレビを一緒に見ました。
☆「ちい散歩」は昨日からの続きで地井さんが渋谷を歩きます。
神泉駅のそばのフェイシング屋さんに寄られます。オリンピックで話題になったからでしょうか?お店のオーナーも元日本代表のオリンピック選手だったそうです。
 フェイシングの3種の剣の紹介をして俳優になる為のレッスンで地井さんはフェイシングの授業がったそうで型を教えて貰いフェイシングのやり方を少し見せてくれました。

 それから、「鍋島松涛公園」でした。撮影の時は8月の20日頃でしたので「暑い、暑い。」といってました。水車が回ってました。緑があって水鳥もいます。

 それから「ケーキでも食べようか。」と「パンの木」に入りました。
画廊喫茶で無料で貸し出しとか言ってましたけど、別にいつも探している風な店でもないんですよね。
始めはお店がお客で混んでいて、これはやらせでなくて本当に混んでいたのです。
地井さんが立って壁の絵を見るシーンがあってその時は他の客がいなかったです。
地井さんが「凄いねえ。」と絵を見てる時に、絵のタイトルが出て「チューリップの精霊」と「桜の精霊」がアップで映りました。それから豆団扇を手にとって見て、別の日に撮影した人の手で表と裏が映りました。オーナーの松本さんが豆団扇の封筒を持って「この中に入れて80円で届くんです。」と言ってられました。 オーナーの松本さんの声で「るいこさん。本も出されてるんですよ。」と「コノハナサクヤヒメ物語」がちらりと映りました。

 地井さんは次ぎにケーキの「クラフティ」を食べて、松本さんが「ベルギーの先生に習った人に習った。」と説明。フランスのある地方の「クラフティ」という御菓子です。もうひとつ、バナナ・ケーキもちらっと映りました。
 「お店一人でやってんの?」「一人でやってるんです。」とおふたりでお話が続きます。
地井さんは奥の椅子に座って、渋谷の神社の絵を描きました。

 35分の番組なんですけど、コマーシャルの時間が長いんです。それだけ人気がある番組だということですね。何しろ毎日ですから。
既に5冊の「ちい散歩」の番組の訪問先の紹介と絵の本が出版されてます。そのうち、「パンの木」が紹介された本が出るでしょう。
 訪問先の地図が何度も出ていたので、これから「パンの木」にお客様がたくさんいらっしゃるといいですね。本当にケーキがおいしいのですよ。いつも箱にいれてお土産にします。

 ☆ここのところ、伊勢白山道さんの「当たり前なことに感謝する。」という言葉に感銘を受けているんですけど、母が入院していて東急文化村で映画を見たり美術館に寄ったりのあとに、母の病院に行く途中にある「パンの木」に出会えたのは感謝です。
 なかなかは入りずらい店だという説もあるのです。私も「松涛美術館」に行く途中に「パンの木」という名が記憶に残っていたのですが入れませんでした。

 友人の勝間田幸弘さんが個展をやっていて、作品を見にお茶をするようになってスパゲティを食べたりパン・ケーキを食べたりしました。病院に行った後の珈琲とケーキもねぎらいかな?
勝間田さんの友人のモーツアルト愛好会の宮田さんのお母様も同じ病院に入院されていたようで、宮田さんが勝間田さんの個展も「パンの木」のオーナーの松本さんに企画したそうですとても評判が良くてずいぶん延長になったそうです。

 私も来年の2月初旬までは季節ごとに多少絵を変えて展示していただけるそうです。
「松涛美術館」のお帰りのお客さんも多く、絵をしっかりご覧になる方を多いのでびっくりしました。
始めは画廊喫茶にする考えなどなかったそうですよ。

 落ち着いた喫茶店なので私は映画を見る前の時間などにも利用させていただいてます。
ささやかなふれあいがテレビで放映されるなんて「当たり前」のことではないと思うのですが、こうして絵を絵がけて生かされていることへの感謝は尽きません。

 友人から木曜日に「パンの木」にお友達と訪ねてくださるメールがあったので、お席を予約しておいたほうがいいかもしれません。いつもは松涛の地元の人の憩いの場なんですよ。





☆2008 9 28
「神様は裏切らない」

若い時にとおりすがった人に、「あなたは神様を裏切ったこともないし、神様に裏切られたこともないでしょう。」と言われたことがあります。

 ☆今日は野尻湖コテージの暖炉をつけるかつけないかの決定をする日なんです。夜の8時までに決めなければならないのです。
 疲れがピークに出てましたが、父の家の掃除が気になってたので、行くことにしました。
その前に姑にできあがった設計図と雪に降る地域で特別な地面への準備や国立公園やナマハンゾウの化石などがでてくる可能性があるので特別な市の調査があることなどで入り組んだ状況を説明することにしました。
姑は「暖炉はせっかくだからつければいい。」とのことで、こちらの気持ちも定まりました。
遣り繰りと仕事に一層頑張ります。

 ☆それから父の家に行き、いつものように掃除をしました。
 父は私と姑が仲の良いことに安心して「お義母の分まで醍醐の寿司を買って帰りなさい。」と言いました。
本当に、さすがにお父さんです。私より気がつくのです。それで帰りは4人分のお寿司を2種類買って皆で分けていただきました。

 ☆私も秋には61歳です。
 誰でもそうなのだけれど年を取れば公平に弱くなる。いつまでも健康かどうかは神さましかわかりません。
 自分の幸福の1番目は若い時に神を知ったことです。
 私に神様は「最高善しかしてはいけない。」と言いました。
 人間のゆるされた頭脳での範囲内ですから知れてるかもしれませんが、肝に銘じて生きてきたつもりです。
 最高善というのは私心のないことです。
 自分のことを少しでも考えたらできないことがたくさんありました。

 たとえば若い20代のことですが、仕事が乗りに乗ってる時間帯(夜の12時頃です。)に、歩いて20分くらいの店から電話がかかるんです。真夜中に人も殺された薄暗い公園の前を通り、その自由が丘に行くのは大変でした。
母も「利用されてるだけだから、行く必要ない。」と泣いて止めましたが、「家賃が払えなくて生きていけない。来てくれ。」といわれれば私の知れた小遣いを落とすために出かけたものでした。
「自分のためにならないから、来るな。」という客もいました。でも、困ってる人を無視してどんなアートができるのか私にはわかりません。
 つい、この間のアメリカ滞在中も私の生き方では絶対に絵を教えない(絵は教えられるものではないと思うから)主義でしたが、どうしても海外の人のために墨絵や和本綴じや紙作りを教えてやってくれと言われたので、
自分も習ったり、日本の人間国宝のところに行ったりして教えを請い外国の方達にお教えさせて頂きました。
それはまるっきり無料で紙代を5ドルくらい頂いたぐらいでしたが、訝って「あなたの親は政治家か?」と訊かれました。
 私はいつでもそうですが、何かが欲しくてするのでは無いのです。求められたから、喜ばれるから、しただけなのです。「私はただの商人の娘で別に政治家ではないです。」と答えました。

☆自分は神様が分かっているからいいという考え方ですが、意外にも世の中には損得で動く方がいらっしゃるのですよね。そうゆう人から見ればただのバカです!自分に損なことを多くしますから。(笑)

 小林正観さんの考え方に比較的近いのですが、例えば他人を利用する人がいる。お金を無心して用立て差し上げても後の日に「あれは自分への貢物だ。」という人までいる。でも、それはその方の問題なんですよね。
私は相手が困っている時に助けて欲しいって言った時に「自分はどうしたか?」だけが大事なんです。それを「上手くお人好しを騙した。」とか「儲かったのでまたやろう。」と考えるのはもはや自分の考えではない。責任もない。そうゆう個人の考えや行動に神というのか宇宙というのかちゃんと正確に答えてくれるものがある。それが人生の素敵なところです。

☆三岸節子さんが御著書の中で「神様は数分も間違われない。」と書かれてましたが、同意見です。
人生はどんな風になっても人生をそう生きてきたから仕方が無いという考えです。
今、流行のアセンションも自分的にはひとりだけ生き残っても仕方がないという考えです。
また、仲間を作って特権的なサークルを作ろうという考えもないのです。
私の考えの基礎は誰でも同じように誰にでも公平にです。ですから、可能な限り誰にでも良くして差し上げられたらと思ってます。

☆人間は与えた分だけ輝くのではないでしょうか?
 人間は尽くした分だけ与えられるのではないでしょうか?

 神様が私に下さりたくないものは私は欲しいとは思わないです。
 神様が私に下さりたいと思うものはどんなに拒んでも下さってしまうのです。
何しろ、相手は神様ですから不可能はないのです。

 子供の頃の劇の芝居で、先生が主人公の貧しい少女の役をくださいました。
私はそれが何かえこひいきに思えて嫌だったので、女子の中でくじ引きをしました。
でも当ったのは私でした。それで、運命に逆らうのは止めようと肝に銘じたのは小学校の1年生の時ではなかったと思います。
 
 私が神様のお仕事を手伝うことになったのもまるっきり同じ理由です。
それが私の運命ならやるしかないのです。

☆私は今5時間ぐらいの睡眠が取れればいいほうの生活をしています。
「年収300万円時代の生活」に関して本を沢山書かれている森永さんが新聞広告に「ブサメンでも幸福」という感じのサブタイトルの本を出されていました。ブサメンとは不細工のメンというイケメンの反対の謙譲語です。
でも、私も同意見です。私も「バカでも幸福」っていう感じです。

 私はサラリーマンの妻で私の仕事は極めて良心的な安価でしか売ってませんからさほど収入のあるほうではないのです。でも、「生きていけるから。」が私のポイントなんです。

 私は一方的に得するという考えは好きではありません。
私は例えば教会費を払う。それは外国でも教会があって心をよりどころがあって良かったと思えるから、私も誰かの心のよりどころである為に教会費は納得して出しているわけです。

 多くの人から頼まれてきましたが、可能な限りそれなりの援助をします。
不思議とこちらが同じ人に頼んだ時には断わられる場合があります。
私はその時に驚きます。「この方はご自分が頼んだ時に、どんなにか努めてそれに快く応じた人の気持ちがおわかりにならないのだろうか?」と。
しつこく無心されると、「何か勘違いをなさっているのではないか?」と思うこともあります。

 ある方のブログに「人の善意を食い物にする人っているんですねえ。」とあって、しみじみと自分の経験を振り返りました。善意は善意ですよね。少なくても善意でしたことは忘れたいです。
しかしながら、何の権利があってここまで求めるのかという人もいるんです。

 決して怒らず。というのが神の掟のひとつです。
ですから、私はどんなことされても怒らないように心がけてます。
そして、全ての結果を神に任せてます。

 私が間違っていて間違った結果を迎えたら仕方が無いです。私の責任です。結果を神に怨んだりしません。

 でも、間違っているときは神様って結構鞭打って懲らしめてくださいます。

☆私は今の環境をとても神様に感謝してます。
自分以上のものは私にはいらないんです。
特別なものは私にはいらないんです。

神様はどんなに遠慮しても下さるときはくださいます。
神様の心はとても高くて手に届きませんが、少しずつわかってきました。

 昨晩のトークの高橋睦郎さんの名は前から拝見してたのです。
前にも学生時代にも同じような、パネル・ディスカッションを聞いたことがありました。
私はふと、彼のことが知りたくなって詩集2冊をアマゾンで注文しました。とても詩人になるのにふさわしい生い立ちをなさった人です。
 細江英公さんもさすがと思うサービス精神の方でした。1時代を作られた方達のオーラーって明るくて愛でしたよ。

☆細江さんと高橋さんのトークの多くは三島由紀夫でしたけれど、「彼はノーベル賞を取るのは大江ケンザブローだ。」と言ったり、書いたりしていたそうです。本物の芸術家って未来が見えますからね。
俳人の加藤郁乎氏は三島さんが大嫌いで三島さんも気にしていたとのことです。そんな裏話をとても楽しそうにしてられました。それとお二人が愛の人だなあと思ったのは「もっとぶつかっていいんだ。有名人にも会いにいったらいいんだ。」とか「悪口言って、喧嘩して伸びていくんだ。」「うわべの綺麗さでなくて。」みたいなことを言ってられました。

私も学生時代に戻った感じでした。
私の青春は素晴らしかったですよ。
細江さんも「記念写真が写真家の原点だ。ただでも、撮らせてもらうくらいだ。」ともおっしゃってました。
本当に才能ある人って気前がいいんですよね。もったいぶらないというか。

私も食わず嫌いで青山や原宿には行かない人なんですけど少し反省して繁華街も歩いてみましょう。

☆神様、生かしてくださってありがとうございます。
今日もとっても幸せな1日でした。

☆2008 11 20
Christmas

過去プログをアトランダムに拾って!

2008 11 20
「恩人の死」
彦坂尚嘉さんの「41流アート」のブログで田村画廊と真木画廊を経営されていた山岸信郎さんが11月7日に亡くなられたのを知った。

 以下は彼のブログのコピーである。
田村画廊は、神田にあって1970年前後の、
もの派の拠点画廊という印象が、私には強かった。
床がコンクリートの打ちっぱなしで、
何でも、どうでもできたところが、
もの派には良かったと言えるのではなかったろうか。

私が初めて田村画廊にいったのは、1971年だったのだろうか。
最初のその体験は覚えていて、
画廊いっぱいに新聞紙を積み上げていた作品
だった。誰の作品かは覚えていない。
印象深い作品は、画廊の床を掘った作品で、
清水誠一氏のと、高山登氏がやっている。

私も1973年にフロアイベントmeetアフェクとグリーンという作品を
柴田雅子氏とやっていて、
画廊にラッテックスを流して、外まで溢れ出て歩道を流れて、
パトカーが来る騒ぎになった。

あと、新田村画廊の時に、
ウッドペインティングの57577の作品をやっている。

故・山岸信郎氏は、なかなか個性の強い方であった。
貸し画廊ではあったが、1970年代の一つの時代をになった、
重要な画廊を経営した人物であった。

謹んで、謹んでご冥福をお祈り致します。


☆彦坂さんは今年に「エクリチュール―日本現代美術家の思考 (単行本)」三和書房7720円という本を出版されたばかりの画家であり美術評論家。過去に出された本は
『反覆・新興芸術の位相』(田畑書店1974年刊)
古書/希望価格3万円

 私は個人的に知り合いではないがアーティスト情報が新しく最近行き着いてしまったブログである。同時代であるので考え方が似ているところがある。

☆山岸信郎さんの2つの画廊で個展をしたことがある。
25歳の頃だったと思う。
田村画廊で流異香展「オカルタ」。
私はちょうど、「週刊朝日」の「人」の欄に記載された頃で、山岸さんが私の「易カルタ」を
「オカルト」と「カルタ」を合わせて「オカルタ」と命名してくれたのであった。
次の年に「真木画廊」で個展をした時は「遊び絵」でもう、高島屋デパートで「易カルタ」が独占販売された頃だった。ホテル・オークラの「フランネル画廊」で「豆団扇」を扱ってくれた時で
「豆団扇」や行灯やそんなものを並べた。その時は現代音楽家の「小杉武久」さんがバイオリンの即興音楽を作ってくれてテープで会場に音楽を流していた。

 私は学校を出てから3年間週に3回もお茶のお稽古に通っていて、真木画廊の個展ではいつも着物だった。

 山岸さんの画廊では主にコンセプシャル・アートのアーティスト達が個展をしていて、いつも「皆、作品を個展が終わったらどうするのかなあ。」と思っていた。
この時代は日本橋に「トキワ画廊」銀座に「村松画廊」などがあり、画廊主は若いアーティストたちにとてもやさしくて絵を見に行くと大抵水割りを出してきてくれて銀座に出かけると何軒も画廊を周ったものだ。

☆私は現代美術作家ではないけれどそういう画廊を周っていた。
72年にいまはないけれど京橋の「プリント・アートギャラリー」で個展をして、村松画廊、田村画廊、真木画廊の順で個展をしたと思う。
 バブルの只中でとにかく楽しかった。
 私の場合は街を歩いているとオジサンたちが「お嬢さんは何をしている人なの?」を訊ねるので「絵を描いているのよ。」「どんな絵?」「見たい?」といって持っていた版画などみせると「オジサンが1枚5000円の版画を2枚。1枚1万円で買ってあげるよ。」といって買ってくれ
お抱えの運転手に車で家まで送らせたりしてくれて、本当にそれなりに売れて絵で食べていたと思う。

 母は「娘の話をしていると、銀座を歩いていただけで絵が売れたっていうけれどそんな話あるかしら?」と叔母に話していたそうだ。
叔母はアメリカ大使館に勤務していて社会を母より知っているせいか「本人がそういうのだからあるんだろう。」と答えたそうである。

※関係ない話だが、私はタクシーの運転手から2度ほど「お金はいらないから、もう少し話をしてくれないか。」といわれ3000円くらいを無料になったことがある。そうゆう話術能力も自立した画家で生きることを助けたのかもしれない。

 私の母の祖父は7つのお蔵を潰した絵描きだったので、家では絵描きは「ごく潰し」と称し、絵描きなんかを甘やかしたら家の財産をみんな食われてしまうと学校を出てから1円も援助をしなかったのである。
それで、私の両親は銀座教会で個展をするまで1度も見にもこなかった。つまり、2005年かな?
 私の両親は娘が遊びで絵をやっていて、そのうちに飽きると思っていたし「世の中、そんなに甘くない。」と思っていた。

☆今思うと、本当に恵まれたのは時代である。
アメリカ・カルチャー・センターでジョン・ケージの演奏会があったり著名人の講演会や展覧会が結構あった。
 皆、若かったせいか優しかった。
 「オカルタ」の写真を撮ってくれたのは「原栄三郎」さん。
彼も亡くなられた。お金なんか1円も取らなかった。

☆私のほとんどの仕事は絵を見なくて来た。それで、やってこれたのだ。
アメリカでも50代になってても、普通の格好をしているのにもかかわらず「あなたは有名な絵描きに違いない。個展をするときは知らせてくれ。」と名刺を貰ったことがある。彼は美術評論家だった。
自分で思うに、アーティスト・オーラがあるのだと思う。そうして、見る人には見えるのではないかと思う。
そういえば、アメリカで若いアーティストの女の子が「本物の絵描き」って言っていた。
勿論英語で「True Artist.」と言っていたのだけど、根拠って何だろう?

☆私はとても自由である。
日本に7年のアメリカ滞在から帰ってきた時に「家で個展をしてください。」といわれれば貸し画廊であろうと企画画廊であろうと「はい。はい。」とおおよそ従順だ。
そんなことで格が下がるとか2流だとか3流だとかいうのは世俗的な考えだ。他人に喜ばれることが大事だ。
そうゆう風に自由なのは多分信仰なのだろう。

 山岸さんもとても心の広い愛情深い方だった。
私が「易カルタ」の出版報告をしたときは涎の流れるような優しい顔をしてくれたものだ。
山岸さんの話はボストンでも出たのですよ。同じSMFAで勉強していた「TAKASHI」も山岸さんを知っていた。話題になった時もあった。「山岸さん、アーティスト達が支払いしてくれないで、請求できなくて困っていたよ。」
私がアメリカに滞在中にこの2つの画廊は閉じたようだ。
他のアーティストさんのプログでも山岸さんを称えたブログがあって、今も続けておられるアーティストにとって青春のよき想い出の画廊である。山岸さんは画廊を畳んだ後は美術評論をなさってあちこちの美術雑誌に評論をお書きであった。
1979年には京橋の南画廊も閉じたとあった。

☆懐かしいな。

 るいちゃん、ラディケ、ランボ-とか言って、若い女の子には優しい画壇だった!

 知る時間が間に合ったら、葬儀にも出たかったな。
山岸さん、ありがとう!
とても幸福な青春だった。

お風呂!
ネロリの香り!
あしたも笑って!