December 3rd, 2019

Christmas

曇り❗-1度から6度!

ゆっくり眠れました❗
たぶん、8時間くらい。
それが嬉しい。

 足の方は右の方はかなり良くなった。
 左足の方は痛いけれど、階段は昨日よりは降りやすくなった。

 昨晩、主人からのメールでお正月家族会の日程を知らされる❗
ケアハウスで3時のお茶❗
姑は90歳でアルツハイマーなので認知してないのと、ケアハウスのお節料理は毎年同じなので、皆、飽きてきて来年はお茶とケーキにしたのだ!

 ということは、お節料理は別に頼まないと!
12月3日だから間に合うだろう。
私たちは、12月27日から東京入り。
ホテルは恵比寿に近い。昨年の半額の費用のホテルを見つけられたので、お節料理にその分まわしたいが、基本、質素❗


 ユニコーンは、処女でないと暴れるのでノアの箱船でいれてもらえなかったそうだが、虹を一緒に観てますね!


 電話をしてみようかしら?



 2階に持ってきた!

 ポスターが届いた❗


 寒い!
























カレンダーが届いた!
後で壁に貼りましょう!









 探していたオーナメントがようやく見つかった!



 マトリョーシカ!












天気!







 お風呂!
Christmas

ゴッホ 永遠の門。








 プログラムのコピーに自分の知識を足してます。


 1853年 オランダ南部の村フロート・ズンデルトの牧師の長男として生まれた。(と言っても、先に同じ名前の幼くして亡くなった兄がいる)

 子供の頃、学校に馴染めず寄宿学校にも行っている。

 16歳の時に伯父フィンセントが経営するグ-ビル画廊ハ-グ支店に務める。その後はロンドン、パリでも働く。

 ロンドンで勤務時に下宿屋の娘ウジェニ-に失恋して仕事に熱が入らなくなり、パリ支店に勤務中に解雇されてしまう。

 その後、職を転々とするが、どれもうまくいかず、父と同じ牧師となるために勉強も挫折。

 せめて伝道師になりたいと、ベルギーの貧しい炭鉱地域のポリナ-ジュ伝道師見習いになるが、不採用だった。

 こうしてゴッホは万策尽きて、画家になる決意をする。
しかし、最初の数年は全く芽が出ず、その後、子持ち未亡人の従姉妹のケ-への片思い、ハ-グに住んでいた時には子持ちの娼婦シ-ンと同棲、ニューネンでも恋人のマルホが自殺未遂をするなど事件を起こした。


 1886年、33歳の時に弟テオがパリの画廊に勤めることになった際に一緒に住み始める。2年間のパリ滞在中に浮き世絵と印象派から大きな影響を受け、作風を一変させる。日本の浮き世絵にみられる鮮やかな色彩の世界を夢見て南仏のアルルに移り住み、南仏の明るい陽光の下で作品が開花する。

「自分は今、日本にいるのだ。」と手紙に書いた❗

つづく