March 12th, 2020

-2度から7度。曇りのち晴れ!

5時に起きてしまった!







 コテ-ジには、未だ読んでない本が20冊ほどある。
この本も、その1冊。

 片岡球子さんの絵は、美術館でよく観た。

 103歳まで生きられた。
 小倉遊亀さんは105歳まで。
 書家の篠田桃紅さんは、未だ現役。106歳か107歳。

 創造的な仕事をするには長生きは良いことだろう。

 片岡球子さんは、幼い時から(許嫁いいなづけ)がいて、北海道から東京に出て、女子美術でまなんで、絵の道に生きる決意をしたとき、家から勘当されたという。

 北海道の札幌女子師範部で小学校の教員免許を取得していたので、横浜の小学校教師を50歳になるまで勤めた。

 この人は、よほど熱情家なのか、病気の時にこそ、蒲団を敷いて寝たが、普通の生活時は、蒲団に寝たことがないと言う。

 小学校の教師をしっかりと務めることが、絵を描く事の勤勉さと等しいと思い、フルタイムに働いた。

 下宿にいて、食事を作ることを人任せにして絵を描くことを最優先してきたある日、師から、「女性だから、人任せにしてあてがわれたものを食べるのでは無く、3食自分で作って食べないと駄目だ。」と言われたという。

 凄い教えだ。
 女性画家には家事はしないとか食事は作らない(時間と労力の無駄)と言う人はざらにいる。

 小林古径先生からは37歳の時に、「ゲテモノ作家と言われているが、天才とゲテモノ作家は紙一重だから、自分の画風をとおしなさい。」と言われた。

 片岡球子さんは、ずいぶん長い間、帝展や日展に落選したという。

 小学校教師として、時間も労力もとられていたから、ハンディもあったのだろう。

 25歳の時に、院展に初入選する。「枇杷」と言う作品は、私も観たことがあるが、今日の画風からみると、おとなしい絵だ。

 日本画の世界は厳しく、落選続きの帝展から院展に変えた時に師から破門される。

 37歳で院展で、「大観賞」。

 明治38年生まれだが、母親は、結婚の道でなくても、子供の一人くらいは画家の道に生きても良いと理解してくれたと言う。

 いいなづけは、30歳になるまで待ってくれたが、入選がなかなか適わなかったので、他の人と結婚し家庭があるという。

 しかし、心の支えとして、その存在が彼女を支え、恋愛はしなかったという。

 対談の利き手が瀬戸内寂聴なので、しつこく、質問される。

 片岡球子さんの61歳からの「面構(つらがまえ)」シリーズは愉しい。

 彼女の描く「富士山」も、華やかで、寂聴は2点持っていると言う。

 片岡球子さんは、グリーン車には乗らないと言う。哲学があるのだろう。

 いいなづけは、医学部の教授をしていると言うが、球子さんも61歳からは女子美術大学の客員教授になった。

 75歳で画集が出版され、84歳で文化勲章受章。

 103歳で心不全で死去。

 見事な一生だ。

 面白いのは、球子さんが子供の時から、家中で一番不細工と言われてきたというと、瀬戸内寂聴が、「私は、あなたと顔が似ていると思っていたので、私も不細工と言うことね。」と、対談で話していることだ。

 美術学校のセクハラで悩む女流画家は多いが、なまじっか美しいと、引きも多いだろが、誘惑も多いだろから、実力を培うのには、不細工は有利だったと思う。

 朝ごはん!










日本



























(no subject)















 今日、描いたのは、チューリップとフランス製の王子様のちり取り!

 50号キャンバスは2枚あるので、もう1枚の方に、お姫様の箒の方を描いて組絵にしよう!

 ご飯が一膳残っているので、チャ-ハンにしてたいらげました!


 今日の郵便物!