June 13th, 2020

18 度から21度!降水確率50%!

 寒い。
半袖のネグリジェの上に長袖のネグリジェを着る。

 明るいので始末が悪いが、もう一度寝ないと、体がもたない。

7時に起きる!
激しい雨が降っている!

 昨日、people treeで買ったもの。両方とも安くしてくれて、5000円でおつりが!
インド製のワンピース!


アイスコ-ヒ-!
15920026840541362561609.jpg





🔑
お仕事!
お直し!



 この絵は私が引っ掻きました!













🔑


色があわないですね!
クリ-ミ-な素朴なコットンレ-スが夏らしくて良いかな?


 2002年制作から、2020年のあいだに膨張したようで、上の木(蓋)を、別にオ-ダ-しないと無理ですね!

 自分のなら、ふらんす製の高級アンティークレ-スで前をカバ-するかな?









 地下に材料を取りに行く前に朝ご飯!

地下に潜る!バスケットの材料を探しに!

 子供が小学生の2年くらいの時に作ったルルド!

 マリアさまのテキスタイルは、メキシコのもの。
グアダルーペの聖母[1][注釈 1](グアダルーペのせいぼ。西: Nuestra Señora de Guadalupe、英: Our Lady of Guadalupe)は、カトリック教会が公認している聖母の出現の一つであり、メキシコで最も敬愛されている宗教的シンボルである。

グアダルーペの聖母
Nuestra Señora de Guadalupe
Virgen de guadalupe1.jpg
出現場所
 メキシコシティ テペヤクの丘
出現日
1531年12月12日
目撃者
フアン・ディエゴ(聖人)
種類
聖母の出現
法王庁承認
1895年11月12日 ローマ教皇レオ13世により承認 戴冠
聖地
メキシコ、メキシコシティ、テペヤクの丘 グアタルーペ寺院
守護対象
メキシコ (2002年)
アメリカ大陸(1945年) フィリピン
聖母の出現 編集
1531年12月9日、メキシコ・グアダルーペのインディオ、フアン・ディエゴ(英語版)の前に聖母が現れたとされる。聖母は、司教に聖母の大聖堂を建設する願いを伝えるよう求めた。ディエゴは病気の親類の助けを求めにいこうとしていたため、話しかけてくる聖母をふりきって走り去ろうとした。すると聖母は彼を制止し、親類の回復を告げた。ディエゴが戻った時、病気だった親類は癒されていた。聖母に司教へしるしとして花を持っていくよういわれたディエゴは、花をマントに包み、司教館に運んだ。司教館に花を届けた際、ディエゴのマントには聖母の姿が映し出されていた。 フアン・ディエゴは2002年に列聖された。

歴史
カトリック教会は、グアダルーペの聖母への信仰が、キリスト教が入る以前のアステカの女神、トナンツィン(英語版)と関連したものだと考えた[4]。聖母が出現した丘とは、もともとトナンツィン女神の信仰の中心地であった[5]。しかし教会は、インディオ達がキリスト教を受け入れやすくするために、このように古来の宗教がキリスト教と共存することをある程度許容した[6][7]。16世紀末頃から17世紀の初めには、聖母によって重病人が回復する奇蹟がたびたび起こり、聖母への信仰はどんどん強まっていった[4]。そして17世紀には、この「褐色の肌の聖母」はあらゆる階層の人々の信仰を集めていった[5]。

1537年、ローマ教皇パウルス3世は、インディオは理性ある人間として扱われるべきという回勅を発し、植民地におけるインディオへの迫害を禁じた。

聖母はメキシコの民族主義の象徴ともなっており[6]、メキシコ独立革命の指導者ミゲル・イダルゴの蜂起の宣言(ドロレスの叫び)では「聖母万歳」と唱えられている。メキシコ革命の指導者の一人、エミリアーノ・サパタの軍隊は聖母の像を帽子につけていた。

グアダルーペ寺院
ディエゴが聖母を見たメキシコ市近郊のテペヤク(英語版)(テペヤックとも)の丘には巨大なグアダルーペ寺院(英語版)(西: Basílica de Nuestra Señora de Guadalupe)が建てられた。 グアダルーペの聖母像は長い年月に渡り聖堂に掲げられているが、全く色褪せしていない。1785年に清掃員が額縁の汚れを落とす際、誤って硝酸をかけてしまったが、マントの部分は無事で薄く染みができた程度であった。1921年には教会の強い影響力を弱体化させる目的で、メキシコ大統領府の職員ルシアーノ・ペレス・カルビオが聖母像の真下で爆弾を爆発させた。祭壇が破壊されたが、聖母像は無傷であったという[8]。

近年の調査では、マントの聖母像の瞳部分にはディエゴとおぼしき人物が写っていると主張する人がいる。



これが奇跡のマント。額に入っているため、まるで絵画のよう。かなり高い位置に飾られている。毎日多くの人が、ひと目見ようとやって来る
グアダルーペの聖母は、メキシコ国民から一番愛されている聖母である。メキシコ人の90%は敬虔なカトリック信者だが、それにしても、グアダルーペ聖母に対する愛情は並外れたものがある。その証拠に、メキシコのどの町に行っても、至る所にグアダルーペ聖母の絵画が飾られているのが見受けられる。彼女の最大の特徴は、褐色の肌をしているという事。自分たちと同じ肌の色をした聖母…彼らが、この聖母になによりも愛情を抱く気持ちが分かる気がする。
今も多くの謎を秘めた、奇跡のマントとその伝説


フアン・ディエゴの肖像画。手の部分に触れるとご利益があるのだそう。その為、皆が触り、手の部分だけが磨り減ってしまっている
ここに、ある伝説がある。おおまかな内容は次の通り。『1531年12月9日、先住民フアン・ディエゴがテペヤックの丘を歩いていると、目の前に聖母が現れる。その聖母は、「司祭のもとへ行き、この地に教会堂を建てるように伝えよ」と告げる。しかし、ディエゴが懸命に説明しても、司祭は彼の話を一向に信じようとはしない。そんな彼のもとに再度聖母が現れ、(その時期には咲くはずのない)バラを与える。ディエゴはバラをマントに包み、再び司祭のもとへ。彼が司祭の前でマントを広げると、マントに褐色の肌を持った聖母が浮かび上がった』
伝説がもとで建てられた!?グアダルーペ寺院

好対照を成す、新旧寺院。旧寺院のほうは、写真で見ても明らかな程、建物が傾いている。建築物としては、どちらも素晴らしい
好対照を成す、新旧寺院。旧寺院のほうは、写真で見ても明らかな程、建物が傾いている。建築物としては、どちらも素晴らしい
この伝説のもと、グアダルーペ寺院が建立されたと言い伝えられている。その奇跡のマントは、今でもグアダルーペ寺院に飾られ、毎日多くの人々が、ひと目そのマントを見ようとやって来る。このマントの前には、一見不釣合いとも思える、動く歩道が設置されている。理由は、皆がこのマントに見入ってしまい、なかなか列が前に進まないので、それを防ぐため。そして、このマントは、フラッシュ撮影OKなのだ。聞いたところによると、「このマントは偽者ではなく本物のため、フラッシュ撮影をしても色が褪せる事が無い」というのがその理由だとか!
拡大した聖母の瞳に、3人の人物が見える!?

寺院内にある土産物店では、さまざまなグアダルーペ聖母グッズが売られている。信者でなくとも、思わずあれこれ見てしまう
寺院内にある土産物店では、さまざまなグアダルーペ聖母グッズが売られている。信者でなくとも、思わずあれこれ見てしまう
このマントには不思議な話がまだまだある。ひとつは、聖母の瞳を25倍に拡大してみたところ、フアン・ディエゴ・司祭・通訳の3人が描かれているのが発見されたという事。以前は拡大した瞳のポストカードを売っていたそうだが、残念ながら、私が訪れた時には売っておらず、真偽の程を確かめる事は出来なかった。そしてふたつめは、専門家がマントを分析した結果、「聖母を描いた染料の成分は地球上に存在しない」事が判明。更にもうひとつ。伝説が本当だとして、あれから400年以上たった今も、マントの痛み具合が軽いのだとか。この話、信じる?信じない?
新旧のグアダルーペ寺院と関連情報

ある民芸品店の店先でみかけた、「タラベラ焼のタイルで作られたグアダルーペ像」。町のあちこちで、グアダルーペ聖母の肖像を見かける。メキシコ人はとても信仰が厚い
グアダルーペ寺院は、近代的な設計の新しいものと、昔の古いものがある。旧寺院は1709年建造だが、地盤沈下の為に建物の傾きが激しい上、寺院内も修復が繰り返されている。今は、1976年に建てられた新しい寺院でミサが行われているようだが、内部は大変広く、とても立派だ。新旧寺院のどちらも、それぞれに見る価値はある。そして、寺院裏側には、奇跡のあったと言われるテペヤックの丘と礼拝堂がある。

アクセス:メトロ6号線のLa villa Basilica駅下車。聖母のマントは新寺院の横の入り口から入って見学する。
ガイドから一言:残念ながら、この近辺はあまり治安が良くないと言われているので、個人行動ではなく、集団行動をとるか、旅行代理店のツアーに申し込もう!








 祈りの椅子!


 Sumo wrestler
3人種のバ-ビ-ちゃん。




バスケットの材料!
ありました!








 青木繁の年老いたイブとアダム!





❇❇
婚姻アルバムが出てきた!
結婚式の写真!



棺!






 懐かしい!
 そして今おもうと豊かな時間!


 バスケットのお直しを始める。









 娘がくれたロンドン製の棺桶バッグ!









寒い!
1時間ほど寝る!