March 1st, 2021

―3 度から13度!

3時半に起きる!
7時半に起きる!














 昨日のお残りですがボリュームがありますね!


大学中退「コロナに狂わされた」 20歳男性、学費工面できず
2021年02月28日07時41分

Twitter
Facebook
HatenaBookmark
Line
学費が工面できなくなり、大学を中退した男性。「コロナに狂わされた」と話した=19日、東京都内
学費が工面できなくなり、大学を中退した男性。「コロナに狂わされた」と話した=19日、東京都内

 「新型コロナウイルスに全てを狂わされた」。千葉県内の私立大に通っていた男性(20)は学費が工面できなくなり、2月上旬に退学届を提出した。「何もできず無力感があった」。志半ばで諦めざるを得なかった大学生活を振り返った。

「コロナ中退」1300人超 困窮や寂しさ抱え―専門家「個人に即した支援を」

 男性が入学したのは2019年4月。実家は母子家庭で、母親からは「進学してもお金は出せない」と言われていた。それでも「安定した就職先を決め、母親に恩返ししたい」と思い、アルバイト代や奨学金で学費を賄う道を選んだ。
 入学後、居酒屋のバイトに週5日入り、月に約10万円を稼いで学費を捻出。学業とバイトで充実した日々を送っていた中、コロナ禍が起きた。
 昨春の緊急事態宣言後、社員を優先する居酒屋の方針でシフトに入れなくなり収入が激減。当初はイベントの手伝いなど単発のバイトをこなしたが、授業との兼ね合いから多くは働けなかった。オンライン授業中心で友人との交流も途絶え、「ずっと孤独だった」と打ち明ける。
 後期分の学費は大学と相談して昨年10月の期限を延長してもらい、2カ月遅れで何とか支払った。ただ、翌春に必要な前期分はその時点で40万円ほど不足していた。再開した居酒屋のバイトも感染再拡大で12月末から白紙に。他のバイト先を探したが採用されなかった。
 「この先、学費を払い続けられるだろうか」「先行きが見えないなら、早く働き始めた方がいいかも」。悩んだ末、就職活動することを選んだ。男性は「コロナ禍でもうまく対応している学生もいると思うが、自分は何もできなかった」と唇をかんだ。(2021/02/28-07:41)

🔑
烏賀陽弘道氏の英語で話す3.11の福島!

https://youtu.be/3cbGxOxc4yI

烏賀陽弘道さんの本!





福島で起こったこと!
烏賀陽弘氏が英語で話してます!

  https://youtu.be/3cbGxOxc4yI

 2021.2.13の福島地震で!
 日本語で烏賀陽弘道氏がその危機語ってます!

  https://youtu.be/UNkozqcsbKQ


 烏賀陽弘道氏


烏賀陽弘道
言語
PDFをダウンロード
ウォッチリストに追加
編集
烏賀陽 弘道(うがや ひろみち、1963年1月8日 - )は、日本のフリー記者、写真家、著作家[1]。

烏賀陽弘道
生誕
1963年1月8日(58歳)
日本の旗 日本・京都府京都市
教育
京都大学経済学部
コロンビア大学国際公共政策大学院修士課程修了
職業
記者
写真家
著作家
代表経歴
朝日新聞社社員(1986年 - 2003年)
家族
父 烏賀陽正弘(著述家)
公式サイト
写真ウェブサイト
元朝日新聞記者。

経歴 編集
京都市生まれ。幼稚園前までは大阪市阿倍野区で育つ[2]。父は著述家・烏賀陽正弘。1981年同志社高等学校卒業。1986年、京都大学経済学部卒業、朝日新聞社入社。

入社後は、三重県津支局、愛知県岡崎支局、名古屋本社社会部で事件記者を5年経験した。1989年の岡崎支局の時は、東京本社のリクルート事件取材班のメンバーに選ばれ、3カ月ほど東京で取材した[3]。1991年から2001年まで東京本社で週刊誌『AERA』編集部で記者を務めた。『AERA』では音楽・文化を担当した。

1994年コロンビア大学国際公共政策大学院(アメリカ)修士(国際関係論)取得。専門は軍事研究・安全保障論。

2001年3月、パソコン入門誌『ぱそ』編集部へ異動した。2001年11月、出版企画室へ異動。体調を崩し1年ほど自宅療養[4]。

2003年5月、40歳で「早期定年退職」制度を使って退社。その後はフリーランスで活動している。1986年の朝日新聞社入社以来ずっとペン記者であったが、2011年の福島第一原子力発電所事故以後はカメラ記者としても活動するようになっている[2]。

東京都内在住[2]。

略歴 編集
1969年 京都市立第二衣笠小学校(1972年より京都市立金閣小学校)入学[4]
1975年 同志社中学校入学
1981年 同志社高等学校卒業
1986年
京都大学経済学部卒業
朝日新聞社入社、三重県津支局に配属
1988年 愛知県岡崎支局に転勤
1989年 名古屋本社社会部に転勤
1991年 週刊誌『AERA』編集部の記者となる。
1992年~1994年 コロンビア大学国際公共政策大学院(アメリカ)に自費留学する。専門は軍事研究・安全保障論。修士(国際関係論)取得。
1994年 AERAに復職。
1998年~1999年 『AERA』ニューヨーク駐在記者[5]。
2001年
3月 パソコン入門誌『ぱそ』編集部へ異動となる。
11月 出版企画室へ異動。体調を崩し1年ほど自宅療養する[4]。
2003年5月 「早期定年退職」制度を使って退社。
その後はフリーのジャーナリスト、評論家として活動。

エピソード
主な出来事
著書
脚注


 


 うさぎ小屋を掃除!

 3月3日は雛祭りだけれど、みみ耳の日でうさぎの日でもあるのだそうです!

 それでは、コテ-ジ掃除をしてうさぎの散歩「うさんぽ」をする準備をしましょう!


お昼は糸こんにゃくをしっかり食べる!
お茶はどちらにしましょうか?


美味しいです!
FAUCHONの冬という名の紅茶ににてます! 
白茶が入ってもいます!

娘がうさぎと遊びにきた。


 庭の分別ゴミ箱にプラスチックなどを入れた!




夕飯!







夕飯!















2021年3月からは「ゆりかごの時代」!

あの3.11から10年!
翌年の3月10日に父が逝って9年!

私の神山生活も10年を過ぎた。

「棺桶の時代」から「揺りかごの時代」へ!

悪は棺桶に突っ込めの時代が終わりつつある。

私達の地球は理想社会を創るために、産みの苦しみを迎えている。

世界覆っているコロナ。

私達の心の貧困をあぶり出して、人が生きにくい地球の未成熟をあちこちに知らしめる。

私達の人生は貧しいものも富めるものも等しく明日はしれない!

コロナでイチコロ。

2021年3月からは「ゆりかごの時代」!

あの3.11から10年!
翌年の3月10日に父が逝って9年!

私の神山生活も10年を過ぎた。




ヨシアさんのプログより

蚊帳教会 ~聖母マリア
September 5, 2007


テーマスピリチュアル・ライフ (28074)

カテゴリカテゴリ未分類 (194)

蚊帳教会




蚊帳 祈り 椅子







フランス・・・・ 

ツゥールーズ ~ ルルド ~ ヌヴェール ~ パリと、

様々な教会を見学したのは、今から4年前の夏のこと。


その時、偶然にも、ご一緒した方が縷衣香さんです。

ルルドの聖母マリアさまから、ご縁をいただいたようです。





著者写真 扇子





その後も、ヨシア写真展

「フォトグラファー・ヨシアの世界」 ~2006.3 原宿表参道

「ヨシア・クリスマス写真展」 ~2006.12 東日本橋

「ルルドの聖母マリア・スライドディナーショー」 ~2007.6 東日本橋

また、すぴこん など、様々な場所で再会のご縁をいただきました。





椅子 祈り




そして、2007.8.11「蚊帳教会」イベントに、カメラマンを依頼され参加してきました。

撮影依頼を受けて、ボクは撮影キーワードを探していました。





kaya教会 








「教会」・「祈り」・「ひかり」・「聖母マリア」・「北軽井沢」etc




様々なキーワードの中から、ボクが最終的に選んだものが、


1.「ひかり」・・・・暑い夏の光、太陽からの光シャワー、

      ドーム・パラダイスならではの癒し光、参加者の光(プラスの心)





光のシャワー 2






2.「ルルドの聖母マリア」・・・・

     縷衣香さんと、ご縁をいただいたのは、聖母マリアさまです。

     ルルドでの日々も思い出します。

     ボクは黒いサングラスを着用していて、少ない男性の内の一人で、
  
     「まるでみんなのボディガードね~!」と、

     縷衣香さんから言われたことなど、思い出します。



3.「祈り」・・・・これは、ルルドから始まり、ドーム・パラダイス みおさんと一緒に、

     2005年に撮影成功している「祈りの写真」


     「蚊帳教会」バージョンをみおさんは予感していたそうです。

     その写真が、下の写真です。










Mクロス マリア 扇子






ドーム・パラダイス みおさんへの感謝の気持ちから生まれた「Mクロス」シリーズです。

「蚊帳教会」での祈り撮影にも、現れてくださいました。



扇子を持つ縷衣香さんのイメージ、

青色は、「聖母マリアへの祈り」のブルー、

縷衣香さんとのご縁を、心から感謝しての祈りのシャッターです。

そして、現れた光の形も・・・・扇子型。 センス抜群!?





今回は、そんな縷衣香さんの出版物ご紹介で~

マリア・コード」を読むと縷衣香さんのことが判ります。








「コノハナサクヤヒメ」は、2007年8月発売の新刊です!






すぴこん販売でも、人気でした!
「宇津保物語」



🔑福島

⭐烏賀陽弘氏が英語で話してます!

  https://youtu.be/3cbGxOxc4yI

 2021.2.13の福島地震で!
 日本語で烏賀陽弘道氏がその危機語ってます!

 https://youtu.be/RVbQS0j9OGg








https://www.youtube.com/watch?v=cf_U3Kt7u9A

 烏賀陽弘道氏


烏賀陽弘道
言語
PDFをダウンロード
ウォッチリストに追加
編集
烏賀陽 弘道(うがや ひろみち、1963年1月8日 - )は、日本のフリー記者、写真家、著作家[1]。

烏賀陽弘道
生誕
1963年1月8日(58歳)
日本の旗 日本・京都府京都市
教育
京都大学経済学部
コロンビア大学国際公共政策大学院修士課程修了
職業
記者
写真家
著作家
代表経歴
朝日新聞社社員(1986年 - 2003年)
家族
父 烏賀陽正弘(著述家)
公式サイト
写真ウェブサイト
元朝日新聞記者。

経歴 編集
京都市生まれ。幼稚園前までは大阪市阿倍野区で育つ[2]。父は著述家・烏賀陽正弘。1981年同志社高等学校卒業。1986年、京都大学経済学部卒業、朝日新聞社入社。

入社後は、三重県津支局、愛知県岡崎支局、名古屋本社社会部で事件記者を5年経験した。1989年の岡崎支局の時は、東京本社のリクルート事件取材班のメンバーに選ばれ、3カ月ほど東京で取材した[3]。1991年から2001年まで東京本社で週刊誌『AERA』編集部で記者を務めた。『AERA』では音楽・文化を担当した。

1994年コロンビア大学国際公共政策大学院(アメリカ)修士(国際関係論)取得。専門は軍事研究・安全保障論。

2001年3月、パソコン入門誌『ぱそ』編集部へ異動した。2001年11月、出版企画室へ異動。体調を崩し1年ほど自宅療養[4]。

2003年5月、40歳で「早期定年退職」制度を使って退社。その後はフリーランスで活動している。1986年の朝日新聞社入社以来ずっとペン記者であったが、2011年の福島第一原子力発電所事故以後はカメラ記者としても活動するようになっている[2]。

東京都内在住[2]。

略歴 編集
1969年 京都市立第二衣笠小学校(1972年より京都市立金閣小学校)入学[4]
1975年 同志社中学校入学
1981年 同志社高等学校卒業
1986年
京都大学経済学部卒業
朝日新聞社入社、三重県津支局に配属
1988年 愛知県岡崎支局に転勤
1989年 名古屋本社社会部に転勤
1991年 週刊誌『AERA』編集部の記者となる。
1992年~1994年 コロンビア大学国際公共政策大学院(アメリカ)に自費留学する。専門は軍事研究・安全保障論。修士(国際関係論)取得。
1994年 AERAに復職。
1998年~1999年 『AERA』ニューヨーク駐在記者[5]。
2001年
3月 パソコン入門誌『ぱそ』編集部へ異動となる。
11月 出版企画室へ異動。体調を崩し1年ほど自宅療養する[4]。
2003年5月 「早期定年退職」制度を使って退社。
その後はフリーのジャーナリスト、評論家として活動。

エピソード
主な出来事
著書
脚注


 
🔑
 縷衣香NOW
ハリ―平山さん制作の「蚊帳教会」ビデオです。
 8月11日から12日までの「蚊帳教会」のため8月10には準備のために黒姫・神山にきてます。

 善光寺・戸隠神社・カトリック妙高高原教会「雪の聖母聖堂」が神山の周囲にあります。

 日本人は仏教も神道も教会も受け入れて心広い人種なんですね。

 日本神話の天岩戸にお隠れになった「アマテラス」が消え、太陽を失った地は暗闇になる。
そこをこじあけて、岩戸を飛ばした力持ちの神様。その岩戸が落ちた先が「戸隠神社」になったんです。

 また、どんな宗派をも受け入れる善光寺にはこの夏はダライ・ラマが訪問されました。

 カトリックの3年前に建てられたばかりの「雪の聖母」教会は、縷衣香コテージに置いてある「雪の聖母」の聖母像とリンクしてます。聖母像を祝別されたのもここのイタリアの神父様。心強い方です。

☆このビデオは12分くらいの長さですが、撮影したビデオは6時間くらいありました。
この短さにするのには大変だったと思います。

 また、野尻湖はナウマンゾウの骨が発掘されたところです。
 太古のロマンもあり、野尻原人も湖を神山からやはり見ていた気がします。

 そして、未来!
 私たちが諍いを忘れ、こころおおらかにあるべき人間の幸せな姿を取り戻すために、誰をも受け入れ、誰をも生かすそんな場所として神様が用意された様に思えるのです。

☆それがビデオの最後の場面の虹と百合の開花です。

 一茶の俳句にもありました。
 初虹も わかば盛りや   しなの山


☆しなの町は今は過疎認定されて、人口も8000人くらい。
みな仕事もなく 貧しいのです。

かつて栄えていたころの旅館やペンションも廃屋になっているものも多い。

「北国街道」が栄えた江戸時代には金沢から前田利家の大名行列で1000名もの人が休む宿場があったそうで東海道など主なる5つの街道の次に大切な改どうだったようです。

佐渡の金山から運ぶ金を1日保管する寺も野尻にありました。

また「善光寺参り」のための道としても栄えて、当時の絵を観ると賑わいがあります。

☆今回、DVDをハリー平山さんに依頼したのには「しなの町の活性化」への祈りもあるのです。

 湖があり、こんなに自然に恵まれ、おいしい食べ物にあるところなのに国から過疎認定を受けたのです。

☆私のコテージのお隣さんは韓国の方です。
民族間の長い辛い体験も水に流して、仲良くなるための神山。

捨てられた土地は無料でも上げますと言う方も多いのです。
また、200万円くらいで土地つきの古い別荘が買えます。
上手に改装して、楽しい山暮らしをしてられる隣人も増え始めました。

 私は近くの方と生協に入り、何でも持ってきてくれるので不便な買い物からも解放されました。

☆時代は変わってきてます。
一説にはお金の価値が暴落するとか。

生きるのに必要なのは家と食べ物と衣服くらい。
後は人とのいいつながり!

そんなメッセージがビデオには入っています。
02

Previous post
野尻の仲間にDVD「蚊帳教会」を渡す!
ruiico
ruiicoruiico
Next post
暑いけれど父の家に行きました!


(タイトルなし)

-8度から 9度!晴れ!

―8度から 9度!雪から晴れ❗
2 件のコメント
コメントを送信する
匿名September 5 2010, 12:01:45
百合亜です
DVDをありがとうございます♪
画像も音楽も、含まれるメッセージも素晴らしいです!!
あ~ 私もこの場に一緒に参加していたかったなぁ!!!
と、改めて思いました。いつかきっと・・・♪♪
返信
たたむ
Like
ruiicoSeptember 5 2010, 12:30:55
Re: 百合亜です
百合亜さんが参加してくれたら、心強いお料理番を頼みます!

 そして、ワインやビールなど酒類の管理!

 このビデオに出てくるミュージシャンのテッシーも3児の父ですが、吉祥寺より妻を連れ子を連れ「しなの大好き!」の心意気でお百姓さんになることを目指してつい最近来たばかり!

 現実には、お百姓さんになることはかなり大変で時給800円のきのこ工場に3月まで働きに出てます。妻に怒られたとか!

 きのこ工場には中国からの出稼ぎが多く、寮でお昼を御馳走になることも多く中国人と仲良しだとか。

 こうして、私たちは謙虚に信濃の町に溶け込み、そしてテッシーはライブで「3日間で10万人を呼び、外貨を稼ぐ。」と宣言してます。

 私もそんな応援で地元青年3人もライブを手伝って貰ったのですが、その中のギター弾きのパンチも9月は仕事がなくて草刈りとか!

 それで、大工さんなので、聖母像を庭に出すときの屋根つきの台を頼もうと思ってます。

 そんな風に助けてあげたい人ばかりなのです。

 黒姫駅の前の喫茶店兼本屋の「しなの」の御曹司40歳のインテリイケメンもDVD写真がアップで出てきて、さっそく東京で御縁談のお話が!

 まあ、そんな雑用もしているのです。

 百合亜さんは晩年住みこんでほしいわ!
返信
たたむ
Like


友人のプログより
蚊帳教会DVDと宇津保物語絵本
2010-09-05 08:11

palty-yuria
虹色の翼
by palty-yuria
オリジナルサイトで読む
縷衣香さんから「蚊帳教会」のDVDと、サイン入りの「宇津保物語」(贈り物用に注文したもの)が届きました♪







縷衣香さん、お忙しい中ありがとうございます!DVDまでプレゼントして戴き本当に嬉しいです!!




「絵本 宇津保物語」は、縷衣香さんの数ある作品の中でも、私が特に大好きなお話です。

この5冊の絵本たちも、今年中にはそれぞれに相応しい場所に旅立っていくことでしょう!(^・^)

縷衣香さんのお人柄そのものが滲み出ている直筆のサインも、ステキでしょう~☆

絵も文字も文章もどれもアートですが、素敵な人は、生き様そのものが素晴らしい芸術ですね!


絵本 宇津保物語

縷衣香 / 而立書房




オリジナルサイトで読む
この記事をみんなに教えよう!


友人のプログより
縷衣香さんの蚊帳教会
2010/08/13 06:35


野尻湖.jpg
上段左から、建築家の高橋堅氏、縷衣香さん、
山口俊郎さん、栃原比比奈さん、彦坂尚嘉。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


003f95xz.jpeg

縷衣香さんというアーティストの蚊帳教会に行って来ました。
建築家の高橋堅氏、山口俊郎さん、栃原比比奈さん、彦坂尚嘉の4人でした。別々に行ったのですが、実は北美紀さんが電車で野尻湖まで来てくれたのですが、別荘の住所と電話番号は渡してあったのですが、別荘を発見できずに、新幹線で帰られてしまうというアクシデントになりました。残念!

ツイッターに、私は次のような記事を書きました。

最新ツイート:マリア様の神懸かりである朝田ルリ子の別荘に、木村美子は来れなかった。野尻湖の湖岸にある別荘の住所は持っていた。セブンイレブンの左側にある小道の坂を登った所にあって分かりやすかったのだが、しかし、マリアの結界があって、キリスト教を信じていなかった美子には入れなかったのだ。 約10時間前 webで


私の方は、栃原比比奈さんと、一昨日に車で出て、渋滞がひどくて9時間かけて長野の野尻湖の
湖岸の縷衣香さんの別荘に行って来たのでした。

縷衣香さんと知り合ったのは、このブログで田村画廊のご主人の
ことを書いたのがご縁でした。
キリスト教の信者で、籠や絵本を作られていて、それが《超次元》の
美しさを持っておられて、それでおつきあいが始まりました。


この日が『毎日オークション/1円オークション』の最終日と重なって、早朝の4時まで、最後の作品のアップをしてからの出発でした。5時間眠ってからの出発でしたが、まず環状8号線の渋滞がひどくて、関越道で行く予定を変更して中央道で行きました。しかし途中で自己渋滞と工事渋滞4つを体験して、9時間かかるという地獄のドライブでありました。

森の中につった蚊帳もiphonでビデオで撮影したんつもりだったのですが、撮影ができていなくて残念でした。縷衣香さんのつくったアート・バスケットの画像はアップできたので、見て下さい。




帰りは志田寿人さんの工房にも寄って来ました。志田さんにはクリス・アンダーソン著の『フリー』という本をいただきました。フリーアート展にも関連するので、読まさしていただこうと思います。


🔑

過去プログより!

Ruiico Nowより
November 8 2019, 12:10

00

蚊帳教会!
☆過去プログのコピーです。
 写真はつけ加えました❗



 軽井沢駅に「蚊帳イヴェント」のため、1時に集合した浄化塾生の佐藤君、入谷君、ワクワク探検隊のおたえちゃんと縷衣香は大変な荷物なのでタクシーに入るかどうか心配したものの、上手に後ろに入れてくれていいタクシードライバーに旧軽井沢の権力者たちの豪邸別荘を案内してもらいながら白糸の滝に寄ったり、季節限定のおやきを食べたりしながら無事ドームに着きました。早速「いやしろち」のドームの見える敷地へ!
no title
 先に宅配便で届いている「蚊帳」や「祈りの椅子」を持って、敷地で広げます。



 紐が切れてしまいました!しっかり補強してやり直し!
 限られた木を使っての蚊帳吊りですから、高い梯子限界まで背を伸ばします!塾生達はもう立派な大人なんですけれど、大変心がけがいいのでこのような危険な仕事も黙々と!



























早くも聖母マリアの御出現!
(写真とは関係ないです)

もう、真っ暗になりました。

蚊帳の中から撮影すると!

 懐中電灯や照明をつけなければ、真っ暗で道を歩くには大変です。
 私達はみおさん、ゆきさんの玄米ご飯を戴き、美味しい野菜にびっくりでした。
昼間に案内いただいた「愛の茎」の畑でアンデスいんげんの収穫をお手伝いしてお土産に戴いたのですが、ピリ辛く味付けたものが感動です!野菜は正直で同じ時期に種まかれたものでもケアの違いで大きさにこれだけ違いがあると数ヶ月でわかるのですから驚きです。

 ついつい玄米ご飯のお代わりです!
 交互にお風呂をいただきながらドームに或る珍しいものに、今夜ドームに寝袋お泊まりのかのんさん母子は心惹かれているようでした。温泉も良かったようです。それに、レンタカー番号が47ですって!憎いですねえ!


いいお天気です!


蚊帳教会にも朝の光が!

まるで、聖母マリアが手を広げているようですね!


青空も見えます。

さて、会場の前に腹ごしらえです。みおさん、ゆきさん、おたえさん、塾生、縷衣香で「カフェ・フルール」で昼食。
 

中央にみおさん、右、おたえさん。左は縷衣香。


 サイン帳も用意!
受付嬢のおたえちゃん。おたえちゃんは酵素アーティストでたくさんの酵素ジュースをもってきてくれました。パパイアやすいかがアイスボックスの中に入れられ、イヴェントの参加者に無料で振舞われました。おいしかったです!
他に縷衣香の「お気持ち易カルタ」などやドームでは、おたえちゃんの珠珠ちゃん、酵素ちゃん石鹸、縷衣香本「宇津保物語」「マリア・コード」「コノハナサクヤヒメ」が販売されてました。
お祈りのポーズを習って!
ドームで天使の翼を見つけて背につけた生きてる天使になった少女の祈りはとても板について、天性のパフォーミング・アーティストとして参加してくれました。
「蚊帳教会」を作ってくれた入谷君〈左〉と佐藤君〈右〉。入谷さんはビデオ撮影を受け持ってくれました。休むことなくでしたから、ずいぶん疲れたみたいですね。カメラのお仕事に何十年も携わっているので安心して託せました。
佐藤君な弓道を長くやっていて、蚊帳を吊るに近い仕事をよくやるようです。こんなに大変な仕事をスイスイと手順よくやってました。
 かのんさんは、おうちのセージを持ってきてくれてアロマ・セラピストでもあるPURE AQUAさんと煎ったりしてくれて、いい匂いがしてました。

 天の配剤でしようか?
 天気も最高!
 人材も最高でした。

12th August 2007, 07:55 pm
8.11
「蚊帳教会と祈りの椅子」イヴェント。

 開場の午後1時になりました。1晩、蚊帳の中でお泊りすることもできるので多くの参加者は寝袋持参で駆けつけてくれました。近くにお住まいの方や別荘族の方はお家でお休みです。仙台から駆けつけてくれたVARADAさん。遠方から、バスで、新幹線で、車でと到着します。近隣の別荘族にもドームのみおさんはメールを流してくれたようです。「愛の茎」のメンバーの方も来てくださいました。後ろには東京からVARADAさんを乗せて8時間にわたるドライブをしてきた千葉のヨシアさん。黒い服の男性です。今回はカメラマンとして来てもらいました。その前はPURE AQUAさんとかのんさんの息子さんたち。同じ6年生ですっかり仲良くなりました。それで、お母さんは二胡のお稽古に集中できるものです。
 蚊帳の中はとても落ち着くので8時から始まるコンサートの練習や打ち合わせをしている人。祈りに集中する人もいます。すべて自由なのです。
お絵かきの卵〈自称〉の朋ちゃんは音楽を聴きながら絵を描く方なのです。蝋燭アーティストの千絵さんと新幹線とバスで駆けつけてくれました。Pure Aquaさんのお嬢さんが、よく朋ちゃんの隣で絵を描いてました。蚊帳の中も蚊帳の外もしたいことを自由にしていたのでした。居るだけでとてもリラックスできるのですよ。人それぞれ違うことをしているのですが、それが気にならないのです。

遠くに蚊帳が見えますか?

6時からは夕食。軽井沢「遊び隊」の月1度の集会会場をみおさんはドームにしてくれたのです。会費100円の一人1皿形式のポット・ラックパーティです。蚊帳イヴェントの参加者は合流しました。蚊帳の見えるドームのテラスが落ちるのではと心配するほど多くの人数になりました。食べ物は自然の有機栽培のものが多く「愛の茎」で育てられたお野菜や6ヶ所村の玄米などどれもこれも何種類もあって次々とMyはしがすすみました。

 夕食が終わると、すでに外は暗くて蝋燭のインスタレーションが映えます。

 蝋燭アーティストの千絵さんは、地球に優しくの発想からゴミ箱に捨ててあったビンを集めて蝋燭を入れて飾ったそうです。高価な上等な器より神様は評価してくれるでしょう!
 蚊帳の蝋燭の明かりはドームのテラスからもよく見えたようで、「遊び隊」のメンバーも皆で降りてきて蚊帳を見学にきました。

8時になると、ドームのみおさんのクリスタル・ボール。ライアーの鈴音さん、二胡のかのんさん、軽井沢代表の若いママの歌のコンサートが始まりました。
 小さな子供達が早めに床に入り、次々と寝袋を抱えた大人たちが「蚊帳」の中に入ります。
ヨシアさんの差し入れの蚊よけのおおきな蝋燭を前に、いつまでも明かりを囲んでお話のグループの楽しい団欒の風景がありました。一部のグループはもっと星の見える広い田畑のあるところまで行ったそうです。流星郡を見に行ったおたえちゃんはUFOも見たといってましたが、、、
 「温泉に行ったヨシアさんが車の中に鍵をいれたまま、ロック・アウト」のニュースが聞こえてきました。針金ハンガーを持って駆けつけたみおさんが最後に開けたようです。それで、帰ってきたのが午前2時頃でしたね!
最後に待っていて起きていたグループも安心して「蚊帳」の中に入りました。
「蚊帳」の中でヨシアさんは枕を抱えて「真っ暗でした!」と駄洒落で苦境を語りました。

 カメラも車に入ったままで、明日の朝の撮影にどうしてもカメラを出さなければと思ったそうです!殊勲な心がけですね!誰も声も出さず、静かで落ち着いて夜は更けていきました。

 私もおニューの寝袋に入り、意外と心地よいものだと思いました。祈り椅子を中央に寝る私達の人数は多すぎも少なすぎもせず、ドームのオーナーのみおさんまで寝袋を持って参加されてましたのにはやや驚きました。そうですね。17,8人くらいでしたか。

12th August 2007, 10:09 pm
8.11イヴェントのエンディング!感謝とシェア!
小鳥の朝のコーラスが聴こえてきます。
目が覚めると、緑の葉とまだ薄い青空が視界に入ってきました。
そうだ。青空蚊帳の中で寝たのでした。
隣には小さな女の子が。寝たいたときは大人の女の人だったのですが。若返ったのでしょうか? 
私は朝の5時に起きました。他の人はいまだ寝息をたててすやすやとお休みです。
皆、深い眠りの只中です。寝息もほとんど聞こえない涼しい朝。

 3時間しか寝ていませんが、そっと「蚊帳」から出ました。

 ドームまでゆるい坂は、木立に囲まれた森にあるプライベートの道で誰も入ってきません。落ち葉を踏みしめながらゆっくり向かいます。昨晩、道を照らしたライトはまだ活躍です。

 顔を洗い歯を磨き、スーツケースの片付けを始めました。もう、懐中電灯はいりませんね。
ゴム草履は使わなかったのですが、持ってきたお荷物!予備のタオルやお弁当箱なども3人分。パジャマも着ないで寝たので、昨日着た衣類は総替えです。それやかんやで、大変な荷物なのです。着替えはゆったりとした軽い赤いワンピース。

 1階では、早起き組みのヨガ体操がありました。
ちょっと基本をやってみました。ドーム特性のデトックスジュースを飲んで、8時になったらいっパン屋さんに行って、皆の軽い朝食のパンを買いに行こうと思っていたら、昨晩のポットラック・パーティで炊いた六ヶ所村の玄米ご飯が釜の中で保温されていてフリカケや胡麻塩で戴けることになりました。お椀やお箸の用意をしてくださり普段しない朝食のサービスに感謝感激です。皆で、次々と頬張りました。

 昨晩、みおさんがコンサートのあとに紹介してくださったので私の出版したばかりの「コノハナサクヤヒメ」の本や、以前の「宇津保物語」「マリア・コード」。おたえちゃんの石鹸や珠珠ちゃんの購入もありました。又、祈りのイヴェントにあわせ、聖母の騎士で紹介された精神障害で生活保護を受けながら修道院に納めるロザリオを作って生活の糧を得ている「小川ロザリオ」をたくさん買い入れ、実費とお気持ちでお譲りしました。大事にしてくれるところに行きました。
小川ロザリオんは謙遜な祈りの原点が手仕事に確かさとともに感じられるのです。まだ、7本くらいありますので、関心のある方はどうぞコメントください。大体500円の指ロザリオから1600円の長いロザリオまでの間の値段でとっても良心的な値です。

 ブログでお話してもなかなか直接ご本人とできるお話のご縁は少ないもので、いいお話を多くの方とできました。お片づけに入ると、わざわざ駆けつけてくれた近くの別荘の方が塾生達と一緒に蚊帳を畳むのを手伝ってくれました。それで、蚊帳は元のように無事にスーツ・ケースに収まりました。寝る時に敷いた多くのビニー・ルシートも収まりました。
「祈りの椅子」も梱包されました。多くのものを詰めた大きなスーツケースも帰りは宅配便で送り返すことにしました。それで、3個の荷物をヤマトに運びました。みおさんが車で運んで行ってくれたのです。本当になんと気のつく惜しみない労働ができる方なのでしょう。奥様のゆき様も同じように気働きの方で、こんなに欲張りのイヴェントをよく事故もなくできたものでした。
 最後の昼食を武蔵野方面まで車で帰るかのんさん親子、お多恵さん、知絵さん、みおさん、雪さん、塾生、私でおそば屋さんでいただきました。浅間山爆発のとき、神社の階段まで上った百数十人だけが生き残り、リーダーがその人たちを組み合わせ家族をつくり村の再建に尽くしたそうです。階段の途中で多分姑を負ぶったお嫁さんが間に合わず噴火の溶岩流の下になった骸骨となった姿が、何十メートルも掘ってでて来たそうです。もし、お嫁さんが姑を残して走ったら、助かった距離なのです。でも、美しい話です。神社の上まで走った人が助かり、運命の分かれ目で階段が途中からは生存者と死者を分けたようです。みおさんの説明で、ふと
富士山の噴火?と思いが横切りました。そうならないように、するのですね。

 1日だけのインスタレーション・イヴェントはもったいないようで、かえって心に残る思いが明確にされるのではないでしょうか?

 多くの人と話すと、
「どうしても行きたかった!」
「妨害がたくさんあったのだけど、虹が見えたのでいけると思った!」
「行かなければならなかった。」
「引き寄せられた。」
「感じるものいがあった。」と、
 それぞれのドラマがあったそうです。

 今日は日曜日です。
 日本中で一番、軽井沢が混む日とのことです。
 多くの訪問者は車なので、渋滞が思いやられます。
 私達は福岡までの飛行機の時間が決まっている入谷さんに合わせて、早め早めに東京目で帰ることにしました。すぐに指定席が取れました。

 私達はとてもしあわせでした。
なにか自分たちの理想が実現された気がしたのです。
ありがとうございました。



 妖精たちや聖母マリアさまがいらっしゃる様な写真です。


















過去プログのコピー。
2007年10月27日
誕生日のめぐみ!もりだくさん!
今日は小田原の美智子さんのおうちで私と同時に合同還暦誕生日祝いをしていただきました。

 ご主人が岩原駅まで車で迎えに来てくだいました。緑豊かな自然にベランダのある暖炉には炎が踊る寒くなった季節です。台風通過の折、箱根までの電車は運転見合わせ状態でした。美智子さんのお家に着くと、北海道のにゃンママこと直ちゃんからの花籠が届いていてびっくり!家までしっかり持って帰りました。
豪華なやさしいピンクの花籠!

3人のお母様でお嬢さんも片付けられて落ち着きのある主婦の美智子さんは生活一般が大好きとのことです。
お料理も美味しくて手が運ぶこと運ぶこと!

美佐胡さんはわざわざ、私たちのために北海道から駆けつけてサプライズのプレゼントをたくさん用意してくださいました。
中身はこんなです。ケーキ、セージの葉、ロシアの人形のカード。

それにAKIRAさんの音楽演奏と朗読。ピアノ、ギター、ハーモニカ、お友達の方のギターでご自分の本の朗読。明さんは5時間かけて美智子さんの家に着いたのでした。

 内容はママへの感謝、家族、インディアンのそれぞれにある魂の歌など10曲余りをよく通る澄んだ美しい声で声高らかに!幸い雨でしたし、ご近所も都会程近くなかったですし、
お家の広々としていましたから気兼ねなく!
 私は外見から明さんの歌はもっと激しく難解だと思っていたのですが、分かりやすく自分の言葉でハートに温かく浸み込んでくるのでした。ご本人も汗だくで休まず歌い続けられてました。
 ご近所の方が次々と現れ消えていきます。いいご近所付き合いをなさっているのですね。

お隣のブラジルの家族も現れました。
 明さんの本はぜひ読みたいと思っていたので3冊求めました。

帰りの東海道線で読んだのですが、経験で書かれているので、度胸の据わり方も凄いし面白いです。ヒューマンな人間を愛すことを視点に書かれているのでどんなに俗悪なことも嫌らしくないです。いつのまにか台風も過ぎていってしまったようです!

 美佐胡さんの御蔭で素敵な家族や素敵なアーティストと親しくなれて感謝です。
とにかく、「お誕生日をする!」という熱意と行動力には大感謝です。
明さんの歌はお母さんへの思いがたくさん詰まっていて、美佐胡さんはお母様の3回忌を思い出されてか涙涙でした。明さんの泣くような叫びは心に響いて温かく包みます。
美智子さんの焼かれたおにぎりとお手作りの沢庵を抓んで、名残惜しいけれど最終電車に近い明さんのお帰りです。日光近くらしいです。
 2時に小田原を出て4時間あまりの滞在。6時20分に美智子さんの家をでて、自宅に8時頃着きました。

 家に帰ると更にサプライズ!
 PURE AQUAさんから素敵なゴージャスな花束が!
 娘が花活けに入れたのでちょっとお花のよさが生かされないのですが、
お玄関は盛りだくさんになりました!

 「縷衣香」を検索したら静岡県の富士宮の図書館に「コノハナサクヤヒメ」が入ってました!Faxのお便りのゆかりさんから!ありがとうございます!


過去プログのコピー。
2008年7月15日
「すずし会」と「パンの木」の個展!にはいいようです。しかし、今日の漁船のストライキのように厳しい経済事情で庶民の苦しみも悲鳴をあげてますよね。
 そんな時に「すずし展」で一服の清涼剤を飲むように立ち止まることもいいかなと思います。

2008年7月31日(木)から8月5日(火)
     12時から19時、最終日16時まで。
     中央区銀座2-8-2 日紫ビル1F 03-3567-1555


☆もうひとつは渋谷の松涛美術館の近くにある画廊喫茶「パンの木」で8月11日から展示準備を始め(蚊帳教会の日です。)半年とも続きそうな個展です。作品は季節の移り代わりに連れて少しずつ微妙な変化をしていきます。
 このロケーションは東急文化村から松涛美術館までの道にあるのですが、この辺はパリの香りがするんですよね。

オーナーの松本さん。女性1人で切り盛りしてられます。


「パンの木」の向かえのフランス雑貨のお店。かわいいボタンや食器やカードや石鹸など売ってます。全部メイド・イン・フランスです。



 道沿いにはクレープのお店もあったり陶芸専門店や拘りの下着のお店などがあって時間があったらちょっと面白い散歩道です。でも急ぐ場合は井の頭線の「神泉」駅に近いです。
この駅名も凄いですよね。

 この界隈はいい映画を放映する映画館が沢山あって、映画の時間が始まるまで「パンの木」で食事をしたりお茶を飲んだり、フランス雑貨を見て時間つぶしをするのが楽しみのひとつです。

 来られる日や時間を教えてくだされば一緒にお茶したりブラブラできそうです!
とても静かで落ち着いたお店です。松涛美術館へは2分くらいで60歳以上は無料とのことです。

☆☆☆
 今日は墨絵アーティストの勝間田幸弘さんとモーツアルト協会の宮田さんと御一緒に3時過ぎから延々とアートのお話をしました。類は友を呼ぶとのとおり考え方が似ているし3人とも同じ学年のようでした。小学校の同級生のおふたりはおとなになって助け支えられる関係になっていいなあと思いました。勝間田さんはこの「パンの木」で個展を昨年していてとても評判がいいのでずいぶん延長になったようです。
 アートというものは高いところから見下ろすものでは決してなくてささやかに生きてる普通の人に静かにメッセージを送っていくものだと思うので画廊の展示もいいと思いますが、お茶を飲む人にさりげなく語るのもいいと思うのです。

 オーナーはお花が好きでいつもお店の前に飾っているので明るい楽しい絵やマトリョーシカを展示したいと思います。
今日は3人でいいお話をたくさんしたのですが、人間はどんな環境にあっても天国に住むことができる素晴らしい存在ということを確認したのでした。
暑くても物価高に苦しんでも私達の心は歓喜に震えることも爽やかに生きる幸せを感じることもできるのですね。それがアーティストの仕事であり出会う人々への双方への贈物だと思うのです。

 これから終戦記念日も来る。
 広島・長崎の被爆の記念日も来る。
 私達日本は世界を幸せにするためにどれほど多くのことができるでしょう。
 魂を気高く持ち
 世界の隣人に思いを馳せる
 心豊かな民族が
 この時代にこそ
 目をしっかり見開いて
 世界の誤謬をただし
 美しい人間の誇りを
 表したいものですね。

 慎み深く
 遠慮深く
 争いを好まず
 自然を愛した
 日本人。

 今ならまだ
 間に合うようです。
 そんな仲間との語らいや出会いは
 本当に楽しいですね!

 雑踏の中にも
 光がある。

 闇を照らす
 光は
 どんなにちいさなものであろうと
 目に見えない
 輪が広がって
 人の心を溶かすのではないでしょうか?

☆2008 9 22
 昨日はとうとう、朝まで起きてそのまま食事をしたり、お出かけして銀行に寄ったりしました。
 主人もかなり重症のようで、病院に行ったのですがそのまま仕事場に行き、帰ってきたのは夕方でした。主人はお粥で私と娘は江戸前でした。頭が回らなかったのでそのまま睡眠を取りました。
 昨晩の豆本もいまだ試作の段階なのですが、変形豆本はやはり大変です。
信じられないくらい多くの和紙を用意します。それで、作業は皆が寝た後になるのです。
大きな食堂テーブルをそのために独り占めしますから。

 朝にふと、「ちい散歩」テレビ朝日を9時55分から10時半まで見ました。
渋谷だったのですよ。およそ1ヶ月前に取材でしたから地井さんは暑かったでしょうね。
ハチ公のところから駅から5分の神社へ歩かれて、渋谷センター街を歩かれます、人ごみと若者の個性的なファッションを楽しまわれてちいさな帽子屋さんを訪れます。地井さんはいつもハンティング帽を被ってられるので帽子がお好きなようです。若い店主?と会話をされて帽子をずいぶん撮影してましたね。
 
今日はここまでで渋谷は前半と後半に別れるようです。
 明日は鍋島松涛公園とフェイシングを楽しまわれて、「パンの木」でケーキとお茶とお絵かきをするそうです。予告編で私の絵もでてました。

 「パンの木」のオーナーのママさんも渋谷が出てたので1日放映がずれたのかと心配になって電話をしてきました。私が前半と後半に別れて放映するのでは答えタラ、そうかなという感じでいたが、番組の終わりに又電話を下さって「明日ね。」と安心されたようでした。

 ☆考えてみたら、渋谷って広いし渋谷センター街であの帽子屋さんを選んだのも凄い確率なんですね。松涛も素敵なお店は一杯あるのです。私の絵を掲げちょうどオープンの日にオーナーさんが腹痛で店を休まれ日曜日から始まった展示会でしたが、その日にテレビの方が訪れ撮影が火曜日だったのでした。随分多くのスタッフが来たようです。
夕方は雨でした。私は映画を見て帰りに7時少し前に「パンの木」に顔を出したのでした。
もし、ビデオに取れる時間のある方がいらっしゃったらお願いします。
明日23日の9時55分から10時半です。テレビ朝日です。家は地デジになってから、機械が変わりビデオに取れないというのです。謝礼はしますよ!うふふ。

 ☆福岡で子供が母親に殺害されるニュースがあってとても淋しくなりました。じっとしてられないお子さんでお母さんが育児に不安を持たれたようです。
子供って何がしら欠点のあるもんなんですよね。おとなだって欠点あります。
そこを責め込められたら辛い。自分だってお片づけが下手だし掃除もしてないわけでないのに
完成度が低いんです。
 忘れるために仕事や読書に夢中になって欠点だけを見ないで暮らしているから生きてられるんです。娘だって他の方
だって他の方とくらべないけれどうんざりするほど欠点が見える日もあります。
でも、美人で秀才で気立ての良い完全なお嬢さんでなくてもいいわけですよね。
そのお坊ちゃんも写真で見る限り可愛い坊やですし、好きなことや楽しいことを沢山一緒に体験してお母さんがドーンとしてられたら、今時は意地悪する人の人間性が問われる時代ですから、強気で生きてほしかったな。

 娘が同じ年頃を思い出すと、日本の社会は残酷で母親同士の他人を見る目が結構厳しい社会です。人にもよりますが、アメリカやフランスの方が一般に子供が守られている気がします。
欠点ある人皆(私もあなたも)いいところだけ汲み取って褒める習慣があるように思います。
よく、アメリカのお母さんは「私はあなたを誇りに思う。」って子供を褒めますが、客観的ではなく主観的が許されるんですよネ。親が子を誇っていいんですよね。日本は障害があったり
家庭が変形だと「人並み」でないとどこか弱気になってしまう社会です。
縄文時代は障害者は神様の語り部だったとか。弥生時代になって差別が生まれたとか。
原始時代ではもっとおおらかだった気がします。60歳の私はもう逆の心配をしてますよ。
老人になるとずいぶん差がつくんですよ。元気な人は90歳になっても100歳になってもしかかりしてるし、若くてアルツハイマーになる方も癌になる方も尊い基準を損なわないんですから。

☆「友がみな我よりえらく見える日は」上原隆著 幻冬舎アウトロー文庫

 この本は「オキナワの少年」で芥川賞を受賞された作家の方を検索していたらでてきた本でアマゾンで購入したものです。幾人かの実在の人に会ってインタビューした逸話を本にしているのです。その中で「清貧の書」を書かれた東峰夫さんも紹介されていました。
東さんは学歴を捨て(高校中退)、妻子を捨て(奥さんの浮気)、名声を捨て(芥川賞)、生きてこられた方です。彼は高校を捨てた時からひたむきに生きてこられたといいます。本当に大切なものだけを追求してきたと。

 「友がえらく見える日」は誰にもありますよね。
この本の中に竹中工務店で働いている時、同輩の給料の低さに戦い会社が約束を待ってくれない時に止め、アパートに人が訊ねてくる旅に縮小しホームレスになった人が紹介されてます。
彼は「今までは他人のために生きた。今は自分を救う為に生きる。」といっているそうです。
お子様3人も成人し、学費を送り続けたそうです。

 容姿に恵まれなかった40代の女性が淡々と日々生きてる姿もある。好きな人に有り金をはたいてしまったこともほろ苦い経験のような。

 〇私はこの本の読み方が最初はわからなかった。
でも、もう1度読んで人間の外に現れた勝ち負けを超えて心の中に宿す誠実さやよりどころが本人を救っているのだなあと思うと、人間って言うのは偉大だなあと思いました。

☆私もマトリョーシカ体型になり、若い時のスレンダーさは夢のようですが、それでも生きてていいんだなあと思えるのです。頭も以前からいいほうではないし庶民の出でエリートの持つ特権とも無縁できましたが、結構楽しいのよね。人生は!

 目の障害で盲目になった人もでてきた。
 引きこもりや妻に去られた人もでてきた。
 でも、何が欠けてるから人生がつまらないわけでもない。

 私だって忙しいのを弁明にしているけれど、時間があったらもう少しましな作品ができると思いますよ。台所片付けに1時間はかかるもの。洗濯にもおたたみにもね。
父親の掃除でも終わりの無い老人3人抱えてますから。

 でもね。
 生きることって別に作品だけでもないし、振り返えられるほどの美人である必要もないのよね。公平に月の美しさも太陽の暖かさも届くということではないかしら?

 だから、自殺とか人殺しとかしてしまう追い詰められ方って、人間力の幅が無いのかなあと思うことがあります。
今の情報社会には嘘が多い。はだを白くするとかダイエットするとか偏差値の高い学校に行く為に塾に行かなくてはならないというのも嘘。
失敗したってバツになんかならない。そんな風になぜ言わないのだろう?

〇自分は今、豆本を作っているでしょ。沢山の方が「豆本フェスタ」に参加なさるでしょ。
検索すると皆様仕事が綺麗で丁寧で完成度が高い。
「う~む。時々豆本作家って甘いのかな?」
と思いますよね。でも、
冷静になるとね。皆と同じである必要はないのよね。
昨年の「まめまつり」に参加して100人はゆうに越えていた豆本作家を出展してました。
私のは手書き手作りですから、仕事はそれほど綺麗とは言えないですが、あとで取材もあって記載されたりしましたから、私は私でいいと言うことですよね。

 だから、子供を殺したお母さん。
 もっともっと悪条件の障害のお母さんだって日々の労働の重さにへとへとのお母さんだっ
どこか子供の笑い顔に救われたり生きてる温もりに支えられたりしているのだと思う。

 お母さんも持病があると本人は言う。

 私も36歳で出産してますから、若いお母さんに対してはハンディがあると思います。
でも、ハンディはあってもいいのよ。子供だってママが完全であることは必要ない。
欠点からいたわりや理解や助け合いが生まれるかもしれない。

豆本作家のお母さんの中には子供の運動会に出られなくて負い目を感じてられる日記もありました。忙しさが伝わってくるようなブログもある。
下手だっていいじゃない!こどもだってママの当たり外れはあるのを知って自分の人生の反面教師にすればいい!

  
 さっき数えてみたら、「豆本フェスタ」まで20日あるかないかなんです。
相当頑張らないと!でも、公平に誰にでも同じ時間の流れがある。
主人の風邪も熱を引き、早々をベッドに入ったが幸い明日は休日ですから、いい休養がとれるでしょう。

 これから仕事に入ります!
「生かしてくださってありがとう!」
伊勢白山道さんによると「ひふみ祝詞」は危険とのことですが、私はこの祝詞には縁がないです。又、不可思議現象に振り回されないのも大事だという考えには同感です。
私の油絵の先生は実に普通のもの、例えば新聞紙とか本とか鉢とかを実に美しい作品にしてました。こうゆう地道な仕事の中に美があると思っているので、昨今の「驚きとショックと意外性」に価値を置いた現代美術には?です。
当たり前のことに感謝に賛成です。
女、子供の喜ぶ仕事って今、結構いいのではないかと思ってます。
街中の名もないアーティストって「いいではないですか?」
「ちい散歩」楽しみだな!!!



☆2008 9 23
「ちい散歩、観ました!」

なんだかんだと昨晩も豆本作りで夜通し起きてました。
少しずつ色組み合わせも落ち着いてきたかしら?

「ちい散歩」Wikipediaコピー
 都内近郊のスポットを俳優の地井武男が訪れ、散歩するという内容である。散歩中にその土地の店に立ち寄ったりして交流を深めながら、街の紹介をしていく。番組は冒頭に地井が登場して「皆さん、最近歩いてますか! 散歩って良いですよ~。さぁ、散歩に出かけましょう!!」と挨拶をし、パラパラアニメーションと「散歩は 大人の休み時間 一歩 踏み出せば 冒険が始まる」の文字とともに始まる。冒頭の地井の登場は夏期(4月中旬~10月中旬)と冬期(10月下旬~4月上旬)で服装が異なる。当初は東京都内を歩くことが多かったが、最近では横浜市、千葉県、埼玉県など東京以外へ行くことも多い。

なお、番組タイトルの題字とオープニングの絵は地井本人によるもの。
曜日によって放映内容が違うようです。

「月曜日・火曜日」
地井が散歩をしながら街の紹介をする。この番組のメインコーナーでもある。散歩中に路地を見つけると進んで入ったり、公園のブランコに乗るなどリラックスした雰囲気で展開される。散歩の終わりには、地井が印象に残った物や出来事、場所などを絵手紙にする。時々、その場所にゆかりのある芸能人も散歩に加わることがある。今まで志村けん、加賀まりこなどが参加している。

 ちい散歩まっぷ

散歩の進行に合わせ、「ちい散歩まっぷ」というマップが画面に表示される。地井が歩いたコースの道路部分に赤線を表示。なお、マップ上には各所ごとのイラストが描かれている。散歩終了時には地井が歩いた歩数と消費カロリーがマップ上に表示される。また、2008年度より「えこ散歩」の立ち上げに伴い、エコ量(コースの距離(km)×151(自動車走行時のCO2排出量)×そのコースを歩いた人数=換算)も表示されるようになった。

なお、水曜日は「昭和の散歩まっぷ」という別のマップが使用される。ただし赤線は表示しない。「昭和の散歩まっぷ」は放送内容により複数のコースを表示することがある。

各局の放送時間
放送対象地域 放送局 系列 放送時間 放送開始・期間 備考
首都圏
※制作局 テレビ朝日(EX) テレビ朝日系列 月~金曜9:55~10:30(35分)[2] 2006.4.3~
青森県 青森朝日放送(ABA) (30分 不定期) 2007~
(※詳しい時期は不明) 不定期放送 [1]
秋田県 秋田朝日放送(AAB) 土曜7:30~8:00(30分) 2007.10.6~ 週1回放送
福島県 福島放送(KFB) 土曜9:30~10:00(30分) 2008.4.5~ 週1回放送
新潟県 新潟テレビ21(UX) 土曜6:30~7:00(30分 不定期) 2007~
(※詳しい時期は不明) 不定期放送
石川県 北陸朝日放送(HAB) 日曜6:30~7:00(30分) 2008.4.6~ 週1回放送
富山県 北日本放送(KNB) 日本テレビ系列[3] 木曜15:55~16:25(30分) 2008.7.3~ 週1回放送
全国 BS朝日 テレビ朝日系列BSデジタル放送 月曜18:30~19:00(30分) 2006.10.4~ 週1回放送

* テレビ朝日以外の放送では全て同一フォーマットで、番組後半の「いいものさがし ちい散歩くらぶ」は放送されない。
* BS朝日は改編のたびに放送時間が変更になっている。

バッグ・リュック

地井は放送開始からショルダーバッグかリュックサックを背負って取材をしている。このバッグまたはリュックに、散歩の最後に紹介する絵手紙用絵具やスケッチブック等を入れて持ち歩いている。地井が『徹子の部屋』(2008年1月11日放送)に出演した際に、自らバッグを持参して公開した。

2007年4月からショルダーバッグは、番組と地井がプロデュースしたARTISAN & ARTISTとのコラボレーションによる特製のものになった。2008年3月までは矢島アナ、4月以降は生稲もこのバッグを使用している。リュックサックも2008年6 月よりARTISAN & ARTISTの特製のものになった。なお、番組で使用しているものと同型のバッグとリュックは、「ちいちいバッグ」・「ちいちいリュック」として、テレビ朝日のインターネットショッピング「Ropp!ng」で販売されている。

[編集] 歩数計

地井は散歩の際に歩数計を持参しており、散歩中に記録した歩数や歩いた距離、消費カロリーなどが記録される。歩数とカロリーは散歩の締めくくりの「ちい散歩まっぷ」上に表示する。

番組開始当初から2007年夏ごろまではオムロン製「ウォーキングスタイル」を使用していた。2007年秋以降はCASIOの腕時計型「PHYS WALKING&CALORIE」を使用している。

[編集] 帽子

火曜放映時被っている帽子は和帽子屋・必武のものである
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 うとうとソファーでしていたのですが、主人も気になったらしく10時ごろ階下に下りてきて、テレビを一緒に見ました。
☆「ちい散歩」は昨日からの続きで地井さんが渋谷を歩きます。
神泉駅のそばのフェイシング屋さんに寄られます。オリンピックで話題になったからでしょうか?お店のオーナーも元日本代表のオリンピック選手だったそうです。
 フェイシングの3種の剣の紹介をして俳優になる為のレッスンで地井さんはフェイシングの授業がったそうで型を教えて貰いフェイシングのやり方を少し見せてくれました。

 それから、「鍋島松涛公園」でした。撮影の時は8月の20日頃でしたので「暑い、暑い。」といってました。水車が回ってました。緑があって水鳥もいます。

 それから「ケーキでも食べようか。」と「パンの木」に入りました。
画廊喫茶で無料で貸し出しとか言ってましたけど、別にいつも探している風な店でもないんですよね。
始めはお店がお客で混んでいて、これはやらせでなくて本当に混んでいたのです。
地井さんが立って壁の絵を見るシーンがあってその時は他の客がいなかったです。
地井さんが「凄いねえ。」と絵を見てる時に、絵のタイトルが出て「チューリップの精霊」と「桜の精霊」がアップで映りました。それから豆団扇を手にとって見て、別の日に撮影した人の手で表と裏が映りました。オーナーの松本さんが豆団扇の封筒を持って「この中に入れて80円で届くんです。」と言ってられました。 オーナーの松本さんの声で「るいこさん。本も出されてるんですよ。」と「コノハナサクヤヒメ物語」がちらりと映りました。

 地井さんは次ぎにケーキの「クラフティ」を食べて、松本さんが「ベルギーの先生に習った人に習った。」と説明。フランスのある地方の「クラフティ」という御菓子です。もうひとつ、バナナ・ケーキもちらっと映りました。
 「お店一人でやってんの?」「一人でやってるんです。」とおふたりでお話が続きます。
地井さんは奥の椅子に座って、渋谷の神社の絵を描きました。

 35分の番組なんですけど、コマーシャルの時間が長いんです。それだけ人気がある番組だということですね。何しろ毎日ですから。
既に5冊の「ちい散歩」の番組の訪問先の紹介と絵の本が出版されてます。そのうち、「パンの木」が紹介された本が出るでしょう。
 訪問先の地図が何度も出ていたので、これから「パンの木」にお客様がたくさんいらっしゃるといいですね。本当にケーキがおいしいのですよ。いつも箱にいれてお土産にします。

 ☆ここのところ、伊勢白山道さんの「当たり前なことに感謝する。」という言葉に感銘を受けているんですけど、母が入院していて東急文化村で映画を見たり美術館に寄ったりのあとに、母の病院に行く途中にある「パンの木」に出会えたのは感謝です。
 なかなかは入りずらい店だという説もあるのです。私も「松涛美術館」に行く途中に「パンの木」という名が記憶に残っていたのですが入れませんでした。

 友人の勝間田幸弘さんが個展をやっていて、作品を見にお茶をするようになってスパゲティを食べたりパン・ケーキを食べたりしました。病院に行った後の珈琲とケーキもねぎらいかな?
勝間田さんの友人のモーツアルト愛好会の宮田さんのお母様も同じ病院に入院されていたようで、宮田さんが勝間田さんの個展も「パンの木」のオーナーの松本さんに企画したそうですとても評判が良くてずいぶん延長になったそうです。

 私も来年の2月初旬までは季節ごとに多少絵を変えて展示していただけるそうです。
「松涛美術館」のお帰りのお客さんも多く、絵をしっかりご覧になる方を多いのでびっくりしました。
始めは画廊喫茶にする考えなどなかったそうですよ。

 落ち着いた喫茶店なので私は映画を見る前の時間などにも利用させていただいてます。
ささやかなふれあいがテレビで放映されるなんて「当たり前」のことではないと思うのですが、こうして絵を絵がけて生かされていることへの感謝は尽きません。

 友人から木曜日に「パンの木」にお友達と訪ねてくださるメールがあったので、お席を予約しておいたほうがいいかもしれません。いつもは松涛の地元の人の憩いの場なんですよ。




2008 9 28
「神様は裏切らない」

若い時にとおりすがった人に、「あなたは神様を裏切ったこともないし、神様に裏切られたこともないでしょう。」と言われたことがあります。

 ☆今日は野尻湖コテージの暖炉をつけるかつけないかの決定をする日なんです。夜の8時までに決めなければならないのです。
 疲れがピークに出てましたが、父の家の掃除が気になってたので、行くことにしました。
その前に姑にできあがった設計図と雪に降る地域で特別な地面への準備や国立公園やナマハンゾウの化石などがでてくる可能性があるので特別な市の調査があることなどで入り組んだ状況を説明することにしました。
姑は「暖炉はせっかくだからつければいい。」とのことで、こちらの気持ちも定まりました。
遣り繰りと仕事に一層頑張ります。

 ☆それから父の家に行き、いつものように掃除をしました。
 父は私と姑が仲の良いことに安心して「お義母の分まで醍醐の寿司を買って帰りなさい。」と言いました。
本当に、さすがにお父さんです。私より気がつくのです。それで帰りは4人分のお寿司を2種類買って皆で分けていただきました。

 ☆私も秋には61歳です。
 誰でもそうなのだけれど年を取れば公平に弱くなる。いつまでも健康かどうかは神さましかわかりません。
 自分の幸福の1番目は若い時に神を知ったことです。
 私に神様は「最高善しかしてはいけない。」と言いました。
 人間のゆるされた頭脳での範囲内ですから知れてるかもしれませんが、肝に銘じて生きてきたつもりです。
 最高善というのは私心のないことです。
 自分のことを少しでも考えたらできないことがたくさんありました。

 たとえば若い20代のことですが、仕事が乗りに乗ってる時間帯(夜の12時頃です。)に、歩いて20分くらいの店から電話がかかるんです。真夜中に人も殺された薄暗い公園の前を通り、その自由が丘に行くのは大変でした。
母も「利用されてるだけだから、行く必要ない。」と泣いて止めましたが、「家賃が払えなくて生きていけない。来てくれ。」といわれれば私の知れた小遣いを落とすために出かけたものでした。
「自分のためにならないから、来るな。」という客もいました。でも、困ってる人を無視してどんなアートができるのか私にはわかりません。
 つい、この間のアメリカ滞在中も私の生き方では絶対に絵を教えない(絵は教えられるものではないと思うから)主義でしたが、どうしても海外の人のために墨絵や和本綴じや紙作りを教えてやってくれと言われたので、
自分も習ったり、日本の人間国宝のところに行ったりして教えを請い外国の方達にお教えさせて頂きました。
それはまるっきり無料で紙代を5ドルくらい頂いたぐらいでしたが、訝って「あなたの親は政治家か?」と訊かれました。
 私はいつでもそうですが、何かが欲しくてするのでは無いのです。求められたから、喜ばれるから、しただけなのです。「私はただの商人の娘で別に政治家ではないです。」と答えました。

☆自分は神様が分かっているからいいという考え方ですが、意外にも世の中には損得で動く方がいらっしゃるのですよね。そうゆう人から見ればただのバカです!自分に損なことを多くしますから。(笑)

 小林正観さんの考え方に比較的近いのですが、例えば他人を利用する人がいる。お金を無心して用立て差し上げても後の日に「あれは自分への貢物だ。」という人までいる。でも、それはその方の問題なんですよね。
私は相手が困っている時に助けて欲しいって言った時に「自分はどうしたか?」だけが大事なんです。それを「上手くお人好しを騙した。」とか「儲かったのでまたやろう。」と考えるのはもはや自分の考えではない。責任もない。そうゆう個人の考えや行動に神というのか宇宙というのかちゃんと正確に答えてくれるものがある。それが人生の素敵なところです。

☆三岸節子さんが御著書の中で「神様は数分も間違われない。」と書かれてましたが、同意見です。
人生はどんな風になっても人生をそう生きてきたから仕方が無いという考えです。
今、流行のアセンションも自分的にはひとりだけ生き残っても仕方がないという考えです。
また、仲間を作って特権的なサークルを作ろうという考えもないのです。
私の考えの基礎は誰でも同じように誰にでも公平にです。ですから、可能な限り誰にでも良くして差し上げられたらと思ってます。

☆人間は与えた分だけ輝くのではないでしょうか?
 人間は尽くした分だけ与えられるのではないでしょうか?

 神様が私に下さりたくないものは私は欲しいとは思わないです。
 神様が私に下さりたいと思うものはどんなに拒んでも下さってしまうのです。
何しろ、相手は神様ですから不可能はないのです。

 子供の頃の劇の芝居で、先生が主人公の貧しい少女の役をくださいました。
私はそれが何かえこひいきに思えて嫌だったので、女子の中でくじ引きをしました。
でも当ったのは私でした。それで、運命に逆らうのは止めようと肝に銘じたのは小学校の1年生の時ではなかったと思います。
 
 私が神様のお仕事を手伝うことになったのもまるっきり同じ理由です。
それが私の運命ならやるしかないのです。

☆私は今5時間ぐらいの睡眠が取れればいいほうの生活をしています。
「年収300万円時代の生活」に関して本を沢山書かれている森永さんが新聞広告に「ブサメンでも幸福」という感じのサブタイトルの本を出されていました。ブサメンとは不細工のメンというイケメンの反対の謙譲語です。
でも、私も同意見です。私も「バカでも幸福」っていう感じです。

 私はサラリーマンの妻で私の仕事は極めて良心的な安価でしか売ってませんからさほど収入のあるほうではないのです。でも、「生きていけるから。」が私のポイントなんです。

 私は一方的に得するという考えは好きではありません。
私は例えば教会費を払う。それは外国でも教会があって心をよりどころがあって良かったと思えるから、私も誰かの心のよりどころである為に教会費は納得して出しているわけです。

 多くの人から頼まれてきましたが、可能な限りそれなりの援助をします。
不思議とこちらが同じ人に頼んだ時には断わられる場合があります。
私はその時に驚きます。「この方はご自分が頼んだ時に、どんなにか努めてそれに快く応じた人の気持ちがおわかりにならないのだろうか?」と。
しつこく無心されると、「何か勘違いをなさっているのではないか?」と思うこともあります。

 ある方のブログに「人の善意を食い物にする人っているんですねえ。」とあって、しみじみと自分の経験を振り返りました。善意は善意ですよね。少なくても善意でしたことは忘れたいです。
しかしながら、何の権利があってここまで求めるのかという人もいるんです。

 決して怒らず。というのが神の掟のひとつです。
ですから、私はどんなことされても怒らないように心がけてます。
そして、全ての結果を神に任せてます。

 私が間違っていて間違った結果を迎えたら仕方が無いです。私の責任です。結果を神に怨んだりしません。

 でも、間違っているときは神様って結構鞭打って懲らしめてくださいます。

☆私は今の環境をとても神様に感謝してます。
自分以上のものは私にはいらないんです。
特別なものは私にはいらないんです。

神様はどんなに遠慮しても下さるときはくださいます。
神様の心はとても高くて手に届きませんが、少しずつわかってきました。

 昨晩のトークの高橋睦郎さんの名は前から拝見してたのです。
前にも学生時代にも同じような、パネル・ディスカッションを聞いたことがありました。
私はふと、彼のことが知りたくなって詩集2冊をアマゾンで注文しました。とても詩人になるのにふさわしい生い立ちをなさった人です。
 細江英公さんもさすがと思うサービス精神の方でした。1時代を作られた方達のオーラーって明るくて愛でしたよ。

☆細江さんと高橋さんのトークの多くは三島由紀夫でしたけれど、「彼はノーベル賞を取るのは大江ケンザブローだ。」と言ったり、書いたりしていたそうです。本物の芸術家って未来が見えますからね。
俳人の加藤郁乎氏は三島さんが大嫌いで三島さんも気にしていたとのことです。
そんな裏話をとても楽しそうにしてられました。それとお二人が愛の人だなあと思ったのは「もっとぶつかっていいんだ。有名人にも会いにいったらいいんだ。」とか「悪口言って、喧嘩して伸びていくんだ。」「うわべの綺麗さでなくて。」みたいなことを言ってられました。

私も学生時代に戻った感じでした。
私の青春は素晴らしかったですよ。
細江さんも「記念写真が写真家の原点だ。ただでも、撮らせてもらうくらいだ。」ともおっしゃってました。
本当に才能ある人って気前がいいんですよね。もったいぶらないというか。

私も食わず嫌いで青山や原宿には行かない人なんですけど少し反省して繁華街も歩いてみましょう。

☆神様、生かしてくださってありがとうございます。
今日もとっても幸せな1日でした。