April 1st, 2021

-1度から13度!晴れ!

 まだ、電気毛布使ってます!
夜中は氷点下ですから。
それでも、山の空気のなんとも言えない心地よさ!

 3時33分に起きる!(寝たのは11時頃)
 うさちゃんがケ-ジを囓っていたので、囓るなら人参にしてと、突っ込みました!

 洗濯物を干す!

 うさちゃんの枕も完全に乾いた!



 再び寝ましょう!


結局眠れず!
tiny house makingのyou tubeを観てました!




























 蕪村の辞世の俳句 68歳

しら梅に 明くる夜ばかりと なりにけり



「BIOG 鬼火~日々の迷走」さんからの
プログのコピーです!

白梅に明くる夜ばかりとなりにけり 蕪村 萩原朔太郎 (評釈)
2013/06/30 6:27:53 萩原朔太郎
  白梅に明くる夜ばかりとなりにけり

 天明三年、蕪村臨終の直前に詠じた句で、彼の最後の絶筆となつたものである。白々とした黎明の空氣の中で、夢のように漂つて居る梅の氣あひが感じられる。全體に縹渺とした詩境であつて、英國の詩人イエーツらが狙つた所謂「象徴」の詩境とも、どこか共通のものが感じられる。しかしかうした句は、印象の直截鮮明を尊ぶ蕪村として、從來の句に見られなかつた異例である。且つどこかスタイルがちがつて居り、句の心境にも芭蕉風の靜寂な主觀が隱見して居る。けだし晩年の蕪村は、この句によって一の新しい飛躍をしたのである。もしこれが最後の絶筆でなかつたならば、更生の蕪村は別趣の風貌を帶びたか知れない。おそらく彼は、心境の靜寂さにおいて芭蕉に近づき、全體としての藝術を、近代の象徴詩に近く發展させたか知れないのである。そしてこの臆測は、蕪村の俳句や長詩に見られる、その超時代的の珍しい新感覺――それは現代の新しい詩の精神にも共通してゐる――を考へ、一方にまた近代の浪漫詩人や明治の新體詩人やが、後年に至つて象徴的傾向の詩風に入った經過を考へる時、少しも誇張の妄想でないことを知るであらう。

[やぶちゃん注:昭和一一(一九三六)年第一書房刊「郷愁の詩人與謝蕪村」の「春の部」の掉尾。これは底本とした筑摩版全集第七巻校訂本文を用いた。「郷愁の詩人與謝蕪村」の本文は、蕪村の句を「白梅に明ける夜ばかりとなりにけり」としている点及び末尾「知るであらう。」を「知るのであらう。」としている点で劣ると判断したからである。なお、この句は天明三(一七八三)年十二月二十五日未明、蕪村臨終吟三句のうちの最後の作とされ、枕頭で門人の松村月渓が書きとめたものと伝える。前の二句は、

 冬鶯むかし王維が垣根哉

 うぐひすやなにごそつかす藪の霜

とされる(享年六十八歳。死因は心筋梗塞)のであるが、例えば私の所持する二冊の蕪村句集にはこれら三句はいずれも所収されていない。以上は総てネット上から採取したものである。]



プログ もののあわれの物語 コピーです。

軒端のあたりに2,3輪の白加賀が花を開いているのを、自転車を漕いでいて、気づきました。
 「しら梅に明くる夜ばかりとなりにけり」は、わが愛する蕪村の臨終吟です。

 几董の「夜半翁終焉記」に、「二十四日の夜は病体いと静かに、言語も常にかわらず、やをら月渓を近づけて病中の吟あり、・・・吟声を窺うに、「冬鶯むかし王維が垣根かな」「うぐいすや何ごそつかす藪の霜」ときこえつつ猶工案のやうすなり。しばらくありて又、「しら梅に明くる夜ばかりとなりにけり」こは初春と題を置くべしとぞ。この三句を生涯語の限りとし睡れるごとく臨終正念にして、めでたき生涯をとげたまひけり。」とあります。
 天明3年12月25日(今年でいえば、2月1日)暁近く68歳の生涯を閉じました。

 陰暦12月下旬ならば、梅がほころび、そろそろ春の気配も感じられるころ、病床で梅が開く気配を感じとったのでしょう。来る日も来る日も軒端の白梅のところから夜が明けてゆく、夜の明ける気配と梅の開く気配を重ねて、幻想渺茫の詩境のなかで、生涯を閉じていった幸せな詩人を思います。
 魂魄が自由の世界に解き放たれようとしたとき、白梅は現実の姿としての白梅よりも、象徴的存在として蕪村そのものだったように思います。
 白梅に明けてゆく黎明は永遠に続くようです。

「白梅や誰がむかしより垣の外」の句も、そぞろに恋の面影の昔を偲ばせて、郷愁を誘う好きな句です。

 芭蕉の死に臨んでなお「旅に病で夢は枯野をかけ廻る」執念の厳しさと対比する時、詩画二筋に、豊かな生を全うした蕪村の“めでたき生涯”にさらに憧憬の念をつよくします。

春の訪れを告げる軒端の梅 2葉






















3時半に起きる!













 娘がくれたしろくまアイス!


 夕飯!