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信越線のなか!

昨日読んだ一村さんの事を描いた本はまだ半分ぐらいしか読んでないのですが、涙が止まらず出て仕方がなかったです。

 

☆9時頃、お風呂から出て食事を終えて ドイツ語の予習をしましたが これがチンプンカンプンなのです。

 

  だから、習っているのですが。
1日4レッスンだと、予習をしないと行いていけないのです。

 

67歳!
この年になってよもや、このような語学学習で苦しむとは予想もしなかったです。

 

思えば、フランス語の時は、母に子供を看て貰いに来てもらって、掃除などもしてもらっていたような記憶があります。

 

今は掃除もご飯も自分で作っているので語学学習に当てられる時間はそうはできないです。

 

☆それで、気分転換で2階に上がり和紙のアルバムを探したり、今日の読書の一村さんの本を探して来たのでした。

 

☆それで、12時から読書だったのですが、あまりにも疲れていて電気つけっぱなしで寝てしまいました!

 

  一村さんは、奄美大島で晩年をすごし、69歳で亡くなられてます。

 

本を売るために「日本のゴーガン」と代名詞のようにつけられたタイトルで、死後、NHKスペシャルで取り上げられて有名になった方です。

 

  一村さんの芸大の同期に東山魁夷がいます。残された作品は300点ほどで横山大観だと12000展あるそうです。

 

日展に出していて、落選もあったとか。
しかし、後ろ楯のお陰で襖の絵を描いたり、売る作品も作られていたそうです。

 

芸大は中退して、中央画壇から遠退き辛酸をなめられたとか。

 

美しいお姉さんがいて、結婚も一村さんのために断念し、家政婦をして支えたそうです。

 

50歳の時に一村さんは自分程度の才能では売り絵をしながら絵を描いてはいけないと、奄美大島に行き、アルバイトで染色の賃金労働をしてそのお金で制作をすると言う生活に入ります。

 

奄美大島にはライ病の病院があり、そこの患者さんと交流を持つのです。当時はライ病患者は親元から離れ、小さな集合写真の親の写真を持ってきて一村さんに大きく絵にしてくれと頼む方が多かったそうです。

 

親と世間から離れ、名前も変えて生存してなかったようにいきていたライ病の患者さんたち。

 

中央画壇から離れ、バックランドのない画家の悲哀のなかにいた一村さんは、大いに気持ちの通じるものがあったのでしょう。

 

品格。
どの村の人にも優しく奢らず、美しい風景と自然の生物。

 

絵描きには一人でいる時間が大切で、一村さんの俗物嫌いも私にはわかる。

 

画壇はとてもひどいところなのだもの。

 

死後、村の人たちが一村さんが世に出る機会を作ったそうです。

 

美しい姉も先に亡くなり 一村さんは思い残すところはなかったとではないか?

 

一村さんが日展に出したときに同級生の何人かは審査員だったそうです。うまく世に出る同期もいる。越えなくてはならぬ敵は自分のなかにいる。

 

自然の中で自由に描ける絵。

 

それこそ、神に愛された者の生きる道がうんだ本物の絵だと思いました

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