Ruiico (ruiico) wrote,
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「アートにとって価値とは何か」を読む!



☆著者の三潴末雄氏とは一度あったことがあった。

あったと言えるかどうか?
上野で中国の美術か文化との講演会に行ったときに、三潴氏が名刺を渡してくれて、後日、初めて中目黒のMizumaギャラリーを訪ねたのであった。

その後、北京のボランティア大会に行ったときに一日だけ自由行動にしてもらって、789の芸術村のMizumaギャラリーも訪ねた事もあった。

☆三潴氏は1946年生まれで、私より1年上のせいか、この本に描かれている時代背景は良く把握できる。

ギャラリストとアーティストの差はあるが世界に日本人がどう自己実現していくかは同じテーマである。

身につまされるというか、痛み無しには読めないアジア日本の世界進出である。

そして、同じような結論も得る。
アジアの同胞。世界のマイノリティーと組み引き上げる。

☆しかし、三潴氏はビジネスなので現実にはマネーゲームの勝利が重要である。
それは多くの名のある現代美術の画廊の戦いでもあるが。

☆僅かな接点らしいところは、タージ・マハル旅行団が出てくる70年代。

☆Y子さんと初めて会ったのは、この中目黒の三潴ギャラリーだった。
名刺をもらったので行ったときに、芳名帖に名を書いたら、Y子さんは「知っている。」と言い張るのだ。「そんなことないと思います。有名でないです。」
「お時間あったらお茶でも」と誘われ近くの喫茶店で話し、更に、松涛の喫茶店で個展中と言ったら、歩いて行くと言うので歩いて、飾ってあったマトリョーシカを気に入ってくれ、彼女の母校で同窓会の幹事をしているとかで、青山学院で一日講師でマトリョーシカを教えることになったのだった。33人も出席して同窓会としては大入りなのだそうだ。

☆三潴氏が例としてあげている草間彌生、村上隆、奈良美智の国際的成功者のあとに会田誠等三潴ギャラリーの取り扱い画家を世界マーケットに押し出すのが大きな関心と使命である三潴氏のたくさんの戦い。

☆それぞれのアーティストの個性というものの背景が違うように戦いの方法も作家の運もそれぞれだ。

三潴氏の最初の失敗と言うか。あまりにもフランスで成功した日本人アーティストがアメリカではフランス作家の模倣であるようにしか見えなかったこと。

☆アーティスト側の戦いと言うものがあるとしたら いかに他者から毒されず害を受けることなく自分の作風を展開していくかと言う事に尽きない。

アーティスト側から言わせてもらえば、お金儲け優先のギャラリーの餌食にならないように殺されないように、のらりくらりと生き延びることが最重要である。

☆三潴氏のツイッターを覗いたら、読売新聞に書評が出たらamazonで2位になって新聞の力は大きいと言っていた。

私は知らなかったが、テレビの「誰でもピカソ」のレギュラーの素人アーティストの審査員だったと言う。

私はその頃ボストンで、1995年から家族でアメリカに移住していたのだった。

そして、主人が帰る1998年からSMFAの学生となって、村上隆のcocoちゃんのフィギュアーやロンリー・カウボーイのフィギアーをニューヨークのアートシーンの授業で見ていたのであった。

三潴氏のギャラリーが1996年にオープンしていたそうで、私はボストンの日本食品スーパーマーケットの吉野屋で日本から送って来るビデオの「誰ピカ」を毎週借りていたのだった。それは「たけしの誰でもピカソ」と言うテレビ番組の録画で村上隆も常連だった。

そこから出て来たのが鉄拳で、パラパラ漫画?紙芝居?だった。

街の変わったおじさんや結構ちゃんとした作品を作っている作家のもあって、私には面白かった。

☆三潴氏は講演会でこうも言っていた。
「作品集を出すんだったら英語もつけてね。」

☆新しい戦略と言うことでは、所謂、権威にすがってはダメだと私は思う方。

あのときの小さな松涛の喫茶店で「縷衣香さんは、お母様が近くのセントラル松涛病院に入られているので、この喫茶店なら寄りやすいでしょう?」とお声がかかって、8月中旬くらいから半年間ほど壁に豆団扇等飾ってあったのだが、展示した次の日に、「ちい散歩」のテレビでこの喫茶店を使いたいと言われたと言う。地井さんがお元気な頃で、渋谷は広いので2度に渡って報道され、フェイシングの教室や神社や帽子屋によったあとにこの喫茶店でケーキやコーヒーを飲み、私の壁の絵を観て「凄いねえ。るいこさんって読むの。」と数分だと思うのだが、秋分の日の10時にテレビで放映された。

この日は休みで皆が家にいて、「ちい散歩」は人気番組だったので、ずいぶん多くの人から「観たよ。」と言われたのだが、後日、「エーッ!」ということになった。

3年も経ってから、「本当は「ちい散歩」に出る絵は自分の絵だったのだ。自分が忙しかったので、縷衣香さんにピンチヒッターで個展をやってもらうことにしたのだ。喫茶店のママが地井さんのファンで、幾度もテレビ局に手紙を出して自分のために来て貰えるように、裏で動いていたからテレビ局が来たのだ。」とネチネチと同じ年齢の男性アーティストから詰め寄られた。

喫茶店ママにもう一度尋ねると(テレビで取材の時に ママは喜んで「ルイコさん絵が幸運を運んでくれた!」と感謝されたので),「テレビ局に手紙を出したりはしていない。向こうがいきなり来たのよ。」と言う。

「そんなにテレビに絵を出したいのなら言ってくれたら その取材の日だけでも壁に取っ替えて展示してもらってもよかったのよ。私から頼んだのでもなく、やってくれと頼んできたのはKさんじゃないの?」

☆そんな嫌なことになるにが大嫌いなので、なかなか表に出ないようにいしているつもりだが。

新聞やテレビの力はまだ信じている人には大きいのだろうか?

☆三潴氏のこれからのギャラリーとしての戦い。

私の運だけ頼りのアート人生。

同じ時代と言うことで、何処か繋がっているような気もするが。
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