Ruiico (ruiico) wrote,
Ruiico
ruiico

父子家庭と創造!

冷たい雨!

お雑煮!

今日もドイツ語の授業はなしに。
それで、部屋の片付けをするつもり。

 

☆赤瀬川原平の奥さんの同じ美学校で学んだ人との対談は面白かった。

 

若い奥さんは美学校の教え子で後妻である。赤瀬川さんは小さな女の子と自分のお母さんと若い奥さんとでとてもよく仕事をして頑張ってきた。とても穏やかな人で77歳でなくなったあとも奥さんは有名なニラハウスといわれる家を大事にしておられる。

 

私が!と思ったのは赤瀬川さんの先妻が家を出る、または、赤瀬川さんが家を出たあとに小さな娘に話を聴かせた創造的な「桃太郎」の話だ。

 

主人公は花ちゃん。
お父さんは山に柴刈りにお母さんは川に洗濯に行き、お母さんは川に落ちて死んでしまったと言う。

 

賢い赤瀬川さんの娘は「花ちゃは私とは違うよね。」と言う。そこで、お父さんである赤瀬川さんは、「自分で何も作ろうとせず、人から奪うことしかのぞまないお母さんは死んでしまうのだ。」と子供の教訓?話をする。

 

☆創造的でなく人のものを奪うことしか考えない人間は生きていけない。

 

これは重要な教えである。

 

あの温厚な赤瀬川さんが激しい憤りがよっぽどあって、娘に残酷なおとぎ話をしたのだろう。

 

☆よく見るプログ「天下泰平」の滝川さんが、5ヵ月前から父子家庭になったと書いてあった。

 

絵に描いたような若く美しいカップルとかわいい坊や。そういう人が日本の未来の幸福のためにブログを書いていて時代はこういう人を求めているのだろうと思っていたが、細かい事情はなにも書いてない。

 

しかし、からだに良い食べ物や生き方をプログにいつも書いているので、息子と一緒にこれからも追求していくのだと思う。

 

そう言えば、山梨県であったことが一度あった。イヴェント会場の駐車場で車の整理をボランティアでしていた。

 

☆人間には大きく二つの種類のタイプがある。

 

創る人と壊す人。

 

自立する人と他人に頼る人。

 

私もいつも疑問に思ってきたが、学生時代のアルバイトのささやかな報酬ですら、必ず狙って来る人たちがいること。

 

20歳の時ですら、同じ年齢の人がお茶代はルイコに払わせればいい食事代はルイコに払わせればいいと言う人がいた。

 

見ず知らずの大学生が(私が27,8の頃)、自分の食べたスーパーの買い物のレシート7000円ほどを突き出して払ってくれと言う。

 

笑い話のようだが、有名なテレビによく出ていた考古学者が「神から啓示が降りて研究費はルイコが出すようにとあった」と手紙が来たり、(32歳の頃)33歳の頃は、60歳の修道院から脱出した修道女が、「孤児がかわいそうだと思わないのか?」と青梅の天使園まで働くように命じ、次に「ルイコさんにタダ働きさせて一生左団扇で楽して暮らすのよ。」と言うのを聞きつけた人が教えてくれたが、奉仕と言う危険にずずいぶん考えさせられたものである。

 

現実に25歳の頃は、一番乗っている制作時間の12時頃、自由が丘でスナックバーを雇われ経営していた元宝塚の50歳から「家賃が払えないから金もって来い。」と言う電話がかかる。

 

人が困っていたら助けなければいけないと言うキリストの教えがあるので、人が殺されたばかりの蓬莱公園を横切って20分くらい歩いてその店に駆けつけたが。家賃を払うだけの経済力はなかったので、せいぜい3000円から5000円くらいもって駆けつけていたのだが、彼女は体が弱いのかよく休んだ。すると店は閉まっていたのだった。

 

25歳くらいだった私は50になって若い娘からたかるようにはなるまいと決意したものだった。

 

☆それからも、不思議でしかたがないのは赤の他人が70歳の神父から「お小遣いをくれてもいいのよ。」と言われたり、私より7歳くらい上のパリ在住の女流画家から「家賃が払えないから送金して!」と5歳の幼女に言わせて電話が来たりしたことである。

 

家では、画家を甘やかしてはいけないと卒業後は一円もくれず(当たり前)、在学中は一月5000円で昼食代込みだったので働きづめだったが、知らないおじさんやおばさんが「絵を買え。」とか「金出せ。」と言ってくることがあった。

 

家では「お金がほしい人は働きなさい。」「贅沢をしたい場合は働きなさい。」と言う考えだったので、「なぜ、赤の他人から無心をするのだろう?」と不思議でしかたがなかった。

 

☆赤瀬川さんはとても忙しく仕事をして創造的な仕事をたくさんした人だから、前の奥さんが奪おう奪おうとしていたことに、本当に腹がたったのだとおもう。

 

お伽噺が本当ならば。

 

☆ドイツ語の復習で過去形で経歴のところを火曜日にしたのだが、何処の大学で勉強して何をして働いたかを話していると、私の20代って本当に凄く忙しかったのを思い出しました。

 

グラフィックデザインを学んだので、ポスターやウィンドーディスプレイや詩人の挿し絵等の注文の仕事や。

 

自分で企画する個展で作った版画やカルタ。個展の度に新聞や雑誌に記載されて、新しい仕事が来た。

 

サイン帳やポチ袋や年賀状やカレンダー。

 

ボランティアの仕事でフィンランドでのお伽草子26話の墨絵の挿し絵。

 

個展も7回東京で、京都と大阪1回づつ。

 

30歳でパリに行ったのでした。

 

☆大学の同級生が結婚して名古屋に嫁いだが、わざわざ私の家まで突然きて、玄関で殴る蹴るをしたのが25歳の頃だったか?

 

それで、悪口を言うのは嫌だったので女子美術の人との個人的交際は誰とも止めた。

 

その人は「あなたの画風なんかすぐ真似られる。」と言っていた。

 

暴力も中傷もひどくて赤坂に呼びつけられ、喫茶店で大声で「妊娠していると噂だ。」と未婚の時にですよ。言うのでした。

 

私はキリストの教えの遵法者なの7回の70倍許して来ましたが、自宅まできて殴る蹴るをされたときに、もう付き合わなくても神さまは許してくれると思えたのでした。

 

2年後に「軽蔑しないで。一緒に写真を撮ったことがあったではないか。」と電話がありましたが、「仕事で千葉まで出掛けなくてはいけないので電話を切ってください。」と言ったが、「もう、付き合ってくれないのか?」とくだくだ。15分くらい仕事に遅れて着
たのを覚えてます。他人の立場が考える頭がないのでした。

 

☆どんなに穏やかな人でも、怒ることがあります。

 

だから、「人の物を奪うことしか考えず、自らは苦しんで作ろうとしない人間は川に落ちて死んでしまう。」と言う赤瀬川さんのお伽噺は気に入りました。

 


おみくじ版画!

占い版画!

易カルタ!

ファンシーグッズ!

豆本カレンダーと葉書!

☆ずいぶん虐められたけれど、20代の10年頑張った良かったと思う。

 

母のお人形が右。
パリから帰った33歳の頃。 働きながら夢を実現していた時に両親は私のしていることがわからなかったのですが、父が亡くなる前に誉めてくれました。

壊すより創るほうがいいですよ。

Tags: via ljapp
Subscribe
  • Post a new comment

    Error

    default userpic
    When you submit the form an invisible reCAPTCHA check will be performed.
    You must follow the Privacy Policy and Google Terms of use.
  • 0 comments