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Ruiico
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哀しみの30代。

1979年の夏からローマ、イスタンブール、アテネ、ジュネーブ、チューリッヒを経てパリ。

 

いよいよ本格的にパリで画業を始めると言うときに、日本から集まって来た人達。

 


犯罪に巻き込まれそうになって、自分の画業どころではなくなった。

 

体が弱いときにアパートを乗っ取られたり、ホテル代金や鉄道運賃を踏み倒した人に注意したら暴力を振るわれたり。

 

それでも、可能な限り美術館を訪ねフランス語を学びに通ったが、信じられ無いことにそれすら妨害する日本人に驚く。

 

☆個人的には易カルタのパーティでフランス人を占ったり、1980年のカレンダーを教会のバザーで売って収入を全額寄付していた。

 

日本から住所をあちこち尋ねた人からの依頼で毎月20枚の原稿を1年半送ったが、もちろん原稿料は無料で送料すら払って貰えなかった。

 

1年半経って日本に帰国した際に、もう原稿は送る事はできないと言ったら、罵倒と中傷の記事が書かれた。

 

マンスリーの月刊雑誌に記事が出たのだが、その記事を読んだ人がパリを尋ねて来て、会わないと言う選択はできなかったので一日出向いた。

 

まだ若かったせいか、日本からモンペを穿いて絵を描きに来たご年配の婦人達(趣味のかた)にトコトン虐められてよく泣いたものだった。

 

夏、旅行に行っている間に、画家家族にアパートを貸したら、油絵具で汚されて知らん顔をされた。

 

私は日本帰国前に自前で部屋全部をペンキを塗り大家に喜ばれたが。

 

☆ニューヨーク、サンフランシスコ経由で日本に帰ったが、祖母が箱根で倒れ同じO型だったので輸血する際、栄養失調で輸血不可能だったので、父に烈火のごとく叱られた。

 

パリ在住の画家たちが日本人仲間にたかられて子供や妻を栄養失調にしてなくしたり、自分も弱り早死にしたり精神病になるのを、その後、本でよく知ったがフランスにいる日本人は同じ日本人をよく騙すのだった。

 

また、言葉の不自由やアジア人の特色によって辛い思いをしている人が多く、うさ払いのように弱い女性をいたぶったり、食い物にする人がいるのだった。

 

フランス人からは嫌な思いはほとんどなく、逆に近づいて来た日本人がなるべくフランスに迷惑をかけないように気を使う事も多くて、疲れすぎて12時間ぐらい寝てプロパンガスに載せていたヤカンがカラカラになったこともあった。

 

貧しい貧民窟のアパートにいたのだが、中庭に干していたシーツ全部が盗まれたり、お財布から札だけ抜かれて、わざわざ、ポストに空のお財布が入っていたこともあった。

 

日本人の外交官の奥さんが現れて、スイスに一緒に行こうと行くと、荷物持ちにされホテルを半額払わすことが目的のようだった。

 

パリを出るときは、私の茶碗もお皿も全部持っていった。

 

外交官のご主人はお手伝いさんに手をだしてとっくに離婚しているとの事だった。

 

☆そのようにされながらも取材し集めた資料も日本に帰国したら、勝手に週刊現代にたれこんだ人がいて、取材として来たその記者が全部乗っ取り、本をだしベストセラーになって、テレビで2時間のスペシャルに出て「誠実、愛!」と言っているのであった。

 

今、テレビで「ゴーストライター」で他人に書かせたものを自分のものにし、裁判では相手が狂った事にしようと言うところだが、白けるばかり。

 

佐村河内の「Hiroshima」でも、本当に作曲したニイガタさんを夫婦で心中すると脅かしたそうだが、映画の「Big eyes」でも妻が描いていた絵を夫のものとして世に出して妻が耐えかねてハワイに逃げ訴えると夫は妻が狂っていると言うのだった。

 

しかし、その元夫は貧しいなかで孤独死し、佐村河内氏はばれてしまったあとは世間から相手にされない。

 

☆そんなわけで、私は神に結果を任せ聖ヨハネパウロ二世が日本に来た時にテレビで武道館でのスピーチの時に額にトリノの聖蓋布のイエスが現れたので洗礼を受け、イエルサレム巡礼と聖コルベ神父の列聖式に誘われたので行くときに、主人から突然電話がかかってきたので帰国後、結婚したのが35歳の時であった。

 

☆引き出物でお配りしたシリクスクリーン画を見た人が依頼して来たのが「宇津保物語」の絵。

 

百人一首の依頼もあり、娘の出産前後に1年かけて原画制作。

 

36歳で銀座で「百人一首原画展」。
「百人一首」出版。
   関西NHKで紹介される。
37歳でパリで「百人一首」「宇津保物語の原画」「豆本」「サイン帳」等を展示。
娘と準備のため

 

パリ・ユネスコで働いている人やカルタ美術館に購入された。
8ヵ月パリ滞在。フランス語学校の入学でビザをとる。その前に上智大学の修道会女子寮に娘が8ヵ月の時から通ってフランス語を学ぶ。

 

☆パリから帰国して38歳の時、姑が4年保育の幼稚園に娘を入れるよう強要。

 

1年と3ヵ月通った6月、執拗に娘の首を絞めたり、お弁当に烏龍茶をかける男子に注意したところ、母親から、大衆の前で(お迎えのママが3人ほどいた)恥をかかせたと3時間にわたる威かしの電話を受け、園長はひたすら「黙っていてください。男子の未来のためになにもいわないで下さい。」と言われ。

 

あまりの低俗さにショックで1年半ほど歩けなくなる。

 

4年保育幼稚園をやめ、半年休み、大姑が96歳でなくなったのを機に古い家を立て替え、姑と同居が始まる。

 

新しい幼稚園は所属教会の付属幼稚園で主人や私の末の弟が通った幼稚園。

 

主人が朝、娘を送り帰りは私の母が迎えに行き、私は家から出れず(歩けないので)
私の30代は終わった。

 


☆母親は子供が殺されたら生きて
はいられない。

 

雅子さまも人には言えない辛い体験をされ、愛子さまを守るのを何より先にされたのだろう。

 

ご自身も壊されて。

 

うちの娘がやめたのちに入られたのが真子さまや佳子様だと言う。

 

☆私は権力の怖さ、人間の弱さを学び、30代を終えた。

人間は人を殺すのよ。
好い人そうに見える人が案外怖い。

 

人の物を狙う人もいる。

 

人の物を取ってでも有名になりたい人もいる。

 

人間が人間を殺すのはわけはない。

 

☆その首を絞めた男子の未来のために沈黙した私は更なる暴力を浴びた。

 

まるで、娘に欠陥が有るようにしていくのだ。

 

おとなしくしていると幼稚園も満足に通えない弱い少女で能力もないように流布して、自分達は悪くないと首を絞めた男子の母親も監督不届きの幼稚園もそう、片付けたいのであった

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