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さわやかな青年が殺された!

川崎中1殺害。
上村遼太君。

 

写真を見えと今様のイケメンで可愛らしい男の子だ。

 

転校前の学校では愛されて見送りに70人も駆けつけた。島の校長先生の愛情深い言葉。

 

一年半ほど前に母親の実家のある川崎に引っ越しした。離婚したからだ。

 

川崎の中学校で暴力を働くグループに目をつけられ、万引きを強要され断ってから暴力が始まった。

 

1月8日から学校へ来なくなり、担任の先生も毎日のよう電話、家庭訪問を続け会えずじまいだった。

 

イスラム国のテロのマネをした同級生に手を縛られてから、首に刃物で切られたあとがあり、裸にされ、衣服は近くのトイレで油で殺された痕があった。

 

もう、同級生の名も特定されている。

☆5人も子供のいるシングルファミリーの母親を責めるのは忍びない。

 

☆子供を育てる両親はいつも子供を守るのに必死だ。

 

☆私が2歳前の娘を連れてパリにいったのは、よく書いていているが、主人の弟が娘に危害を与えたからである。

 

そして、なぜ危害を与えたかというと自分の子供が3歳過ぎても話せず歩けなかった障害があったので、目の前を女の子特有のおしゃべりで歩いていく1歳半くらいだった娘を見て我慢できなくなったからである。

 

母親である私が玄関に靴を揃えにいった隙間に、悲鳴をあげて泣き叫ぶ普通でない声に、私はエスカレートして起こる可能性のある不幸に、この家族と接触を避けるのにどうしたらいいのか考えたのだった。

 

姑は1ヶ月に1度、この家族を自宅に呼び私たち家族も呼びつけた。

 

もう少し、姑に世間知というか人間心理を知ればわざわざ会わせなかったであろうが、まだ1歳半の娘に、この家族のいるときは口を閉じ黙った座ってなさいと言えたであろうか?

 

それで、大きな悲劇が起こる前に手を打たねばならなかったのだ。

 

☆私は自分の我が儘と言う批判を背負うことにした。娘は健康で誰でも、この子ならパリでも大丈夫と言った。

 

幸いフランス語を学び、百人一首もできていた。個展をすると言ってパリに行こう。

 

その時はパリに住む家も決め、飛行機チケットも買い、お金も用意して意を決め、離婚覚悟だった。

 

娘を守るのが母親の使命だもの。

 

しかし、主人は理解してくれ、借りる家のオーナーも東京歯科医大に来ている研究者だったので、安心してくれた。

 

実家の母親も心配で寝れないと言うので父がそんなに心配なら一緒についていけと言い、3週間パリにいてアパートの掃除やベビーベッドの買い物等に付き合ってくれた。

 

とてもいい郊外のアパートで環境も良く母も安心して帰って行った。

 

主人も夏休みには2ヶ月ほど来て、秋の個展のときには姑と実家の母が来て、母は残って帰りの荷物の梱包等手伝ってくれた。

 

姑も主人から聞いて、「ずいぶんひどい家によく来てくれました。」と謝ってくれた。それまでは、すごい怖い顔をして「よく逃げたわね。」と威嚇していたのであった。

 

私はその障害児に対して何もしなかったわけではないのだ。聖母の騎士の修道院にお金を送ってその男の子のために祈ってもらってもいた。黙っていたが、その一日後に、義理の弟嫁から電話で「初めて子供が話した。その最初の言葉はパパだった。」と言った。主人に言ったら「君は余計なことをした。」と不愉快そうだった。 よく義理の弟嫁がその男の子を私のアパートにおいて買い物したものだった。

 

☆恐らく、多くの母親は子供を守るために同じような努力を誰でもしているに違いない。

 

☆2度めの危機はパリから帰った後に姑が強要した4年生の幼稚園で起こった。1学年10人で誰でも知っている日本を代表する大企業のオーナー一族の師弟が多かった。

 

どうしてもその幼稚園にいきたい人もいた。

 

そうね。正田美智子さんの弟の娘もいましたね。

 

私も止めましたが、鳩山エミリーちゃんの息子さんも居て止めたそうです。

 

そして、1年3ヶ月ほどたった頃に同学年に芸能人のマネージャーと言う家の男の子が居て誰にでも暴力が限度を超えていた。

 

私は女の子の親で鈍感だったが、男の子の家は背中を噛まれたり嫌な体験をたくさんして、ここから逃げるため4月には3年保育の幼稚園に転校していたのだった。

 

それで、女の子に危害を加えるしかなくなった男の子は確信犯で親の顔を観ながら、ブリキの機関車で娘に馬乗りに乗って頭をガンガン打ち付けた。

 

娘に訊くと、個人のいえで無認可の幼稚園だったので日本間で男の子は手を縛られていたと言う。

 

私が、「お弁当に烏龍茶をわざとこぼしたりして、食べられなくなったり、ぶったりするので幼稚園に行くのは嫌だと言うのですけれど。」と、園長絵先生に言ったら、「そんなに心配なら幼稚園で見張ってろ。誰にでもするんですから。黙っていてください。」と言ったのである。

 

☆雅子さまが学習院で毎日授業に参観したのは、それなりに理由のあることだ。

 

しかし、「親が見張るの?これは教育ではないのでないの?」とそれはできなかった。やってはいけないと思っていたのだ。

 

そう言えば、あるとき母親が迎えに来ていた玄関前で園長先生は「今日は○○君の背中にライオンさんにかじられた痕がありますが、ちゃんと消毒していたから大丈夫ですよ。」と言っていたのを、危機感無く聞き過ごしていたおろかな母親。母親は子供を幸せにしてないときに責めて責めて責め過ぎるものである。

 

6月にやめ、その後、その男の子は自宅の便器に落ちて複雑骨折してこれなくなったので「もう、来ても大丈夫ですよ。」と電話が園長先生からかかったが、根本的に解決したのではないので断った。

 

その男の子の母親の恐喝電話は3時間にもわたった。「大衆の前でうちの子に恥をかかせた。うちの子は優秀すぎるので同学年にはあわないので一年上の子供と一緒にいる。乱暴だと言う人がいるので、あなたのように綺麗にしてられない。」と言ったのだった。

 

へえ?
私は最高年齢だったと思えたし、ベンツ、BMWのお迎え車のなかで家が近いので徒歩組だし、着ているものは安物ばかりでなんで?

 

着ているものなんかどうでもいいじゃない!

 

しかし、子育ては楽しかったのだ。それでニコニコしていたし、友人のインターナショナルスクールのバザー等も皆を呼んでシェアしていたし、それを、そんな目で見ている人がいるとは!

 

私は少し休んで4月から娘は教会所属の幼稚園に2年通った。

 

☆その後、その男の子の暴力で2人の子がやめて、二人とも名門の小学校に合格したその男の子は受験には落ちて危惧していた通り地元の公立小学校に行った。それからも危害を同級生に与え、二人転校し、名門小学校に編入した。

 

私は娘と青山の「こどものくに」に行ったときにその男の子と父親がレストランでランチを食べているのを見たことがあった。幼稚園児だった娘を背中で隠し、観察していると、目の前をとおった見ず知らずに3歳くらいのよう児の頭を父親に見つからないようにひっぱたいていた。

 

父親は受験でナーバスになっていたせいか、食事の食べ方にうるさく口を挟んでいてこれでは子供もストレスになるのも無理もないと思われた。

 

☆☆☆
娘と遼太君のニュースを聞きながら、
あういう悪い子に絡まれたら、転校するか引っ越すかがいいのだけれど、5人の子供がいたり、経済的な事もあるからなかなかできないわねと話した。

 

あの男の子は可愛くて感じのいい子よね。

 

不良グループはそれがシャクだったのかもしれない。

 

こどもの本能で成長してどれくらい自分達と差がつくかがわかっていたのかもしれない。

 

自分達のさきには未来がないが、あの男の子には無限の可能性があったのだ。

 

可愛いとか綺麗だと言うことが、逆ハンデになることがある。

 

日本の社会がそれを育てているのだ。

 

学歴。

 

容姿。

 

家柄。

 

どうにも、得れそうもない人は絶望してしまうのだ。

 

ますますエスカレートしているようにも思える。

 

私は遼太君もかわいそうだが、加害者のこどもたちを処罰に厳重にと言うより先に言い分を聞いてやる社会の成長も必要だと思う。

 

君たちだって人殺しするより幸福になれる道があるんだよと、いってあげれる社会が必要だと思う。

 

イスラム国のテロも死んでもいいくらい不幸な人たちがしているのだ。

 

デンマークで生まれてテロを起こした20歳のアラブの青年。愛してくれる彼女も支えてくれる教師もいなかったのか?

 

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