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「佐伯祐三と妻-米こ」を読む!「佐伯は殺された」

稲葉 有著


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分別ゴミを捨てに行き、ついでに道の駅で茄子、胡瓜、マリーゴールドなど買う。

お昼にざるそばとソフトクリーム。

帰りにロッジでイベントをしていたので、ジパンシーの大皿と小皿5枚買う。

⭐ 2時15分頃、帰ったので3時になったら苗木を植えよう!

4時頃は涼しく、茄子、胡瓜、マリーゴールド等植えた。

薔薇、桃2本も植えた。

心配していたが、薔薇の木は、それぞれ芽が出ていて冬を生き抜いた。

ベンキ缶の空のをまとめた。明日にでも出しにいこう。


「道の駅」て買ってきた牛乳で、昨日のグラタンからアスパラガス、ポテト、ベーコン、マッシュルーム、人参を足してホワイトシチューにして食べた。

今日は、油絵を描かなかった。

古い板などを燃やした。

⭐この本が凄すぎて、エネルギーがそちらにいってしまった。


米子夫人は怖い。

インターネットで見つけた記事。
 「天才画家『佐伯祐三』真贋事件の真実」

 荻須の著書「私のパリ、パリの私 荻須高徳の回想」(東京新聞出版局)には充実したパリでの生活が書かれている。
 しかし、荻須のこの作品は、戦後の作品群と比較すると非常に暗いものがある。

 戦前のパリの風景を描いた画家に佐伯祐三がいる。
 「天才画家『佐伯祐三』真贋事件の真実」(落合莞爾著、時事通信社)には、荻須高徳、佐伯祐三そして佐伯米子の接点が記述されている。

 「当時の佐伯は、米子の加筆に対抗して自分の画風を模索中で、それに伴って加筆に固執する米子との夫婦仲も険悪になっていた。周蔵(吉園周蔵)氏が訪れた当時、米子は幼い娘を佐伯に任せて若い荻須高徳の所に入り浸りとなっていた。」

 「米子は、周蔵が帰国の旅に就いてから、えらく荒れ始めた。独自の画風を確立していく佐伯と、米子が進めてきた加筆路線が両立しなくなり、やがて破綻につながる予感である。米子は、佐伯の唯一のパトロンで本格画のコレクターとなった吉薗夫妻の存在が気に掛かり、佐伯が周蔵にどこまで加筆の件をもらしたかを探ろうとした。吐き気などの症状はツワリかも知れず、その場合、相手は荻須しかない。荻須も腹を固めたので、佐伯夫妻は一挙に離婚・別居の方へ進む。これを証する手紙とメモがある。」

 「解毒措置を受けられなかった弥智子は、佐伯の死の一ヶ月後に後を追う。従来の佐伯評伝家はこぞって弥智子の死因を小児結核とするが、米子の言に惑わされたのである。死ぬ直前「天使が見える」などとあらぬことを口走ったことを、文学的に美化する評伝家の態度は医学無視の非科学性に過ぎず、実体はヒ素中毒による精神異常である。安易に腹こわしや風邪や結核と言うが、周蔵はそんなもの信じていない。死因は明らかにヒ素による衰弱であった。」

 落合氏の著書によると、荻須は、米子と関係を持っていた、そして、米子は夫祐三および娘弥智子(血液型より佐伯祐三の兄との間に出来た子供と分かる)をヒ素で毒殺したとある。


 もし、それが事実なら、荻須は佐伯祐三および娘弥智子の死をどのように感じたのだろうか。

 荻須高徳の心情 推測

 このような状況下で、荻須はどのような心境でパリにいたのか。

 「私が日本を捨てたのではない。日本に捨てられたのだ」と言った藤田嗣治(1986-1968)のように、戦争協力者として日本にいられなくなった特殊な事情の人を除くと、荻須のように長期間パリにいた画家はまれな存在である。

 また、戦前西洋人が日本人を見る目について、「美に生きる 私の体験的絵画論」(林武著、講談社)に記載されている。

 「白人間にはまだ東洋人を軽蔑する風習は露骨であった。オランダのハーグでは、やはりわれわれ画家四、五人が停車場で汽車を待っていると、大勢オランダの若者が取り巻いて、ピノ(支那)、ピノと唾をコンクリートの床へ吐いた。われわれは日本人だとだれかが言うとよけい悪かった。やがて汽車が来て彼らは乗った。我々の汽車はまだ来ない。彼等は汽車に乗っても窓から顔を突き出して、大声でヤパナ!ヤパナ!と憎々しく怒鳴った。」

 このような状況下でも荻須は帰国しなかった。帰国は戦争が始まってからである。また、結婚も43歳までしなかった。戦後パリに移ることが出来るようになるとすぐにパリに発った。まるで日本から逃げるようである。
 
 これらは、米子とのことがあったためなのか。

 「吐き気などの症状はツワリかも知れず、その場合、相手は荻須(高徳)しかない。荻須も腹を固めたので、佐伯夫妻は一挙に離婚・別居の方へ進む。これを証する手紙とメモがある。」(「天才佐伯祐三の真相」落合莞爾)

 推測で物事を書くことは問題を生じる可能性があるが、しかし、当時の荻須の心情を推測すると次のようになる。

 「自分の子供を宿した米子が佐伯祐三と娘弥智子にヒ素を飲まして殺したのか。いやそんなことはない。私の好きな米子さんは気だてのよいすてきな人だ。しかし、佐伯祐三は気が狂ったと世間で言われているが、それは信じられない。肺結核がこうじて亡くなったのだ。」

 このように考える荻須であったが、朝、目が覚めると背筋に寒いものを感じた。

 町を歩くと、人々の目は冷たい。しかし、私はこの無機質なパリで暮らす。
 
 このように考えた上で、荻須の心情がもっとも暗かった時期を推定すると、佐伯祐三が死んだ1928年である。この絵画は、画家の非常に暗い心情が描かれているので制作年は1928年と考える。
 また、サインについて調べると作品「セレクト・ガレージ」(1928)のものはこの作品「ヴィラン通り?」(仮題、推定制作年1928)のサインと同様に右に傾いたものである。ただし、字体が異なる。そして、この作品のタッチはおよび色彩は作品「菓子屋」(1929)に近いものである。


 1928年から1929年に制作された作品3点にみられる心情

 「画集 荻須高徳」(講談社)には1928年から1978年に描かれた荻須の作品127点が収載されている。これらの作品のうち多くが建物を描いたものである。
 しかし、1928年から1931年にかけては例外とも言える4作品がある。それは、作品「人形」(1929年)、「顔」(1929年)、「裸婦」(1930年)そして「自画像」(1931年)である。なぜ例外とも言えるのか。それは、建物ではないからである。
 また、荻須の作品には無機質なものが多いなか、心情が込められているような作品が2作品ある。それは、作品「人形」(1928年)および「顔」(1929年)である。
 そして、その例外的な4作品のうち、1928年から1929年に描かれた3作品について私の意見を述べる。
 
☆こういうのも見つけた!

画家名

問題とされるストレスおよび行動等

  林武 幼少期に問題となる家庭環境
悟りがあった
幻聴・幻視があった
自殺を考えたことがあった
統合失調症患者にみられる性格
  佐伯米子 佐伯祐三の兄の裏切り?
夫・娘の殺害?
贋作作り(偽のサイン)
  萬鐵五郎 幼少期に母親を亡くす。祖父に溺愛されて育つ  
二十歳頃に奇行
二十歳頃に結核
長期間苦悩(作風で悩む)→社会的引きこもり
娘の死後、非常に大きな精神的落胆
双極性障害患者にみられる性格
  朝井閑右衛門 幼児期における猫殺し
社会的ひきこもり
双極性障害患者に見られる行動
統合失調症患者にみられる性格
  梅原龍三郎 幼少期に母親を亡くす。父と義母ゆきとに溺愛されて育つ
長期間苦悩(作風で悩む)→社会的引きこもり
死への願望
双極性障害患者にみられる性格
  古沢岩美 幼少期に母親を亡くす。
過酷な戦争体験
「アトリエで一人で夜中にやっていますから、その場面で回虫が目から飛び出しているものもありますし、それから、コレラで死んだものもありますが、それがフッと出てくるんです」→幻覚
長期間蟄居状態→社会的引きこもり
  村上肥出夫 長期間放浪
二度の火災後、精神を患い、長期間入院
対人恐怖症?
  全和凰 精神的修行(精神的問題があったから?)
  緑川廣太郎 幼少期に母親を亡くす
  依岡慶樹 本人が死を意識するほどの病気(腎臓)
病気から回復した後、爆発するような感覚を持った
  中川力 東京で一匹の猿に出会ってから芸術開眼をひきだされた→悟り(?)があった
孤高の境に身を置いて大自然と相対し、独自の晴朗な画境を切り開いた→社会的引きこも
  香月泰男 幼少期に母親と別れる
長期間のスランプ  
シベリア抑留という大きなストレス
娘の死後、非常に大きな精神的落胆
過度の飲酒

 

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