Ruiico (ruiico) wrote,
Ruiico
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五月晴れ!

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昨日は温かめのパジャマを着て2階で本を読みながら寝てしまった!</p>

洗濯していたのでできてから干して寝ようと1階の電気をつけたままだったが、そのまま寝てしまった!

早めに寝たようで1時頃、寝てしまったのだと思う。

読みかけの「北斎と応為」の上巻を読み終える。

  応為が離婚するために冬に、鎌倉の慶長寺に行きぶじに三下り半をもらいせいせいしたところだ。

昨日、長野まで「駆け込み女と駆け出し男」を、観に行ったのは、あまりにも良くできた話であった。

それは、2階のベットで読むよりはしなの鉄道線のなかで読んだ方がいいと思ったのだ。昨日は黒姫は霧で、バスタオルを一枚ベランダに干していたが乾かなかったような寒々とした天気だった</b>が、長野は22度の適温だったから。

この映画は長野ロキシーと長野グランドシネマズの両方でやっていて、時間的にグランドシネマズの3時頃の方が都合か良く、天ぷらそばが食べられたわけ。

駆け込み寺は夫から火傷やアザをつけられた女性が命からがら逃げ出してきた寺で庶民しか入れなかったようだ。

女性がいいように働かされていて、自由がない時代、とにかく逃げ出したいという境遇から、武道や裁縫や掃除などさせながら離縁を可能にする慈悲が尼寺の写経や仏の教えを得ながら心身共に救済していく場があたのだ。

薬草を育て医療に役立つ学びなど、西洋の修道院のようだ。

☆「北斎と応為」
この本は史実かどうかはともかく、北斎が後妻の娘の栄(えい)を、「オーイ!」と何時も呼んでいたから、画号を「応為」とし、顎が四角いので「あご」とも、呼びながら、不細工ながら賢い栄を大変可愛がり、小さいときから絵の手解きをしているだけでなく、吉原の遊廓にまで10歳くらいから連れ出していたことが書かれている。

北斎は名が知られていて、画料は普通の人の2倍だったが、お金に無頓着でそのへんにおいてあり、何時も貧乏だった。

お弟子も出入りしていたが、長屋は二間で一間が画室で掃除は一切せず、食べ物も買ってきた惣菜が腐るまま、その辺におかれていて、アニメの百日紅でもカビの生えた大福が畳の上におかれ、北斎はしらみの生えた炬燵から顔を出して絵を描いていたりした。

栄さんは北斎の弟子の油屋の息子と結婚したが、子が産めないのは咎めれなかったが、料理を作らないで買うのが旦那には尽くされてないと思ったのだった。

栄さんは賢く、遊廓で女性が性の慰みものと扱われ大事にされないのを見て、自分の不細工路線を肯定し、北斎の娘でなければ価値がないこともよく知っていた。

後妻の母親は先妻の子を育て、別居していて北斎の収入を当てにするだけの暮らしなので、北斎のブライドのある清貧暮らしには文句があり、幸せ感がすくなかったようだが、母親代わりのように、父の画を理解し、しきり、父から字を学んでいた栄は、北斎に良く仕えた。

離縁の理由は自分より父に仕えているというのもあって、栄は、敵もいれば弟子なかでも盗みや裏切り者が多い父の門下を束ねる使命もあり、父のために生きる方が本望だった。

⭐8時頃、1階に降りてきて洗濯物を干し(タオルなどは外に)、昨日、半分食べたボンゴレのスパゲッティを温めて、苺、ハーブティーと食べる。

☆お昼!
蓬餅でお雑煮。
昨日、買ってきたチョコレートミントを植え、お昼の水やり!

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笹を摘もう!
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☆3時半頃、2階から降りてきて笹の新芽を10枚くらい取り50度の熱湯に浸けた。

咳がでて喉が痛いので梅ヴィックスをなめて、ハーブティーのお茶を淹れる。

☆「北斎と応為」によると、引っ越しの理由は幕府の御調べから逃げる意味もあったようだ。

シーボルトにも絵を納め、地図をシーボルトに渡した日本人は咎められ獄死。

私の購入した「英泉と応為」の艶本には13巻のうち1巻が同時代の英泉と応為が一緒になっていたが、「北斎と応為」には、二人はいい仲だったとある。

貧乏でも、手に職があって物々交換などでも生きていかれたようだ。

下巻は北斎67歳で、一度中風になたが、富士山を描きに出歩いた頃は弟子はいなくなったものの、元気が甦ったという。

孫のごろつきには苦しめられたようだ。

この本の作者は幾度も応為は北斎以上と栄泉に言わせている。破門された英泉は武士の出で品格のあった人のようだ。

☆北斎が小布施にいき、お栄も呼ばれるはなし。

☆北斎が死ぬところまで来たので、下に行って夕飯にしよう。

昨日、買ったポテトピザ。胡瓜。アメリカンチェリー。コーヒー。

多分、あとで昨日の明太子ピザの残り半分とオレンジをお夜食で食べると思う。

⭐英泉と応為は連名で艶本をだしている。英泉は遊廓を経営していたとか!

それにしても、北斎は晩年迄貧乏だった。

☆ 田舎源氏を書いた柳亭種彦も幕府のお咎めにあり、獄中自死とか!

北斎も小布施に呼ばれたが倒幕の思想の持ち主で佐久間象山にあったりもした。

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