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お花がきれい!「アルテミシア」「応為坦坦録」を読み終える!

これはミニ本。
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アートの仕事は時代とともにかわっていくけれど、食べるのは大変ということになっている。
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蕪村と若沖展から
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「アルテミシア」は映画のプログラムだけれど。

17世紀のイタリアの女流画家。
1982年、アメリカの美術史家、メアリー-ガラード「アルテミジアとスザンヌ」という論文を「フェミズムと美術史」にのせて以来、アルテミシアが復活した。

1593年、ローマで生まれた。
父親はカラバァッジョ派の画家オラーツォ。幼少のときから娘を指導。

1612年、父親は娘をアゴスティーノ-タッシに強姦されたと告訴。

ナイフをもって抵抗したが、処女性の公的審査や過去の性生活を暴露され、生涯、貞節を奪った男への抗議の絵や、男性暴君を侍女とともに、殺害するユーディットを描いた。

この訴訟により平凡な生活はできなくなり、画家の道に邁進する。

裁判後、結婚し娘が一人いたらしい。

彼女の作品は父親の作品と長い間されていた。

歴史上、女性の画家の地位が低かったのだ。

⭐「応為坦坦録」の方は北斎の死後、消えてしまったお栄さんを描いている。

栄は名声には執着しない。
レスビアンの性の注文が来て、遊女にモデルを頼む。

栄さんは北斎の娘で守られた部分と、賢さで江戸末期を生き抜いた。

しかし、食べることは大変だ!
お栄さんは大豆に絵を描いた人形でつくるセットものや、占いも勉強していたようだ。

北斎もお栄も絹など着れないで、木綿の古着や死んだ人の無用のものを着ていたそうだ。

絵を描くことの代償は大きい!

矢車草を描きたくなった!

いつもの水やり。

朝は林檎1個、チーズトースト!</p>

グレープフルーツジュース。コーヒー。
シュークリーム!


⭐牛乳瓶を返しに道の駅迄行こう。
分別ゴミを捨てにいった後に!

⭐牛乳瓶が2本あったのに、1本しか見つからなかったので、分別ゴミを出してセブンで、牛乳やパンを買ってきた。

お水をやると、矢車草がほんとうにいい感じ!

今日はそよ風があって21度で、気持ち良く散歩にいけた!

☆夕飯はカレーライスとブロッコリー、プチトマト。

「アルテミシア」のビデオが届いた。
VHSなので東京でしか見えない。近日、東京に帰ったとき観よう。

佐伯祐三の贋作事件の本が出てきて読んだ。佐伯祐三の最期の絵は郵便配達人でなく、千代子夫人。妻の米子夫人が子供を置いて荻須のところにいっていたので薩摩千代子に預けていたのだった。その子供も、佐伯祐三の兄の子で、当時、その事実を知って兄の恋人が自殺。米子夫人は美人でいつも着物で松葉杖をついついて、通りすがりのフランス人が誰でも振り返ったそうだ。また、日本帰国の際、佐伯祐三は米子さんの東京女学館の先輩と不倫をして、米子夫人に責めれていたという。

贋作事件がおきたのは、経済的援助者の医者の娘が大量の父の遺産を福井県の武生市に寄付し、武生市が5億の買いとりをすることで、美術評論家の査定がほんもの、画商がわが贋作、新聞社がそれぞれにつき起きた。

なぜなら、佐伯祐三より米子さんのほうが絵がうまいということで、仕上げにつねに米子さんの筆がはいっていて売れていたわけで、当時は女性のがかに尊敬がなく米子さんは割りきって夫のために、絵の仕上げをしていたのだが、佐伯祐三は晩年それが嫌になり、純粋な絵を描くと文を残し、手の加えない絵を後援者に送ったのて、絵が見馴れたものとちがうのだ。

佐伯祐三の絵が1枚1億の値がつき出すと、米子さんも打算があって夫婦は純愛だったと、真実から遠い文章を買いて、画壇が混乱することになったという。

亡くなる前日、佐伯祐三は大声で泣いたと言うがその心中を思うと気の毒である。

砒素をもられ、米子夫人に毒殺されという説もあるくらいだから、残された子供の結核と、妻が若い後輩の画家のところにいっているのも辛かっただろうに。

子供は佐伯祐三の死後、2週間でなくなったが、「天使、天使。パパ、パパ、」と言って死んだと言う。(フランス語で)

⭐この本はかなり前に買ってあって、たまたま自分の本箱から見つけたのである。

北斎の絵の多くは栄が描きながら、北斎のものとされている。そして、佐伯祐三の奥さんの米子さんは日本最大の象牙商の娘で銀座育ちだから、かなり最高の美術品を見ることになれており、売る骨も知っていたはずで、佐伯祐三の絵に値打ちをつけるのに巧みだった。

おまけに、佐伯祐三の東京芸大受験の裏口斡旋まで先の後援者の医者に依頼していたという。

⭐家族のような運命共同体は、身内が手を加えても盗作とは言われない。家族てなくても、弟子が細部を塗ろうが風景を描こうが問題にならない。

⭐それでも、あまりにも苛酷な画壇を凌ぐには、おそらくそれぞれが相当必死にあらゆる手を使うのであろう。

⭐北斎はほとんど注文で描いている。または、書きたいものを描き版元にもっていき、買ってもらうのだ。

名を残したい野心が北斎にはあり、現実にそうなったが、娘の栄は親に仕える気持ちが勝っていたのだろう。

姪は、北斎は変人だったが、栄は父親に付き合っていただけだと書いている。

栄のような娘をもって幸福だった北斎である。運も実力のうちというくらいだから、タイム誌にここ1000年に世界に影響を与えた100人に唯一選ばれた日本人の北斎は、栄も犠牲が浮かばれたと言えよう。

それと、人物は栄の方が上手いと北斎はいい、春画は北斎は描くのは嫌いだたという説も。栄が描き北斎のものとされてるものが多い。

春画は普通の画より画賃が高いので絵が出てくるようだ。

⭐このところ、1日に2度寝るようになり、夜中の2時半頃、起きてお風呂に入り、台所を片付け、洗濯し、洗濯ものを干し、大抵もう一度寝る。

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